第一部 お茶会と銀の令嬢
「サラ様、いらっしゃいませ。お待ちしておりましたわ」
屋敷の玄関で、栗色の巻き髪の令嬢がふんわりと手を振った。
ミレーユ・ヴェルネ。ヴェルネ子爵家のひとり娘で、小さいころからの友だちだ。たれ目で、しゃべり方はおっとりとていねいで、いつもにこにこしている。
ただし、ゲームでよく知っている。この子は、王都いちばんの情報通だ。どこの家の経営がおもわしくないか、誰と誰がこっそり会っているか、全部知っている。
「それでぇ、今日はとっても楽しみにしてたの。だって、噂の聖女様とお茶ができるんだもの」
「ミレーユ!?」
「うふふ。大丈夫ですわ、今日のお客様は五人だけ。みなさま、口の固い方ばかりですもの。……あ、でもおひとりだけ、予定外のお客様がいらっしゃっていますの」
「予定外?」
ミレーユは、にこにこしたまま、声をひそめた。
「イザベラ様ですわ。ご自分から、参加したいとおっしゃいましたの」
◇
中庭の円卓で、イザベラ様は背筋をまっすぐ伸ばして座っていた。
銀色の髪。紫の瞳。近くで見ると、ひんやりするほどきれいな人だ。氷で作った人形みたい。
「……ごきげんよう、ローゼンベルク様」
「ご、ごきげんよう、イザベラ様」
それだけ言うと、イザベラ様はふいと目をそらした。
……嫌われてる。これは絶対、嫌われてる。
だって、イザベラ様は聖女候補だ。そこに、いきなり「新しい聖女」の噂が飛びこんできた。しかもその噂の主は、薔薇園を芋畑にした公爵令嬢。私がイザベラ様でも、たぶんむっとする。
「さあ、みなさま。お茶にしましょう」
ミレーユの合図で、侍女たちが白いティーポットを運んできた。ふわりと、紅茶のいい香りが広がる。
そして。
ポットの注ぎ口から、うっすらと、黒いもやが立ちのぼっていた。
……うそでしょ。
薄い。舞踏会の騎士の腕より、ずっと薄い。でも、間違いない。赤ちゃんのころ、ミルクのお湯から立ちのぼっていたのと同じ、あの黒だ。
これ、水が悪い。
王都の、しかも子爵家のお屋敷の水が。
侍女さんが、ひとりずつカップにお茶を注いでいく。ミレーユ。伯爵家の令嬢。男爵家の双子。イザベラ様。
まずい。このままじゃ、みんな飲んじゃう。
薄いから、一杯くらいならたぶん大したことはない。でも、大したことがないかどうかなんて、私にはわからない。
「あ、あのっ!」
私は勢いよく立ち上がった。全員の視線が、いっせいに集まる。
「ポット、すごくかわいいですね! ちょっと触ってみてもいいですか!?」
「……えぇ?」
ミレーユのたれ目が、まん丸になった。
うん、わかる。自分でも何を言っているのかわからない。でも、もう後には引けない。
私は侍女さんからポットを受け取ると、「わあ、すてきな絵付け、どこの工房ですか、もう本当にかわいい」と大げさに言いながら、両手でしっかりと包みこんだ。
──きれいになって。
手のひらが、ほんのりあたたかくなる。
光がこぼれないように、できるだけ小さく、小さく。ポットの中で、黒いもやがすうっと溶けていくのがわかった。
ついでに、もう注がれてしまったカップにも。ポットを返すふりをして円卓をぐるりと回り、「このカップもおそろいですか? かわいい!」と、ひとつずつのふちにそっと指を触れていく。
伯爵家の令嬢が、ちょっと引いている。双子が顔を見合わせている。
いいんだ。変な人だと思われても。お腹を壊すよりずっといい。
最後に、イザベラ様のカップ。
指先がカップのふちに触れた、その瞬間。
細い指が、私の手首をつかんだ。
「──今、何をなさったの。ローゼンベルク様」
イザベラ様が、紫の瞳でまっすぐ私を見上げていた。
どきりとした。
「な、何も……カップがかわいくて……」
「ごまかさないで。……さっきまで、このお茶からは、いやな感じがしたの。うまく言えないけれど、冷たくて、にごったような」
え。
「それが、あなたが触れたとたんに、消えた」
イザベラ様の小さな声は、ほかの令嬢たちには聞こえていない。ただ、つかまれた手首が、少しだけ震えていた。
この人。
見えてはいない。でも、感じているんだ。瘴気を。
「……イザベラ様」
私は、ほかの人に聞こえないように、できるだけ小さな声で聞いた。
「そのいやな感じ。他の場所でも、感じたこと、ありますか?」
イザベラ様の瞳が、ほんの一瞬、揺れた。
それから、ぱっと手を離して、つんとそっぽを向いた。
「……あなたに答える義理はありませんわ」
そう言って、カップを口に運ぶ。
一口飲んで、小さく、本当に小さく、つぶやいた。
「……おいしい」
その耳が、うっすらと赤くなっていた。
◇
「それで、サラ様」
お茶会の帰り際。玄関まで見送ってくれたミレーユが、にこにこしながら言った。
「うちのティーポットの、どこがそんなにお気に召したのかしら」
「うっ」
「うふふ。おっしゃりたくないなら、よろしいんですの。ただ、ひとつだけ、お教えしますわ」
ミレーユは、ほんの少しだけ声を落とした。
「あのお茶のお水、うちの裏の井戸から汲んだものですの。でも、ここひと月くらい、使用人たちがよくお腹を壊すようになりましたの。うちだけではありませんわ。王都の北側のお屋敷は、どこもそうですの」
「……北側?」
「えぇ。北の森にいちばん近いあたり」
北の森。
ゲームで、熊の魔物が出たのも北の村だった。トマスさんが魔物にやられたのも、森の討伐だ。
そして紬は言っていた。
結界が、ほころびはじめている。
「……ミレーユ。それ、神殿には報せた?」
「もちろんですわ。でも、『結界は完璧である。井戸の手入れを怠ったせいだろう』と、それだけ。……ふしぎですわね。井戸なんて、毎年ちゃんときれいにしていますのに」
ミレーユは、ふんわりと笑った。
そのたれ目の奥が、少しも笑っていないことに、私はそのとき初めて気づいた。




