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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重


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第二部 魔術師団の塔

王宮の西のはしっこに、ひょろりと高い塔がある。

 王宮魔術師団の塔だ。

 外から見ると、古いけれど立派な石の塔。でも、いちばん上の窓からだけ、なぜかもくもくと紫色の煙が上がっていた。

「……お兄様、あれって大丈夫なやつ?」

「魔術師団の塔のいちばん上は、いつも何かしら煙を吐いている。王都では有名な話だ」

「つまり、いつも大丈夫じゃないってことだよね?」

 お兄様は、答えなかった。

 後ろで、アルが無言で剣の柄に手をかけた。たぶん、煙を斬るつもりはないと思う。たぶん。

◇

 らせん階段を、百二十段。

 息を切らしてたどり着いたいちばん上の部屋は、ひとことで言うと、ごちゃごちゃだった。

 壁という壁に、天井まで届く本棚。入りきらない本が、床の上で塔のように積み上がっている。大きな机の上には、ガラスの瓶、石、石、石。その真ん中で、紫の煙を吐く小さな鍋が、ことことと煮えていた。

 そして、その鍋のすぐ横で。

 ギデオン様が、机につっぷして寝ていた。

「……鍋、火、ついてるよね?」

「ついているな」

「寝てるよね?」

「寝ているな」

 お兄様と私は、顔を見合わせた。

 その瞬間、鍋が、ぼふっ、と大きな音を立てて、紫の煙のかたまりを吐き出した。

「わっ!」

 とっさに目をつぶった私の前に、さっと黒い背中が立ちふさがった。アルだ。片手で私を背中にかばいながら、もう片方の手で、机から転がり落ちそうになったガラス瓶を、ひとつ、ふたつ、みっつと受け止めていく。

 ……すごい。曲芸みたい。

「むぃ……おや。もう来ていたのかね」

 煙の向こうで、ギデオン様が、しょぼしょぼと目を開けた。もじゃもじゃの白い髪が、煙でうっすらと紫色になっている。

「いやあ、すまない。魔石を煮ていたら、ついうとうとしてね」

「魔石って、煮るものなんですか……?」

「ふつうは煮ないね」

 即答だった。

 アルが、受け止めた瓶を三つ、無言で机の上に並べ直した。その背中から、ものすごく何か言いたそうな空気が、もうもうと立ちのぼっていた。煙より濃い。

◇

「では、ちょっとだけ試してみようかね」

 煙がおさまると、ギデオン様は、小さなガラスの皿を私の前に置いた。

 皿の中には、うっすらと濁った水。鑑定の目で見ると、薄い黒いもやが、ゆらゆらと漂っている。

「北側の井戸の水を、少しだけもらってきたんだ。これを浄化してみてくれるかね。僕は、その光の『癖』を見たい」

 うなずいて、皿にそっと両手を当てる。

 ──きれいになって。

 手のひらがあたたかくなって、水が、きらりと光った。もやが消えて、濁りがすうっと澄んでいく。

 ギデオン様は、丸いレンズを皿の上にかざして、じっとのぞきこんでいた。

 長いあいだ、ずっと。

「……ふむ」

「どうですか?」

「やっぱり、あの人と同じ癖だ」

 ギデオン様は、レンズから目を離さずに言った。

「五つの、丸い花びら。しかも、あの人のより、ほんの少しだけ、花びらが小さくて、やわらかい。……不思議だね。光の癖というのは、本来、ひとりひとり違うものなんだ。こんなに似ているのは……」

 ギデオン様は、そこでふと言葉を切った。

「……まるで、血がつながっているみたいだね」

 どきり、とした。

 心臓が、喉のあたりまで跳ね上がった気がした。

 だって、つながっているから。本当に。おばあちゃんと、私は。

 でも、それは言えない。言ったら、私がどこから来たのか、全部話さなきゃいけなくなる。

「……ふふ。まあ、そんなはずはないか。あの人には、こちらに家族はいなかったんだからね」

 ギデオン様は、のんびりと笑って、レンズをポケットにしまった。

 ……助かった。

 でも、しまう瞬間、その薄い緑の瞳が、ほんの一瞬だけ、私の髪を見た気がした。

 ……この人、本当に、寝てばっかりのおじいさんなのかな。

◇

 こんこん、と、扉を叩く音がした。

「……失礼いたします」

 入ってきたのは、イザベラ様だった。

 淡い藤色のドレス。百二十段のらせん階段を上ってきたはずなのに、息ひとつ乱れていない。さすが。

「イザベラ様!」

「ごきげんよう、サラフィーナさん。……それから」

 イザベラ様は、お兄様のほうを向いて、きちんと礼をした。

「……ローゼンベルク様。お手紙、拝見いたしました」

「……ああ。急なお願いをして、すまなかった」

「いいえ。……丁寧なお手紙でしたわ。段取りが、とても細かく書いてあって」

「……そうか」

「細かすぎて、三度読み直しましたわ」

「…………そうか」

 ……なんだろう。

 二人とも、少しも笑っていないし、会話もすごく丁寧なのに。

 どうしてか、そこだけ、空気が、少しだけふわふわしている気がする。

「おや。……おやおや」

 ギデオン様が、白い眉毛をくいっと上げて、うれしそうにつぶやいた。

 ……なにが「おや」なんだろう。

◇

「神殿の書庫のことだけれど」

 イザベラ様は、本の塔のあいだにかろうじて空いていた椅子に腰を下ろすと、声を落とした。

「初代聖女の書物があるのは、書庫のいちばん奥。『奥の書庫』と呼ばれていて、高位神官しか入れないわ。……私でさえ、扉の前までしか行ったことがない」

「じゃあ、どうやって……」

「新月の夜」

 イザベラ様は、きっぱりと言った。

「月に一度、新月の夜にだけ、神殿の神官はみんな大聖堂に集まって、一晩じゅう祈りを捧げるの。お祖父様も例外じゃない。その夜だけは、書庫には誰もいなくなるわ」

「次の新月は……」

「十日後だ」

 お兄様が、即座に答えた。たぶん、もう調べてあったんだ。

「でも、奥の書庫の扉には、鍵がかかっているのよね?」

「ええ。……鍵を持っているのは、お祖父様と……もうひとりだけ」

 イザベラ様は、そこで少しだけ言いよどんだ。

「……兄様よ」

 部屋が、しんとした。

「……ユリウス様が、手を貸してくれるとは、思えないが」

 お兄様が、低い声で言った。

「……私も、そう思っていたわ」

 イザベラ様が、ゆっくりと顔を上げた。

「でも。──ここに来る前に、兄様に、話したの」

「……えっ」

「そうしたら、兄様は言ったわ。『鍵は貸す。ただし、条件がある』って」

 紫の瞳が、まっすぐに私を見た。

 その紫は、少しだけ、申し訳なさそうに揺れていた。

「新月の夜、奥の書庫には、あなたと兄様の、二人だけで入ること。……そして」

 イザベラ様は、ひとつ息を吸った。

「その夜に、求婚のお返事を、いただきたいそうよ」

 その瞬間。

 後ろで、ガラス瓶が、ひとつ、ぱりんと割れる音がした。

 振り返ると、アルが、さっき受け止めて並べたはずの瓶を、ひとつだけ、握りつぶしていた。

 無表情で。

「……失礼いたしました。手が、すべりました」

 すべっただけで、瓶って割れるものなのかな。

「……おや。おやおやおや」

 ギデオン様が、今日いちばんうれしそうな声を出した。

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