第十一話 推しとの結婚式が二週間後とか聞いてません!
卒業式と卒業祝賀会を終えた翌日、
マリアンネは王城の一室で、アレンダートと今後の予定について話していた。
昨日で学生生活は終わった。
飛び級という少し変則的な形ではあったものの、
無事に首席で卒業することもできた。
これからは王太子の婚約者として、
王宮での作法や公務について、本格的に学んでいくことになる。
不安はある。
それでも、以前のように絶対に無理だとは思わなくなった。
隣にアレンダートがいる。
分からないことは学び、失敗したら直していけばいい。
そう思えるようになっただけでも、自分としてはかなりの進歩だった。
「来週からは、午前中の王妃教育を少し増やす予定で、
午後は必要に応じて俺のところにも来てもらうから」
「分かりました」
「一気には詰め込まないから安心して」
「ありがとうございます」
渡された予定表へ目を通す。
思っていたより余裕があり、これなら何とかなりそうだ。
そう思ったところで、アレンダートが何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。二週間後に結婚式があるから、
その前後は少し忙しくなると思うけど、よろしくね」
予定表の上で視線が止まった。
「……え? 二週間後に、何が……?」
「結婚式」
なるほど。
王太子ともなれば、親族や高位貴族の婚礼へ出席することもあるだろう。
自分も婚約者として同行する必要があるのかもしれない。
「……その結婚式は、どなたのですか?」
アレンダートが不思議そうにこちらを見た。
「俺たちの結婚式に決まってるだろ?」
数秒、思考が完全に停止した。
「……私たち? 私と、アレン様の?」
「そうだけど」
「なんでですかー!?」
王城の一室に悲鳴が響いた。
「なんで二週間後に私たちの結婚式があるんですか!?」
「結婚するからだけど?」
「それは分かってます!」
「じゃあ、何が分からないの?」
「日程です!!」
マリアンネは勢いよく立ち上がった。
「私、昨日卒業したばっかりですよ!? 二週間後って、早すぎませんか!?」
「そうかな。でも、最初は一週間後にするつもりだったけど」
動きが止まった。
「……はい?」
「一週間後」
「聞こえてます! 卒業式の一週間後に結婚するつもりだったんですか!?」
「うん。早くマリアンネと結婚したかったから」
「理由が素直すぎる!!」
アレンダートは悪びれもしなかった。
「でも、さすがに君も心の準備ができないかなと思って、二週間後にした」
「それで配慮したつもりなんですかー!?」
「かなり。倍にしたし」
「期間を倍率で評価しないでください!!」
一週間を二週間。確かに数字だけなら倍だ。
だから何だ。
「普通、結婚式の日程はもっと前から本人と相談するものじゃないですか!?」
「結婚するかどうかは相談しただろ?
卒業後に結婚したいとも伝えてたし、君も了承してくれた」
「しましたけど、日程も私に確認してくださいよ!」
「だから今、確認してる」
「二週間前は確認じゃなくて報告ですー!!」
この男の中では筋が通っているらしい。それが恐ろしかった。
マリアンネは深く息を吸い、いったん予定表を机へ置いた。
「……ちょっと待ってください。
二週間後に式をするってことは、準備はどうなっているんですか?」
「ほとんど終わってる。式場の警備体制も決まってるし、招待客も確定してる。
婚礼衣装も、あとは最終調整くらいかな」
マリアンネの顔から表情が消えていく。
確かに、婚礼衣装の採寸や仮合わせはしていた。
結婚することも決まっていたのだから、準備が進んでいるとは思っていた。
まさか、そこまで具体的に決まっていたとは知らなかった。
「……いつから準備してたんですか?」
「婚約が決まってからだけど?」
「やっぱりー!!」
「結婚することになったんだから、準備するだろ?」
「準備するにしても、本人にも言ってください!」
「飛び級した直後で忙しかったし、学業や卒業準備もあったからな。
集中を乱したくなかったんだよ」
「またそれですか! 善意なのが余計に困りますー!」
婚約のときもそうだった。
家族への話も王家への確認も、試験に集中できるようにと、
マリアンネには知らせず先に進めていた。
そして今度は、結婚式である。
「……招待状も、もう出してるんですよね?」
「とっくに。国外の王族は予定調整が必要だから、早めに出してるよ」
嫌な予感がした。
「セラフィーヌ様にも?」
「もちろん」
「いつですか?」
「二か月くらい前じゃないかな」
「二か月前!?」
マリアンネは机へ両手をついた。
「なんでセラフィーヌ様のほうが、
私の結婚式の日程を先に知ってるんですかー!!」
「他国の王族だから?」
「そういう問題じゃありません!!」
◇
その日の夜、マリアンネは勢いのまま通信石を取り出した。
『セラフィーヌ様、緊急です』
『何?』
返事を見て、すぐに筆を走らせる。
『私、二週間後に結婚するらしいです』
少し間があった。
『……え? 今知ったの?』
マリアンネは通信石を凝視した。
『招待状、二か月くらい前に届いてるわよ。
ケヴィンと出席する予定も調整済みだけど』
「本当にもう予定まで決まってるー!!」
『なんで参列者のほうが花嫁より予定確定するの早いんですか!?』
『私に言われても困るわ。まさかあなたが知らなかったなんて思ってなかったし』
『しかも、最初は卒業の一週間後にするつもりだったらしいんです』
今度は少し長めの間があった。
『……二週間にしてくれたのね』
『そこ評価するんですか!?』
『殿下なりに配慮してくれたのでしょう?』
『一週間を二週間にしただけです!』
『倍ね』
『セラフィーヌ様まで倍率で評価しないでくださいー!!』
向こうで絶対に笑っている。
マリアンネが筆を握り直すと、また文字が浮かんだ。
『でも、結婚するのは嫌なの?』
出た。いつもの質問だ。
『……嫌ではないです。でも、日程は先に教えてほしかったです』
『それは殿下に言っておきなさい』
『言いました!』
『なら、あとはお祝いだけね。おめでとう、マリアンネ』
少しだけ手が止まった。
それから、ゆっくり返す。
『……ありがとうございます』
二週間後という数字には、まだまったく心が追いついていない。
けれど、結婚そのものが嫌なわけではなかった。
その日が確実に近づいている。
そう理解した途端、心臓が急に忙しくなってきた。
『ところで』
『はい?』
『ケヴィンの礼装、今回もとても似合うと思うの。
今回は私の色も取り入れてもらったのよ』
『急に推しの話をしないでください!!』
『結婚式で見られると思うと楽しみで、この世界にもカメラがあればいいのに』
『私の結婚式ですよね!?』
『もちろん。あなたの花嫁姿も楽しみにしてるわ』
『ついでみたいに言わないでくださいー!』
こうしてマリアンネは、招待客より大きく遅れて、
自分の結婚式の日取りをようやく把握したのだった。
◇
翌日、結婚式の最終確認のために王城を訪れたマリアンネは、
王妃の私室へ通された。
室内には王妃だけでなく、アレンダートとフェルディナンドもいる。
卓上には式次第や席次表、装花の見本らしきものまで並べられていた。
本当に、準備はほとんど終わっているらしい。
マリアンネが複雑な顔でそれらを眺めていると、
王妃が申し訳なさそうに眉を下げた。
「マリアンネちゃん、本当にごめんなさいね」
「え?」
「まさかアレンが、結婚式の日取りをあなたに伝えていなかったなんて知らなくて」
隣にいたフェルディナンドが勢いよく兄を振り返った。
「兄上、伝えてなかったの!?」
「結婚することは伝えてたよ」
「日取りの話だよ!」
珍しく弟から即座に突っ込まれ、アレンダートがわずかに目を逸らした。
「卒業後に結婚したいとは言ってあったし、準備が整ったら知らせればいいかなと」
「それ、知らせたんじゃなくて二週間前に報告しただけですよね!?」
思わずマリアンネも加勢すると、フェルディナンドが深く頷いた。
「それはさすがに兄上が悪いと思うな」
「フェルディナンドまで」
「だって花嫁本人より招待客のほうが先に知ってるのはおかしいだろ?」
「そうなんです!」
ようやく味方が現れた。
王妃は困ったように笑いながら、アレンダートへ視線を向ける。
「私もてっきり、マリアンネちゃんには全部話しているものだと思っていたのよ。
あなた、あまりにも当然の顔で準備を進めていたでしょう?」
「必要な準備だから」
「そういうところです!」
マリアンネの声がまた一段大きくなる。
王妃は小さく息を吐き、それからマリアンネへ向き直った。
「婚約が決まってから、アレンはずいぶん張り切っていたのよ。
式場の警備や招待客の調整も、自分で確認したいと言って」
「……そんなにですか?」
「ええ。最初は卒業の一週間後に式を挙げたいと言い出して」
「それも聞きました……」
「さすがに早すぎるでしょうと、私たちも止めたのよ」
マリアンネはゆっくりとアレンダートを見た。
「……二週間にしたの、アレン様の配慮だけじゃなかったんですね」
アレンダートがわずかに視線を逸らすと、フェルディナンドが吹き出した。
「兄上、母上たちに止められてたの?」
「だから、倍の二週間なら十分だと思ったんだけど」
「十分じゃありません!」
即答すると、王妃まで笑いを堪えるように口元へ手を添えた。
「ともかく、こちらも確認しなかったのは悪かったわ。本当にごめんなさいね」
「い、いえ。王妃様が謝ることでは……」
「いいえ。今後あなたは家族になるのだから、大事なことはきちんと共有しないと」
そう言ってから、王妃は息子へ向き直る。
「アレン」
「はい」
「これからは、大事なことはきちんとマリアンネちゃん本人に伝えなさい」
「分かりました」
返事だけは素直だった。
だが、王妃はじっと息子を見る。
「本当に分かっているの?」
「……気をつけます。次からはちゃんと伝えます」
ようやくそう言って、アレンダートがマリアンネを見る。
「マリアンネ、ごめん。今回は俺が悪かった」
あまりにも素直に謝られ、今度はマリアンネのほうが少し困った。
「……分かってくれたならいいです」
「じゃあ、二週間後で大丈夫?」
「招待状も送り終えてるのに無理って選択肢ないですよね!?」
「招待状は出してるけど、本当に嫌なら中止するよ」
「国際問題になりますー!」
フェルディナンドがまた笑い、王妃もとうとう堪えきれずに笑い出した。
その日のマリアンネは、ようやく自分以外にも、
この日程をおかしいと思っている人がいることを知ったのだった。
◇
そして、二週間は本当に二週間で終わった。
結婚式当日の朝、マリアンネは王城の花嫁支度の部屋で、
鏡の中の自分を見つめていた。
白いドレスの幾重にも重なる布地には、
光を受けるたびに淡く輝く銀糸の刺繍が施されている。
胸元は上品に整えられ、長い裾は床を滑るように広がっていた。
明るいベージュの髪も丁寧に結い上げられ、
今日も視力補正の魔術薬を使っているため、いつもの丸い眼鏡もない。
近くの鏡に映るのは、どう見ても花嫁だった。
「……本当に、結婚するんだ……」
日程を知らされたときには、気持ちが追いつかないと散々騒いだ。
昨日も、本当に明日なのかと確認した。
それでも白いドレスを着て、髪を整えられ、
花嫁の宝飾品を身につけると、否応なしに実感が湧いてくる。
今日、アレンダートと結婚する。
前世では画面越しに見ていた人と。
攻略対象ですらなく、ただひたすら遠くから推していた人と。
改めて考えると、意味が分からない。
人生、何が起こるか分からなすぎる。
そんなことを考えていると、扉が軽く叩かれた。
「お嬢様。殿下がお見えです」
背筋が伸びた。
「……もうですか?」
「はい。お通ししてよろしいですか?」
心の準備ができていない。昨日あれだけ確認したのに、まだできていなかった。
それでも、ここで断るわけにはいかない。
「……はい」
間もなく扉が開き、聞き慣れた声がした。
「マリアンネ」
扉から入ってきたアレンダートの姿を目にした瞬間、完全に固まった。
「どうした?」
返事ができない。
「マリアンネ?」
「……無理です!!」
突然の大声に、アレンダートが目を瞬いた。
「なんで?」
「その服です!!」
彼が身につけていたのは、王太子としての正式な婚礼衣装だった。
白を基調とした礼装に、襟や袖、胸元を飾る繊細な金の刺繍。
王家の紋章をかたどった飾りと飾緒。
肩からは、格式ある帯が斜めに掛けられている。
そして、整えられた深紅の髪に紫紺の瞳。
知っている。知りすぎるほど知っている。
マリアンネは、思わず彼にしか聞こえないよう声を落とした。
「設定資料集のスチルと同じ……!」
「前に話してた絵の?」
「そうです! 眼福で死ぬ……!」
「死なないで。今日、俺たちの結婚式なんだけど」
「だから余計に無理なんですー!」
前世で発売日に買った公式設定資料集。
そこにアレンダートの未来として描かれていた、結婚式の一枚絵。
隣にいたのはセラフィーヌで、彼はまさに今と同じ婚礼衣装を着ていた。
マリアンネは両手で顔を覆った。
「生で見るものじゃないです……前世の私が見たら死にます……」
「今の君も死にそうだけど大丈夫?」
「大丈夫じゃありません! これから結婚式までしないといけないんですよ!」
「この服を着た俺とね」
「追い打ちをかけないでください!」
アレンダートは笑ったあと、改めてマリアンネの花嫁姿へ目を向けた。
「マリアンネ、すごく綺麗だよ。白も似合ってる」
指の隙間から目を向けると、紫紺の瞳と視線が合った。
「本当に俺の花嫁になるんだなって実感する」
「朝から処理能力を削らないでくださいー!」
「まだ何もしてないだろ?」
「見た目と言葉でしてます!」
今日一日、本当に持つのだろうか。
◇
式の前には、スターフェルト伯爵家の家族とも顔を合わせる時間があった。
母はマリアンネの姿を見るなり目を潤ませ、父も感慨深そうに娘を見つめていた。
「本当に綺麗よ、マリアンネ」
「……ありがとうございます、お母様」
「無理はしなくていいからね。殿下もいらっしゃるのだから、一人で抱え込まずに」
「はい」
少し離れたところでは、アレンダートが父と話している。
すっかり自然に馴染んでいる様子が、不思議でもあり、嬉しくもあった。
兄のマリウスは妹をしばらく眺めたあと、しみじみと言った。
「……まさか、お前が王太子妃になるとはな」
「私が一番そう思ってます」
「だろうな。昔から王妃になりたいと言ってたわけでもないし」
「一度も言ってません」
「むしろ、殿下を遠くから見て満足してたんだろ? 絵もたくさん描いてたよな」
「なんで知ってるんですか!?」
「家族だからな」
思ったより実家にも色々と筒抜けだったらしい。
マリウスは少し笑ってから、真面目な顔になった。
「まあ、幸せそうだからいいけど。
殿下も、お前のことを本当に大事にしてくれてるみたいだし」
「……はい」
「困ったら帰ってこい、と言いたいところだけど」
彼はアレンダートへ目を向けた。
「たぶん、なかなか離したがらないだろうな」
「言い方!」
「それでも、お前が本当に帰りたいと言えば聞いてくれるんだろ?」
「はい。そういう人です」
「なら安心だな」
マリアンネは少し笑った。
「……ありがとうございます、お兄様」
「どういたしまして。王太子妃殿下」
「それやめてください!」
家族の前で、ようやく少し肩の力が抜けた。
◇
家族との時間を終えたあと、式が始まるまでには、
もう一組だけ顔を合わせる相手がいた。
隣国から参列しているセラフィーヌとケヴィンである。
セラフィーヌとは親しい間柄でもあり、遠方から来た賓客でもある。
式の前に短く顔を合わせられるよう、あらかじめ時間を設けてもらっていた。
侍女に案内されて二人が控えの間へ入ってくると、
マリアンネはぱっと顔を明るくした。
「セラフィーヌ様!」
「マリアンネ」
白銀の髪に金の瞳。今日も華やかで美しい。
その少し後ろには、落ち着いた礼装姿のケヴィン・ブルクハルトが立っていた。
一瞬、そちらにも目を奪われる。
「……生ケヴィン礼装」
セラフィーヌが傍へ来たところで小さく漏らすと、すぐに笑われた。
「第一声が、それなの?」
「だって、四台詞の人が礼装で立ってるんですよ……!」
「私の婚約者よ」
「知ってます!」
ケヴィンは何の話か分からない様子だったが、静かに一礼した。
「ご結婚、おめでとうございます。マリアンネ様」
「ありがとうございます、ケヴィン様」
前世では四台詞しか喋らなかった人が、今、自分の結婚を祝っている。
改めて、この世界は情報量がおかしい。
セラフィーヌが少し柔らかく笑った。
「マリアンネ、おめでとう。とうとう殿下に捕まったわね」
「お祝いの言葉として、どうなんですか、それ」
「間違ってないでしょう?」
「間違ってないですけど……」
否定できなかった。
セラフィーヌは花嫁姿へ目を向け、今度はからかうことなく告げた。
「でも、本当によかったわね」
「……はい。よかったです」
今回は、いつものように反論しなかった。
セラフィーヌも満足そうに頷く。
「次は、私の結婚式にも来てね」
「もちろんです!」
「ケヴィンと待ってるわ」
「絶対行きます!」
考えるまでもなかった。
推しを捕まえた同志の結婚式だ。二人の晴れ姿を見逃せるはずがない。
その勢いに笑ったセラフィーヌが、少しいたずらっぽい顔になる。
「まずは、今日ちゃんと最後まで立っていられるようにね」
「しっかり立ってますよ!」
「式の途中で処理落ちしない?」
「大丈夫です!」
「さっき、アレンダート殿下の婚礼衣装を見て騒いでなかった?」
「なんで知ってるんですか!?」
「廊下まで聞こえたわ」
結構、声が響いていたらしい。
マリアンネは気を取り直し、胸を張った。
「もう覚悟はできましたから! 誓いの言葉も練習しましたし、
式の流れも全部確認しました!」
「そう。それなら安心ね」
「はい!」
セラフィーヌは、にっこり笑った。
「じゃあ、頑張ってね。参列者席から見守ってるわ」
「はい!」
式の流れは知っている。誓いの言葉のあとに、何が待っているのかも。
それでもマリアンネは、
その瞬間に自分がどれほどの衝撃を受けるのかまでは、まだ想像できていなかった。




