梅竹義人の消失
12月26日、水曜日。午後5時5分。義人の姿はJRの駅前にあった。駅の駐輪場に自転車を置き、すでに10分。そわそわと落ち着きのない様子が見られる。寒さだけではなかった。待ち人来ずという状況が彼の心を焦らせる。
何かあったのかな…………?
携帯の画面で本日2度目。時間の確認。しかし、着信もメールも特にない。義人の耳に入るのは帰宅時間で電車や新幹線から降りてきた人々の雑踏とカラスの鳴き声。そして、車の音や自転車のブレーキ音だけだった。
なんか気分が悪くなってきたな……。
元々待つことも人混みも嫌いな彼にとって、ここは苦痛でしかない。早く来てくれと願うばかりである。
「お待たせ!! ごめんねー。遅くなって。待ったよね」
藤川さん!!
駅の出入口、右側へと顔を動かす。佳歩が少し息を切らして現れる。
タイトスカートのスーツにコートを羽織り、いかにも仕事終わりの会社員といった出で立ちだ。
「いえ。自分もいま来たところなんで……」
申し訳なさそうに頭を下げる彼女に義人は慌ててフォローに入る。
「ほんとごめんねー。仕事が思うように片付かなくて……」
「いえいえ。いつもお疲れ様です」
そう言って頭を下げ合い、「それじゃ、行こっか」という彼女の言葉を合図に歩き出す。向かった先は彼女が出てきた駅構内。併設された商業施設である。
「その服、新しく買ったの?」
上はミドル丈の黒いピーコート。厚手のヘンリーネックカットソー。色はチャコールグレー。下はストレートシルエットのデニムにワークブーッ。研究協力のバイトで稼いだ給料で急いで揃えたのであった。
「え? ああ、はい……」
胸の鼓動が途端に早くなる。なんと答えるべきか一瞬、迷う。
「なんか、大人っぽいね」
「似合ってますかね?」
「うん。似合ってるよ」
「ありがとうございます……」
上手い返しが思い付かない。自分の着ている服のセンスに自信が持てない。そもそも似合っているのか解らない。
義人は頬を夕日に染めながら彼女の半歩後ろを付いて歩く。
今日の買い物を提案してきたのは佳歩である。脳へダメージを負ったことで記憶の1部が欠如し、下の弟と妹のことが思い出せなくなっていた。なんだか距離を感じるのは能力者になる前からなのか後なのか。今となってはもう思い出せない。正直、見知らぬ他人が家にいることが落ち着かず、顔も合わせたくなくなっていた。
そんな義人を見かね、気分転換をしようと佳歩は誘ったのである。急だとは思ったが、もうすでに情が湧いていた。傷付いた16歳の少年を放ってはおけなかったのである。妹がいる彼女にとっても他人事ではない。
2人は店を見て回りながら、ポツリ。ポツリと会話をする。義人に楽しむ余裕などない。ただ、嫌われたくない。気に入られたいという思いが先行する。そんな彼の緊張は当然、佳歩も感じ取っていた。普段から感じてはいたことだが、彼は人と接することに慣れていない。特に女性に対し、強い苦手意識がある。そう考えると、彼女の胸に鋭い痛みが走った。良心の呵責だ。藤川佳歩としてはこれで正解なのだが、本当の自分が何をやっているんだと非難する。
嫌な仕事だな…………。
これが金に目がくらんだ愚か者への罰か。今更ながら彼女は己が踏み込んではいけない世界に足を踏み入れたことを自覚する。もうこの世界からは逃れられない。
この先、私どうなるんだろう…………。
そんな不安を抱えながら彼女は楽し気に店を見て回る。
18時18分。2人は夕食を摂るべく8階のレストラン街を目指す。ようやく義人も緊張感が解け、楽しめているところであった。その時だ。心がざわめき始める。
なんだ?
特に何も見当たらない。エスカレーターはゆっくりと上のフロアに向かって進んでいく。
何かいる……。
良くないものだと直感的に感じ取る。全身を襲うムズムズとした感覚。向けられる殺意。首の後ろ辺りがチリチリと熱を帯び始めた。
その時だ。エスカレーターの先。7階フロアに黒い毛並みの犬が一頭、現れる。その犬は2本足で立ち、ボウガンを構えていた。
クソッ!!
このままでは目の前の彼女に当たってしまう。下手に避ければ後ろの客にも被害が出る。義人は佳歩の右側から右腕を突き出し、コートを破き、鋼鉄の触腕を繰り出した。
放たれた矢は空気の層を貫き、真っ直ぐ佳歩の右目を抉り取ろうとしてくる。義人が出した触腕の数は4本。1本が矢を受け止め、残りの3本が黒い犬の動きを止めるべく迫る。これに犬も同じく金属の触腕で応戦。その数、2。
行けッ!!
数の上ではこちらが有利。すると黒い犬はボウガンを即座に捨て、ナイフで一時的に触腕をいなすと、そのまま義人らに向かって飛び掛かってきた。
しまっ!!
義人は動く手すりを蹴り上げ、犬の側面を蹴り飛ばす。犬は強化ガラスを砕き、白い壁に激突した。
よしッ!!
着地した義人は触腕を展開したまま、すぐさま犬と対峙する。
逃げない!! 狙いは俺!?
立ち上がった犬も再生能力持ちか、ダメージは期待できない様子だ。
ここじゃ狭すぎる!! 人も多い!!
どうする!? と思考を巡らす一瞬の隙を突いて先に動いたのは犬であった。背中側から生やした触腕2本を義人に向かって突進させる。これを同じく2本で応戦。平穏を切り裂く金属音がフロア一体を支配する。
1本邪魔だ!!
生やした場所が悪く、視界が触腕で遮られていた。触腕の数が多くなればなるほど精密な動作も難しくなるのだ。
義人は1本切り捨て、自身の右足に巻き付ける。
この1本でアイツの身体を貫く!!
先端部分を男の腹目掛けていつでも放てるように発射体勢を整えた。
「こっちです!! 早く!!」
藤川さん!!
彼女は店員や客らをエレベーターや非常階段の方へと誘導している。それは正しい行動だが、同時に義人の枷でもあった。犬は迷わず右手のナイフを彼女に投げる。それを3本目で受け止め投げ返される前に犬は跳躍。義人の無防備な腹に両足を叩き込んだ。
「カッ……!!」
受け止めきれない義人は背後の商品らをなぎ倒し、5メートルは吹き飛ばされる。
「ううぅ…………」
肋骨が砕け、内臓に牙を向く。突き立てられたその歯は容易には引き抜けない。
クソ…………。
犬はゆっくりとした足取りで獣道を進み、義人との距離を縮めていく。
なんとか……触腕だけでも…………。
3本の触腕は急ぎ、その地に伏せていた頭を持ち上げ、威嚇する。犬は足を止め、同じく触腕を前に出す。
このままじゃ、マズイ…………。
なんとかして時を稼ぎたい義人はもう1本も切り離し、左足へと巻き付ける。これで2対2。触腕の操作に集中できる。しかし————。
どうやってこの戦いを終わらせる……?
どう見ても義人の方がダメージは大きい。犬は少年の首を獲るまで止まらないだろう。
使うか? 奥の手を…………。
撃つなと言われた伝家の宝刀。周囲への被害を考えると、その決断に踏み切れない。別の案で行こうと考え直し、少しでも時間を稼ぐべく後ろへと下がる。だが…………。
アイツらには知られてはいないはず…………。
仮に5人目。木島の手先だとしても実戦ではただの1度も使ったことのない宝刀だ。抜かぬが花だが、そんなことも言ってはいられない状況だ。
威力を抑えれば大丈夫か…………。
ちょうど周りにも人々がいなくなった。佳歩の姿も見えない。聞こえてくるのは店内BGMのみ。周囲への影響は限りなく少ないはずだ。
ゼロ距離でぶっ放せば…………!!
あるいは別の方法で…………。胸に灯った小さな灯火。相手の懐に飛び込む勇気を見せる義人であった。




