第三幕 古戦場の悪夢 第二場 幻夢の日々に悩む
柊筮は今夜もまた、心臓に手を掛けられたような感覚に襲われて、跳ね起きた。自分の居室だ。誰もいない。
あの日からずっと、誰かが(何かが)、自分のなかに眠っている塊を揺り動かしているようで眠れなかった。
誰かに教えてほしかった。この、つきまとって離れない映像はいったい何なのか。だが、誰にも訊けなかった。知ってはいけないことを、盗み見てしまったように思えて仕方なかったからだ。
見知らぬ国と、見慣れぬ風景。
赤い煉瓦の塔が、無惨にも、恐怖に包まれ墜ちていく。
この、褪せることを許されていないような映像は一体ーー
叫ぶべきか
笑うべきか
閉じ込められた扉のこちらで
憎しみだけが膨れあがる
北の地に降るという純白の雪
南の海に照るという黄金の陽
夜毎まどろみの入口で聞かされた
見果てぬ夢だけ甦る
粟立つような恨みの言葉と、抑えられない無念さが、柊筮の眠りを妨げて、憩える時を奪っていく。
半ば無理やりに、現在の時間と記憶に混ざり込んでくる強引さは、得も言われぬ悍ましさを感じた。
お前は誰だ、あれはなんだ、昔あの地でなにがあった。
わたしに何を伝えたい? わたしに何をさせるが望みだ?
お前は何だ、そこはどこだ、あの地はいつの戦の跡だ。
生ける器が目的ならば、とうに憑かれているはずなのに。
問うてみても、応えはない。
ただそこで、いつもそうして、どうしようもない歴史を恨んで嘆きつづけるだけである。
(誰か、助けて……)
身体の内部に漲ってくる、灼けつくほどの聖なる拒絶が、王子の醜い戯言に唆されて怒りに震える。
柊筮はその、己の意志の届かない領域で互いに爪立て裂き合っている争いに、知らずじわじわと冒されていくのを朧げに感じていた。
「リシア」
とある夏の日の夜のこと。
窓外を見やりながら、柊筮が声をかけた。
侍女のリシアは、主の寝支度を整えていた。
「はい、なんでしょう」
「なぜーー」
「はい?」
「なぜ、わたしの髪だけ銀色なんだ」
唐突に問いかけられて、リシアは言葉を失った。
美しい妖精の子は、開け放った窓辺に遊ぶみずいろの風に髪を香らせ、思い詰めた顔を儀式のように振り向けて、もう一度言った。
「なぜ、わたしの髪だけ銀色なんだ」
「柊筮さま……」
リシアを困らせるつもりも、リシアを糾弾するつもりもなかった。ただ、もうひとりで抱えるには、この蟠りが大きく重くなり過ぎていたのだ。
折りしも今夜は三日月の夜だった。
ここのところ、ずっと主が悪夢にうなされていたことを知っている。眠れない日々が続いた痕なのか、病的な灰色の翳が見て取れる。
そのせいか、普段と変わらない純白の寝間着なはずのに、殉死を覚悟した聖者のように見えて、余計にリシアの舌は凍りついた。
何故わたしの髪だけ銀色なんだ
何故わたしの眼だけ碧色なんだ
性別もなく氷のように肌は透け
不思議な魔力があるのは何故だ
歌うように柊筮は言葉を続ける。
もはや、誰に向けても言ってはいないことに、リシアも気がついている。
美しいことが残酷なのか、残酷なまでに美しいのか、リシアにはわからなかった。ただ、成長していくにつれて、近寄りがたく神々しくなるのだけは否めない。
掠れて低いその声は、およそ無垢な子どものものとは思えず、煙となって今にも消えそうな、世を儚んだ冷たい微笑も、異なる世界の生命の灯りを表すとしか思えなかった。
(月の化身よ、夜の子よ、それでも世界は貴方の虜)
国王の掌の大きく包む温もりは、柊筮を愛撫するためにあると信じている。
王妃の唇の慈愛に満ちた優しさは、柊筮に接吻するためにあると信じている。
(そして、箕郷さまの騎士の心は、貴方を恋して震えておられる……)
その身に流れる妖精の血ゆえに予期せぬ事態が起こったとしても、それでも世界はこの子の虜であるに違いない。
(限りあるこの生命、差し出さずにはいられまい)
己の覚悟を確かめようとしたはずなのに、組み合わせた両手が不自然なほどに力んでしまったことには、リシアは目をつぶって放念した。




