第一部 神殿からの招待状
目が覚めたら、天蓋つきのベッドの上だった。
ふかふかの枕。つるつるのシーツ。窓の外では、小鳥がちゅんちゅん鳴いている。
私はゆっくり起き上がって、自分の髪をひとふさつまんだ。
ピンク。
「……夢じゃなかった」
物置部屋の、せんべい布団じゃない。叔母さんの卵焼きのにおいもしない。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
でも、その痛みをじっくり考える暇もなく、扉が勢いよく開いた。
「お嬢様、おはようございます! 昨夜は最高でしたね! 王宮じゅうの視線を独り占めでしたね! 私は控え室にいたので見てないんですけど!」
「見てないのに!?」
「わかりますよ、お嬢様のことなら!」
ライザは今日も元気だった。
◇
朝食の席は、いつもより少しだけ静かだった。
理由は、お父様の手元にある一通の手紙だ。
白い封筒に、金色の封蠟。そこに押されているのは、羽を広げた小鳥の紋章だった。
「神殿からだ」
お父様が、低い声で言った。
「大神官オルドヴィン様の名で。……社交界にデビューした令嬢に、女神スラーシュの祝福を授けたい。ついては三日後、神殿へお越しくだされたし、と」
オルドヴィン。
その名前を聞いた瞬間、昨夜のあの笑顔が、頭に浮かんだ。
「それって、デビューした令嬢全員に届くんですか?」
「いや」
答えたのは、お兄様だった。眼鏡の奥の目が、冷ややかに細められている。
「友人に確かめた。昨夜デビューした令嬢は十二人。招待状が届いたのは、サラだけだ」
「うっ」
「それと、昨夜オルドヴィン様の隣にいた銀髪の令嬢。あれはオルドヴィン様の孫娘で、イザベラ嬢だ。次の聖女候補と噂されている」
聖女候補。
だから、あんなににらまれてたのか。
「サラ。昨夜、何かあったのかい?」
お父様の声は、やさしかった。やさしいからこそ、ごまかせなかった。
私は、フォークをそっとお皿に置いた。
「……警護の騎士さんの腕に、黒いもやがまとわりついていて。すごく具合が悪そうだったから、ダンスのついでに、ちょっとだけ……払いました」
沈黙。
お母様が、ティーカップをそっとソーサーに戻した。かちゃり、という小さな音が、やけに大きく響いた。
「ダンスの、ついでに」
お兄様が、ゆっくりと繰り返した。
「王宮の、大広間で。何百人もの貴族がいる前で。神殿の大神官が見ている前で。ダンスの、ついでに」
「ごめんなさい……」
「さすがお嬢様ですっ!!」
壁際で控えていたライザが、目をうるませて叫んだ。
「ライザ、今は黙っていなさい」
「はいっ! でもさすがですっ!」
そのさらに奥で、アルが目を閉じていた。たぶん、心の中で「だから無茶をなさるなと」と言っている。聞こえる。すごく聞こえる。
◇
「断ることは、できないのですか?」
おそるおそる聞くと、お父様は重いため息をついた。
「神殿の招きを断れる者は、この国にはいない。王家でさえ、だ」
「王家でさえ……?」
「五十年前の魔物との戦いで、結界を張って国を救ったのは神殿だ。それ以来、この国は神殿に守られている。……そう、伝えられている」
お父様は、最後の一言だけ、少し言いたくなさそうに付け足した。
それから、執事を呼ぶ。
「離れの叔母上に、使いを出してくれ。至急、こちらにお越しいただきたいと」
◇
大叔母様のヒルダがやってきたのは、その日の夕方だった。
細い杖をついた、小柄なおばあさま。真っ白な髪をきっちりと結い上げて、背筋は定規を入れたみたいにまっすぐだ。
ゲームの中では、敷地の離れにひとりで住んでいて、母屋に顔を出すのは年に一度、新年の挨拶のときだけの人だった。いつも厳しい顔をしていて、お父様でさえ背筋を伸ばしていた。
「グレン。あなたがこの私を至急で呼びつけるなんて、二十年ぶりね」
「申し訳ありません、叔母上」
お父様が、子どもみたいに肩をすくめた。公爵より強い人、初めて見た。
大叔母様は、事情を一とおり聞くと、黙って私の前に立った。
灰色がかった青い瞳が、私の顔をじっと見つめる。それから、ゆっくりと、私の髪へと移った。
しわだらけの指が、私のピンクの髪を、そっとすくい上げる。
「……兄上と、同じ色。生まれたときからそう思っていたけれど。大きくなって、ますます似てきたわね」
「兄上……?」
「あなたのおじいさまの弟。あなたには大叔父さまにあたるわ。エドガー。……この家では、あまり話されない名前だけれどね」
お父様が、わずかに目を伏せたのがわかった。
エドガー。
ゲームの中では、一度も出てこなかった名前だ。なのにどうしてだろう。その名前を聞いた瞬間、胸の奥が、ふっとあたたかくなった。
「神殿へは、行きなさい」
大叔母様は、きっぱりと言った。
「叔母上!」
「断れば、あの一族はもっと強引な手を使うわ。これは招待じゃない。確かめようとしているのよ、この子が何者なのか」
大叔母様は杖で、こつんと床を叩いた。
「ただし、ひとりでは行かせない。私がついていくわ」
それから、私にだけ聞こえるくらいの小さな声で、こう付け足した。
「……五十年前にも、同じ光を見たことがあるのよ」
「え?」
「あなたの指先からこぼれた光。あたたかくて、やさしい色の光。──あの人も、そうだった」
あの人。
大叔母様はそれ以上何も言わずに、窓の外を見た。
夕焼けに染まる芋畑の向こう、ずっと遠くの空を。




