第121話 触手令嬢と少年、ボロボロになる
「……ルウ……?」
やっとのことで、ようやくヒロ様を助け出せたわたくし。
あぁ、ヒロ様とは恐らくほんの数時間程度の別離でしょうに――どうしてこんなにも引き離されていたように感じるのでしょうか。
本当に久しぶりに見る気がします。ヒロ様のこの、可愛らしい若草色の瞳を。
その瞳孔あたりで揺れている炎は、間違いなく勇者の証。それが瞳の色を、エメラルドの宝石のように美しく照らし出しております。
血まみれ煤だらけになってしまったヒロ様のお顔。それでもその中で――いえ、汚されたからこそ一層燦然と輝く勇者の光。
あまりの美麗さに、わたくし我を忘れ――思わず見とれてしまいました。
で、当然。
バッシャアアアン!!!
わたくしはヒロ様を抱きかかえたまま、真下の沼に真っ逆さまに落下してしまいました。
見事な水飛沫と自分でも分かるほど盛大な水音と共に、ヒロ様と共に水へ落ちていくわたくし。
でももう、わたくしだって以前と同じではありません。興奮のあまり自重で溺れるようなマヌケは晒しません! ヒロ様の為なら!!
「行きますわよ……わたくしの超必殺技!
嬢熱苛烈ハリケン百叩き・弐式! 苛烈華麗犬かき!!」
わたくしは全力をもって、ヒロ様を支えている触手以外の全触手を稼働させました。
魔妃の回復の沼などなんのその、わたくしの触手の威力で自然とわたくしとヒロ様は水面へと浮かび上がっていきます。
以前は同じように触手を動かしても沈みゆくばかりでしたが、不思議なものです。これもヒロ様との、愛と絆と修行の力!!
当然数秒後にはわたくしもヒロ様も無事、水の上へと顔を出していました。
「ぷはぁっ……
だ、大丈夫かよ……ルウ……っ」
あぁ、なんということ。ご自身が酷い怪我をされているのに、ヒロ様はなおわたくしを心配してくれます。
勿論わたくしは少々身体が煤けようとも全く平気ですが。
「当然ですヒロ様! ヒロ様の為でしたら、わたくしどこまでも飛び込んでいきますわ! あんな目に遭ってるヒロ様を見たら、いてもたってもいられるわけがありません!!」
「え……あんな目?」
「えぇ。詳細は後ほどお話いたしますが、わたくしはずっと見させていただきました。
ヒロ様、貴方の雄姿を。
貴方が傷をおしてもなお立ち上がり、自らの手で、あの魔妃を成敗した瞬間を!!」
それを聞いて一瞬、眼をぱちくりさせながらじっとわたくしを見つめるヒロ様。
前髪から滴る血まじりの雫まで美しい。びしょぬれの衣服、腫れあがった頬、破られた襟元に至るまで、全てに吸いついて癒してさしあげたい!
「そっか……全部、見ちゃってたんだなルウは。
ちょっと恥ずかしい……かも」
頬を少々赤らめながらうつむくヒロ様。あぁ、こういう反応も本当に愛らしい。
何しろ今のヒロ様はレーナに着せられたセーラー服風執事服のまま、全身ずぶ濡れ。加えて上着の殆どがあのバケ蜘蛛によって破られ、セーラー襟やブラウスまであらゆる箇所が裂けて肌が露出しております。胸元の可愛らしい大きなリボンも無理矢理解かれズタズタにされ、その端が力なく水面に浮いている。そしてせっかくの衣装の半分以上が真っ赤に……
いかにここが回復の泉と同じとはいえ、あのクモに噛まれた傷はそう簡単には治らないようで、ヒロ様は呼吸をするたびに左腕の裂傷を押さえております。下半身は水面下であまりよく見えませんが、切り刻まれたズボンの裾がちらちら浮いているのは分かります。勿論、その奥に見えるものはヒロ様の艶めかしいおみ足。
レーナに無理矢理着せられたとはいえ、可愛らしいのは間違いないヒロ様の恰好――
それが今、徹底的にボロボロの血まみれの濡れ鼠に。この状況に興奮しない触手族がいるでしょうか。
……って、こんなヒロ様についつい興奮してしまう自分が非常に悔しいですわ! レーナの手で強制的に発情させられてるようなものです!!
それでもヒロ様は、少しびっくりしたようにわたくしの頬に手を触れてくださいました。
「ル、ルウ!
お前、顔から血が……!」
あら。言われて初めて気が付きましたが、わたくしもいつの間にか若干の傷を負っていたようです。ヒロ様の指摘どおり、左の頬あたりから少々出血が。わたくしとしたことが、なんとも恥ずかしい。
「うふふ、わたくしなら全然大丈夫ですわ~
ヒロ様のお怪我に比べたら、この程度!」
そうです。ヒロ様は今の傷以外にも、レズンに散々やられた時の負傷や精神的な傷も残っているはず。というかレズンにあの島で徹底的になぶられ滅茶苦茶にされてから、実はまだ三日も経過してないのでは。
それを考慮しながら今のヒロ様を見れば見るほど――愛おしさが溢れてきます! あぁ、この健気な勇者様はわずか数日の間で、どれほどの苦難を耐え抜いたのか!!
「って、ルウ。お前も結構ボロボロだぞ……自分で分かってるか?」
あらまぁ。確かによくよく見れば、わたくし自身の制服もヒロ様に負けず劣らずのボロボロ。
身体へのダメージは可能な限り抑えたと思っていましたが、若干のかすり傷もあちこちに見えます。勿論致命傷にはほど遠いですが。
そして全身が見事に煤だらけの上、袖やら胸元やらあらゆる部分の布地がいつのまにか破れております。
「おぉ、ヒロ様。もしやこれは人間の殿方には結構な眼福ではないですか? どうでしょう??」
「いや、どうでしょうじゃないって! 今それどころじゃないし、ホントに大丈夫なのか?」
わたくしの少々露出した胸を目の前にしてか、頬がさらに赤くなるヒロ様。それでもなお両腕で縋りついてきて、自分よりわたくしの方を心配してくださる。
「えぇ、全然大丈夫ですよ。
本当にヒロ様は――とても優しい勇者様ですね」
わたくしの言葉に、ヒロ様は少し安心したのかほっと胸をなでおろしました。
そんな勇者様の小さな身体を、わたくしはもう一度包み込むように全触手で抱きしめます。
あぁ、この血の匂いと濡れた身体の感触だけで全身の細胞がはちきれそう。ただひとつ、この可愛らしく痛々しく美しい恰好がレーナお仕着せという点だけが地味なノイズですが。
「ヒロ様。わたくしはずっと見ていましたよ。
わたくしだけではありません。おじい様も、ソフィやスクレットも、会長もサクヤさんも――皆様が、ヒロ様が魔妃の呪いを打ち破る瞬間を待っていた。
そして、確かに見ました。貴方の勇姿を。
本当に、よく頑張りましたね」
それを聞いて、ヒロ様はさらに恥ずかしそうにうつむきます。
バレないようにそおっと触手を一本ほど脇に這わせてみると、とくとくと微妙に高鳴る鼓動が体温と共に伝わってくる。この瞬間がたまりませんね。
「じ、じいちゃんまで、みんな?
俺……あの人を。レーナをどうしても許せなかったから、殴っただけだ。
誰の為ってわけじゃなく、自分の為だけに」
「それでいいのです。ヒロ様はずっと、ご自分ではなく誰かのことばかり考えて傷ついてばかりでしたから。
それが初めて、ご自分の為に動くことが出来た。
これはおじい様にとっても、ソフィやスクレットたち、会長やサクヤさんにとっても――
勿論わたくしにとっても、本当に嬉しいことなのですよ」
それを聞いて、ヒロ様はさらにうつむいてしまいました。
嬉しかったのか、動揺したのかはわたくしにもよく分かりませんが――
そんな彼の唇から漏れだしたのは、こんな言葉。
「俺……
母さんがどうしていなくなったか。やっと分かった。
母さんは、俺を守る為に――」
ですが、その時でした。
突然この至福の瞬間をぶち破ってくれる卑怯者が現れたのは!
「ル……ルウラリア!」
この広間の中心から遥か上まで伸びた階段。ヒロ様の魂の輝きに敗れ、そこに倒れ伏していたはずの女。
レズンの母親であり、カスティロス家のクズどもの一角。
そんな彼女が地獄の底から這い出たボロボロの老婆の如き姿で、何故かわたくしを呼んでいました。
あぁ、忘れていました。まだそこで這いつくばっていたのですね――魔妃、レーナ・カスティロスは。
「ルウラリア……お前は本来、魔の者。
私のものになるはずのもの。
なのに何故お前は、勇者の味方をしているの?」
はぁ?
何を言っているのか、全く意味が分かりません。
「あぁ……お前も、その子を可愛がりたいのね?
いいわ。ほんのちょっとぐらいなら、お前にも触らせてあげる。
私の元にいれば、永遠にその子で遊ぶことができるわよ? 私と、レズンちゃんと、お前でね」
あぁ。これはもう、本当に救いようのないクズ女ですね。
わたくしがわざわざ手を下すほどのこともない。魔妃の名に相応しい? いいえ逆です。
最早終わってしまった自らの状況すら全く把握できていないとは。魔妃の名を辱めるレベルの小物のクズです。
それでもヒロ様は果敢にも、わたくしをかばうようにレーナとの間に割り込んできました。
「駄目だ!
もう絶対に、ルウはお前なんかに渡さない!!」
おぉお……先ほどの可愛らしいお顔から一転、ヒロ様の瞳に宿ったものは、相手を喰いちぎらんばかりの獰猛な光。
キュートの象徴であった八重歯さえ剥き出しにし、レーナに真っ向から立ち向かう横顔はまさしく、成長途上の男子そのもの!
この覇気が、ぼろぼろ傷だらけずぶ濡れにされまくった美少年から発されている。しかもわたくしを守る為に――これだけでもうわたくし、うっかり昇天しそうですわ!!
とはいえレーナはこの期に及んでもなお、ヒロ様に襲いかかろうとしています。
既に勝敗は決しているにも関わらず、なおもヒロ様への――そしてその中にいる(と思い込んでいる)ユイカ様への執着。それだけは恐れ多いものです。
しかし――
「ヒロ様、ご安心ください。
あの女はもはや、敵ではありません。貴方が先ほど見事にぶん殴ったのですから」
「でも、ルウ! あいつは……!!」
その小さな背中で、なおもわたくしをかばってくださるヒロ様。
でも、もう大丈夫なことはわたくしにも分かっていました。
何故って――
「そこまでだ、レーナ・カスティロス。
お前は勇者に敗れた。ここからは、僕の仕事だよ」
天井から轟き水面に反響した、雷鳴にも似た声。
同時に、まさしく稲妻を思わせる光が、レーナのすぐそばに炸裂しました。
何とか立ち上がろうとしていた魔妃も、この閃光には見事に腰を抜かしております。
「い、いやぁっ!?
これは――まさか」
ヒロ様もわたくしもレーナも、ほぼ同時に上空を見上げます。
そこから降りてきたのは勿論――
「ヒロ君。ここまで、本当によく頑張ったね。
あとは、僕と――彼に任せてくれ」
魔妃の結界の中へ、見事なワープを遂げたヴァーミリオ・ロッソ会長と。
そして情けなくもその腕に吊り下げられたように抱えられた、クズン……もとい、レズン・カスティロスの姿でした。




