ダイ・ハード
午後6時半――。駅周辺は先程までの年末の空気感が漂う穏やかな日常が嘘のように赤色灯の刺すような光と戸惑い、叫声に支配されている。
「下がってください!! 下がってください!! これより先は立ち入り禁止です!!」
警察官たちの怒号が響き、黄色い規制線が冷たい夜風に吹かれていた。封鎖された駅の外。佳歩は震える手で自分の腕を抱き、ビルの上層階を見上げている。
「梅竹さん…………」
喉の奥で、小さく彼の名前を呼ぶ。
つい先程までの日常が嘘のように壊れ、今も懸命に鋼鉄の火花が走る中、命を削る少年の横顔が脳裏を過ぎった。平和とはなんと脆いのか。彼女は痛感する。
周囲には続々と警察官らが集まり始め、後は愛知県警のSATや自衛隊員らの到着を待つばかりだ。
助かって欲しい。
2度も命を救われた少年の無事を彼女は心の底から祈る。
しかし、それと同時に彼女は思い出す。あのエスカレーターで見た異形の腕を。ピーコートを引き裂いて現れた血の通わない鋼鉄の触腕を。
怖い…………。
それは自分たち人間という種が、決して抗うことのできない圧倒的な力への本能的な恐怖だった。
祈りと、恐怖。その矛盾に引き裂かれながらも佳歩はただ、破裂寸前の静寂に包まれたビルを見つめ続けることしかできない。
いくぞッ!!
覚悟を決め、両足に巻き付けた触腕の力で後方の壁に向かって大きく跳躍。そのまま激突する勢いだ。当然、犬は追う。だが、これは逃げるための跳躍ではない。攻めるための跳躍であった。壁に激突する直前、義人は体を回転させ、壁に着地。その瞬間、縮められたバネのように両足と触腕に力を籠め、一気に放出。右腕も伸ばしていた触腕で固めたその姿は砲弾と呼ぶに相応しい。予想外の攻撃。当然、犬は対応できない。180センチの鉛玉をその身に受けてしまう。しかし—―。
何ッ!!
触腕が反応していた。右の拳は触腕によって威力を半減されてしまう。犬は触腕で義人を弾きつつ、自らも後方に飛ぶことでダメージを最小限に留めた。距離を離すことには成功したが、以前、義人にとって圧倒的なまでに不利な状況である。
マジかよ……。
やはり目論見通りにはいかない。上手く体を貫くことができれば再生にも時間が掛かり、動きを止めることができるという算段だった。
やっぱり、撃つしかねぇか……。でも、そう何発も撃てねぇだろうしなぁ……。
彼は己の限界を知らない。それは失敗が許されないこの状況で最も恐るべき事態である。
アレ撃つと、めちゃくちゃ疲れるんだよな……。
再生にも体力を使う。今の状況ではなんとか1発撃つのがやっとだろうと予測を立てた。
残り1発—―。その事実は少年に重い決断を迫る。1発しか撃てないということは、なんとしてでも1撃で仕留めなければならないということであり、それは命を奪うということでもある。
殺せってか? 俺に。人を。
自分が死ねば止まるだろうか。だが、真っ先に佳歩を狙った事実がそれは甘い考えだと耳元で囁く。
俺はさっきの攻撃もどこか力を抜いていた。殺さないように。自分でも気付かないうちに。もうそんな甘っちょろい考えは捨てろってことか? やると決めたらやる。そこに迷いや甘さを見せれば周りにも被害が出る……。そしたら藤川さんも……。そういうことか。兄貴—―—―!!
少年はある漫画の登場人物である暗殺チームと呼ばれるグループの中の1人を思い浮かべた。
やるしかない……。俺が皆を守るんだ!!
少年の瞳から迷いが消える。
しかし、どうやる—―?
先程の攻撃は犬にとっても大きな誤算。予想外の出来事だったのだろう。しゃがみ、体の再生に時間を割いていた。
この膠着状態を利用する!!
義人は鉛のように重くなった体をなんとか持ち上げ、片足を付き、右腕の銃口を犬に向ける。左手も添え、絶対に外さないという気概を感じさせた。銃に全身のエネルギーが溜まり始め、火花が辺りに散り始める。
「—―—―」
その時、犬が動く。
逃がすかよ!!
右へと動く犬を止めるべく、背中側から触腕を2本出し、拘束を試みる。だが、やはり触腕で防がれてしまう。
死角を狙え!! 集中力を削るんだ!!
そう自分に言い聞かせ、触腕は足元や背後など、相手に過度な集中力を要する攻撃を繰り出していく。しかし、相手も本気だ。思った通りには動かず、そう簡単には捕まらない。
クソッ……!!
焦っても仕方のないことだと頭では理解していても心が敵の回復を恐れて慌て出す。数は同じ。向けられた銃口。遠距離攻撃を仕掛けようとしているのは丸わかりだ。
でも、もうこれしか…………!!
どうすれば敵の動きを止められるのか。義人は必死になって知恵を絞る。————その時、何かを閃いた。
電磁波だ!! あれなら止まるんじゃないか!? もしかしたら上手くいくかもしれない!! 周りにも人はいない!! 考えてる暇はないんだ!! もうそれしか方法はない!! いくぞ!! 狙い撃つぜ!!
彼は心の引き金を引き、稲妻が走る。青白い閃光が犬目掛けて放たれた。




