第一部 審問前夜
「断る」
お父様は、きっぱりと言った。
「娘を、あの一族の前に立たせるものか。五十年前、あいつらがこの家から何を奪ったか。……二度と、させん」
食堂の大きなテーブル。お父様、お母様、お兄様、大叔母様、そして私。壁際にはアルとライザ。
いつもなら、お父様がこんなに大きな声を出したら、お兄様が「父上、落ち着いて」と止める。でも今日は、お兄様も黙っていた。
「……グレン」
大叔母様が、静かに口を開いた。
「断れば、あの娘さんがひとりで裁かれるわ。この子を庇って、『ひとりで来た』と言い張っている娘さんが」
「それは……」
「五十年前、この家は、本当のことを言えなかった。言わないほうが、家を守れると思ったから。……その結果が、この五十年よ」
お父様は、何も言い返せなかった。
私は、テーブルの下で、あの手紙をそっと握りしめた。大叔母様から預かった、おばあちゃんの手紙。
──いつか、わたしみたいに、とおくからひとりぼっちでくるこがいたら。
「……お父様」
私は、顔を上げた。
「私、行きます」
「サラ……!」
「イザベラ様は、私のために残ってくれたんです。ひとりで罪をかぶらせたまま、私だけ家にいるなんて、できない」
お父様は、長いあいだ私の顔を見ていた。
それから、右手で自分の顔を覆った。
「……叔母上。この子は、誰に似たのでしょうね」
「さあ。言い出したら聞かないところは、兄上にそっくりだけれど」
大叔母様は、ほんの少しだけ、口元をほころばせた。
◇
「では、作戦会議といこうか」
その日の午後。公爵家の応接室には、ちょっと信じられない顔ぶれがそろっていた。
先触れなしにやってきたセドリック殿下。「兄貴がどうしてもって言うから」と頭をかくマークと、その後ろで直立不動のトマスさん。そして、ふんわり笑顔のミレーユ。
「わたくしは、お茶会で聞いたことを、お届けに来ただけですわ」
と、ミレーユは言っていたけれど、たぶん、王都の噂を一番早く仕入れてきたのはこの子だ。
「審問のやり方は、五十年前の記録にも残っている」
殿下が、テーブルの上に古い紙を広げた。王宮の書庫から、こっそり写してきたものだという。
「聖女を名乗る者は、大聖堂で、神殿が用意した『穢れた聖杯』を浄化してみせる。浄化できれば本物、できなければ偽物。……ただし」
「ただし?」
「聖杯を用意するのは、神殿だ」
お兄様が、眼鏡を押し上げた。
「つまり、どんな穢れを仕込まれているかわからない。浄化できないほどのものを用意されれば、それで終わりだ」
「そんなの、ずるい!」
「ずるいのが、あの一族のやり方だよ」
殿下は、にこにこしたまま、すっと声だけを落として言った。
「だから、こちらも備えよう。……ルーカス、あれを」
お兄様が、ハンカチに包んだものをテーブルに置いた。北の森で拾った、紫色の魔石のかけら。
「これが、神殿が結界から力を吸い取っている証拠だ。……ただし、これだけでは足りない。魔石など、どこにでもあると言われれば終わりだ」
「だから、人だ」
と、マークが身を乗り出した。
「北側の連中だ。井戸の水が急にきれいになって、腹壊すやつがいなくなった。それを、みんな知ってる。神殿に報せても『手入れのせい』で片付けられてたこともな。……審問ってのは、民も見られるんだろ?」
「……そうだ。大聖堂の外廊は、民にも開かれる」
「だったら、俺が連れてくる。北側のやつらを、あるだけ」
「自分も、証言します!」
トマスさんが、大きな声で言った。窓がびりびりした。
「神殿に金が足りないと断られたこの腕を、ローゼンベルク聖女様が救ってくださったと! 警護隊の仲間にも、同じ目にあった者がいます!」
「うふふ。それなら私は、貴族の皆さまのほうを」
ミレーユが、ふんわりと手を合わせた。
「北側にお屋敷のある家は、みなさま井戸で困っていらしたんですの。それが、ある日を境にきれいになった。……どなたが治してくださったのかしら、って、今ちょうど話題ですのよ」
ミレーユ。いつの間に。
私は、部屋を見回した。
王子様。公爵家の跡取り。下町の少年。市民出身の騎士。子爵令嬢。そして、壁際の護衛と侍女。
ゲームの中では、いつもひとりでボタンを押していた。
でも今は、こんなにたくさんの人が、私と一緒に考えてくれている。
「……みんな、ありがとう」
「お礼は、全部終わってからにしろよ」
マークが、ぶっきらぼうに言った。でも、その耳は、ちょっとだけ赤かった。
◇
「それで、侍女殿も当日は来るのかい?」
作戦会議がお開きになったあと。カップを片付けていたライザに、殿下が声をかけた。
「当然です! お嬢様のドレスの裾を持つのは、私の役目ですので!」
「そう。……大聖堂は広いからね。迷子にならないように」
「なりませんよ! 殿下こそ、小さいころうちの屋敷で迷子になって、芋畑で泣いてたじゃないですか!」
「……泣いてはいないよ」
「泣いてました! 私がなぐさめて、ふかし芋を半分あげたんですから!」
殿下が、ぶっと吹き出した。
いつもの完璧な笑顔じゃなかった。目尻が下がって、少しだけ少年みたいな、そんな笑い方。
「……そうだったね。覚えているよ。ちゃんと」
……殿下って、あんな顔でも笑うんだ。
ふかし芋が、よっぽど好きなんだな。
私は、ひとりで納得した。
◇
その夜。
眠れなくて、私は窓辺に立っていた。
北の空には、あの黒いひびが、前より少しだけ太くなって走っている。
「……お嬢様」
扉の外から、低い声がした。
「まだ起きていらっしゃいますね。座る音が、しませんので」
「……そんな音まで聞いてるの?」
「護衛ですので」
扉を開けると、やっぱりアルが立っていた。
「……こわいんだ。ちょっとだけ」
口に出したら、ちょっとじゃなかった。
「たくさんの人の前で、失敗したらどうしようって。私のせいで、イザベラ様が……」
「お嬢様」
アルが、私の言葉をさえぎった。
「私は、十二の年から、お嬢様を見てきました」
灰色の瞳が、まっすぐ私を見ていた。
「薔薇園を芋畑にされたときも。熊の魔物に飛びかかられたときも。人の前で失敗するのを怖がって、やめたことは、一度もありませんでした」
「……それ、褒めてる?」
「呆れています」
「ひどい」
「ですが」
アルは、ほんの少しだけ声を落とした。
「そのたびに、誰かが救われてきました。……明日も、きっとそうなります。お嬢様の手が届くところまで、私が必ずお連れしますので」
森で言ってくれたのと、同じ言葉。
胸の奥が、じんわりとあたたかくなった。
「……うん。ありがと、アル」
そのとき。
こつん、と、窓ガラスが鳴った。
振り返ると、窓の外の枝に、マークがぶら下がっていた。
「マーク!?」
アルが窓を開けるより早く、マークはするりと部屋に入りこんできた。息が切れている。
「悪い、玄関からじゃ間に合わないと思って。……これ、神殿の下働きの婆さんからだ。祈りの塔の食事を運んでる人だ」
マークが差し出したのは、小さくたたまれた紙切れだった。
開くと、細くて、きちんとした、でも今日はひどく乱れた字が書かれていた。
『来ないで。 罠よ。聖杯に、要石の魔石を使うと── お祖父様は、あなたを』
そこで、字は途切れていた。




