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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重
第二部 結界編

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第二部 重なる手

「──アル! 背中、見せて!」

「大したことはございません」

「大したことあるかどうかは、私が決めるの!」

 砕けたステンドグラスのかけらが散らばる大聖堂の床で、私はアルの肩をつかんで、むりやり振り向かせた。

 近衛騎士の制服の背中が、大きく裂けていた。その下の肌が、赤黒く、焼けたようにただれている。

「……どこが、大したことないのよ」

 声が、ふるえた。

 私は、その背中に手を当てようとした。

 その手を、アルが、そっとつかんで止めた。

「……お嬢様の光は、今夜は、もう少しも無駄にできないはずです」

 灰色の瞳が、まっすぐに私を見た。

「私の背中に使う光があるなら、あちらにお取りください」

 アルが、砕けた窓の向こうを、あごでさした。

 北の空。大きく裂けた、空の口。その奥で、赤く燃える何か。

「……ずるい」

「それは、以前もうかがいました」

「……アルが倒れたら、もう許してあげないからね」

「結構です。許していただくために、倒れないようにいたしますので」

 ……こんなときまで。

 でも、つかまれた手は、あたたかかった。

「──サラ!」

 お兄様が、駆けよってきた。その後ろに、イザベラ様と、ユリウス様。

「宝物庫に残っていた分と、おまえが引き止めた分。あわせて、もとの三割ほどだ」

「……三割」

「……だが、ゼロではない」

 お兄様は、手帳も開かずに、そう言い切った。

「──馬車を用意させる。北の森へ、今すぐにだ」

 王族の席から、セドリック殿下が、もう下りてきていた。その後ろで、国王陛下が、近衛騎士たちに短く命じている。

「近衛騎士団と魔術師団は、ローゼンベルク嬢を守り、北の森へ。……王都の守りは、警護隊に任せる」

「──はっ!!」

 大聖堂の入り口で、トマスさんが、今日いちばんの大声で、びしっと胸に拳を当てていた。

 今度は、誰も、その口をふさがなかった。

◇

 北の森は、燃えているように見えた。

 本当に燃えているのではない。裂けた空の奥の赤い光が、森じゅうを、不気味な色に照らしているのだ。

 空気が、重い。鑑定の目で見るまでもなかった。森じゅうの木々のあいだに、どろりとした黒いもやが、川のように流れこんでいる。

「──右から三匹!」

「左もだ!」

 魔物たちが、あちこちから飛び出してくる。狼。熊。見たこともない、大きな鳥。近衛騎士たちと、魔術師団の人たちが、馬車のまわりを囲んで、それをひとつずつ打ち払っていく。

 その先頭で、アルが剣を振るっていた。

 背中の制服が裂けたままで。一度も、よろけずに。

 ……倒れないようにするって、言ったから。

 そして、馬車の後ろには。

「……どうして、みんな、ついてきちゃったの……」

 馬車の窓から振り返って、私は、息をのんだ。

 松明の火が、ずっと、ずっと続いていた。

 北側の人たち。警護隊の制服の若い騎士たち。大聖堂の外廊にいた、王都の人たち。その中には、貴族の馬車も、いくつか混じっている。そのひとつの窓から、栗色の巻き髪が、ひらひらと手を振っていた。

「……ミレーユまで……」

「あの子は、貴族の奥方を、半分くらい引き連れてきたようね」

 向かいの席で、大叔母様が、杖をひざに立てて、静かに笑った。

「……五十年前は、誰もついていかなかったわ。あの人は、兄上と、たった二人で、この森へ入っていった」

 大叔母様は、馬車の窓の外の、松明の列を見つめていた。

「……今度は、ちがうのね」

◇

 要石のある広場にたどり着いたとき。

 空の裂け目は、もう、すぐ頭の上にあった。

 その向こうに。

 巨大な、紅い爪が見えた。

 裂け目のふちを、外側から、ゆっくりと、こじ開けようとしている。そのたびに、空が、ぎし、ぎしと、きしむような音を立てる。

「……魔竜だ」

 ギデオン様が、かすれた声でつぶやいた。

「五十年前、あの人が押し返した、あの……」

 要石は、もう、桃色に光っていなかった。

 真っ白だったはずの石が、灰色にくすんで、ひびが、網の目のように全体に走っている。そのひびのすきまから、黒いもやが、もうもうと、とめどなくあふれ出している。

 その下に刻まれた、【さくら】の文字だけが、かろうじて、かすかに光っていた。

「──魔石を! 要石のまわりに!」

 お兄様の声。マークとトマスさんと、近衛騎士たちが、馬車から魔石の箱を運び出して、要石のまわりに、円を描くように並べていく。

 三割。

 おばあちゃんの光の、たった三割。

 これだけでは、足りない。おばあちゃんがひとりで張った結界を、そのままよみがえらせるには、とても。

 でも。

 ──結界は、ひとりで張っちゃだめ。

 ──聖女の光は、種になるだけ。その種を育てるのは、みんなの「守りたい」って気持ち。

 私は、振り返った。

「──みんな!」

 広場に、森の入り口に、そのずっと後ろまで、松明を持った人たちが、ひしめき合っていた。

「手を、つないで! 隣の人と、その隣の人と。ずっと、ずっと、つないで! それで、守りたいもののことを、思い浮かべて!」

 一瞬、しんとした。

 それから。

「──じゃあ、私からよ」

 大叔母様が、杖を捨てて、片手を差し出した。

 その手を、もじゃもじゃの白い髪のおじいさんが、そっと握った。

「……五十年ぶりだね、ヒルダ。手をつなぐのは」

「黙って握りなさい。泣き虫」

 ギデオン様のもう片方の手を、マークのおばあさんが。その手を、マークが。マークの手を、トマスさんが。トマスさんの大きな手を、警護隊の仲間たちが。北側の人たちが。王都の人たちが。貴族の奥方たちが。

 その列の、あるところで。

「……殿下も、どうぞ!」

 ライザが、なんのためらいもなく、片手を差し出していた。

 セドリック殿下が、その手を、一瞬だけ見つめた。

 それから、かすかに震える指で、そっと、握り返した。

「……あれ?」

 ライザが、つないだ自分の手を見下ろして、小さく首をかしげた。でも、すぐに前を向いて、ぎゅっと目をつぶった。

 列の、また別のところでは。

 灰色の服の、銀色の髪の令嬢が、隣に立つ巡礼の服の人に、無言で片手を差し出していた。

 その人はただ、その手を、しっかりと握った。

 そのもう片方の手を、もうひとりの銀色の髪が。

 人の手の列が、広場を、森を、松明の火の、ずっと先まで、つながっていく。

 そして、その列の、いちばん端の手を。

 大きな、傷だらけの手が、私のもとへと、つないできた。

 アルだった。

「……お嬢様」

 アルのもう片方の手は、列につながっている。

 そして、こちらの手は。

 要石に当てた私の両手の上に、そっと、重ねられた。

「──手を、離しません。絶対に」

 ──手を離すな。

 五十年前の、あの声と、重なった。

◇

 ──おねがい。

 私は、目を閉じた。

 要石の中へ。その奥へ。まわりに並べた魔石の、おばあちゃんの光へ。

 ──もう一度だけ、力を貸して。

 ──今度は、ひとりじゃないから。

 手のひらが、あたたかくなる。

 私の光。そして、その上に重ねられた、アルの手の、あたたかさ。

 その向こうから。

 小さな、小さな光が、ひとつ、またひとつと、流れこんでくるのがわかった。

 銀色の、いまにも消えそうな光。それは、何年も、何年も、ひとりで祈ってきた人の光だった。

 淡い緑の、のんびりとゆらゆら揺れる、少しよれよれの、でもあたたかい光。五十年、あの日を忘れなかった人の光。

 赤い、元気いっぱいの光。いつも、私のいるところにいてくれる人の光。

 光なんて持っていないはずの人たちからも。北側のおばあさんからも。警護隊の若い騎士たちからも。名前も知らない、王都の人たちからも。

 あたたかい、小さな、たくさんの、「守りたい」が。

 ──ああ。

 これが、結界だ。

 おばあちゃんが知らなかった、本当の。

 ぱあっと、光が、弾けた。

 要石から、まわりの魔石から、手をつないだ人たちの列の、ずっと先から。

 桃色だけじゃない。銀色も、緑も、赤も、名前のない、たくさんの色が混ざり合った光が、大きな大きな波になって、空へと昇っていく。

 裂けた空のふちに、光が、ひたりと張りつく。

 こじ開けようとしていた紅い爪が、びくりと、止まった。

 ──グォォォォォォッ……!!

 地面が揺れるほどの咆哮。

 でも、光は、引かなかった。

 みんなの光が、裂け目を、外側から、内側から、ゆっくりと縫い合わせていく。紅い爪が、少しずつ、少しずつ、向こう側へと押し戻されていく。

 そして。

 裂け目が、細い、細い、一本の線になったとき。

 北の空が、もう一度、やさしい色とりどりの光に、包まれた。

◇

 ──ふらり。

 体が、後ろに傾いた。

 もう、力は、ひとつぶも残っていなかった。指先まで、空っぽだった。

 倒れる前に、あたたかい腕が、私を抱きとめた。

「──サラ!」

 あ。

 また、呼んだ。

 北の森で、要石に触れて倒れたときと同じ声で。丁寧な言葉を、ぜんぶ忘れた声で。

「……今度は、記憶にございません、は、なしだよ……」

 笑おうとしたけど、うまく笑えたかどうか、わからない。

 アルの顔が、すぐそこにあった。灰色の瞳が、ひどくゆれていた。

 どこか遠くで、やさしい声がした気がした。

 少しかすれていて、なつかしい声。

 ──よく、がんばったね。咲良。

 ……おばあちゃん。

 それを確かめる前に、私の意識は、あたたかい腕の中で、ゆっくりと、深いところへ、沈んでいった。

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