表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/34

第七幕 黒豹の正体  第三場 氷と炎の遭遇

夜も更けた森の()の間に、何やら赤いものがちらりちらりと見え隠れしている。まったくもって、道に迷うふうでもないところからすると、不穏な夜に誘い出された不知火(しらぬい)ではなさそうだった。

そして、孤独さを紛らすような陽気な鼻歌が、その軌跡に沿って、途切れ途切れに浮き沈みする。何かを呪うふうでもない。物の怪(もののけ)ではないと知れる。

「もう少し、先だったかな?」

深紅のリボンで黒髪をひとつに束ねた吟遊詩人(カルヴィーノ)フィロトは、何年も通い慣れた友の(しろ)へと急いでいた。

渾名を黒猫(マルカ)という、感激屋の若き詩人は、海を渡れば波に従い、森に入れば緑に安らぐことをよしとして、心の赴くままにあちらこちらと旅をしていた。人智を超えた未知の領域を、想像の羽根を拡げて旅する。

しかし、それを物語るには、持てる言葉の限りを知らされてばかりで、己の不甲斐なさに落ち込むことも屡々あった。意識の底から溢れる旋律の、その無限大に涙する毎日である。


人の行かないところへ赴け

人の避けることを試せ

見たことのない何かを探れ

嘘のような真実(まこと)を歌え


「おれは、そうして生きてきたんだ」

誰にともなく、ふんと自慢げに鼻腔を広げて独り言ちる。

(しろ)の灯りが、遠くにぼんやり見えてきた。フィロトの胸が高鳴り始める。

広い世界をぐるりと廻って、帰り着くのは何年ぶりだろうか。フィロトは、まるで恋しいひとを想うように、胸の奥がむずむずするのを楽しみながら、友の美しい静かな笑顔を思い浮かべた。

(相変わらず、ラムダのことだ)と、悪戯っぽく呟く。

(女っ気もないなかで、あいつ自身が女のように美しいに違いない!)


アミイストーンの赤い髪が、耳のうしろでピンと立った。

「!」

(なんだか……いやな感じがする)

それは、そこはかとなく、確かではないが、何かと何かがぶつかる気配のように思えた。融けない氷と消えない炎ーー

「ねぇ、ラムダ」

「ん」

察していたのか、ラムダも(おもて)を上げた。

「あの子はどこへ行っている」

「たしか、泉へ水浴みに行くって言ってたよ」

「もうすぐ戻る頃合いなら、彼とかち合うかもしれん」

(いきなり、あいつに会ったらどれだけ怯えることか)

「彼ってーーやっぱりあいつのことかい?」

アミィストーンが鼻にしわを寄せた。

「歌が聞こえる。……そう嫌うなよ」

「嫌いなんじゃないさ! ただ、おいらのミルクに混ぜものをするんだよ!」

ラムダは、そのときの騒ぎを思い出して、くすっと笑った。砂糖を入れてあげると言って何か違うものを入れたのだろう。どろどろになったミルクを見て、赤子みたいに大泣きしたものだ。


この世の不思議を歌うフィロト。たった一目見ただけで、あれを妖精(エルフ)と知るだろう。知れば語るが生業(なりわい)ならば、ふたりを会わせるわけにはいかない。

ラムダは、迎えに出ようと、マントを軽く羽織った。それにしても気がかりなことがある。

(ラームファダの霊気(オーラ)が、やけに儚い……いや、強いのか?)

いずれにしても、これまでになく大きく揺れている。

(俺を求めてーー俺を恐れてーー)

何の根拠もなく浮かんだフレーズに、ラムダ自身も一瞬怯んだ。


まるで恋する乙女のように揺れている


と思う間に……


扉の向こうで、フィロトが歓喜の声を上げたと同時に、激しい雪嵐(ブリザード)が扉を蹴破った。

「ラームファダ!」

ラムダとアミィストーンの声が揃う。

穢れを知らない妖精(エルフ)は、出会い頭に遭遇した、見知らぬ若い男の姿に、声も出せずに驚愕していた。怯えて震える羽根から鱗粉がきらきらと舞う。これがまたフィロトを狂喜させた。

「わお! まさか、本物 ?!」

(あの、莫迦……!)

ラムダは苦虫を嚙み潰したような顔で、吟遊詩人(カルヴィーノ)を制そうと一歩踏み出したが、それよりも先にアミィストーンが飛び出していった。

「その子に触るなよ、おい!」

「おっと……」

アミィストーンは、フィロトに体当たりして、ラームファダから熱波を遠ざけた。

「なんなんだよー」「いいから離れろよー」という声が遠ざかっていく。


「な……なに……だれ……」

ラームファダは、あまりの不意打ちに、がくがくと震えていた。奇声を上げて飛び出してきた若い男、その背中で一瞬早く洋琵琶(リュート)の弦が鳴らなければ、物影から急に現れた存在に気づかなかっただろう。いや、気づいたところで遅かった。

「わお! 妖精(エルフ)の子かい?」

ラームファダは為す術なく、透ける羽根もそのままに宙に貼りつけられた。男の好奇は炎のようで、指一本触れてもいないのに、囚われの身になったみたいだった。

それは、見たものすべてを瞼に焼きつけ、得たものすべてを記憶に留めて、あらゆる謎を解き明かさんとする、純然たる吟遊詩人(カルヴィーノ)(さが)でしかない。

だが、そのきらきらと光る、野生が宿った瞳にラームファダの膝は撃ち抜かれてしまったのだった。


ラームファダは、アミィストーンがすぐさま男に飛びついて、ぐいぐいと森の奥へ押し込んでいくのを呆然と見ていた。だが、

「ラームファダ!」

「あ……」

これほどまでに油断していた、その原因たる本人が、こちらへ駆けてこようとするのを見たときーー。

「ーー来るな」

ラームファダは、反射的に踵を返した。逃げるように、いま来た道を引き返す。

(来ないで)

黒い髪、紫色の瞳。やわらかな低い声。

(貴方はーー)

それは、誰より求めていた胸だった。

黒豹(キール)ーー)

それは、何より確かめたかったことだった。そして、再会を喜んで抱きつきたいはずだった。

(⋯⋯いやだ)

体温もなく、血の上ることのない頬に、かすかに赤みが指す。あの人は最初から知っていたんだ。

(知っていたのに……)

黒豹に寄り添い眠った夜。くすぐり合って、じゃれた夜。髭を避けて口吻した夜ーー

(いや、会いたくないーー)

ラームファダは、追いかけてくる足音に湧き上がる歓喜を覚えながらも、明らかになった真実におののいて、飛ぶように駆けていく。

今はその愛しい(ひと)から、逃れることしかできなかった。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ