ダークナイト
時は、義人が警察署を飛び出した直後へと戻る。作戦本部に再度、電話が掛かってきた。相手は先程電話を切ったばかりの冴島からだ。
「総理と話がしたい。僕の能力を全て開示する。上手くいけばこの国は再び大国と肩を並べることができるはずだ」
「…………」
ただの法螺話。そう切り捨てることはできなかった。告げられた瞬間、これまで目にしてきた超人たちの力の影を思い出す。指揮官は一瞬の躊躇いを見せたのち、すぐさま自分の手には余ると内閣府への直通回線へと震える右手を必死に伸ばした。
こうして福山政権は人類史上初の超人犯罪者と秘密裏に取引をすることになる。
「初めまして。内閣官房長官の町田です」
官房長の耳。内閣官房副長官秘書官から静岡の事件の犯人が能力の開示を行う。これは戦略的価値が極めて高い、代替不可能な技術供与の申し出があると耳打ちされた時、やはりなと彼は思った。演出が過ぎるのだ。動きもどこか緩慢。本気で国民を恐怖のどん底へ叩き落としてやろうという意思が感じられなかった。その為、これは報道のカメラを利用したある種のデモンストレーションであると判断したのだ。これらのことから町田は自室の重厚な革張りの椅子に深く腰掛け、冴島の提案を聞くことにした。
「初めまして。突然のお電話、失礼致しました。冴島幸助と申します」
若い男の声。緊張。微かな震え。こういったことに慣れていないと判断するや否や、会話の主導権を素早く握り締めた。
「いえ、お電話ありがとうございます。冴島さん。では、さっそく本題に入りましょう。お互い、余り悠長に話をしている時間もないでしょうから」
「はい……。そうですね。それではまず、私の能力のご説明からさせて頂きます」
冴島の語った自身の能力はこうだ。まずは驚異的な身体能力の向上と再生能力。これは他の超人からも確認されている。
さて、何を出してくる?
そして町田は冴島の次の言葉に我が耳を疑うことになるのであった。
「そして私は、意図的な超人化と、他者への再生治療が可能です」
「なっ…………」
町田の思考が一瞬、停止する。
再生治療。それは先月発表されたばかりのiPS細胞ですら、まだ入り口に立ったばかりの未踏の領域だ。それを可能だと、この男は言い放ったのだ。
それが事実なら、この男は一介のテロリストなどではない……。
世界中の権力者、富豪、そして死に瀕したすべての人間が膝を屈して慈悲を乞う対象。――文字通り、神だ。
「……本気ですか、冴島さん。それは、その言葉の意味を。そして重みを理解しての発言か」
町田の声からは先程までの余裕が完全に消えていた。
「もちろんです。官房長。私は自分の意思で細胞を自在に作り変えることができます。いま外に解き放った白い超人たちは私と超人化させた妻たちとの子供。いわば第2世代です」
「――だ、第2世代!?」
受話器を握る町田の指先に、じわりと嫌な汗が滲んだ。超人が単なる突然変異ではなく、遺伝し、定着し、増殖する。それはもはや一過性の事件ではなく、人類という種の根幹を揺るがすパラダイムシフトだ。
「そうです。純粋な私の血を分けた子供たちです。彼らは生まれた時から超人であり、その安定性、従順性は保証されております。いかがですか、官房長。私の願いを聞いては頂けないでしょうか……」
最早冴島の声に先程までの緊張は微塵もなかった。町田は自分が握った主導権が単なる錯覚だったと思い知らされる。冴島は最初からこの答えを言わせるために盤面を整えていたに過ぎないのだ。
「……条件を聞きましょう。冴島さん」
町田は重厚な革張りの椅子から身を乗り出した。この瞬間、冴島の肩書は犯罪者から対等な国家へと変わる。いや、もしくはそれ以上の重みを持つ神との交渉となったのだ。
「条件、などとそう畏まったことはありません。私の願いはただ1つ。綾乃。東雲綾乃との平穏な日常です。それ以外、何も望みません。この願いが叶うのであれば、私は喜んで国の研究に全力を尽くします」
「…………」
町田は一瞬、拍子抜けしたような沈黙を保った。たった1人の女。それを永久的に我が物にする為だけにこの男は世界を造り変える技術を差し出し、国家を揺るがすテロを演じたというのか。
計画性があるようでまるでその場の思い付きで行動しているようだ。だが次の瞬間、町田の唇の端が微かに吊り上がる。
安い。安すぎる。国家予算を投じる必要もなく、ただの1人の女を隣に置いておくだけで日本は超人という無敵の手札を何枚も手に入れることができるのだ。これほど割のいい投資がかつて歴史上、あっただろうか。
「……分かりました。その願い、すぐに総理へと伝えさせて頂きます。私の一存では確約できかねますが政府として、全面的に保障致します。アヤノさんの身の安全と、あなた方の平穏を我が国は全力で守り抜くとここでお約束致します」
「ありがとうございます。官房長。そのお言葉を聞けて、私も、そして妻たちも大変喜んでおります……」
こうして町田は急ぎ、福山の下に向かうのであった。
静寂が何よりも重く義人の肩に圧し掛かる。
つい先程まで、ここは戦場だった。鉄の臭いと焼けた肉の悪臭が漂い、義人は平和のための盾として、剣としてこの場に立っていたはずだったのだが、いま自分に向けられているのは、味方であったはずの特殊部隊からの冷徹な銃口だ。
「…………」
何が起こっているんだ……。
義人の口からは声も出ない。
視線の先は未だ縁側の奥へと消えていった冴島の背中がある。あいつは笑っていた。この状況全てを。まるでチェスの駒でも動かすかのように楽しんでいたのだ。
右手の携帯電話から、佳歩の痛ましい声が響く。
「梅竹さん……。聞こえていますか。指示に従ってください。今、政府から正式な通達がありました。東雲邸への攻撃はいかなる理由があろうとも国家反逆行為とみなされます。……ごめんなさい。私にも何が何だかさっぱり…………」
「…………解りました。失礼します……」
通話を終え、携帯を折り畳み、ポケットに仕舞う。そして義人は山刀と触腕を体の中へ戻し、両手を挙げた。
もう、訳が解らない…………。
敵だった存在がいつの間にか守るべき対象へと変貌している。変わりに自分が平和を乱す怪物へと堕ちていたのだ。
義人は考えることを止めた。
すると背後から複数の足音が近づき、声を掛けてくる。
「どうぞ、こちらへ」
乗せられたのはSATの特殊車両。向かう先は先程飛び出した警察署。
街は何事もなかったかのように年末の空気を取り戻し始めている。テレビのニュースでは今頃、暴動は鎮圧されたという仮初の真実を垂れ流していることだろう。
2007年12月31日、日曜日。こうして最後のカレンダーは破り捨てられるのであった。




