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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重


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赤ちゃん聖女、始動

ゲームを始めて、最初にぶつかった問題。

 それは、ミルクがまずいことだった。

『サラフィーナ様が、またミルクを飲んでくださいません……』

 画面の中で、乳母さんがおろおろしている。赤ちゃんの私は、哺乳瓶を前にして全力で顔をそむけていた。

 わかる。わかるよ、赤ちゃんの私。

 だって、哺乳瓶のまわりに、黒いもやもやが漂ってるんだもん。

「これ、鑑定の力だよね……?」

 画面をじっと見る。ミルクそのものは白くてきれいなのに、混ぜてあるお湯のほうから、黒いもやが立ちのぼっている。

 つまり、水が悪い。

 試しに黒いもやをタップしてみると、小さな文字が浮かんだ。

《浄化しますか?》

「するする!」

 画面の中の赤ちゃんの私が、小さな手を哺乳瓶に伸ばす。ぽうっと、手のひらが淡く光った。黒いもやがすうっと消えていく。

 赤ちゃんの私は、哺乳瓶にかぶりついて、ごくごく飲み始めた。

『まあ……! お飲みになったわ!』

『いま、光らなかったか……?』

『き、気のせいでございますよ、旦那様』

 画面の中で、お父様と乳母さんが首をかしげている。

 私は布団の中で、こっそりガッツポーズをした。

◇

 このゲームは、時間の進み方がおかしい。

 一晩プレイすると、ゲームの中では一年くらいたっている。寝る前に「ちょっとだけ」と思って始めたら、気づけば赤ちゃんの私がよちよち歩いていて、次の日には三歳になっていた。

 三歳の私は、屋敷の井戸の水が真っ黒に見えることに気づいた。使用人さんたちが、よくお腹を壊していたのはこれのせいだ。

《浄化しますか?》

 もちろん、する。

 井戸の水が、きらきらと光った。その年から、屋敷でお腹を壊す人はいなくなった。

 五歳になると、浄化できる範囲が広がった。屋敷の井戸から、町の井戸へ。町の井戸から、公爵領ぜんぶの井戸へ。

「よし、次は食べ物だ!」

 公爵領は、豊かじゃなかった。畑の作物は細くて、冬になると食べるものに困る人がいる。

 鑑定の目で屋敷の倉庫を見ると、隅っこに置かれた麻袋がひとつ、ぴかぴかに光っていた。中身は、どこかの商人がおまけにくれたという、ごつごつした芋。

 これだ。

 五歳の私は、お屋敷の自慢の薔薇園に乗りこんで、小さなスコップで薔薇の横を掘り始めた。

『お、お、お嬢様ーっ!?』

 庭師のおじいさんが、悲鳴を上げてひっくり返った。

 ごめんね、おじいさん。でも、薔薇は食べられないんだよ。

◇

『本日より、お嬢様の護衛を務めます。アルフレッドと申します』

 六歳の誕生日。画面の中に、黒髪の男の子が現れた。

 年は十二歳くらい。騎士見習いの服を着て、灰色の目をした、ものすごく整った顔の男の子。

「うわ、イケメン……」

 思わず声に出た。ゲームのキャラデザ、本当にどうなってるの。

 ところがこのイケメン、ちょっと性格に問題があった。

 芋畑に変わった薔薇園で、泥だらけになっている六歳の私を見下ろして、彼は完璧な礼をしながらこう言ったのだ。

『お嬢様。そのドレスで畑を耕すおつもりで?』

「……え、今、嫌味言われた?」

 丁寧な言葉づかいなのに、目が完全に呆れている。

 画面の中の私は、ぷうっと頬をふくらませて、アルフレッドの顔に泥をぺたりとつけた。

 アルフレッドは、無言でハンカチを取り出して、それをふいた。

 それから、私の手の泥も、ていねいにふいてくれた。

「……なにこのキャラ。好き」

◇

 ゲームの中の私が、七歳になった夜のことだ。

 夜ふかしをして、画面の中のお屋敷を、なんとなく歩かせていた。みんな寝静まって、廊下の燭台だけが、ぽつぽつと灯っている。

 裏庭の、納屋の前を通りかかったとき。

 画面の端に、小さな吹き出しが、ぽこんと浮かんだ。

 『……っ、……っ』

 声にならない、しゃくりあげる音。

 納屋の扉を開けると、いちばん奥の藁の山の陰に、黒髪の男の子が、ひざを抱えてうずくまっていた。

 アルフレッドだった。

 いつも完璧な礼をして、いつも無表情で、六歳の私に嫌味しか言わない、あのアルフレッドが。

 ……そういえば。お屋敷の誰かが、今日はアルフレッドのお父さんの命日だって、話していた。

 この子、七つでお父さんをなくして。行くところがなくて、この家に来たんだっけ。

 画面の中の私は、扉のところで、立ちどまったままだった。選択肢も、出てこない。

「……泣かないで」

 気づいたら、声に出していた。

 夜中の、叔母さんの家の、狭い部屋で。だれにも聞こえないくらい、小さな声で。

「……ひとりで、泣かないで。……ハンカチ、渡してあげて」

 ──そのとき。

 私は、ボタンを、ひとつも押していなかった。

 なのに、画面の中の七歳の私が、とことこと、納屋の奥へ歩いていった。

 何も聞かずに、男の子の隣に、ちょこんと座って。

 エプロンのポケットから、ハンカチを一枚、差し出した。

 すみっこに、へたくそな桜の刺しゅうがある。何日か前、お母様に教わって、はじめてぬったものだ。

 『ひとりで泣かないで。わたしがいるから』

 画面の中の私が、そう言った。

 ……私が、今、言ったのと、同じことを。

 男の子が、ゆっくりと、顔を上げた。灰色の目が、まっ赤になっていた。

 しばらく、ハンカチを見つめて。それから、ふるえる手で、受け取った。

 『……ありがとう、ございます。……お嬢様』

「……え」

 私は、携帯を持ったまま、固まっていた。

 今の、何。

 声で、動いた? 

 ……たまたま、そういう場面だっただけ、かな。

 そう思うことにして、私は携帯をそっと置いた。

 布団にもぐりこんでも、胸の奥が、ずっと、ぽかぽかしていた。

 ひとりで泣いている子の隣に座る、ってこと。

 私も、だれかに、そうしてほしかったのかもしれない。

◇

「店長、休憩入りまーす!」

 古本屋の奥の休憩スペースで、私は紬の携帯を取り出した。最近は、バイトの休憩時間もずっとこのゲームだ。

 ゲームの中の私は、九歳になっていた。

 芋の育て方は、お父様が領地じゅうに広めてくれた。麦も、鑑定で見つけた光る種に替えたら、去年の倍とれた。公爵家の庭はすっかり畑になって、庭師のおじいさんは今では立派な芋名人だ。

 画面の右上で、小さなベルのマークが光った。

《新しいクエストがあります》

「お、なになに」

 タップすると、文字が浮かび上がる。

《クエスト:東の村で、子どもが熱を出しています》

 その下に、もう一行。

《どうか、どうかこの子をお救いください。神さま》

 指が、止まった。

 ……ゲームのクエストって、こんな書き方するっけ。

 まるで、誰かが本気で祈っているみたいな。

 休憩室の時計の音が、やけに大きく聞こえた。

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