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ホッグ・ノーズ -Bygone days-  作者: ひろひさ
パルプ・フィクション

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30/33

君の名は。

 2013年2月。天文学者たちは地球に近づく2つの小惑星を見守っていた。のちにこの連星を『双子の凶星』と呼ぶことになる。


 宇宙空間を数キロメートルの距離を保ち並走していた2つの質量は地球の重力圏に捕らえられると、自転する地球の表と裏へと引き裂かれていく。


 2013年2月15日、金曜日。現地時間、午前9時20分。先陣を切った1つ目がロシア、チェリャビンスクの極寒の空で大爆発を起こし、ウラル大地を大きく揺らす。太陽よりも眩しい光が白銀の空を引き裂いた。


 そして、それから僅か数時間後。地球の自転がアメリカ東海岸を宇宙の射線へと引きずり出したその深夜。もう一つの質量がメイン州の鬱蒼たる冬の黒い原生林に突き刺さる。轟音と共に木々をなぎ倒し、地表を大きく抉り取った。


 両大国は耳にする。新たな超人誕生の産声を。




 リーマン・ショックの傷が癒え始めた世界は再び新人類の誕生を危惧した。今度は一体どんな連中が乗り込んでいたのかと。


「…………」


 ロシアが不気味な沈黙を貫く一方、アメリカ初の黒人大統領。第44代ベネット・ハワード・オウマ大統領は国際社会に対し寄生生物の存在を事実として公表した。


「この寄生生物は人類の科学を飛躍させる宇宙からの贈り物。人類共通の財産である」と。


 それは何も彼が正直者であるからではない。クリーンなイメージを重視する政治スタイルと、国際社会との協調を国内外にアピールするための高度な政治的パフォーマンスであった。そして何より、超人研究においてロシアよりも一歩どころか二歩、三歩とリードしているという余裕があるからでもある。


 日本主導の超人共同研究。バークレー時代の負の遺産。この2つを持つからこそ、彼はロシアが自国の成果を大々的に発表して世界のリーダーシップを握る前に先手を打ったのだ。そして何より就任時から義人と優人の研究成果を国際社会に発表し続けているからでもある。


「これは決して軍事兵器のための研究ではありません!! 医療やクリーンエネルギー。あるいは宇宙開発のための研究であります!!」


 そう殊更強調し、さらに彼は国際的な管理組織の提唱を行う。日米主導の新たな国際機関、国連宇宙生物管理委員会の設立である。これによりルール作りを日米で掌握。ロシアの研究を「違法であり、危険なスタンドアロン」として国際社会に非難させる包囲網を作り上げた。


「…………」


 これに対し、ロシアはこう反論する。


「我が国はあの隕石のせいで大勢の市民が怪我をし、苦しんでいる。にもかかわらずアメリカはこれを『贈り物』などと呼んで不謹慎な研究に狂奔している。なんと傲慢で冷酷な国だ」


 その非難は織り込み済みだ。オウマ大統領は冷静に言葉を紡ぐ。


 「我が国は、チェリャビンスクの悲劇に深く心を痛めております。だからこそ、我が国は提案しているのです」


 どこまでも悲痛で、それでいて毅然とした表情を作ってみせた。


「ロシア政府の言う通り、宇宙からの未知の質量は一歩間違えれば人類に甚大な被害をもたらす恐怖そのものです。チェリャビンスクの市民が流した血は、まさに『人類が団結してこの脅威を管理せよ』という、宇宙からの警鐘に他なりません。


 しかし、だからこそ私は問いたい。


 ロシア政府は、その傷ついた市民の救済を盾にして、なぜ国連宇宙生物管理委員会への参加を拒むのですか?  なぜ、そちらに落ちた寄生生物のデータを世界に隠そうとするのですか?


 我々アメリカは、メイン州の原生林を封鎖し、得られたデータをすべて開示して国際社会と共有する準備があります。被害を出さないための医療。第2のチェリャビンスクの悲劇を起こさないための宇宙防衛。そのために科学の力を結集しようと呼びかけております。


 苦しむ市民を本当に救いたいのであれば、ロシアが取るべき道は沈黙と批判ではなく、この人道的な国際管理の輪に加わることのはずではありませんか。


 拒絶を続けるロシア政府の態度は、市民の悲劇を軍事研究を隠蔽するための言い訳に利用していると邪推されても弁明の余地はないのではありませんか?」


 ――――そう言ってくれて、こちらも助かるよ。


 返り咲いた元KGBの大統領はモスクワの奥深く、クレムリンの執務室でその生中継を眺め、鼻で笑った。






 時は戻り、2012年9月3日、月曜日。20歳の義人は着慣れないスーツを着て赤坂の喧騒から隔絶された、老舗料亭の静謐な離れの前で正座をしていた。庭園の池を跳ねるししおどしの音が、静まり返った料亭内に鳴り響く。


 その左右にSP2人が障子の引き戸の前に立っている。義人は静かに長く息を吐いた。緊張からではない。たかが一言挨拶をするためだけに静岡から呼び出され、会いたくない人物と会わなくてはいけないからである。


「梅竹くん!! 入って来なさい!!」


 聞くに堪えない声が聞こえてきた。酒が回り、上機嫌だという絵に描いたような顔が浮かんで来ては消えて行く。


「失礼致します」


 佳歩から言われた通り、これも仕事だと自分に言い聞かせ、頭と体に叩き込んだ作法を思い出す。


 まずは襖を開ける……。この時、手が交差しないよう気を付ける。そして、立つと……。


 義人は流れるような手付きで襖が引かれ、座敷の明かりが廊下の暗闇を照らし出した。静かに立ち上がり、敷居を跨ぎ、畳の縁を踏まぬよう細心の注意を払いながら部屋の中へと足を踏み入れる。そして中にいる2人の権力者に背中を向けぬよう斜めに振り返ると、再び膝をついて、音も立てずに襖を閉めた。


 どうだ……。


 一分の隙もない、完璧に訓練された正しい動作。下座に座る福山の少し後ろに再び正座し、頭を下げた。


「ほぉ……。君が梅竹くんか……」


 上座に座る神室が、その淀みのない少年の美しい一礼を見つめ、声を掛ける。


「初めまして。梅竹、義人と申します。これからは神室総理の指示に従い、全身全霊を掛けて職務を全う致します」


 この時、神室はまだ正式に総裁選への出馬表明すら行っていない。それを行うのは9月12日、水曜日のことである。にもかかわらず、もうこの国のトップの座にこの男は座っていた。


 おかしくはないか……。


 なぜこんな奴らのために力を使わなくてはならないのか。義人は腹の中で沸々と怒りを煮た出せていた。しかし、当の本人たちはそんなことにまるで気付かない。完全に舐め腐っている。


「神室さん。彼のお陰で私はここまでの長期政権を実現させることができました。きっと神室さんのお役にも立てると思います。何卒、よろしくお願い致します」


 福山は気心知れた中だと言わんばかりに胡坐を掻き、軽い会釈で済ませた。


「確かに。彼の愛国心のお陰で今日こんにちの我が国はあるのだろう。ありがとう。梅竹くん」


「いえ、身に余るお言葉。ありがとうございます……」


 何が愛国心だ……。


 義人に愛国心などこれっぽっちもない。あるのは力を持った者としての責任感だけだ。そして目の前で困っている人がいれば助ける。そんな当たり前のことをやって来ただけで、それを政治利用や愛国心などという言葉で片付けられるのは我慢できない。人生でこれほどまでにはらわたが煮えくり返るという言葉の意味を理解することもないだろう。


 なんでこんな奴らが偉いんだ……。


 間違っているとは思いながらもそれを決して表には出さず、ただ静かに道化に徹する。それが佳歩との約束でもあった。


 早く帰りたい。そう思っていると、福山からこう告げられる。


「ご苦労だったね。それじゃあ、これからもこの国の未来をよろしく!!」


 そう言って左肩を叩かれた。一瞬、その頭を吹き飛ばしそうになったが、なんとか堪える。


「はい……。失礼致します……」


 そう言って来た道を戻り、部屋を後にした。


 クソッたれ……。何が超人だ……。


 自分はどこまで行ってもただの人。吹けば飛ぶような庶民であると理解する残暑厳しい夜であった。


 早く脱ぎたい……。


 部屋を出てすぐ、ネクタイを緩め、白いワイシャツの第一ボタンを開ける。纏わり付いてくる湿気が本当に鬱陶しいと義人はさらに苛立つ。神室の脂ぎった声や福山の触れてきた左肩の感触が、まとわりつく湿気と同等かそれ以上の不快感で、今すぐ体を洗い流したかった。気付けば上着も脱ぎ、ワイシャツの袖を捲っている。


 早く静岡に帰りたい……。


 東京なんて2度と来るか。そう心に誓う義人であった。




「戻りましたー」


 控室として用意された部屋で待つ佳歩に声を掛ける。


「お帰りなさーい……って、やっぱり何かあったんですね……」


 着崩したスーツと表情から全てを察した。


「はい……。はらわたが煮えくり返りました……」


「それは……ご苦労様でした」


 何を言われたかまでは不明だが、なんとなく予想はできる。


「何か食べますか? なんでも頼んでいいとは言われてますよ?」


 絶対に頼まない。すぐに帰ろうと言う。


 佳歩はそう予想した。


「あの人の奢りですか?」


「そうです。あの人です」


 すぐに苦虫を潰したような顔になる。佳歩はやっぱりと心の中で頷いた。


「藤川さんは何か食べたければ頼んでください。自分は食欲がないんで……」


「それじゃあ、帰りましょうか」


「いいんですか?」


 義人はどこか不思議そうな顔をする。


「私も別にあの人の奢りで何か食べたくはないんで。帰りましょう」


 そう義人に提案をした。


「そうですね。帰りましょう。もう疲れました……」


 もう2度と会いたくない……。そう顔に書いてある。


「本当に嫌いですね。あの人のこと」


 まあ、私も嫌いだけど。そうこっそりと付け足す。


「好きになる要素なんてないじゃないですか。あんなおっさん……」


「そうですね。政界のプリンスとか言われてますけど、なんか胡散臭い顔してますもんね」


「そうですよ。なんであんなのに投票するのか。まったく理解できませんね」


 どこを見ているんだと息巻く義人である。


「まあ、固定票があるんでしょうね。きっと」


 でなきゃ当選できない。しかし、福山の経歴をすぐには思い出せなかった。


「民主主義も駄目ですね」


 僅か数分の間に余程腹の立つことがあったのだろう。佳歩はその心中を察する。


「そりゃそうですよ。この世に完璧なシステムなんてありはしませんよ」


 あるとしたら、それはディストピアだ。口には出さなかったが、そのことを義人が理解しているとは思えなかった。


「そうですねぇ……。誰か作ってはくれないですかねぇ……」


「そうですねぇ……。作れないでしょうねぇ……」


「作れませんかぁ……」


 正しい人間。頂きに座るに相応しい人間がちゃんと選ばれればいいのに……。


 そう思いつつも一体それはどんな人物なのか。己の内に答えなどないことに気付く義人である。


 こうして、2人は東京を後にした。そして2012年9月26日、水曜日。自由党総裁選で、神室が第25代総裁に就任。12月26日、水曜日。第2次神室内閣が発足。力強い日本を掲げ、歩み始めた。自分の師である神代以上の長期政権を実現させた福山は惜しまれながら所属する派閥の闇へと身を潜める。

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