バック・トゥ・ザ・フューチャー
化け物め…………。
作戦終了の一報を執務室で聞いたバークレーはいかにもアメリカの大統領の椅子という風格と威厳を感じさせる、ボタン留めのステッチが施された伝統的なデザインの高級レザーチェアに体を預けた。しかし、彼が特注したこの椅子は後ろに深く寄りかかってもリクライニングできないよう背もたれが垂直に近い角度で固定されている。
どのような国難に対しても、その椅子の上で姿勢を崩さず、力による解決を信じて疑わなかった男の姿を象徴しているかのようだ。
「Phew…………」
バークレーは口をすぼめ、熱を帯びた長い息を吹き出す。そして、シェパードから送られてきたその少年に関する報告書の束に目を向けた。
そこに記されていた、高潔な理念もなければ、国家への忠誠もない。ただの無神論者の庶民というあまりにも平凡で、それゆえに不気味なプロファイルだった。
金、地位、名誉――。ワシントンの流儀が一切通用しないであろう東洋の怪物を盾に日本は一体、何を求めてくるのか。
主よ……。どうかこの国に繁栄と栄光を…………!!
神からの贈り物は新たな力ではなく、試練であったことに深い絶望感を覚える敬虔な信徒の姿がそこにはあった。
2月18日、月曜日。去年の12月。シェパード駐日大使が送ると言っていたクリスマスプレゼントが佳歩から義人へと手渡される。それは3辺の合計が140センチほどの大きさで、包み紙は緑色。サンタやトナカイ、クリスマスツリーが描かれていた。赤いリボンが巻かれ、そこに手紙が挟まれている。
『Dear Yoshihito』。そう達筆な字で書かれており、最初は何と書かれているか読めなかった。
「すみません。念のため、開けさせて頂きました……」
申し訳なさそうな顔をする佳歩に義人は全く気にしていないと伝える。
「いえ、それはいいんですけど……」
封筒を開けるとやはり、高級便せんに万年筆を走らせた英語の文字がさらさらと書かれており、まるで読めない。
「これ、なんて書いてあるんですか?」
義人はすぐさま助けを求める。
「それじゃあ、私が読みますね。私の感覚で訳すので、そこはご了承ください」
「お願いします」
義人は1人用の座卓にプレゼントを置き、姿勢を正す。
「それでは、いきます。……えー、義人さんへ。先日はアメリカを救ってくれてありがとう。君の功績は表に出ることは決してないが、私とワシントンは君の勇気ある行動に深く感謝し、そして尊敬の念を抱いている。君が何もいらないと言ってきたと大統領はとても驚いていたが、私はそうするんじゃないかと薄々予想していたよ。彼は君のことをどこか勘違いしているようだったから、彼はとても無欲なんだ。礼儀正しい紳士だよと伝えておいたよ。きっと7月のサミットで会うことになるだろうからその時、君の人となりが彼にも伝わるだろう」
7月のサミット……。ああ、洞爺湖サミットか。
自分も行くことになるんだとこの手紙で知らされた。
「各国の大使もきっと君に合わせろと福山総理に頼み込んでいるだろうから、このプレゼントはきっとそのサミットで着ることになるだろう。7月だからね。半袖のスーツも中に入れておいたよ。今まで着ていたものとデザインに大きな差はないからきっと気に入ってくれると思う。それを着た君の姿を早く見たいよ」
「…………」
義人の目は自然と箱へと注がれる。どんなデザインのスーツが入っているのか。早く開けて確かめたかった。
「それで名前のことなんだけど、これがとても難儀してね。あれこれ書いてみたんだが、なんだかどれもしっくりこなかったんだ。なんでだろうね。やっぱりカッコいい名前がいいと思ったんだが、やはり耳馴染みが良い。一度聞いたら忘れられないキャッチ―さも必要だと思ったんだ。そこで私は家族や友人たちにも助けを求めてね。これだという名前をついに思い付いたんだ。『ホッグ・ノーズ』なんてどうだろう。豚の鼻!? と思うかもしれないが、これには色々な意味を込めたんだ。ホッグは――――まあ、正直言って、悪い意味もある。だが、この名前にはいい意味しか込めてないから安心して欲しい。我が国でホッグと言えば、やはりアメリカ軍が誇る地上攻撃機A-10、サンダーボルトが挙げられる。国民にとってこのA-10はもっとも頑丈で、もっとも凶悪な火力を誇り、地上の敵を容赦なく撃ち滅ぼす悪魔の攻撃機なんだ。君も敵を容赦なく撃ち滅ぼす武器を持っているだろう。それでちょうどいいと思ったんだ。それに豚、猪は日本には『猪突猛進』ということわざがあるだろう。一つのことに向かって、向こう見ずに猛烈な勢いでつき進むことだったかな。アメリカにも似たような言葉があってね。『Go whole hog』。やるなら途中で妥協したりせず、最後まで一気に突き進めという意味さ。君にピッタリだろ。自分の信じた姿を最後まで貫いて欲しい。そんな願いを込めてこの名前を送るよ。気に入ってくれるとうれしいな。それじゃあ、また。いつかまた会える日を楽しみに待っているよ。自分の体を大切に。良い1日を。J・トーマス・シェパード」
「ホッグ・ノーズ……」
「そういった名前の蛇もいますね。確か」
義人の呟きに佳歩が補足する。
「そうなんですか」
蛇か……。
確かにくねくねと動く触腕は蛇に見えなくもない。
「それじゃこの手紙、燃やしますね」
「え!?」
いい名前を貰った……。そう思っていると、佳歩が不穏なことを言い始める。
「追伸として書かれているんですけど、やはりこの手紙を残すのはまずいみたいで……」
「そう、ですよね……。解りました。お願いします」
そういうと佳歩は立ち上がり、ガスコンロの炎で手紙と封筒を燃やす。
確かにいくら日米同盟があるからといって、一民間人に過ぎない義人の手元にアメリカ大使からの極秘の信書が残ることは許されない。それが国際政治の、国家機密の冷徹なルールだった。
自分で読めれば、燃やされる前にあの優しい言葉をもう一度自分の目で読めたかもしれない。自分の無教養、学のなさをこれほどまでに恥だと思う日が来るとは夢にも思わなかった義人である。
「さ、箱を開けてください。包装紙もクリスマスプレゼントの中身を早く確認したい子供みたいにビリビリに破いて」
「え、破くんですか?」
こういったものは綺麗に開けると教わった義人は強い忌避感を覚える。
「すみません。これも残しておく訳にはいかないんで……」
「解りました……」
またルールか……。
少しうんざりしながらも仕方がないと言われた通り、跡形もなく破り捨てた。なんだかシェパードに対し悪いことをしているようでいい気分ではない。
「…………」
中から出てきたのは段ボールでできた蓋付きの箱であった。早速蓋を開け、義人は折り畳まれたスーツの上に鎮座する漆黒のマスクの眼窩と目が合う
「いかついですねー」
「ホントですね」
目を輝かせる義人に佳歩は優しく微笑む。
「うわぁ…………」
義人は美術品でも扱うかのようにそっと両手で持ち上げ、その質感。見た目。感触をじっくりと観察する。そのマスクはまるで、黒い頭蓋骨であった。
それはタクティカルマスクとでも呼ぶべき代物か。継ぎ目のない滑らかな質感の黒いヘルメット。瞳の周辺のみが露出するようになっており、これを被り、いつもの白い髑髏の下顎が描かれたバラクバラを身に着ければ、直視する者に死の予感と冷徹な恐怖を与える死神の出来上がりだ。
このマスクは見た目通り軽いが、その内側に超薄型の耐衝撃プロテクターや特殊な高強度樹脂と防弾繊維が積層された最新の複合装甲がコーティングしており、拳銃弾程度なら弾き返す強度を持っている。さらに重いヘルメットよりも首の可動域が広く、高い機動性を発揮することが可能だ。
マスクを床に置いた蓋の上に置き、次に義人が取り出したのはマットな質感を放つ漆黒のタクティカル・アサルトスーツ。胸部中央には無機質なシルバーの星が一つ、鈍い光を放ちながら刻印されており、防刃、耐電性など高い防御力を誇る特殊仕様だ。ズボンも同色、同素材で、頑強なニーパッドが付いている。
そんな厨二心をくすぐる素晴らしいスーツを前に喜びの感情を全面に押し出していると、佳歩がどこか呆れたような顔で呟いた。
「シングルスター……。実にアメリカ人らしいですね」
「どういうことですか?」
シングルスターというのはこの胸の星のことだろうか。義人は首を傾げる。
「ああ、アメリカ人にとって星には色々な意味があるんですよ。なので、その星にも色々な意味が込められてるんだろうなーと思ったらなんだからしいなっと思って」
「星って言うと、アメリカの国旗にも描かれてますよね」
義人が知る数少ない星に関する知識だ。
「そうですね。星条旗の50個の星はアメリカ合衆国を構成する州を表しています。つまりアメリカ人にとって星とは、我が国の一部、身内という意味を持ちます。なのでこれは一見、君は我が国の大切な身内だという親愛の情にも見えますし、その実、お前はアメリカのコントロール下にある。我が国のパーツの一部だという無言の手綱のようにも見えますね」
「あーなるほどー……」
考えすぎでは? と思わなくもなかったが、そう言われるとなんだかバークレー大統領が透けて見えてくる。
「もちろん、他にもいろんな意味がありますよ。CIAのメモリアルウォールってご存じですか?」
「いえ。なんですか、それ」
「メモリアルウォールというのは、CIA本部にある真っ白な大理石の壁のことでして。名も無き英雄。つまり、スパイや特殊工作員ですね。そこには命を落とした職員の数だけ星が刻まれているんですよ。功績も本名も、死の真実すらも国家機密として永遠に闇に葬られ、代わりに刻まれるのはただ一つの星だけ。そんな英雄たちに対して、国家が最大級の敬意を払う時に刻む名無しの星というものがあるんです。なのでその星も、名も無き英雄に向けたアメリカとしての最大の敬意の現れなのかもしれません」
「へー。そうなんですか」
名も無き英雄。名無しの星。なんかカッコイイなぁと不謹慎なことを思っていると、佳歩のアメリカと星にまつわる話は続いた。
「他にもアメリカ軍において星は将官を表すバッジです。また、アメリカの歴史においても1つの星、ローン・スター。孤高の星は、かつて一国として独立して戦ったテキサス共和国の象徴でもあり、誰の手綱にも握られない。単独で圧倒的な力を持つ存在を意味します。つまりはたった1人で一国に匹敵する孤高の存在だと認めたという意味も込められているのかもしれませんね」
「そうなんですねぇ……」
はえーと佳歩の知識の多さに感心し、それと同時に自分が袖を通すのが恐れ多くなってくる。
「あと2つほど星の意味を思い付きましたけど、聞きます?」
「はい。ぜひお願いします。すごい勉強になります」
頷き、純粋な視線を向けてくる義人を見て、「それでは……」と佳歩は言葉を紡いでいく。
「私の知る、残り2つの意味ですが、この星を純粋にプラスの意味。最大級の賛辞として受け取った場合、そこにはアメリカの歴史と文化が育んだフロンティア精神と個としての英雄主義。ヒーローイズムという彼らが最も愛する価値観が凝縮されていると読み取れます。その1つ目はMy Starですかね。旅人が暗闇の中で道標にする北極星になぞらえて自分たちの進むべき道を照らしてくれる先駆者やヒーローたちのことを親愛を込めて、My Starって呼ぶんです。だからその胸の星はお守りみたいなもので、あなたは暗闇を照らす唯一の希望の星なんだって意味が込められているのかもしれませんね」
「希望の星ですか……」
重い……。このスーツが徐々に重みを増していく。
「最後は保安官、シェリフの胸に付いてる星ですね。法と秩序、そして大切な人々を我が身を挺して守る正義の味方の証明といったところでしょうか。アメリカ人は巨大な国家や組織よりも己の信念と圧倒的な強さだけで理不尽な悪から人々を守る孤高のヒーローが何よりも好きですからね。軍隊の階級章といった権力の象徴ではなく、あえて無地の星が一つだけというのは梅竹さんがどこかの軍隊の駒ではない。世界を守る本物のヒーローだというアメリカ人が最も憧れる姿をあの日、大使は見たのかもしれませんね……」
「ヒーローですか……」
正直、ヒーローは好きで、ヒーローには憧れるが、自分がヒーローになりたいとはもう思えなくなっていた。そんな自分がこの服を着る資格があるのだろうか。義人は戸惑ってしまう。
「着ていいんですかね。自分なんかが……」
義人は助けを求めるように佳歩に尋ねる。
「いいに決まっているじゃないですか。それだけのことをしてきたと思いますよ。私は」
「――そうですかね…………」
思わずその星をじっと見つめてしまった。この手の平ほどの小さな星に籠められた様々な思いを受け止めきれずにいると、佳歩が口を開く。
「一度、着てみませんか。どこか不具合があったら大変ですし」
「え。ああ、そうですね…………」
俺がこれを着る? それだけでその重圧に押し潰されそうだ。
そんな義人を見かねた佳歩が声を掛けてくる。
「まあ、星には色々な意味がありますが、これはただの星です。そんなにも気負わなくて大丈夫です。ただのデザインとしての意味しかないかもしれませんからね」
「はい。そうですね……」
そうは言ったものの、スーツが、とてつもなく重い。正直に言って荷が重すぎる。とてもじゃないが袖を通す気にはなれなかった。星のマークが義人を見つめてくる。
「ああ、そのスーツを着る前に中のインナーを着るみたいです。なんでも吸水性と速乾性に優れたものみたいで、半袖を着る場合もそれを中に着ると夏場も楽に過ごせるとのことです」
「へー。これですか」
箱の中の見るからに薄い肌着に目を向けた。
「それじゃ、着替え終わったら声を掛けてください」
「解りました」
佳歩が出て行き、義人は着ていた服を脱いで、言われた通り、肌触りの良いインナーから袖を通す。そして首元のチャックを下ろし、覚悟を決めた義人はタクティカルスーツを頭から被る。
「出来ましたー」
「それじゃあ、開けますねー」
そう言って佳歩は扉を開けた。そしてスーツを着た義人を前に息を呑んだ。ただ服を着ただけで人はこうも変わるのか。義人はまさに死神となっていた。
「…………」
一歩、後ろに下がりそうになる足をなんとか踏み留め、義人と向き合う。
「どうですかね、これ。なんか、見た感じ威圧感がヤバいですね」
手鏡で自身の顔を確認する義人は嬉しそうに素直な感想を述べる。
着心地は最高だった。肌に吸い付き、新たな皮膚を纏うような感覚。冷たい質感。動きやすく、軽い。先程まで感じていた威圧感が反転し、鎧となり、心と体を支えてくれているかのようであった。着ているだけで不思議と勇気が湧いてくる。自分が強くなったかのような感覚を覚えた。
「そうですね……。夜道では絶対に会いたくない感じですね……」
よし、言えた……。
佳歩はなんとか冗談を絞り出す。
「どこか違和感を感じるところとかないですか?」
「いや、それが全然ないんですよ。着慣れた服って言うか、新しい皮膚みたいな。なんかすごいです。さすがアメリカの最先端技術って感じです!!」
「それは良かったです。先方にもとても喜んでいたとお伝えしておきますね」
「はい。お願いします」
先程感じた恐怖は幾分か和らいだが、彼女は震えが止まらなかった。もう16歳の少年はいなくなったのだと。死神に魂を連れていかれてしまったのだと考える。
こうして新たな武器を手に入れた義人は7月。北海道の地へと降り立つのであった。




