第一部 銀の神官
「数は?」
お兄様の声が、少しも乱れていなかった。
「松明が六つ。たぶん十人もいねえ」
「箱の魔石を回収しに来たのだろう。……時間がない」
お兄様は、箱のひとつにつかつかと歩み寄ると、蓋のすきまから手を差し入れて、小さな魔石のかけらをひとつつまみ出した。それをハンカチに包んで、懐にしまう。
「お兄様!?」
「証拠だ。見ただけでは、誰も信じない」
さすが、お兄様。こんなときまで段取りがいい。
「お嬢様、立てますか」
アルに支えられて立ち上がろうとして、ひざからがくんと力が抜けた。
要石の記憶を見たせいだろうか。それとも、ここまで光で道を作ってきたせいだろうか。体じゅうが、砂でできているみたいに重い。
「ご、ごめん、ちょっと待って、すぐ立つから……」
「失礼いたします」
ふわっと、体が浮いた。
アルが、私を抱き上げていた。片腕で背中を、もう片方でひざの裏を支えて。
「ちょ、アル!?」
「お嬢様の足では間に合いません。じっとしていてください」
「その役目、自分が! ローゼンベルク聖女様は自分が!」
「結構です」
トマスさんの申し出を、アルは振り向きもせずに断った。いつもより、ちょっとだけ早口だった。
◇
「──待って」
走り出そうとした私たちを、イザベラ様の声が止めた。
「このまま逃げても、だめよ」
イザベラ様は、私たちが通ってきた道を、まっすぐ指さした。
「あなたが払ったところだけ、瘴気がなくなっている。神官なら、すぐに気づくわ。誰かがここまで浄化しながら来た、って」
あっ。
私には当たり前に見えていた。墨の海の中に、一本だけ、きれいな道が延びている。これじゃ、ここを通りましたって看板を立てているのと同じだ。
「……私が、残るわ」
「イザベラ様!?」
「聖女候補が、弱った結界を心配して、ひとりで祈りに来た。そういうことにするの。この道も、私が払いながら来たことにすればいい」
「でも、そんなの……」
「私は、あの一族の娘よ。一族の者なら、怒られるだけで済むわ。でも、あなたたちが見つかったら、そうはいかない」
イザベラ様は、お兄様の上着を、そっと肩から外した。
それを、お兄様に差し出す。
「……お返ししますわ。これを着ていたら、ひとりで来たと言っても信じてもらえないもの」
お兄様は、上着を受け取らなかった。
差し出された上着と、イザベラ様の青い顔を、しばらく交互に見ていた。
「……この段取りは、気に入らない」
「あなたの気に入る段取りを待っていたら、日が暮れてしまうわ」
イザベラ様は、上着をお兄様の胸に押しつけた。それから、ただ一言だけ、小さく付け足した。
「……あたたかかったわ。ありがとう」
そう言って、くるりと背を向ける。灰色のフードを外して、銀色の髪をわざと松明の方に向けて、要石の前にひざまずいた。
「行って。……共犯者さんたち」
◇
マークの案内で、私たちは東の沢地へと回りこんだ。
足場はひどかった。でも、アルは一度もよろけなかった。私を抱えたまま、ぶかぶかの地面を、まるで平らな石畳みたいに歩いていく。
その胸のあたりから、どく、どくと、速い音が聞こえていた。
……アルも、緊張してるんだ。そりゃそうだよね。
木の影に隠れながら、私はアルの肩越しに、そっと広場のほうを振り返った。
松明の火が、広場になだれこんでいた。白い衣の神官たちが、要石の前にひざまずくイザベラ様を取り囲んでいる。
その中から、ひとりの青年が、前に進み出た。
銀色の髪だった。
イザベラ様と同じ、月の光を溶かしこんだような銀色。背が高くて、縁に金の刺繍をした神官の衣を着ている。遠くて、顔はよく見えない。
「……ユリウスだ」
いつの間にか隣を歩いていたマークが、小声で言った。
「イザベラ様の兄貴だ。オルドヴィンの孫で、若い神官の中じゃ一番えらい。……厳しいって噂だぜ」
青年は、イザベラ様の前で立ち止まると、ゆっくりと広場を見回した。
それから、私たちが通ってきた道の方を。
じっと。
どきりとして、私はあわててアルの肩に顔をうずめた。
大丈夫。こんなに遠いんだ。見えるはずがない。
でも、もう一度だけ、そっとのぞいたとき。
青年は、広場の端の低い枝に手を伸ばしていた。
そこから、何か細いものを、そっとつまみ上げる。
松明の火に照らされて、それが、ちらりと光った。
桃色に。
……あ。
私は、思わず自分のフードに手をやった。
狼に飛びかかったとき。アルに引き倒されたとき。いつの間にかフードがずれていて、そこから、ピンク色の髪が、ひと房、はみ出していた。
──「お嬢様、スカーフから、髪がはみ出しております」。
市場のときのアルの声が、頭の中で、ものすごく大きく再生された。
◇
公爵家にたどり着いたのは、日が暮れかけたころだった。
裏門からそっと入ると、厨房の前でライザが台所のさじを握りしめて待ちかまえていた。
「お嬢様ーっ! お帰りなさいませーっ! 無事でよかったですーっ!!」
「ライザ、声……」
「置いていかれた恨み言は、あとで一晩かけて申し上げますので!」
「一晩も!?」
笑う力も残っていなかったけれど、その声を聞いたら、ようやく帰ってきたんだと思えた。
アルに抱えられたまま、廊下を進む。
玄関ホールの古い大時計の前で、ひとりの人が待っていた。
細い杖。小柄な背中。真っ白な髪。
「……大叔母様」
大叔母様は、何も言わずに私の顔を見た。
泣きはらした目。泥だらけの頬。それから──たぶん、そのどれとも違う、もっと奥のほうにある何かを。
大叔母様の、灰色がかった青い瞳が、ゆらりと揺れた。
「……おかえり、サラ」
そして、静かに言った。
「その顔。──あの人たちに、会ってきたのね」




