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第七話 推しにプロポーズされました

魔術交流競技会が終わってからというもの、マリアンネは少しおかしかった。


いや、もともとアレンダートの前では十分おかしかった自覚がある。

けれど最近は、自分でも分かるほど、その種類が変わっていた。


「マリアンネ」

「ひゃい!」


放課後の生徒会室で、アレンダートは書類から顔を上げ、

向かいの席にいる彼女を見た。


「まだそれやるの?」

「何がですか!」


「名前を呼んだだけで変な返事するやつ。毎日呼んでるだろ」

「最近は心の準備が必要なんです!」


言い返しながら、マリアンネは意味もなく手元の書類を整えた。


「前は必要なかった?」

「前も必要でした!」


「じゃあ、何が変わったんだよ」

「それは……!」


そこまで言って、マリアンネは口を閉ざした。

言えるわけがない。


セラフィーヌ王女とアレンダートが結婚するという、

ずっと信じていた未来はもう存在しない。

それだけなら、まだよかった。

問題は、あの日セラフィーヌに言われた言葉が、今も頭から離れないことだ。


『今あなたが好きなのって、もうゲームのアレンダートじゃないでしょう?』


ゲームの中の推しなら、遠くから眺めているだけで幸せだった。

けれど、今ここにいるアレン様は違う。


ゲームでは知らなかった顔で笑い、疲れればネクタイを緩め、

甘い焼き菓子を少し嬉しそうに食べる。

マリアンネを見つければ声をかけ、手を握り、可愛いと言う。

そして、好きだと何度でも真っ直ぐに伝えてくる。


そのうえ先日は――

『最初から逃がす気はないから、そこは覚悟しておいて』

そう言って、手の甲に口づけられた。


そこまで思い出したところで、マリアンネは勢いよく書類へ視線を落とした。

駄目だ。

今は顔を見られない。


「マリアンネ?」

「今日はもう殿下の顔、見ません!」


「なんで?」

「思い出したので!」


「何を?」

「聞かないでくださいー!」


とうとう書類へ顔を伏せると、すぐに楽しそうな笑い声が返ってきた。


「本当に分かりやすいな」

「誰のせいですか!」


「俺かな」

「分かってるなら少し自重してください!」


「無理だな」

「即答しないでください!」


どうやら、自重する気など最初からないらしい。


◇


交流競技会の最終日、帰国を控えたセラフィーヌから、

マリアンネは小さな魔道具を手渡された。


「これ、持っていて」

「……これは、通信石ですか?」


手のひらに収まる石は淡い青色をしており、

セラフィーヌが見せたものとよく似ている。


「そう。対になっているの。専用の筆で短い文章を書き込めば、

もう片方にも同じ文字が浮かぶわ」

「そんな高価なもの、いただけません!」


慌てて返そうとすると、セラフィーヌは首を振った。


「いいのよ。私も、

この世界で前世の話ができる相手に会ったのは初めてなんだもの」


そう言われると弱い。

マリアンネが手の中の通信石を見つめていると、

セラフィーヌがにやりと笑った。


「それに、アレンダート殿下との進展も報告してほしいし」

「しません!」


「するわよ。どうせ一人で抱え込んで、また処理落ちするでしょう?」

「……否定できません」


こうしてマリアンネは、隣国の王女という思いがけない友人と、

通信石を通じてやり取りをすることになった。


◇


競技会が終わって三日後の夜。

自室で本を読んでいたマリアンネの机の上で、通信石がふわりと淡く光った。


『帰国しました』


浮かび上がった文字を見て、マリアンネの表情が少し緩む。

セラフィーヌだ。

専用の細い筆を手に取り、すぐに返事を書き込んだ。


『お疲れさまでした。無事でよかったです』


ほどなくして、再び文字が浮かぶ。


『ところで』


その一言だけで、なんとなく嫌な予感がした。


『アレンダート殿下とは?』

「早い!」


思わず声を上げたマリアンネは、すぐさま筆を走らせる。


『何もありません』

『嘘ね』


『なんでですか!?』

『この前、手の甲にキスされてたでしょう』


「見てたんですかー!?」


あのときは完全に処理落ちしていて、周囲を見る余裕などなかった。

慌てて同じことを書き込むと、返事はあっさりしていた。


『見てたわ。アレンダート殿下、情熱的ね』

『忘れてください』


『無理ね』

『みんなそれ言う!!』


通信石の向こうで、セラフィーヌが楽しそうに笑っている姿が目に浮かぶ。

しばらくして、今度は少しだけ真面目な問いが届いた。


『それで、嫌だった?』


マリアンネの手が止まった。

嫌ではなかった。

驚いたし、恥ずかしかったし、心臓が止まるかと思った。

それでも、嫌だったかと聞かれれば、答えはもう決まっている。


『……嫌ではありませんでした』


送ると、ほとんど間を置かずに返事が浮かんだ。


『なら、よかったわね』

『よくありません!』

『なぜ? どういう問題があるの?』


そこで、また筆が止まる。

説明しようとしても、うまく言葉にできない。

しばらく何も送れずにいると、通信石がもう一度淡く光った。


『はい終了』

『勝手に終わらせないでくださいー!』


◇


さらに数日後。


「マリアンネ。今日、一緒に帰ろう」

「……またですか?」


「嫌?」

「……嫌じゃないです」

「じゃあ行こうか」


あまりにもあっさり話がまとまりかけ、マリアンネは鞄を持つ手を止めた。


「殿下。その確認の仕方、ずるくないですか?

私が断れないって分かってますよね」

「正直に答える君が悪いな」


「私が悪いんですか!?」

「いや。正直なマリアンネは可愛いよ」

「会話の流れがおかしいです!」


抗議しても、アレンダートは楽しそうに笑うばかりだった。


校舎を出ると、今度は当然のように手を取られる。

以前ほど驚かなくなっている自分にも戸惑いながら、

マリアンネは絡められた指を見つめ、それから隣のアレンダートを見上げた。


「……殿下。最近、これが標準になってません?」

「何が?」

「手です!」


「手は前からあるけど?」

「そういう意味じゃありません!」


アレンダートは笑いながら、絡めた指に少しだけ力を込めた。

マリアンネが思わず口を閉ざすと、その反応を見た彼の声が少しだけ和らぐ。


「マリアンネが嫌なら離すよ」

「……その確認、毎回するんですか?」

「もちろん」


迷いのない返事だった。

マリアンネは繋いだ手へ視線を落とし、しばらくしてから小さく答える。


「……嫌じゃないです」

「じゃあ、このままでいいな」

「うぅ……」


結局、その日も手を繋いだまま帰ることになった。


そして帰宅後。

自室へ戻ったマリアンネは、机の上の通信石をじっと睨んでいた。

報告するべきか、しないべきか。

散々迷った末、結局は専用の筆を手に取る。


『今日も手を繋がれました』


返事はすぐに届いた。


『よかったわね』

『その返ししかないんですか!?』

『嫌だったの?』


そこで筆が止まる。

答えられずにいると、間を置かず次の文字が浮かんだ。


『はい終了』

『その流れもう知ってますー!!』


◇


やがて、アレンダートの直球攻撃は、すっかり日常の一部になっていた。


「今日の髪型、可愛いな」

「……最近それ、毎日言ってませんか?」


「毎日可愛いからね」

「やめてください! 心臓が持ちません!」


「じゃあ、もっと慣れないとな。明日も言うから頑張れ」

「耐性訓練じゃないんですよー!」


そして、その日の夜。


『最近、毎日可愛いと言われます』


通信石へ書き込むと、セラフィーヌからすぐに返事が届いた。


『愛されてるわね』

『その言葉を文字にしないでください!!』

『でも、事実でしょう?』


マリアンネは一度筆を置きかけたものの、

どうにも納得できず、もう一度手に取った。


『セラフィーヌ様は、そこで少しくらい

「愛されてるとは限らないわよ」とか言ってくれてもいいと思います!』

『なぜ? どう見たって愛されてるじゃない?』


そこで、筆が止まる。

反論しようにも、うまい言葉が何一つ浮かばなかった。

ほどなくして、見慣れた言葉が通信石に現れる。


『はい終了』

『それ好きですね!?』


◇


そんなやり取りが続いていたある日、

今度はセラフィーヌのほうから唐突な通信が届いた。


『ケヴィンの新しい礼装がとても似合ってて危険』


突然の報告に、マリアンネは何度か瞬きをしてから筆を取る。


『急ですね!?』

『今見たから。誰かに言いたかったの』

『強火すぎます』


返事を送ると、すぐに次の文字が浮かんだ。


『黒を基調に銀糸の刺繍。肩章も素敵。素敵すぎて危険』

『推しの破壊力にやられる気持ちはよく分かります』


『写真を送れないのが悔しいわ』

『通信石にそこまで求めないでください』


どうやら、よほど誰かに聞いてほしかったらしい。

しばらくして通信が途切れたかと思えば、少し経って再び石が淡く光った。


『今、ケヴィンに何を書いているのか聞かれたわ』

『なんて答えたんですか?』


『あなたが格好良すぎると報告してると言った』

『本人に言ったんですか!?』

『だって格好いいもの』


さすがケヴィン強火勢、そこを隠す気はないらしい。

マリアンネが妙に感心していると、さらに数秒後、短い報告が届いた。


『私が褒めまくったら、ケヴィン照れてたわ。かわいい』

『惚気まで始まった!!!』


もはやセラフィーヌとの通信が恋愛相談なのか、推し語りなのか、

それとも単なる惚気を聞かされる場なのか。

最近では、マリアンネにもよく分からなくなっていた。


◇


夏の終わり、少しずつ秋の気配が混じり始めた頃。

放課後の生徒会室で、マリアンネはふと会長席へ目を向けた。


「……今日、殿下遅いですね」


そこにはまだ誰も座っていない。

アレンダートは王城から急な呼び出しを受け、

少し遅れると連絡が入っていた。


ただそれだけのことなのに、

マリアンネは気づけば何度も扉へ視線を向けていた。


まだ来ない。

書類へ意識を戻したはずが、

しばらくすると今度は時計を見上げている。


「スターフェルト嬢。会長なら、もうすぐ戻ると思うよ」


副会長に声をかけられ、マリアンネの肩が小さく跳ねた。


「えっ」

「さっき使いが来てたから」

「……そうですか」


副会長はそれ以上何も言わず、ほんの少しだけ笑って仕事へ戻る。

なぜだか、すべて見透かされたような気がした。


マリアンネは落ち着かないまま書類を読み直していたが、

それから十分ほどして扉が開いた。


「悪い。遅くなった」


聞き慣れた声とともに、濃い赤髪が目に入る。


「あ」


思わず声が漏れると、

アレンダートがこちらを見て、わずかに目元を和らげた。


「お疲れさまです」

「うん」


いつものように返事をして、アレンダートが会長席へ向かう。

ただそれだけで、先ほどまで落ち着かなかった胸の奥がふっと軽くなった。


その変化に気づいた瞬間、マリアンネは固まった。

――安心したんだ。アレン様が来たから。


「どうした?」

「……何でもありません」


「顔、赤いけど?」

「大丈夫です。本当に何でもありません!」


その夜。

自室へ戻ったマリアンネは通信石を前に、専用の筆を手に取った。


『今日、アレン様が生徒会に来るのが遅くて』


そこまで書いたところで、筆先が止まる。

少し迷った末、続きを綴った。


『来たとき、ちょっと安心しました』


返事はすぐに届いた。


『殿下に会いたかったのね』


違う、と書こうとして、筆が止まる。

否定する言葉が出てこなかった。

しばらく考えた末、マリアンネは小さく息を吐いて書き込む。


『……たぶん』


今度は少し間を置いて、次の文字が浮かんだ。


『それはもう、ただ推しを見たいというだけではないでしょう?』


その言葉に、マリアンネは通信石からそっと視線を逸らした。

返事は送れなかった。


けれど、自分でももう分かり始めていた。

遠くから眺めていられれば、それだけで幸せだった頃とは、何かが変わっている。


◇


秋の、ある日の帰り道。

いつものように手を繋いで歩いていると、

アレンダートがふと、その手を少し持ち上げた。


「最近、騒がなくなったな」

「何がです?」

「これ」


言われて、マリアンネは繋いだ手へ視線を落とした。


確かに、最初の頃は手を取られるたびに悲鳴を上げていた。

けれど今では、アレンダートが手を差し出せば、

恥ずかしさは残っているものの、自分から重ねるようになっている。


「……慣れたんだと思います。殿下が散々、慣れろって言って繋いでくるから」

「頑張った甲斐があったな」


アレンダートは満足そうに笑うと、少しだけ顔を覗き込んだ。


「じゃあ、次は?」

「はい?」


「もう少し先に進んでも大丈夫かなって」

「次ってなんですか!?」


思わず足を止めると、アレンダートが楽しそうに笑った。


「冗談だよ」

「今の顔は絶対に冗談じゃなかったです!」


「まあ、そのうちね」

「だから何がですかー!」


まだまだ油断はできないらしい。

それでも再び歩き出したあとも、マリアンネは繋いだ手を離さなかった。


その夜、通信石へ今日のことを書き込む。


『手を繋ぐことには慣れました』

『進歩したわね』


『進歩なんでしょうか』

『最初は触れられるだけで大騒ぎしてたのに、

今は自分から手を重ねてるんでしょう?』


『……そうですけど』

『なら、十分進歩じゃない』

『そういう正論は禁止です!』


少し間を置いて、通信石に新しい文字が浮かんだ。


『でも、もう自分でも分かってるんでしょう?』


マリアンネはしばらくその文字を見つめたあと、そっと通信石を伏せた。


「……セラフィーヌ様、強い」


◇


秋も深まり始めたある日、生徒会の仕事がいつもより少し長引いた。


一人、また一人と役員たちが帰っていき、最後に副会長が扉を閉める。

静かになった生徒会室に残ったのは、アレンダートとマリアンネだけだった。

最後の資料を棚へ戻し、マリアンネは小さく息をつく。


「殿下、こちらも片付きました」

「ありがとう。マリアンネ、少しいい?」

「……はい」


鞄を抱えて机の前まで行く。


何だろう。

いつものように口説かれる程度なら、最近は多少耐えられるようになった。

たぶん。


アレンダートは手元の書類をまとめると、

何でもない話をするように顔を上げた。


「提案なんだけどさ、飛び級しない?」

「……はい?」


久しぶりに、マリアンネの処理能力が一瞬で限界へ達した。

目の前のアレンダートは、どう見ても冗談を言っている顔ではない。

何度か瞬きをして、ようやく声を絞り出す。


「……私が、ですか?」

「ほかに誰がいるの」

「もっと現実的な話であってほしかったです!」


飛び級という制度があることは知っている。


王立学園では、ごく稀に学年相当を大きく超える学力を持つ生徒へ、

特別進級試験が行われる。

ただし利用者は十年に一人いるかどうかで、教師からの推薦に加え、

通常よりはるかに難しい試験で複数科目で一定以上の成績を収めなければならない。

ただ成績がいいだけでは通らないのだ。


「飛び級ですよ!? 十年に一人いるかどうかっていうあれですよね!?」

「知ってる。でも、君なら受ける資格は十分ある」


アレンダートはそう言って椅子から立ち上がった。


「教師にも確認してみた。成績はずっと首席だし、

二年の課程もかなり先まで自分で勉強してる。推薦も、おそらく問題ないって」

「もう聞いたんですか!?」


思わず声を上げると、アレンダートは悪びれる様子もなく肩をすくめた。


「そりゃあ、正式に勧める前に確認くらいするだろ」

「外堀が……」


呆然と呟くマリアンネに、彼は少し笑う。


「まだ埋めてはないけど」

「まだ!?」


「君が受けるって決めたら、そのときは手伝うよ」

「やっぱり埋める気はあるんですね!」


アレンダートは楽しそうに笑った。

マリアンネは小さく息をつき、鞄を抱え直す。

受験できる可能性があることは、百歩譲って理解できる。

けれど、なぜアレンダートがそこまでして飛び級を勧めるのかが分からない。


「そもそも、なんで私に飛び級させたいんですか?」


すると、アレンダートはあっさり答えた。


「俺と一緒に卒業してほしいから」

「なんでですかー!?」


「そこから言わないとだめ?」

「そこからです!」


アレンダートは少し眉を寄せた。


「俺は今年で卒業するだろ。君は普通ならあと一年残る。それが嫌なんだよね」

「私が学園に残るのが、ですか?」

「そう。卒業したら、今みたいに毎日会えなくなる」


思ってもみなかった理由に、マリアンネは少しだけ黙った。


「今みたいに生徒会室や図書室で会えるわけじゃない。

マリアンネは、俺に会いに王城まで来ないだろ?」

「王城!? む、無理です!」


「だろ?」

「そこまで読まないでください!」


実際、アレンダートの言うとおりだった。

たとえ今より仲が深まったとしても、

自分から王城へ赴いて「アレン様に会いたくて来ました」と告げる姿など、

とても想像できない。


「放っておいたら、本当に来なさそうだからな」

「……そこは、否定できません」


「だから、一緒に卒業してほしい」

「でも、それだけで飛び級って……」

「それだけじゃない」


アレンダートはそこで少しだけ間を置いた。


「卒業したら、早く結婚したいし」


一瞬、言葉の意味が頭に入ってこなかった。


「……け、結婚!?」

「うん」


「誰と!?」

「マリアンネに決まってるだろ」

「なんでですかー!?!?」


静かな生徒会室に、マリアンネの悲鳴が響いた。

幸い、もうほかに誰もいない。

アレンダートはむしろ、不思議そうに首を傾げた。


「君のことが好きだってずっと伝えてるし、口説いてるとも言ったよな」

「言われましたけど!」


「一緒に帰って、手も繋いでる」

「繋いでますけど!」


そこまで並べられて、マリアンネは言葉に詰まった。

どれも事実なのが困る。

アレンダートはそんな彼女を見ながら、さらに続ける。


「それに、マリアンネも嫌じゃない」

「……嫌じゃないですけど!」


「なら、将来のことを考えるのもそんなにおかしくないだろ」

「話が飛びすぎですー!!」


マリアンネは近くの机へ鞄を置き、両手で頭を抱えた。


「そもそも、まだ婚約すらしてませんよ!?」

「それはこれからすればいいだろ」


あまりにも当然のように返され、マリアンネは思わず眉を寄せた。


「さらっと言わないでください! 王太子の婚約ですよ!?

家柄とか、そういうことも大事なんじゃないんですか!?」


「もちろん何でもいいわけじゃない。

でも、うちの王家は昔から家格だけで相手を選ぶ家じゃないぞ」


「……え?」


「現に母上は子爵家の出身だし、父上は母上を選んだ。

伯爵令嬢のマリアンネが相手だから問題になる、なんてことはない」


あっさり返され、マリアンネは言葉に詰まった。


「でも、家柄に問題がなくても、私が王太子妃なんて――」


そこまで口にして、改めてその意味の重さに気づく。


「殿下と結婚したら王太子妃で、その先は王妃ですよね!?」

「まあ、そうなるだろうね」

「無理ですー!!!!」


今にもその場へしゃがみ込みそうになる。


王太子妃。

その先には、王妃。

言葉にした途端、それまでどこか現実味のなかった話が一気に重みを増した。


「なんでそんな当たり前のように返事できるんですか!?」

「君ならできると思ってるから」

「その信頼が重いです!」


アレンダートが思わず笑う。


「笑い事じゃありません! 面白がってますよね!?」

「少しだけな。ごめんごめん」

「正直!」


けれど、次に口を開いたとき、その声から笑いは消えていた。


「でも、君ならちゃんと学んでいけると思ってる」

「成績だけなら、それなりに自信はありますけど……」

「成績だけじゃない」


アレンダートはゆっくりと言葉を続けた。


「知らないことをそのままにしない。必要なら自分で調べるし、人にも聞ける。

自分の考えに固執しないで、間違っていたらちゃんと修正する。

生徒会でも、人の話を聞いてから判断してるだろ」


マリアンネは黙った。

そんなところまで見られていたとは思っていなかった。


「王太子妃になった途端、

何もかも一人でできなきゃいけないわけじゃない。俺もいる」


その言葉に、胸の奥が小さく揺れる。


「分からないことがあったら、一緒に覚えていけばいい」


そんなふうに言われると、ますます困る。


「……でも、私なんかが――」

「それは禁止」


「まだ言い終わってません!」

「どうせ『私なんかが殿下の隣に立つなんて』だろ」


図星を突かれ、マリアンネは口を閉ざした。


「もう聞き飽きたからいい」

「ひどい!」


軽く抗議すると、アレンダートは笑わなかった。

代わりに一歩だけ距離を縮め、真っ直ぐマリアンネを見る。


「俺が君を選んでるのに、

どうして君が俺の代わりに『ふさわしくない』って決めるの?」


何も答えられない。

紫紺の瞳から、視線を逸らすこともできなかった。


「俺はマリアンネがいい。だからずっと口説いてるし、

卒業したあとも隣にいてほしい。君と結婚したい」


先ほどよりも、ずっとはっきりした言葉だった。


「……殿下。それ、プロポーズですか?」

「そうなるな」


マリアンネはしばらく固まったあと、両手で顔を覆った。


「飛び級の話をしてたはずなのに、なんでプロポーズまでされてるんですか……!」

「俺の中では繋がってるから」


「殿下の中ではでしょう!?」

「だから最初から説明してるだろ。

一緒に卒業して、そのあとも一緒にいたいんだよ」

「話の規模が大きすぎますー!」


結局、アレンダートの中ではすべてが一本につながっているらしい。

けれど、彼はそれ以上距離を詰めず、少しだけ下がった。


「飛び級するかどうかは、君が決めていい。試験だって簡単じゃないし、

君には君の予定がある。受けたくないなら、それでいいよ」


「……いいんですか?」

「もちろん」


アレンダートは迷いなく頷いた。


「結婚だって同じだ。俺がしたいからって、

勝手に決めるつもりはない。君が望まないならしない」


どれだけ真っ直ぐ迫ってきても、最後のところでは必ずマリアンネ自身に選ばせる。

しばらく彼の顔を見つめていると、アレンダートが少しだけ表情を和らげた。


「ただ、さっきも言った通り、俺は君と一緒に卒業したい。

そのあとも、ずっと隣にいてほしい。だから、試験を受けてくれたら嬉しい」


「……そういう言い方、ずるいです」

「でも、本心だからな」


返す言葉がなくなり、マリアンネは顔を覆った。


飛び級。

卒業。

婚約。

結婚。

王太子妃。その先の王妃。

そして、アレンダートの隣。


一度に考えるには、あまりにも多すぎる。


それなのに、以前なら最初から無理だと切り捨てていたはずの話を、

今は少し考えてみようと思っている。

その変化に気づくことのほうが、マリアンネにはずっと落ち着かなかった。


「……すぐには答えられません。試験のことも、その……結婚のことも」

「分かってる」


「少し考えさせてください」

「もちろん」


あっさり頷いたアレンダートは、すぐにいつもの笑みを浮かべた。


「でも、俺がマリアンネのことを好きなのは変わらないから、

口説くのは続けるけどね」

「休止期間とかないんですか!?」

「ないな」


迷いなく返され、マリアンネは思わず眉を寄せた。

少しくらい静かに考える時間をくれてもいいのではないだろうか。


「考える時間をくださいって言ったのに!」

「考えながら口説かれてればいいだろ」

「よくないですー!」


真っ赤になって抗議するマリアンネを見て、アレンダートは楽しそうに笑った。


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