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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重


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第二部 厨房の少年

「──自分も行く」

 お兄様が、きっぱりと言った。

「神殿の中のことは、自分の目で確かめたい。下働きの服を用意してもらえれば、あとはどうにでもなる」

「ならねえよ」

 マークが、即座に言った。

 公爵家の厨房の裏。小さな物置き小屋の中で、マークは、素朴な麻の上着を羽織りながら、お兄様を頭のてっぺんからつま先まで、じろりと見た。

「あんたんとこの兄妹は、変装すんな。背筋が伸びすぎてんだよ。あと、眼鏡の拭き方でばれる」

「……眼鏡の拭き方は、前にも言われた。どう拭けばいいんだ」

「拭かなきゃいいんだよ。下働きは、眼鏡が曇ってても気にしねえ」

「…………」

 お兄様が、はじめて言い返せない顔をした。

 マークは、そのあいだにも、手を止めなかった。いつもの茶色いくせ毛を、水でべったりとなでつける。そばかすの上に、かまどの煤を、指でちょんちょんとつける。それから、肩を少しだけ落として、うつむきがちに、立ち方を変えた。

 たったそれだけで。

 そこにいたのは、もう、マークじゃなかった。どこの厨房にもいそうな、ただの、おどおどした下働きの少年だった。

「……すごい」

 思わず、声が出た。

「マーク、それ、私にも教えて! 私も一緒に行きたい! イザベラ様は、私のために二回も残ってくれたんだもん。今度は、私が……」

「──お嬢様の場合」

 小屋の入り口で、アルが口を開いた。

「変装を覚えられるより、黙っていらっしゃるほうが、ずっと早いかと」

「どういう意味!?」

「デビューのあと、下町での変装は、三分で破綻いたしましたので。スカーフから、桜色の髪がはみ出しておられました」

「あれは、アルが剣を下げたまま、すぐ後ろについてきたからでもあるよね!? あんなの、どこからどう見ても護衛つきのお嬢様だよ!」

「……多少は」

 言い合う私とアルと、まだ眼鏡に手をやったまま固まっているお兄様を見て、マークが、うつむいた下働きの少年のままで、ぶっと吹き出した。

「……安心しろよ。俺が、全部見てきてやる」

 そう言って、空っぽの水桶をひとつ、肩に担いだ。

「神殿の厨房は、毎朝、下町から水運びと薪運びを雇うんだ。顔なんて、いちいち誰も覚えちゃいねえ。……一日あれば、塔のてっぺんまで、飯を運ぶ係になってやるよ」

◇

 その日の夕方。

 私は、診療所にいた。

 じっとしていられなかった。マークが帰ってくるまで、何もできない。でも、何もしないで待つのは、もっとできなかった。

「……お嬢様。そちらの子の包帯、三度目ですが」

「えっ、あ、ほんとだ……」

 狼の夜に、転んでひざをすりむいた男の子。もうほとんど治っているのに、私は、何度も包帯を巻き直していたらしい。

「せいじょさま、もういたくないよ?」

「……うん。ごめんね。強くてえらいね」

 男の子の頭をなでると、男の子は、うれしそうに笑って、外へ駆けていった。

 その背中を見送りながら、私は、つい、つぶやいていた。

「……アル。私、怖いんだ」

「…………」

「満月の夜のことも、ユリウス様とイザベラ様のことも。……でも、いちばん怖いのは、そういうのじゃなくて」

 私は、診療所の中を見回した。

 大鍋の前で、たくさんの水を沸かしているトマスさんたち。薬を小瓶に詰めている、北側のおかみさんたち。小さな子に、手の洗い方を教えている、少し大きな子どもたち。

「私がしっかりしなかったら、みんなのことも、守れない。……そう思うと、手が、勝手にふるえるの」

 アルは、しばらく、何も言わなかった。

 それから、私の隣に、すっと、片ひざをついた。

 立ったままじゃない。座っている私と、同じ高さで。

「……お嬢様。あちらをご覧ください」

 アルが、倉庫のすみっこを、目でさした。

 さっきの男の子が、自分より小さな女の子のひざに、私と同じように、ぶかっこうな包帯を巻いていた。「せいじょさまのまね!」と、得意そうに。

「……お嬢様が、おひとりで守らなくてもよいように。それが、お嬢様がここで、なさってきたことですよ」

 ……あ。

 ──結界は、ひとりで張っちゃだめ。

 ミコトさんの字が、頭の中で、ふっとよみがえった。

 アルは、もう、私を見ていなかった。すみっこの子どもたちを見ている。

 でも、その横顔は、いつもの無表情より、ほんの少しだけ、やわらかく見えた。

「……アルって、たまに、すごくいいこと言うよね」

「たまに、ですか」

「ふだんは、嫌味しか言わないもん」

「嫌味のほうが、お嬢様にはよく効きますので」

 笑ってしまった。

 笑ったら、手のふるえが、いつの間にか止まっていた。

 ……笑った私を見て、アルが、なぜか、すっと反対側を向いた。

 そのまま、夕焼けのほうを向いて、しばらくこちらを見なかった。

◇

 マークが戻ってきたのは、二日目の夜だった。

 公爵家の物置き小屋。煤だらけの顔のまま、マークは、どっかりと薪の山に腰を下ろした。

「……塔のてっぺんの飯運び、もう俺の仕事だ」

「たった一日で!?」

「前の飯運びが、階段がきついって、ぶうぶう言ってたからな。代わってやるって言ったら、泣いて喜ばれた」

 マークは、懐から、小さくたたんだ紙切れを、二枚取り出した。

「銀髪の姉ちゃんは、祈りの塔のてっぺんだ。飯の盆を渡すときに、『段取り屋の兄ちゃんからだ』って耳打ちしたら、一瞬でわかったよ。……こっちは、塔の見回りの時間と、宝物庫への道。あの姉ちゃんが、飯を食いながら、盆の裏に、ふんだんに書いてくれた」

 びっしりと書きこまれた、細くてきちんとした字。

「……それと、銀髪の兄ちゃんのほうは、塔じゃねえ。大聖堂の地下だ」

「地下……? それって」

「宝物庫の、すぐ横だ。じいさんに逆らった罰として、満月の夜、大祈祷でじいさんに力を集める『祈り手』のひとりにされるらしい。……自分のじいさんに、自分の手で、力を渡させられるんだ」

 小屋の中が、しんとした。

「……どこまでも、ひどいやり方をする人だね」

 自分の声が、ひどく静かだった。

 マークは、もう一枚の紙切れを、黙ってお兄様に差し出した。

「……こっちは、あんた宛てだとよ」

 お兄様が、それを受け取って、開いた。

 短い、たった一行だけ。私のところからも、その細い字が見えた。

 『満月の夜、待っているわ。──今度の段取りも、あなたに任せる』

 お兄様は、しばらく、その紙切れを見つめていた。

 それから、胸の内ポケットの、もう一枚の紙切れの隣に、そっと、しまった。

「……任された」

 小さな声だった。でも、その声には、もう、一晩じゅう裏門の前に立ちつくしていた人の弱さは、どこにもなかった。

◇

「──それと、もうひとつ」

 マークが、煤だらけの顔を、ぎゅっとこわばらせた。

「厨房の前を通った神官たちが、話してたんだ。……今日、神殿から王宮に、使いが出たって」

「王宮に?」

「満月の夜の大祈祷に、国王陛下をお招きするって。『女神の奇跡を、ぜひその御目でご覧いただきたい』ってよ」

 背中が、すうっと冷たくなった。

 五十年分のおばあちゃんの力を、自分のものにする。

 その瞬間を、この国の王に、見せつける。

 ──王家は、今のままでは神殿に手を出せない。

 殿下の言葉が、よみがえる。

 もし、満月の夜、王の目の前で、あの人が「女神に選ばれた」と名乗ったら。

 この国は、もう二度と、あの人に逆らえなくなる。

「……満月まで、あと三日だ」

 お兄様が、手帳を開いた。

 その手は、もう、少しも震えていなかった。

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