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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重


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第一部 要石

「……何も、見えない」

 私のつぶやきに、みんなが顔を見合わせた。

「俺には、ふつうの森に見えるけどな」

 マークが、柱の向こうをのぞきこむ。そう。みんなには、たぶん、少し薄暗いだけの森に見えている。

 でも、私の目には、墨の海だ。

 そしてイザベラ様は、柱の前で小刻みに震えていた。お兄様の上着を、もう破れそうなほど握りしめている。

「……無理はしなくていい。引き返すなら、今だ」

 お兄様が、低い声で言った。イザベラ様だけじゃなく、みんなに向けて。

 イザベラ様は、ぎゅっと唇をかんで首を振った。

「……行きます。ここまで来て、何も見ずに帰れるものですか」

 私も、うなずいた。

「私が前を払いながら歩きます。みんな、私の後ろから離れないで」

「お嬢様。私は前を」

「アルは私のすぐ隣。……お願い」

 アルは一瞬だけ灰色の瞳を揺らして、それから黙って私の隣に並んだ。

◇

 柱のあいだを、一歩、踏みこむ。

 とたんに、ひやりとしたものが、肌にまとわりついた。冬のプールに飛びこんだみたいに、息が詰まる。

 ──消えて。

 両手を前にかざすと、光が、ろうそくの火みたいに小さく広がった。その光の届くところだけ、黒いもやがすうっと退いて、緑の苔と、木の根っこが見える。

 一歩。また一歩。光で道を作りながら、進む。

「……すげえ」

 後ろで、マークのため息が聞こえた。

「お嬢様の通ったところだけ、空気が軽くなる。俺にもわかるぜ」

「ローゼンベルク聖女様……!」

「兄貴、感動するのは後にしろ」

 いつもなら笑うところだ。でも、笑う余裕がなかった。

 重い。

 井戸のもやとは、全然違う。押しても押しても、すぐに奥から泥のように流れこんでくる。額から汗がつたって、あごの先から落ちた。

 ふらりと、足がもつれる。

 すかさず、背中に手が添えられた。アルの手だ。

 そして、もうひとつ。

 右側から、冷たい指が私の手に重ねられた。

「……共犯者でしょう、私たち」

 イザベラ様だった。青い顔で、それでもまっすぐ前を見ている。

 重ねた手から、弱いけれどあたたかい光が流れこんでくる。それが私の光と混ざって、すっと遠くまで届く。

「……うん」

 私は、重ねた手をそっと握り返した。

◇

 どれくらい進んだだろう。

 急に、森が開けた。

 丸い広場のようになった場所。その真ん中に、巨大な白い石が立っていた。

 大人三人分くらいの高さ。縦に長い、たまごのような形。その表面には、細かい模様がびっしりと刻まれていて、うっすらと、淡い桃色に光っている。

 要石だ。

 なのに。

「……ひどい」

 石の真ん中に、稲妻のようなひびが、上から下まで走っていた。そのひびから、黒いもやが、傷口から滲む血みたいに、どくどくとあふれ出している。

 夜空で見た、あの黒いひび。あれは、ここからつながっていたんだ。

「お嬢様。……あれを」

 アルが、広場の端を指さした。

 要石をぐるりと取り囲むように、木の箱がいくつも並んでいた。

 トマスさんが見たという、あの箱だ。

 蓋のすきまから、アメジストみたいな紫色の石がのぞいている。そしてその石から、細い光の糸が何本も、要石に向かって伸びていた。

 いや。逆だ。

 光は、要石から箱の中へと、流れこんでいる。要石の桃色の光が、細い糸に引っ張られて、ちゅうちゅうと吸い取られていく。

「……魔石よ」

 イザベラ様が、かすれた声で言った。

「力をためておける石。神殿の治癒の儀式で、いつも使っているものと、同じ……」

 そこまで言って、イザベラ様の顔から、すうっと血の気が引いた。

「……うそよ。そんなはずはないわ。神殿の治癒の力は、代々の神官が祈りで積み上げてきたものだと、お祖父様は……」

 言葉が、途切れた。

 誰も、続きを言わなかった。

 でも、たぶんみんな、同じことを考えていた。

 神殿は、結界の力を吸い取っている。

 その力で、金を取って治癒をしている。

 だから、結界が、こんなにも弱っている。

「……金が足りねえって、断られたんだぞ」

 マークの声が、震えていた。

「兄貴の腕をおかしくしたのは、このひびからあふれた瘴気だろ。そのひびを作ってる連中が、兄貴を金がないからって……!」

「マーク」

 トマスさんが、大きな手でマークの肩をつかんだ。その手も、小さく震えていた。

◇

 私は、要石に近づいていた。

 自分でも、どうしてかわからない。ただ、そうしなきゃいけない気がした。

 ひびの入った白い石。淡い桃色の光。

 ……桃色。

 桜の花びらみたいな、やさしい色。

 その光が、なぜかとてもなつかしかった。

 石の表面に刻まれた模様を、そっと指でなぞる。光の粒が、指先にまとわりつく。あたたかい。寒い森の中で、ここだけが、小春日和みたいにあたたかい。

 模様は、下のほうで、小さな字のようなものに変わっていた。

「その字は、誰にも読めないのよ」

 後ろで、イザベラ様が言った。

「神殿の書物にも、同じ字の写しが残っているわ。古い神の言葉だと言われているけれど、五十年、誰ひとり読めなかったと……」

 イザベラ様の声が、遠くなっていく。

 私は、その字から目が離せなかった。

 読めたからだ。

 だって、それは。

 小学校の一年生で、最初に習う字だった。

 少しだけ、丸くて、やさしい筆跡の、ひらがな。

 【さくら】

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