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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重


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第二部 まつ毛のゴミ

「……祖父は、何も言わない。それが、いちばん恐ろしい。──ユリウス殿からの伝言だそうだよ」

 芋畑を見下ろす東屋で、セドリック殿下は、紅茶のカップを片手にそう言った。

 書庫の夜から、三日。

 ユリウス様は、無事だった。罰も、叱責もなかった。ただ、イザベラ様を通して届いた、たった一行の伝言だけが、ひどく冷たかった。

「日記のほうは、どうですか」

「ギデオン殿が、切り口を調べてくれたよ。切った刃物に、神殿でしか使われていない聖油が、わずかに残っていたそうだ。……ただし、それだけでは、『神殿の者が古い書物を手入れしただけだ』と言い逃れされる」

「……やっぱり、私にしか読めないのが、弱いんですね」

「そうだね。だから、もう少し、積み上げる必要がある」

 殿下は、いつもの完璧な笑顔で、砂糖を三つ入れた。ちゃんと三つ。えらい。

 それから、カップを口に運びながら、ふと、私の後ろに目をやった。

 東屋の柱のそば。いつものように、アルが控えている。

「……そういえば、護衛くん」

「はい」

「君、最近、ひと言もしゃべらないね」

「…………」

 殿下は、にこにこと小首をかしげた。

「……ああ、しゃべれないのか」

 しゃべれない?

 私は、きょとんとして、殿下とアルを交互に見た。

「アル、喉の具合でも悪いの? それなら、私が治すよ?」

「…………いえ。喉は、健康そのものでございます」

「ふふ。喉ではないんだよ、サラフィーナ嬢。もう少し、下のあたりだね」

「下? おなか?」

「もう少し上」

「……胸?」

 殿下は、今日いちばん楽しそうな顔で、ゆっくりとうなずいた。

 ……胸の病気?

 私は、あわててアルのほうを振り返った。

 アルは、無表情だった。無表情なのに、なぜか、周りの空気が、真冬の井戸の底みたいに冷えていた。

◇

「お茶のおかわり、お持ちしましたー!」

 そこへ、ライザが、ティーポットを抱えて元気よくやってきた。

 その瞬間。

 すっと、アルが動いた。

「──ライザ」

「はい?」

「まつ毛に、ゴミが」

 そう言って、アルは、ライザの顔に、すっと自分の顔を近づけた。

 近い。

 ものすごく、近い。

 黒い前髪が、ライザの額にふれそうなくらい。

「えっ、ほんとですか! 取ってください!」

 ライザは、まったく気にしない様子で、ティーポットを抱えたまま、ぎゅっと目を閉じた。

 かちゃん。

 小さな音がした。

 見ると、殿下が、砂糖のスプーンを持ったまま、固まっていた。スプーンから、さらさらと、砂糖がテーブルにこぼれ落ちている。

 完璧な笑顔のまま。でも、その笑顔が、まるで凍りついたみたいに、ぴくりとも動かない。

「……取れました」

 アルが、すっと顔を離した。

 そして、その灰色の瞳が、ゆっくりと、殿下のほうを向いた。

 無表情だった。でも、その目は、なぜか、ものすごく勝ち誇っているように見えた。

 ……何に、勝ったんだろう。

 ……でも。

 その灰色の瞳が、殿下の隣にいた私をとらえた瞬間。

 アルが、ほんの一瞬だけ、動きを止めた。

 ……え?

 なんで、私を見て止まるの。

 そう思ってから、気づいた。

 私も、固まっていた。

 紅茶のカップを口元まで持ち上げたまま。殿下と同じように、ぴくりとも動けなくなっていた。

 胸の奥で、何かが、ちくりと刺さっている。

 ……なんで?

 アルが、ライザのまつ毛のゴミを取っただけだ。ただそれだけのことなのに。

「わあ、アルさん、ありがとうございます! ぜんぜん気づきませんでした!」

 ライザが、まぶしい笑顔でお礼を言った。そして、何事もなかったように、殿下のカップにおかわりを注ぎ始めた。

「あっ、殿下! お砂糖、こぼれてますよ! もう、もったいないですよ、王子様なのに!」

「…………うん。すまない」

 殿下は、完璧な笑顔のまま、ゆっくりとスプーンを置いた。

 それから、アルのほうを見ずに、小さな声で言った。

「……やるね、護衛くん」

「恐れ入ります」

 アルは、もういつもの位置に戻って、完璧な礼をしていた。

「……まつ毛のゴミは、侍女の仕事に差し障りますので。護衛として、見過ごすわけには参りませんでした」

「そうかい。それは、立派な心がけだ」

「ただ、殿下がおこぼしになったお砂糖にまでは、気が回りませんでした。申し訳ございません」

 にこにこ。無表情。にこにこ。無表情。

 アル、しゃべってる。しかも、いつもの嫌味な丁寧語で。

 よかった。いつものアルだ。

 ……なのに、胸に刺さったとげは、ちっとも抜けなかった。

◇

「……ライザ」

 その夜。髪をとかしてもらいながら、私は、つい聞いてしまった。

「さっき、アルが顔を近づけたとき。……どきっとしなかった?」

「えっ、全然ですよ!」

 即答だった。

「アルさんはお嬢様の護衛ですし! 小さいころからずーっと一緒ですし、お兄ちゃんみたいなものですよ!」

「……そっか」

 ふうっと、肩の力が抜けた。

 ……あれ。

 なんで今、私、ほっとしたんだろう。

 ライザがどきっとしても、しなくても、私には関係ないはずなのに。

 アルが誰に顔を近づけても、私には、関係ないはずなのに。

 ──一緒にいると、胸がぎゅってなる人です!

 この前のライザの声が、頭の中で、もう一度響いた。

 らせん階段の近さ。真っ暗な隠し通路で、背中に聞こえた速い鼓動。そして今日の、胸に刺さった小さなとげ。

 ……もしかして。

 私って。

「お嬢様、お顔が赤いですよ? お熱ですか?」

「ち、ちがう! なんでもない! なんでもないから!」

 私は、ぶんぶんと首を振った。

「お嬢様、動かないでください! 髪がからまります!」

◇

 こつん、と、窓ガラスが鳴った。

 もう、この音がするときは、だいたい一人しかいない。

「……マーク、玄関から来てって言ったよね?」

「悪い。急ぎだ」

 窓からすべりこんできたマークは、いつものように息を切らしていた。でも、いつものへらりとした笑顔は、どこにもなかった。

「神殿が、今日から、治癒の寄進を倍にした。『女神の恵みを軽んじる者が増えたため』だとよ」

「倍……!?」

「それだけじゃねえ。北側で、三日前から、熱を出すやつが一気に増えてる。子どもと年寄りばっかりだ。……うちのばあちゃんも、今朝から、起き上がれねえ」

 緑の瞳が、まっすぐ私を見た。

「神殿に行っても、もう誰も治してもらえねえ。……あんたしか、いねえんだ」

 三日前。

 書庫の夜の、次の日だ。

 ──祖父は、何も言わない。それが、いちばん恐ろしい。

 何も言わない代わりに、こういうやり方をする人なんだ。

 私は、もう立ち上がっていた。

「──行くよ。今すぐ」

 それから、私は、もうひとつ、つけ加えた。

「それと、マーク。……私が行かなくても治せるようにする。今度こそ、本当に」

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