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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重


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第二部 求婚の波紋

応接室の時計の音だけが、やけに大きく聞こえた。

 片膝をついたユリウス様。その紫の瞳が、まっすぐに私を見上げている。

 結婚。

 けっこん。

 頭の中で何度くり返しても、意味がうまく入ってこない。

「……あの、ユリウス様」

「はい」

「私、婚約者がいるんですけど……」

「存じております。セドリック殿下ですね」

 ユリウス様は、片膝をついたまま、少しも表情を変えなかった。

「だからこそ、申し込みに参りました。──聖女の婚姻は、王家ではなく、神殿が定める。初代聖女の時代から伝わる、古い定めです」

「古い、定め……」

「エルディアで聖女が現れたのは、この百年でサラフィーナ様が二人目。しばらく使われなかった定めですが、定めは定めです。神殿は近いうちに、王家に対して、あなたとセドリック殿下の婚約を取り消すよう、正式に申し入れます」

 淡々とした声。

 求婚というより、まるで、書類を読み上げているみたいだった。

 ……あ、そっか。

 これ、恋の話じゃないんだ。

 神殿から王家への、挑戦状だ。この人は、それを届けに来ただけ。

 そうわかったら、少しだけ心臓が落ち着いた。

 代わりに、背中の後ろから、ものすごく冷たい空気が流れてきた。

 ちらりと振り返る。

 アルが、立っていた。いつものように、まっすぐ前を向いて。表情は、いつもどおりの無表情。

 ただ、剣の柄にかけた手の指が、微動だにせずに添えられていた。

 動いていないのに、なぜか、ものすごく怖かった。

◇

「婚約者のいる娘に、求婚だとぉぉぉ!?」

 応接室の扉が、ぶち破られる勢いで開いた。

 お父様だった。その後ろに、お母様とお兄様と、杖をついた大叔母様。たぶん、扉の外で全部聞いていた。

「ローゼンベルク公爵。突然のご無礼を、お許しください」

 ユリウス様は、すっと立ち上がって、完璧な礼をした。

「許さん! 娘は、娘は、つい先日まで二日も眠っていたんだぞ! それもこれも、おまえたちの一族のせいで! その娘に、よりにもよって、求婚だと!?」

「父上、落ち着いてください」

 お兄様が、いつものように止めた。でも、その声は、いつもより三度くらい冷たかった。

「……ユリウス殿。それは、あなた自身の意志ですか。それとも、オルドヴィン様のご意向ですか」

 ユリウス様は、ほんの一瞬だけ黙った。

「……私は、神官です。神殿の意向は、私の意向です」

「そうですか」

 お兄様は、眼鏡の奥の目を、すっと細めた。

「では、答えは、こちらも家としてお返しします。……それと、あなたの妹殿は、お元気ですか」

「……おかげさまで。ご心配いただき、ありがとうございます。ローゼンベルク卿」

 ぴりっ。

 お兄様とユリウス様のあいだで、また空気が小さな音を立てた。

 ユリウス様は、金の封蠟をした白い封筒を、テーブルの上に置いた。羽を広げた小鳥の紋章。神殿からの、正式な文書だ。

「お返事は、ひと月のうちに。……失礼いたします」

 扉に向かう途中で、ユリウス様はアルの前を通った。

 ほんの一瞬、二人の視線がぶつかった。

 紫と、灰色。

 どちらも、何も言わなかった。

 ……何も言わないのに、応接室の気温が、また三度くらい下がった。

◇

「取り消しなど、させないよ」

 次の日。言うまでもなく先触れなしにやってきたセドリック殿下は、芋畑を見下ろす東屋で、にっこりと微笑んだ。

 笑顔は、いつもどおり完璧だった。ただ、ティーカップを置く音だけが、いつもより少しだけ硬かった。

「君との婚約は、何があっても維持する。神殿が何を申し入れてこようと、だ」

「……殿下」

「何かな」

「そんなに、私と結婚したかったんですか?」

 殿下の笑顔が、ほんの一瞬だけ、固まった。

 その向こうで、ライザがお茶を注いでいる。「殿下、お砂糖は三つまでですからね!」と、そちらはそちらで元気に宣言している。

 殿下の青い瞳が、ちらりとそちらへ流れて、それから私に戻ってきた。

「……そういうことに、しておこうか」

「またそれ!?」

「殿下って、本当にお嬢様のことが大好きなんですね!」

 ライザが、カップを置きながら、まぶしい笑顔で言った。

「神殿なんかに、お嬢様を渡しちゃだめですよ! 殿下、がんばってください! 私、応援してますから!」

「…………ありがとう。侍女殿」

 殿下は、完璧な笑顔で答えた。

 完璧な笑顔のまま、お砂糖を、五つ入れた。

「あっ、殿下! 五つはだめだって言ったじゃないですか!」

「……今日は、五つ飲みたい気分なんだ」

 なんだろう。殿下が、ちょっとだけかわいそうに見えた。

◇

 ライザがおかわりを取りに行くと、殿下は声を落とした。

「……真面目な話をしよう。もし今、君との婚約を解けば、どうなると思う?」

「……私が、神殿に取られる。ですか?」

「そうだ。王家は、『聖女の婚姻は神殿が定める』という定めに、正面からは逆らえない。婚約者のいない聖女なら、あっという間に神殿の者に嫁がされる。……そうなれば、君の力は、一生、あの一族のものだ」

 大聖堂で、杯に吸い取られていった光を思い出して、背中がぶるりと震えた。

「だから、解かない。君を守るためには、この婚約がいちばん丈夫な盾になる」

「……殿下は、それでいいんですか?」

「うん?」

「だって殿下、私のこと、別に好きじゃないでしょう?」

 殿下が、めずらしく、本当にめずらしく、きょとんとした。

「……そこは、わかるんだね」

「わかりますよ。殿下の褒め言葉、『こんにちは』と同じですもん」

「…………」

 殿下は、しばらく黙って私を見ていた。それから、ふっと、いつもとは違う笑い方をした。

「君は、本当に面白いね。……うん。いいんだ。君を守ることは、この家を守ることだから」

 この家。

 殿下は、ライザが去っていった廊下のほうを、一瞬だけ見た。

 ……やっぱり殿下、うちの家族のこと、すごく大事にしてくれてるんだな。

 私は、ひとりで感動した。

◇

 その夜。

「……お嬢様、アルさん、昨日から一言もしゃべってませんよ」

 寝る支度を手伝ってくれながら、ライザがこっそり言った。

「えっ」

「さっきも訓練場で、ひとりで素振りしてました。もう三時間くらい。剣が風を切る音が、ぶん、ぶんって、厨房まで聞こえてきて、料理長が怯えてました」

 ……三時間。

 私は、そっと扉を開けた。

 やっぱり、いた。壁に背をつけて、まっすぐ前を向いて。

「……アル。怒ってる?」

「怒っておりません」

「怒ってるじゃん」

「怒っておりません」

 同じ言葉を、同じ声で、二回。

 それから、アルは少しだけ、視線を落とした。

「……お嬢様がどなたと結ばれようと。私は、護衛としてお仕えするだけですので」

 ちくり、と。

 胸の奥で、小さなとげが刺さった気がした。

 なんでだろう。アルは、いつもどおりのことを言っただけなのに。

「……そっか。おやすみ、アル」

「おやすみなさいませ、お嬢様」

 扉を閉めて、私はしばらく、その場に立ちつくしていた。

 とげは、なかなか抜けなかった。

◇

「……そう、あの定めを持ち出してきたのね」

 次の朝。大叔母様は、窓辺でお茶を飲みながら、静かに言った。

「大叔母様、知ってるんですか?」

「知っているも何も。……五十年前にも、神殿は、まったく同じことを言ったのよ」

 大叔母様は、カップをそっとソーサーに戻した。

「『聖女は、神殿の者と結ばれるべし』。……そう言って、あの人にも、求婚した若い神官がいたわ」

「……え」

「あの人は、断った。兄上のことが、好きだったから。……その神官の、断られたときの顔を、私は今でも覚えているわ」

 大叔母様の灰色がかった青い瞳が、私をまっすぐ見た。

「笑っていたのよ。穏やかに。……今のあの人と、同じ顔で」

 背筋が、すうっと冷たくなった。

「その神官の名前は。──オルドヴィンよ」

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