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ゲームの中のお嬢様に転生したら、嫌味しか言わない護衛騎士が、十二年わたしだけを見ていたらしい  作者: 八重
聖女の再来

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第一部 女神スラーシュ

神殿は、王都のいちばん高い丘の上にあった。

 真っ白な石の柱が、何本も空に向かって伸びている。入り口の大きな扉には、招待状の封蠟と同じ、羽を広げた小鳥の紋章が彫られていた。

「緊張している?」

 隣で大叔母様が聞いた。

「ちょっとだけ……いえ、すごく」

「よろしい。緊張しているうちは、余計なことをしないものよ」

 後ろで、アルが小さく咳払いをした。たぶん「お嬢様は緊張していても余計なことをします」と言いたいんだと思う。聞こえる。今日もすごく聞こえる。

◇

「ようこそお越しくださいました、ローゼンベルク嬢」

 出迎えたのは、あの夜の法衣の男の人だった。

 大神官、オルドヴィン様。

 穏やかな声。穏やかな笑顔。どこからどう見ても、優しそうなおじいさんだ。

 なのに、やっぱり、背中がぞわりとする。

「ヒルダ様までご一緒とは。これは光栄ですな」

「可愛い大姪の、初めての祝福ですもの。年寄りの楽しみを奪わないでくださるかしら」

「もちろんですとも」

 にこにこ。にこにこ。

 オルドヴィン様と大叔母様が、お互いに微笑み合っている。微笑み合っているのに、あいだで火花が散っているのが見える。鑑定の力じゃなくても見える。

 オルドヴィン様の後ろには、銀髪のイザベラ様が控えていた。今日も、紫の瞳でまっすぐ私をにらんでいる。

 ……いや、よく見ると、ちょっと違うかもしれない。

 にらんでいるというより、じっと観察しているような。

◇

 祈りの間は、神殿のいちばん奥にあった。

 高い天井に丸い窓があって、そこから光がまっすぐに差しこんでいる。その光の先に、一体の白い女神像が立っていた。

「この世界をお創りになった、女神スラーシュ様です」

 オルドヴィン様の声が、遠くに聞こえた。

 私は、像の顔を見上げていた。

 長い髪。長い睫毛。少しだけ伏せられた目。つんとすましているのに、どこかやさしい口元。

 知っている。

 この顔を、私は知っている。

 唐揚げをもぐもぐ食べて、「……おいしい」って目を細めた、あの顔だ。

「……つ」

 声が、出かけた。

 紬、と叫びかけた口を、私はあわてて両手で押さえた。だめだ。こんなところで女神様を知らない名前で呼んだら、絶対にまずい。

「つ……っ、くしゅんっ!」

 しんと静まり返った祈りの間に、私のくしゃみがわんわんと反響した。

 ……我ながら、苦しい。

「おや。お風邪ですかな」

「神殿は冷えますものね。帰ったら、温かいお茶を飲ませますわ」

 大叔母様が、顔色ひとつ変えずに言った。

 オルドヴィン様は「それはいけませんな」と穏やかに笑った。けれど、その目はほんの少しだけ、細くなっていた。

 後ろで、アルが小さく、本当に小さくため息をつくのが聞こえた。振り返らなくても、どんな顔をしているかわかる。たぶん、ものすごく遠い目をしている。

◇

「では、女神様の前にひざまずき、祈りを」

 言われるまま、私は像の前にひざをついた。

 祈り方なんてわからない。だから、心の中で、ただ呼びかけた。

 ──紬。いるなら、返事して。

 その瞬間。

 音が、消えた。

 顔を上げる。天井の窓から差しこむ光の中で、空中を舞っていたちりが、ぴたりと止まっていた。

 振り返ると、オルドヴィン様も、イザベラ様も、大叔母様も、アルも。みんな、まばたきの途中で固まっている。

 時間が、止まっている。

 女神像の後ろの白い壁が、ぼうっと光った。

 光は四角く広がって、まるで映画館のスクリーンみたいになる。その形を見て、私は思った。

 ──携帯の画面だ。

 半年間、毎晩布団の中でのぞきこんでいた、あの四角。

 その中に、紬がいた。

 制服じゃない。白銀色の長い髪をゆらして、白い光の衣をまとっている。光の加減で色の変わる瞳だけが、あのころのままだった。

『──久しぶり。咲良』

 紬が、ふわりと笑った。

『いいえ。ここでは、サラね』

「……紬」

 立ち上がろうとして、足がもつれた。

「紬! どゆこと!? 説明! 説明して! いきなり飛ばして、いきなり女神で、いきなり像で、もうわけわかんないんだけど!?」

『ごめんなさい。ちゃんと話すつもりだったのよ。でも、あのときは、あちらにいられる時間がもう少なくて』

 紬は少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。

『私はスラーシュ。この世界、ソラリスを創った者よ』

「……本当に、神様なんだ」

『ええ』

「名字なかったの、そのせい?」

『……そこ?』

 紬が、きょとんとして、それから小さく吹き出した。その笑い方が中庭のベンチのときと同じで、なんだか泣きそうになった。

◇

『あなたがゲームだと思っていたものは、全部本物だったの』

 紬は、静かに話し始めた。

『あなたが浄化した井戸の水を、本当に誰かが飲んでいた。あなたが植えた芋で、本当に誰かが冬を越した。それから、クエスト』

「クエスト……」

『あれは、この世界の人たちの祈りよ。「どうかこの子をお救いください」って、あのお母さんは、本当に私に祈っていたの』

 東の村の男の子。「……おかあ、さん?」って、目を開けた子。

 あの子は、今もどこかで生きているんだ。

『だから言ったでしょう。この世界は、あなたに何度も救われたって』

「……うん」

 うなずいてから、私はずっと聞きたかったことを、ようやく口にした。

「ねえ、紬。……叔母さんたちは?」

 紬は、すぐには答えなかった。

 その沈黙で、わかってしまった。

『あちらの人たちは、もう、あなたを覚えていないわ』

 やっぱり。

『いなくなったことを、悲しませないために。……ごめんなさい。勝手に決めて』

「……ううん」

 首を横に振った。振ったつもりだったけど、うまく振れたかどうかわからない。

 叔母さんは、優しい人だ。私がいなくなったら、きっと自分を責める。何がいけなかったんだろうって、ずっと。

 だから、これでよかったんだ。

 よかったんだけど。

「……私、まだ、ありがとうって言ってなかったのにな」

 毎日のお弁当。甘い卵焼き。「前より、ちゃんと笑ってる」って言ってくれた声。

 ぽた、と、床に涙が落ちた。止まった時間の中で、私の涙だけが動いていた。

『──届いているわ』

 紬の声が、やさしく響いた。

『言葉ではない形だけれど。あなたがこちらへ来た日、あの人は、理由もわからずに泣いていた。……覚えていなくても、心のどこかが、ちゃんと受け取っているのよ』

「……そっか」

 そっか。

 私は、手の甲でごしごしと目をこすった。

◇

『サラ。もうあまり時間がないわ』

 画面の中の紬が、少しだけゆらいだ。まるで、電波の悪いところで映る動画みたいに。

『この世界を守る結界が、ほころびはじめている。あの騎士の腕の瘴気も、そのせいよ』

「結界って……五十年前に、神殿が張ったっていう?」

 紬の瞳が、ほんの一瞬だけ、悲しそうに揺れた。

『……そう、伝えられているのね』

「え?」

『サラ。強い力を持つ者の言葉を、そのまま信じすぎないで。あなたの目で見て、あなたの力で確かめて』

 画面が、大きくゆらぐ。

「待って、紬! まだ聞きたいこといっぱい——」

『また会えるわ。ここで祈ってくれたら』

 紬は、中庭のベンチで見せたのと同じ、やわらかい笑顔で言った。

『唐揚げ、おいしかったわ』

 ──ふっと、光が消えた。

◇

 ちりが、また舞いはじめる。

 どこかで、衣のこすれる音がした。止まっていた時間が、何事もなかったように動き始めていた。

「……祈りは、終わりましたかな」

 オルドヴィン様の声。

 慌てて顔をごしごしこすって立ち上がると、オルドヴィン様は穏やかに微笑んでいた。

「涙を流されるほど、女神様への祈りが深いとは。すばらしい」

「あ、ありがとうございます……」

 大叔母様が、そっと私の背中に手を添えた。「もう帰りますよ」という合図だ。

 礼をして、祈りの間を出ようとした、そのとき。

 すれ違いざまに、オルドヴィン様が、私にだけ聞こえる声でささやいた。

「──また、いつでもお越しください。聖女様」

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