第一部 聖女の審問
第1部 第18話 聖女の審問
大聖堂は、人であふれていた。
高い天井に、色とりどりのステンドグラス。差しこむ光が、白い石の床に花びらみたいな模様を落としている。正面の祭壇には、神殿で見たのと同じ、女神スラーシュの像が立っていた。
……紬。今日は、くしゃみでごまかさないからね。
祭壇の右手には、王族の席。玉座のような椅子に国王陛下が座り、その少し後ろに、セドリック殿下が控えている。目が合うと、殿下はほんのわずかに顎を引いた。大丈夫、と言われた気がした。
左手には、貴族たちの席。お父様、お母様、お兄様、大叔母様。その少し離れたところで、ミレーユがふんわりと手を振っている。
そして、ずっと後ろ。大聖堂の外廊の柵の向こうには、街の人たちがぎっしりと詰めかけていた。その先頭に、マークとトマスさんの姿が見える。マークの後ろには、北側の井戸の広場で見た顔が、いくつも並んでいた。
「……お嬢様」
すぐ後ろで、アルの声がした。
「一歩後ろに、必ずおります」
「うん」
それだけで、膝の震えが、少しだけおさまった。
◇
「これより、聖女の審問を執り行う」
祭壇の前に立ったオルドヴィン様の声が、大聖堂の隅々まで響きわたった。
白と金の法衣。穏やかな笑顔。そのすぐ隣には、銀色の髪のユリウス様。表情は、今日も少しも動かない。
「女神スラーシュの御名において、聖女を名乗る者が真の聖女であるか、ここに見極める。……あわせて、聖域を穢した者の罪も、裁くこととする」
側廊の扉が開いた。
ふたりの神官に挟まれて、イザベラ様が入ってきた。
灰色の、飾りのない服。両手首には、細い銀の鎖。三日前より、ずっと痩せて見えた。それでも背筋だけは、いつものように、まっすぐに伸びている。
紫の瞳が、私を見つけた。
──来ないで、って書いたのに。
声には出さなかったけれど、そう言われた気がした。
私は、小さく首を横に振った。
来るよ。共犯者でしょう、私たち。
ふと、隣の貴族の席で、誰かが勢いよく立ち上がりかける音がした。振り返らなくてもわかる。お兄様だ。大叔母様に袖をつかまれて、ぎりぎりのところで座り直している。
◇
「では、ローゼンベルク嬢。前へ」
オルドヴィン様が、手のひらで祭壇の上を示した。
そこに、ひとつの杯が置かれていた。
金の杯。細かい細工がびっしりと施されていて、ふちには宝石がいくつも埋めこまれている。きれいだ。きれいなのに──
鑑定の目で見た瞬間、息が止まりそうになった。
真っ黒だった。
杯の中から、どろりとした黒いもやが、あふれるように立ちのぼっている。北の森の、柱の向こうと同じくらい濃い。いや、もっとかもしれない。
そして、杯の台座。
そこに埋めこまれた、紫色の石。
魔石だ。要石のまわりの箱に入っていたのと、同じ色。
──聖杯に、要石の魔石を使うと。
イザベラ様の走り書きが、頭の中でよみがえる。
これが、罠。
でも、どんな罠なのか、わからない。浄化できないほど濃い瘴気を用意しただけなのか。それとも、別の何かがあるのか。
「どうなさいました」
オルドヴィン様が、穏やかに言った。
「真の聖女であれば、何もためらうことはないはず。さあ、聖杯に手を」
大聖堂じゅうの視線が、私の背中に突き刺さる。
ざわ、ざわ、と、外廊の柵の向こうから声が聞こえた。
「……やっぱり、できねえんじゃないか」
「聖女なんて、そんなもんさ」
手が、震える。
でも。
──人の前で失敗するのを怖がって、やめたことは、一度もありませんでした。
昨夜のアルの声が、背中を押した。
私は、両手で、聖杯をそっと包みこんだ。
◇
──きれいになって。
いつものように、心の中で願う。
手のひらが、あたたかくなる。光があふれる。黒いもやが、ゆらりと揺れる。
いける。そう思った。
その瞬間だった。
ぐい、と。
手のひらから、何かが引きずり出された。
「……っ!?」
光が、流れていく。
もやを払うはずの光が、杯の中には届かずに、台座の紫の石へと、吸いこまれていく。細い光の糸になって、ちゅうちゅうと、すすられるように。
北の森で見た光景と、同じだった。
要石から、桃色の光を吸い取っていた、あの魔石と。
──吸われてる。
私の力が。
手を離そうとした。でも、離れない。手のひらが、杯に吸いついたみたいに動かない。光は止まらない。体の中から、どんどん、どんどん、何かが抜けていく。
膝が、がくんと折れた。
「お嬢様!」
アルの声。でも、近づいてこない。振り返ると、祭壇の前に神官たちが並んで、アルの行く手をふさいでいた。
「審問の最中です。何人たりとも、聖女を名乗る者に手を貸してはならない」
オルドヴィン様の声は、どこまでも穏やかだった。
「……おや。浄化できないようですな」
ざわめきが、大きくなる。
「やはり、偽りの聖女であったか」
ちがう。
言い返そうとしても、声が出ない。視界の端が、白くかすんでいく。
オルドヴィン様が、ゆっくりと私の耳元に顔を寄せた。
誰にも聞こえない、小さな声で。
「──五十年前も、こうすればよかったのです」
え。
「あれほどの力を、結界などに使って、無駄に流してしまうから。……今度は、ひと雫たりとも、こぼさずにいただきますよ。聖女様」
背筋が、凍りついた。
この人は。
この人は、最初から、これがほしかったんだ。
聖女の力が。おばあちゃんの力が。そして今度は、私の力が。
「やめて! お祖父様、やめてっ!」
イザベラ様の叫び声が、遠くに聞こえた。
光が、どんどん、細くなっていく。
もう、だめかもしれない。
手のひらの感覚が、なくなっていく。
そのとき。
ふっと、どこかから、声が聞こえた。
低くて、少しかすれた、男の人の声。
炎の中で、振り返らずに叫んでいた、あの声。
──手を離すな。




