第七幕 黒豹の正体 第一場 箕郷の思惑
南嶺の魔術師ヴァモスは、なかなか捗らない古文書の解読に辟易していた。
妖精王女の失踪につづき、王妃が精神の病に倒れた。
国王は妖精の禍いを恐れるあまりに、過剰なまでに城内外の警護を固め、兵を休ませることなく叱責して、鬼のように探索を続けさせていた。侍女や下男もさることながら、触らぬ神に祟りなしとばかりに、数人の魔術師たちすら暇をもらって国へ戻ってしまったのだ。
「……ひとりでは、とうてい無理なんだけどなーー」
そう、ひとりごちたときだった。
バタン、とノックもせずに扉がひらかれ、入ってきた者がいた。
「箕郷さま」
ヴァモスはべつだん、驚かずに対応する。あの日以来、愛らしかった王子の面影は消えていた。横柄とか居丈高というのとも、また違う。質が変わってしまったように思えた。
「ヴァモス」
「はい」
箕郷は、つかつかとヴァモスに歩み寄る。ヴァモスも背は低い方ではないが、まだ十代になったばかりであるにも関わらず、追いつきそうな背丈である。
「本当に、姉を追いつめ、殺すつもりでいるのか」
「ーーはい」
真正面からヴァモスを見据え、箕郷は隠そうともせず、目の奥に炎を宿した。
(なんと、わかりやすい)
ヴァモスは、ふと銀色の怜悧な面を思い出した。
(あの子とは、正反対だ)
「一言も反論せずに、か」
「異論を唱える立場には、ございませんゆえ」
「おまえ……」
ヴァモスは、掴みかかられるのではないかと思った。だが、王子は震えるほどに拳を握りしめて立ち尽くしている。
(いつの間にか、男の表情を持つほどに成長していたんだな)
箕郷が実の姉、しかも人外の妖精に執心していることは、城内の誰もが知っている。王の命に背いて、何か画策しているようだとも、噂されている。それを否定しようともしない。
箕郷は、王に言われるがまま「仰せのままに」と退席してきたヴァモスを許せないらしかった。
ヴァモスは、思わずにはいられない。
ただひたすらに愛するだけなら、何と容易い人生だろう。
ヴァモスは持っていた書物を書架に戻すと、箕郷の方に向き直って言った。
「国王の御命令に背くことはできますまいが、わたし如きの魔術の力で見つけることもできますまい」
「どういうことだ」
「わたしが任務を果たせぬということは、即ち、あの方は無事ということです」
「……なるほど」
若い王子は、ふいに口元が緩むのを、威厳と思っている傲慢な素振りで隠そうとした。悲しくなるほどに、幼く、若い。
「ですから、いま明かしたわたしの本心、どうか国王には内密に」
箕郷は返事をしなかった。ごまかそうとしたわけではないが、これで納得してくれ、と内心ヴァモスは願った。
が。
「ところで、ヴァモス」
「はい?」
箕郷の声が、一段低くなる。嫌な予感がする。
「おまえ、ラムダ・ティセルダ・ヴィニータを知っているな」
「!」
ヴァモスは、取り繕うこともできず、硬直した。
「なぜ……」
(その名を知っている!)
「知っているな。おまえと同郷の、アイトーリアの大魔術師だ」
正確には、「だった」男だ。
「はい、知っております。同胞でしたので」
世に名を馳せた、伝説の大魔術師ではあるが、箕郷の口からまさかその名が出るとは思わなかった。
「いつの日だったか、吟遊詩人が歌っていたのを聴いたんだ。かのアイトーリアの戦役ののち、首に金をかけられたとか」
(アイトーリア戦役……)
(アイトーリア)
(そうだ、ラムダの故郷だった……)
過去の記憶に囚われて、視線を泳がせるヴァモスに、箕郷は畳みかけるように言う。
「血眼になって探す追っ手を撒いて、いずこと知れず失踪したと聞いた。彼なら姉を傷つけずに、護ることすらできるのか?」
「……は?」
(この人は、何を言ってるんだろう)
(何を言っているのか、わかっているのか)
「なにを、考えてーー」
箕郷は押し黙った。若い唇を噛みしめて、己の無力を思い知るのは、嫉妬か。あるいは騎士の精神なのだろうか。
(ラムダを、どうしようとーー)
莫迦ばかしい。
ラムダをよく知るヴァモスにしてみれば、あまりにも無縁な発想だった。彼に対しては、畏敬の念を抱きこそすれ、如何なる敵意も持ち得ない。
父は南嶺、母は花咲くアイトーリアの、繁栄みせる都の血筋だった。だが、賢い紫紺の瞳のゆえに邪眼と忌まれ、両親にすら人の子として扱われないまま、幼いころに弟子入りさせられたと聞いた。
「ぼくは……」
ぎょっとして、ヴァモスは顔を振り向ける。
「ぼくは、姉さんを、取り戻したいんだ」
箕郷はそう言って、自らの両手を眺める。
「取り戻すんだ、ぼくの元へ。父王よりもおまえよりも先に、ぼくが姉さんを見つけ出す。ぼくのところへ、ぼくの元へ」
(それで、何をどうしようというのか……)
箕郷の思惑が推し量れない。余計なことは話せない。
「ねえ、ラムダとかいう魔術師は、どれほどの力を持っているんだ?」
急に口調が変わった。なんてことのない世間話でもするような口振りだ。
「彼はーー彼は、ある高位魔術師の後継者と言われておりました。一時期はわたしも一緒に学んでいたことがございます」
(あぁ、そうだったな)
ヴァモスはふと、あの頃の日々を思い出した。
(そんな時期もあったんだ)
「ラムダは……彼だけは確かに異質でした。年端も行かないうちに、すぐに四大を操れるようになって、成人する頃には神をも凌ぐと言われるほどの魔力を身につけていたのです。正しき心と人徳とで、大魔術師と称賛されていたのですが、あのアイトーリア戦役ののち、煙のように消息を絶ちました。今は陰から世界を見守っていると言われて……いま……」
(しまった!)
ヴァモスは慌てて口をつぐんだ。箕郷が、物凄い形相で宙を睨んでいた。
(昔のことを思い出して、つい)
(調子にのりすぎたーー!)
何を、どこまで喋ったのか。ラムダのことを知れば知るほど、未だか細い箕郷の肩から力が抜けていくのは、目に見えて明らかだった。
そして、「そうか。頼りになりそうだな」と薄く笑う。
(うまくいきそうだ)
「え、なんて……?」
「いや」
(さて、どうしたものかーー)
このとき、新たに生まれた企みを微塵も面にあらわさずにその場を去った箕郷の演技を、ヴァモスは見抜けなかった。
彼は、箕郷に対して何を教え、有益無益に関わらず、どんな情報を与えてしまったのかと、焦燥感に駆られていた。




