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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重
聖女の再来

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第一部 聖女のウワサ

噂というのは、花粉より早く飛ぶらしい。

「お嬢様、大変です! 下町がお嬢様の噂で持ちきりです!」

 神殿から戻って三日後。ライザが、市場のおつかいから息を切らして駆けこんできた。

「『ローゼンベルクのお嬢様が、舞踏会で光った』って! 『倒れかけた騎士を、触れただけで治した』って! 『もしかして新しい聖女様じゃないか』って!」

「うわあ……」

「私、八百屋のおばさんにもう全部話してきました! お嬢様がどれだけすばらしいか!」

「ライザ!?」

 噂の出どころの一つが、すぐそばにいた。

◇

 どうしても自分の目で確かめたくて、私は下町に出かけることにした。

 もちろん、アルつきで。地味な麻のワンピースに、ピンクの髪はスカーフでぐるぐる巻き。市場の娘さんに変装したつもりだ。

「お嬢様」

「なに?」

「スカーフから、髪がはみ出ております」

「えっ」

「それと、市場の娘はそんなに背筋を伸ばして歩きません。あと、手がきれいすぎます。あと、つれている男が剣を下げています」

「最後のはアルのせいだよね!?」

「私は護衛ですので」

 変装は、開始三分で破綻していた。

◇

 下町の市場は、にぎやかだった。

 でも、公爵領の町とは、どこか違う。野菜の山が小さい。値札が高い。路地裏には、やせた子どもたちが居座っていて、広場の片隅では、片足の男の人が、かごにわずかな小銭を集めていた。

 魔物との戦いで傷ついた人だ。ゲームの中でも、王都の下町はいつも「豊かさ」の数字が低かった。でも、数字で見るのと、こうして目の前で見るのとでは、全然違う。

「……聖女様、ねえ」

 果物屋の前で、おばさんたちがひそひそ話しているのが聞こえた。

「公爵家のお嬢様だろう? あそこの領地は井戸の水もきれいで、芋も麦もよくとれるっていうじゃないか。そりゃあ、聖女様だって言われたら信じちまうよ」

「どうだかねぇ」

 もう一人のおばさんが、吐き捨てるように言った。

「聖女なんてのはね、いざとなれば逃げるもんだよ。五十年前を忘れたのかい。うちの祖父さんは、あの戦で帰ってこなかったんだ。聖女様が、男と一緒に消えちまったあの戦でさ」

 足が、止まった。

 男と一緒に、消えた。

 五十年前。大叔母様の「あの人」。公爵家ではあまり話されない、エドガーという名前。

 頭の中で、ばらばらだったピースが、いやな音を立てて動き始める。

「……お嬢様」

 アルが、私にだけ聞こえる声で呼んだ。

「右後ろ。市場に入ってからずっと、つけてきている者がいます」

「えっ」

「振り返らないでください。……そこの角を曲がります」

◇

 路地裏に入った瞬間、アルの姿が消えた。

 と思ったら、次の瞬間には、壁際にひとりの少年を押さえつけていた。喉元には、抜きかけの剣の柄。

「おっと、こわいこわい。護衛さん、手が早いねぇ」

 押さえつけられているのに、少年はへらりと笑っていた。

 年は私と同じくらい。茶色いくせ毛に、緑の瞳。鼻のあたりにそばかすが散っていて、人懐っこい子犬みたいな顔をしている。ただし、持っているのは花屋のかごで、着ているのはごく普通の市場の少年の服だ。

 ……あれ?

 この子、さっき果物屋の前にもいなかった? いや、その前は水売りだった気がする。その前は、新聞売り……?

「全部同じ人!?」

「お、気づいた? いい目してるじゃん、お嬢様。もっとも、そっちの護衛さんには最初からバレてたみたいだけど」

「名を名乗れ」

 アルの声が、低い。丁寧語がどこかに行っている。

「マーク。ただのマークだよ。名字なんて上等なもんはないんでね」

 少年──マークは、アルの肩越しに、まっすぐ私を見た。

「なあ、お嬢様。ひとつだけ聞きたいんだけど。あんたが舞踏会で助けた騎士。あれ、俺の兄貴なんだ」

「……え」

「トマスっていう。森の討伐で魔物にやられてから、傷はふさがったのに、腕がずっと痛むって言っててさ。だんだん力も入らなくなって、夜もうなされてた。神殿に治癒を頼んだけど、金が足りないって断られた。あのままじゃ、もう剣も握れなくなるところだった」

 金が足りないって、断られた。

 その言葉が、胸に引っかかる。

「それがさ。舞踏会から帰ってきたら、きれいさっぱり治ってたんだ。兄貴、ぶつぶつ言ってたぜ。ピンクの髪の令嬢が、踊りながら触れていったって」

 マークの笑顔が、ふっと消えた。

「──なんでだ?」

「え?」

「なんで助けたんだよ。貴族のお嬢様が、市民上がりの下っ端騎士を。一人だけ助けて、いいことした気になりたかったのか? それとも、自分が聖女だって見せつけたかったのか?」

 緑の瞳が、じっと私を見ている。さっきまでの人懐っこさが嘘みたいに、冷たくて、鋭い。

「聖女ってのは、一人のために世界を捨てるやつのことだろ。うちのじいちゃんは、そうやって捨てられた」

 路地裏が、しんとした。

 私は、何を言えばいいかわからなかった。五十年前のことなんて、何も知らない。聖女がどうとかも、よくわからない。

 だから、本当のことだけを言った。

「……そういうの、知らないよ」

「はあ?」

「聖女がどうとか、よくわかんない。ただ、あの人、すごく具合悪そうだったから。立ってるのもつらそうで、でも仕事中だから座れなくて。……だから、治せるなら治そうって思っただけ」

 マークが、ぽかんと口を開けた。

「……それだけ?」

「それだけだけど……あ、あと、お兄さんの腕、もう痛くない? 一回じゃ取りきれてなかったら、もう一回やるから言ってね」

 沈黙。

 それから、マークが、ぶっと吹き出した。

「は、ははっ……なんだそれ。変な令嬢」

「変って言われた!?」

「言うだろ、普通。……護衛さん、もう放してくれよ。俺、何もしないって」

 アルがちらりと私を見る。私がうなずくと、アルはしぶしぶという顔で手を離した。

 マークは大げさに肩を回して、花屋のかごを拾い上げた。

「まだ信じたわけじゃねぇからな。聖女ってやつがどういうもんか、俺のこの目で確かめてやる」

「う、うん。どうぞ……?」

「どうぞってなんだよ。……あ、そうだ」

 路地の入り口で、マークは振り返った。それから、さっきまでとは違う、ひどく真剣な声で言った。

「気をつけな。あんたを見てるのは、俺だけじゃないぜ」

 え、と聞き返す前に、マークは人混みに消えていた。

 私は、思わず空を見上げた。

 路地裏をはさむ建物の、ずっと上。屋根のふちに、白い衣の裾が、ひらりと揺れて、すぐに消えた。

 ──神殿の、衣だった。

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