第三幕 古戦場の悪夢 第一場 アイトーリアの王子の死
夜行性の柊筮には珍しく、明けきった朝の光のなかを歩いていく。供も連れずにひとりで、だ。
だが、それはいつものことだった。リシアにも誰にも自分の行動は告げないし、その必要はないと思っている。
柊筮は、なるべく人目のない行程を選んで歩く。それでも、早起きして駆け回る子どもたちやこれから仕事に出向く者たち、店を開ける準備を始めた者たちの目には留まり、誰からも「柊筮さま!」「おはようございます!」と声を掛けられる。
それへ、軽く手を上げて応えながら、ようやく辿り着いたのはーー。
あの、遺跡群の立ち並ぶ小高い丘の上だった。
(結局、ヴァモスには聞けずじまいだな)
いや、と柊筮は思い直す。思いつめた顔でヴァモスが何度か話しかけて来ようとしていたのには気づいていた。それを避けたのは自分の方かもしれない。
柊筮は、原型を留めていない列石群のなか、とある石にもたれるようにして腰を下ろした。高低のまばらな遺跡の石の間を縫うように春の風が渡っていく。世界から取り残されたように静かだった。
ふと、ひとつ年下の弟のことが脳裏をよぎる。
(あいつの髪は金色で、瞳は大地の色をしていたな)
背もわたしより高かったっけ。野原を駆けて遊んでは汗だくになって母さまに着替えをもらっていた。最近は声の質も変わってきたのではなかったか。
(なのに、わたしは)
わたしの髪は銀色だ。この国では珍しい。わたしの瞳の色もそうだ。碧玉のように寒々しい。からだの温度は人より低いし、生理も夢精もおとずれない。
(ーーわたしは、どちらでも、ない)
と、柊筮は顔の前に手の甲をかざしてみる。微粒子のような白銀の粉が鏤められているような肌を、しげしげとみる。
(それに、そうだ。わたしは宙を歩けるし、空も飛べる)
(精霊たちの気配も言葉も、感じとれるのはわたしだけだ)
そんなことは誰もできない。
(わたしは、違う世界の生き物みたいだ)
その思いに呼応するように、長い銀髪が地で蠢いた。
風の精たちが騒めいていた。いつの間にか、少しウトウトしていたらしい。影が少し動いている。
柊筮は体制を直しかけて、ふと隣り合った石の麓に何かを見つけた。
(あれ、はーー)
さしもの、かれでさえも動揺した。あの日の記憶は微かにしか残っていない。それを強引に呼び覚ますかのように、ほぼ消えかけた魔法陣のなかに、柊筮によく似た蝋人形が転がっていた。
「ん?」
その傍らの、横に倒れた石の陰。ぎらりと鈍く風を切り裂くものがある。柊筮はその穏やかならぬ光を追った。ルーン文字が刻み込まれた、凝った細工の錆色の剣だった。
(……なんだろう)
手を伸ばして触れてみる。歪んだ思念が送られてくるようで、反射的に眉根を寄せた。
本能が危険だと警告するよりも一瞬早く、好奇心の方が勝ってしまったのかもしれない。
訝りながらも、その剣を鞘から引き抜いた、そのときーー
(まずい!)
封印を解いた愚行を悔いたが、遅かった。
狂気に満ちた記憶が放たれ、悪夢に魂を奪われた。
壁が崩れる
天井が落ちる
見る間にどろどろに溶けていく
油絵のなかの僕
紅蓮の炎が轟き狂い
身をよじるように逆巻くなかで
鎧で固めて剣を振る
非力な勇者の僕
そこで怯えているのは誰
そこで震えているのは誰
戦にかまける人の群れ
その愚かさに打ちのめされて
僕の代わりに泣くのは誰
塔が倒れる
地盤が揺らぐ
見る間に灰へと化していく
誇り高き我が都
縦横無尽に炎が走り
煙の上がる断末魔のなか
為すすべもなく消え失せる
アイトーリアの命の灯
僕のことが見えるのは何故
炎の歌が聞こえるのは何故
雪のように穢れを知らない
魂と器がむしばまれ
我がことのように泣くのは誰
ーー。
「あぁ……あああ……!」
柊筮は激しい嗚咽で目が覚めた。同時に、激しい嘔吐に襲われて身を折った。
得体の知れない邪霊の叫びが、耳の奥に残っている。呼吸がうまくできない。飛び出すように脈が強く速く打っている。
「頭がーー」
割れるように痛い。
柊筮はひとり、しばらくの間、身悶えていたが、次第に落ち着きを取り戻した。
息が荒い。胃が縮んでいるようで痛い。
ゆっくりと辺りを見渡してみる。
時の経過を示すほどに、影がのびているわけではなかった。列石の間に倒れたままで、どこか遠くに運び去られてしまったわけでもなさそうだ。
涙を拭って、起き上がる。
何事もない、昼下がりの丘の上だ。
だが、身体の奥底に、微かな違和感が息づきはじめたことには、まだこのときは漠然としか感じていなかった。




