転校生
「咲良ちゃん、お弁当そこに置いといたからね」
「ありがと、叔母さん!」
朝の台所で、叔母さんは今日も忙しい。フライパンを振りながら小学三年生の颯太の連絡帳にハンコを押し、叔父さんのネクタイが曲がっているのを指摘する。腕が三本くらいあるんじゃないかと思う。
私はその横をそっとすり抜けて、自分の食パンをトースターに入れる。邪魔にならないように。音を立てないように。……まあ、トースターはチンって鳴るんだけど。
両親が事故で亡くなって、私がこの家に来たのは中学一年のとき。もう五年になる。
叔母さんは優しい。叔父さんも優しい。颯太はちょっと生意気だけど、ゲームの攻略を聞きに来るときだけは素直でかわいい。
誰も私に意地悪なんかしない。
ただ、この家はもともと三人家族用で、私の部屋はもとは物置だった。そのことを、私はたぶんずっと気にしてしまうんだと思う。
「咲良ちゃん、進路の紙、出した?」
パンをくわえたまま固まる。
「あ、うん! 出した出した。就職で!」
「……そう」
叔母さんは何か言いかけて、やめた。フライパンの中で目玉焼きがぱちぱち鳴る。
大学に行きたくないわけじゃない。本当は、行ってみたい。でも私が行けば、叔母さんたちはきっと無理をする。颯太だって、これからお金がかかる。
だから私は、笑う。
「大丈夫! バイト先の店長にめっちゃ気に入られてるし。私、社会人の才能あると思うんだよね」
「ふふ、そうね」
叔母さんが笑ってくれたから、今日もこれで正解。
駅前の古本屋のバイト代は、高校を卒業して家を出るための資金になる予定だ。……の、はずなんだけど、たまに新刊のマンガとゲームに消えていく。人間だもの。仕方ない。
◇
その日、教室の空気が変わったのは、朝のホームルームだった。
「今日から、このクラスに転校生が来ます」
十月に転校生。しかも高三の。教室がざわっとする。
扉が開いた瞬間、そのざわめきが、ぴたりと止まった。
入ってきたのは、ひとりの女の子だった。
長い髪が、窓からの光を受けてきらめく。黒い……はずなのに、角度によっては白っぽく、銀色にも見える。肌は透けるように白くて、睫毛が長くて、瞳は──なんだろう、光の加減で色が変わって見える。
きれい、なんて言葉じゃ足りない。
ゲームのキャラだったら、絶対にデザイン担当が三日三晩寝てない。
「紬です。よろしくお願いします」
声まできれいだった。
先生が黒板に名前を書こうとして、チョークを持ったまま首をかしげた。
「ええと、名字は……あれ? ……まあ、いいか」
いいんだ。
黒板には、ただ「紬」とだけ書かれた。
◇
休み時間になると、紬さんの机のまわりにはあっという間に人だかりができた。
「紬さんってどこから来たの?」
「遠いところ」
「前の学校で部活やってた?」
「やってないわ」
「ねえ、何見てるの?」
紬さんは、携帯の画面から目を離さずに答えた。
「この世界をよくしたいんだけど、どうしたらいいかなって」
「……え?」
「国を豊かにしたいの。でも、なかなかうまくいかなくて」
「あ、ゲームの話?」
「ゲーム……そうね。ゲームみたいなものかしら」
質問した子たちが、顔を見合わせる。
そのあとも、何を聞いても紬さんの答えは画面の中の国の話ばかりだった。作物が育たない。井戸の水が悪い。どうしたらいいかしら。
昼休みが終わるころには、人だかりは半分になっていた。
「美人だけど、ちょっと変わってるよね」
誰かの小さな声が聞こえた。
それでも紬さんは気にする様子もなく、ずっと画面を見つめていた。
なんのゲームなんだろう。
気になって、つい目で追ってしまう。国を豊かにするゲーム。井戸とか作物とか、なにそれ、すごく面白そう。
そのとき。
紬さんが、ふっと顔を上げた。
目が合った。
色の変わる瞳が、まっすぐ私を見ている。驚いたように少しだけ見開かれて──まるで、ずっと探していたものを見つけたみたいに。
……え?
でも次の瞬間には、紬さんはもう画面に視線を戻していた。
気のせい、だよね。
私は首をかしげて、叔母さんが作ってくれたお弁当の卵焼きを口に入れた。
甘い卵焼きは、少しだけ、おばあちゃんの味に似ていた。




