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ホッグ・ノーズ -Bygone days-  作者: ひろひさ
パルプ・フィクション

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20/21

ボーン・アイデンティティー

 カメラのフラッシュを浴びる、名もなき超人。福山総理が放ったその映像は、世界を再び大いなる狂乱の渦へと巻き込んでいく。近隣諸国は即座に反応。人間兵器。日本の軍国化と激しく糾弾した。他の国でも彼は神か悪魔かといった宗教論争が巻き起こり、義人を新たな神とし、祈りを捧げる者がいれば、彼は悪魔の手先だと罵り、その写真に火を放つ者も現れる。当の本人からすれば神にも悪魔にもなるつもりはなく、勝手に祭り上げられるのも困った話なのだが、名もなき超人と義人は最早イコールではなく、別の存在へと変貌していた。


 意味が解らない…………。


 信仰心などまるで皆無な義人にとって、一神教でも多神教でも神という存在に縋る人々の気持ちがまるで理解できない。神も地獄も仏もいる訳がない。ある訳がない。何も信じていないのだ。


 まあ、問題はそこじゃあないんだろうけど……。


 この対立は自分の平穏な生活が脅かされる。そんな不安が主な原因だ。ただの少年がたった1人で一体何ができると鼻で笑うことはできても目の前の問題は解決しない。声を上げたところで相手に聞く耳を持たれなければ意味もない。であれば、一介の少年にできることは大人しく、そして静かに暮らすことである。にも拘わらず、翌日の8時41分。新品のスーツを着させられた義人は佳歩とともに新幹線で移動する。目的地は東京。アメリカ大使館である。


「…………」


 一体どんな場所なのか。日本の中のアメリカであるということだけは理解している。だが、そんなことよりも義人は隣の席でノートパソコンを操作する佳歩のことが気掛かりであった。昨日のあの抱擁は一体なんだったのか。昨晩からずっとモヤモヤとした感情が少年の心を支配する。


「あの、藤川さん……」


「はい。どうかしましたか?」


 彼女は手を止め、義人の顔を見た。


「こんなこと聞くのは野暮かもしれないんですけど……いいですか?」


「ええ、はい。どうぞ……」


 一体なんの話なのか。彼女にはさっぱり想像がついてはいなかった。


「あの、昨日のことなんですけど……。なんであの時、俺のことを急に抱き締めたりしたんですか?」


「え? ああー。あれですか。あれはーそうですねー……」


 ようやく義人が口ごもる理由を理解する。あれは確かに一時の気の迷いい。感情に流された自分が悪い。しかも相手は未成年。そんな相手に何を考えているんだと家に帰ってから猛省した。とはいえ、ここで本当のことを話す訳にもいかないが、変に期待させるようなことを言う訳にもいかない。佳歩は瞬時に脳内の電卓を叩き、最適解を導き出す。一瞬、彼の体温を思い出したが、即座に脳から削除した。私は大人。彼は子供。未成年。好きになるなんてことは絶対にあり得ない。


「それは梅竹さんがあまりにも緊張していたので、それを解きほぐすためのおまじないみたいなものです」


「おまじない、ですか……」


「そうです。おまじないです」


 我ながらいい答えだ。彼女はふふんと鼻を鳴らす。


「藤川さんはおまじないで男に抱き着くんですか?」


 義人の眉間に皺が寄る。自分への好意か確かめたいという気持ちとそういうものなのかという気持ちがせめぎ合っているようだ。


「その言い方はちょっといやらしいですね。よくないですよ。あれはただのハグです」


「ハグ……ですか」


「そうです。ハグです。私はアメリカへの留学経験もありますからね。友人たちとのハグは普通です」


「え? 藤川さん。俺のこと、友達だと思ってくれてたんですか?」


「え? そりゃあ思ってますよ。私たち、友達じゃないですか」


 何を当たり前なことを。彼女はフッと微笑む。


「そうですか……。友達ですか……」


「そうです。友達です」


 決して恋とか愛とかそんな感情はありません!!


 まるで自分に言い聞かせるように彼女は心の中で叫んだ。


「友達か…………」


 その答えに嬉しいような悲しいような。しかし満足した様子の義人を見ていると罪悪感が湧いてくる。だが、これから行くのはアメリカ大使館。それもアメリカ大統領の右腕と呼ばれる男だ。


 私がしっかりしないと!!


 そう自分に誓い、彼女は報告書を少しでも進めようとキーボードを叩き始めた。






 午前9時27分。品川駅到着。2人は迎えの車に乗り込むと、車は目的地に向かって走り出す。駅を出てすぐに目に飛び込んでくるのは超近代的な高層ビル群。空がコンクリートの壁に覆い尽くされ、まさに日本ビジネスの心臓部。その威圧感に圧倒されつつも義人はなぜこんな高い建物を建てる必要があるのか。まるで理解ができなかった。


 そして車は高輪方面。 明治通り、白金へと移動する。先程までの高層ビル群が消え、落ち着いた、しかし明らかに懐に余裕がある人々が住む独特の雰囲気がする街並みへとその流れる景色がガラリと変わった。身なりのいい人々が犬の散歩をさせている様子や高級外車が並ぶショールームを義人は窓越しに眺める。


 なんで犬なんて飼うんだろ。


 車にも興味がなく、動物も嫌いな義人はなぜ自ら進んで手間の掛かることをやろうとするのか。その意味がまるで解らなかった。


 そして車は大使館へと辿り着く。高く掲げられたアメリカの星条旗。日本の警察官やバリケードが通る道すがら目に付いた。ここは日本の中のアメリカ。アメリカという名の聖域。そんな当たり前のことを視覚的、直感的に脳に理解させられる。できれば一生近づきたくはない独特の緊張感に当てられ、義人はもうすでにダウン寸前だ。酔ったのか、気分も悪くなる。こうして10時10分。2人はようやく米国大使館の正門をくぐり抜けたのだ。


 車を降りた瞬間、義人は吐き気に似た圧迫感に襲われる。出迎えるのは日本の警察官たちとは明らかに体格の違う、耳にイヤホンを仕込んだスーツ姿の屈強な男たち。彼らの視線は義人を1人の少年。客人としてではなく、明確なアメリカの敵。排除すべき人類の異物として見ているような、冷たく、乾いたものを感じた。


「ちょっと、大丈夫ですか。梅竹さん。顔色、なんか悪いですよ?」


「え? ああ、はい。大丈夫です……。なんかちょっと、酔っちゃったみたいで……」


「ええ? 大丈夫ですか? 水、飲みます?」


「ありがとうございます……」


 ごくりと一口。少年は飲んでからそれは佳歩が口を付けたものだとようやく理解する。そして彼女も喉が渇いていたのか、受け取ったそれをなんの迷いもなく一口飲んだ。


「…………」


 なんか治ったわ…………。


 脳の揺れは収まり、周囲の男らに負けまいと少年は胸を張り、背筋を伸ばす。俺は世界初の超人だぞと。


 藤川さんは俺が守る!! そう決意を新たに少年は歩みを進めた。



 

 案内されたのは、大使館内にある重厚な応接室だった。使い込まれた革張りのソファと柔らかなペルシャ絨毯。パチパチと爆ぜる暖炉に壁に並ぶ古い洋書。


「…………」


 アメリカだ……。


 治外法権の聖域に足を踏み入れたのだから、ここはアメリカだ。アメリカなのだからアメリカなのは当たり前なのだが、映画やドラマで目にした光景が目の前に広がり、義人はそんな感想を抱く。


「——ようこそおいで下さいました。梅竹さん。そして、藤川さん」


 出迎えたのは1人の老紳士と女性通訳者。白髪を完璧に整え、自身の体に合わせて仕立てられたスリーピースのスーツに袖を通すテキサスの空を思わせる青い目の御仁。彼こそがJ・トーマス・シェパード。本名、トーマス・ジョン・シェパード。第26代駐日アメリカ大使である。


 大使はさっそく義人と佳歩に握手を求めた。慣れないこの文化に戸惑いながらも義人は失礼のないよう握り返す。本人は然程意識していなかったが、その力強い握手に大使は笑みを浮かべる。若いエネルギーを感じ取ったのだ。


「——梅竹さん。私のことはどうか『J・トーマス』と呼んでください。ワシントンの親しい友人はみな、そう呼んでおります」


 彼はそう言って、白髪の眉を下げ、慈父のような笑みを浮かべた。


 なんか優しそうな人で良かった……。


 英語で何を言っているのかさっぱり理解できない義人ではあったが、福山から感じた威圧感を彼からは感じず、ほっと一息。その緊張を解きほぐす。


「お招き頂き、光栄です。大使」


 佳歩が代表して挨拶をする。


「——藤川さん。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。今日は、日本の未来を救った勇敢な若者を1人の老人として迎えただけなんですから」


 大使はそう言って、自ら椅子を勧めた。その所作の一つ一つが、相手を政治の道具としてではなく、ゲストとして扱っているようにも映る。


「失礼します」


「失礼致します」


 2人は大使に続き、用意されたソファに深く腰を下ろした。


「話の前にまずはお茶にしましょう」


 そして机の上に並べられたのは急須と切り分けられた羊羹である。


「お2人は静岡のご出身だと伺いました。紅茶やコーヒーよりもなじみ深い緑茶の方が良いかと思いまして。いかがですか?」


 いかがと言われても…………。


 なんと答えればいいのか義人が戸惑っていると、すかさず佳歩が答える。


「お心遣い、ありがとうございます」


「あなたはどうですか。梅竹さん」


 大使と通訳の女性が義人を見た。まさか自分に話が振られるとは思わず、何も答えを用意していなかった義人は咄嗟に本音で答える。


「ああ、はい。お心遣いありがとうございます。自分は紅茶もコーヒーも苦手なので、助かりました」


 その答えを聞いた大使と通訳者は作られた笑いではない、本物の笑みを不意に零した。そして義人もともに笑う。


「あは。あはははは」


 良かった。笑ってくれたと思い佳歩の方を見ると、佳歩は諫めるような少し怒った顔をしている。


 え? なんか俺、マズかったの!?


 そう思っていると、大使はこう言葉を紡いだ。


「あなたは実に正直者ですね。緑茶を選んで正解でした」


 大使は慈しむように目を細める。まるで自分の孫を見ているようだ。そして大使はお茶を静かに飲み、話を始めた。


「今日は急に呼び出してしまい、大変申し訳ありません。マサオ……。いえ、フクヤマ総理から昨日、君がどれほど素晴らしい活躍をしたかを聞かされまして。それで1日でも早くどうしても会ってみたくなり、急にお呼び立てしてしまいました。大統領からも電話があり、早く日本のキャプテンアメリカをアメリカに招待し、直接会ってみたいと大変興奮しておられましたよ」


 ……キャプテンアメリカ? 誰?


 佳歩から聞いたような気もしなかった訳でもないが、助けを求めるように横目で彼女を見るも、彼女は熱心に大使の言葉に耳を傾けていた。


「政治家という生き物は、どういう訳か往々にして物事を派手に飾り付けたがる性質があります。事件の報道は私も目にしました。ですので、梅竹さん。率直にお伺いします。私は昨日の会見を見て、あなたはとても疲れているように見受けられました。本当はあんな公衆の面前に立ちたくはなかったのではないでしょうか」


「え。まあ、そう――ですねぇ……」


 自身の本音を見抜かれ、義人は言葉に詰まる。隣で佳歩が僅かに息を呑むのがわかった。下手なことは言えない。嫌だったと本音を言うべきか。それとも嘘をつくべきか。義人は悩む。上下左右に目や顔を動かし、どう答えるべきか困り果てていた。


 正直者だな。


 大使はそう判断すると、質問を変えた。


「どうやら答えにくそうですね。失礼しました。では、質問を変えましょう。梅竹さん。あなたは力を手にした時、どう思われましたか」


「力を手に入れた時、ですか……」


「そうです。力を手に入れた時です」


「そうですねー……」


 うーんと再び義人は頭を右側に倒す。目が覚め、頭痛がしたかと思えばすぐに痛みは治まり、見れば隣で優人が倒れていた。呼吸もしておらず、心臓も止まっていたため、急いで心臓マッサージを開始。救急車が来るまで必死になって心臓マッサージを行っていたため、別になんとも思わなかったというのが本音だ。自身の変化もその場では気がつかなかった。これをそのまま話せばいいのか再び佳歩へ視線を送る。しかし佳歩は、首で前を向けと授業参観に来た母親のような態度を取るだけであった。


「どうやら発言を迷われているようですね。安心してください。この会談は非公式です。記録には残りません。私はあなたの率直な意見を聞きたいのです」


 その言葉を聞き、別にそこを気にしている訳ではないのだが……とは思いつつ、もう本音をぶつけるしかないと義人は考えるのを止めた。


「そうですね。力を手に入れてすぐは何も思いませんでした」


「何も思わなかったというのは、どういうことですか?」


「目を覚ましたら隣で友人が倒れておりまして。呼び掛けても返事がなく、呼吸も心臓も止まっていたのですぐに心臓マッサージを行いました。なので、自分の変化に気付いたのがいつだったか。正直、ハッキリとは思い出せません」


 それを聞いて大使は黙り込む。友人というのが笹川優人というもう1人の超人であることはすぐに気が付いた。


「それは大変でしたね。その友人はその後、どうなりましたか。回復されたのですか」


「はい。もうすっかり元気になりました。ただ、まだ本調子ではないみたいで、今は寝たり起きたりを繰り返しながら3食きっちり食べているみたいですよ」


「それはよかったですね。梅竹さんの勇気ある行動がその友人を救ったのでしょう」


「そうですかね……」


 なんだか急に気恥ずかしくなってくる。


「そうですよ。誰しもができることではありません。それは誇って良いことだと、私は思います」


「ありがとうございます」


 そう言って義人は頭を下げた。


「では、次の質問です。あなたはいくつか能力を持っていると聞きました。手に入れて一番嬉しかった能力はなんですか」


「一番、ですか」


「はい。一番です」


「一番かぁ……」


 また悩む質問だなぁ……。


 義人は少し考え込み、そしてこう尋ねる。


「すみません。上げるのは1つだけですか?」


 その言葉を聞き、大使と通訳は再び笑う。そして好きなだけ上げてくれと義人に伝えた。


「そうですか。ありがとうございます。それではまずは、やっぱりそうですねー。壁に貼り付けることですかね。スパイダーマンみたいにさささささーって壁をよじ登れるのが嬉しかったですね」


「なるほど。そうですか。他には」


 大使も通訳も笑っている。何が面白いのか義人にはよく解らないが、笑っているなら問題ないだろうと話を続けた。


「あとはーそうですね。やっぱり、鋼鉄の触腕ですかね。スパイダーマン2に出てきたドクターオクトパスみたいなカッコいいヤツが出せるんですよ。それも興奮しましたね。うわっ!! カッコイイ!! って」


「なるほど。それは良かったですね。スパイダーマンがお好きなんですか」


「はい!! 映画は全部観ました!!」


「そうですか。私もスパイダーマンは大好きです。私たちの良き隣人ですから」


 失礼と言いながらも大使らはずっと笑っている。良かった。笑っていると嬉しい気持ちで佳歩の方を見ると、彼女は1ミリたりとも笑ってはいなかった。そして義人はその顔を知っている。怒っているが、人前だということで後でしこたま怒られる時の母親の顔だ。


 なんで!? 喜んでくれてるじゃん!?


 怒られる理由が解らず、義人は困惑する。


「では、そんなスパイダーマンがお好きな梅竹さんにお聞きします。ベンおじさんの最後の言葉。あの言葉をあなたはどう捉えますか」


「大いなる力にはってやつですよね」


「はい。その通りです」


「そうですねー」


 これは悩む必要がない。そのままの意味として義人は捉えているからだ。


「どう捉えているかと言われると難しいですけど、自分はそのままの意味で捉えています。大いなる力を持った者はその力に見合った責任を負わなければならないと。だから僕もこの力を世のため、人のために使おうと思ったんです」


 その言葉に大使は頷いた。そして、ゆっくりと口を開く。


「その通りです。梅竹さん。あなたは本当に誠実ですね」


 大使は満足そうに深く頷く。しかしその瞳の奥には、先ほどまでの慈父のような温かさとは違う、冷徹な理知の光が宿っていた。


「では、1つ考えてみてください。梅竹さん。あなたのいう世のため。人のためというその責任。それをたった16歳の少年に背負わせることは、果たして正しいのでしょうか」


「いや、それはー別に年齢はー関係ないのではありませんか?」


 義人は大使が何を言いたいのかさっぱり理解できない。


「福山首相は、君という力を日本のために使おうとしています。それは彼の立場では正義なのかもしれません。ですが、アメリカの考え方とは少し違います。私たちは、君のような特別な若者が責任という名の重圧に押し潰されないよう、正しく導き、守ることこそが大いなる力を持つ者としての責任。そうですね。大人としての責任だと我々は考えております」


「ああ、そうなんですね……」


 だからなんなんだ。義人はまだ、大使の言葉の意味をミジンコほども理解できていない。右耳から入った言葉が脳を一周することなく左耳から抜け出していく。


「梅竹さん。あなたがその責任を果たす場所は、必ずしもここである必要はないのではありませんか。あなたをただの政治の道具としてではなく、1人の良き隣人として。そして何より自由な若者として尊重できる場所がアメリカにはあることを忘れないでください」


 マズい……。


 佳歩の脳内で、警報音が鳴り響く。


 先程、義人が言ったスパイダーマンが好きだという無邪気な一言を大使は完璧な亡命への招待状に変換したのだ。責任という言葉を義人が肯定した瞬間に大使は君1人にだけ責任を負わせない。アメリカがその責任を肩代わりするというもう1つの道を用意したのだ。


 口を挟むべきか……。そう佳歩が悩んでいると、その言葉を聞いた義人は大使に向かって自分の思いを話し始める。


「すみません大使。お心遣いは大変ありがたいのですが、やはり自分の得た力は自分の責任でこの力と付き合うといいますか、向き合っていきたいです。まあ確かに、政治の都合のいい道具になるのはなんだかいい気がしませんが、それで多くの人が幸せになるならそれでもいいのかなとは思います。なので自分は別に誰かに肩代わりして欲しいとは思いませんし、今も別に自由にやらせてもらっているので、特に何も不満はありません。なので、今のままが自分には一番いい形なのかなーとは思いますね」


 そう言って乾いた喉をお茶で潤す。


 なにこれ!! うまッ!! 


 甘味がやや強い、庶民の馬鹿舌でも解る高級品を前に義人は目を見開いた。


「ですが、梅竹さんは福山首相から日本の盾になれとは言われませんでしたか」


 大使は緑茶を啜る義人の表情を見つめながら、静かに問い掛ける。


「え? いや。言われていません」


 そんなことを言われた記憶はないと義人は正直な意見を述べた。


「ですが、言われてはいなくても実際に盾としての役割は果たされていますよね。昨日も戦い、傷付き、人を殺めた。アメリカでは未成年の子供にそんなことはさせません。あなたのような子供に傷ついて欲しくはないんです。梅竹さんのような類まれなる才能を持った方は最先端の科学で力の謎を解明し、その力を完全にコントロールする方法を一緒に見つけて行きたいのです。それは梅竹さん個人を縛るためのものではありません。梅竹さんが普通の人間として尊厳を持ち、恋をし、ゆくゆくは家族を持ち、天寿を全うする。そうするための唯一の道なんですよ」


「はぁ…………」


 そう言われてもなぁ。別になんとも思ってないんだよなぁ……。


 大使の言いたいことがようやく見えてきた義人であったが、大使の提案に何の魅力も感じていない。それは義人自身も気付かぬ、ある才能にあった。殺人の才能だ。


「ですが、別に力はコントロールできてますし、別に結婚願望も子供が欲しいとも思えません。それに僕、子供とか嫌いですし。あと確かに人は殺しました。そのことはちゃんと理解できています。理解はしているんですけど、別になんとも思わないんですよねぇ。自分はちょっとどこか変なのか、自分でも不思議なんですけど、なんとも思わないんですよ。あの2人もそうですし、事務所にいたヤクザを殺した時も正直、なんとも思いませんでした。まあ全員、殺されても仕方がないクズだったからですかね?」


 そう言って再びお茶を啜る。大切に飲んでいたつもりがついに湯呑が空になる。おかわりが欲しい。そんなことを考える義人であった。


「…………」


 3人の大人たちは言葉を失う。生まれながらの兵士なのか。それとも独特の倫理感を持った異常者なのか。誠実で純粋。大人しい性格なのは見て取れる。だが、その奥には迂闊には踏み込めない。アンタッチャブルな領域があるように思えてならなかったのだ。


「…………悪党なら死んでも構わないと」


 一瞬、通訳が躊躇う言葉を大使が述べる。この目の前の少年をアメリカの敵か味方か。そのどちらかを見極めようとしているようであった。


「いや、別にそうは思いませんけど……。罪を犯したのなら、それ相応の罰を受けるべきだと思います。ですが、被害者の立場に立ってみると、それだけでは足りない。死んで償えって思うのが人ってもんなんじゃないのかなーと僕は思います。それに現状、超人は捕まえて法で裁くことができません。だからこそ、誰かが手を汚さなくてはならない。それが自分にしかできないなら大いなる力を持った者の責任としてそれを果たします。それにそもそも人知を超えた力を手にしたのであれば、より自分を厳しく律して生きていく必要があると僕は思います」


 こんな感じか?


 途中から自分でもこんなことを言って大丈夫なのか判らなくなったが、義人は自分の正直な考えを述べる。それしか自分にはできないからだ。


 義人が話し終えると、応接室には暖炉の薪が爆ぜる音だけが響いた。

 

「自分を厳しく律する。ですか……」


 大使はその言葉を反芻するように呟く。

 

 もし義人が悪党は死ぬべきだという復讐心だけで動いているなら、彼は単なる狂信者として対処できる。だが、彼は誰かが手を汚さねばならないという自己犠牲的な冷徹さと、より厳しく律するという強固な自律心を持っていた。それは法も国家も介入できない、ある種の聖域に彼が1人立っていることを意味している。


「梅竹さん。あなたは自分がどれほど恐ろしいことを言っているか。その意味は理解していますか」


 大使はこれまでで最も真剣な、1人の人間としての眼差しを義人に向けた。


 やっぱり何かマズかったのか!?


「えっと、すみません。自分でもあまりよく解っていなくて…………」


 義人は焦りながらもなんとか取り繕うと言葉を紡ぐ。


「法を介さず、自らの意志で死という裁きを下す。それは本来、神の領域です。ですがあなたは、それを大いなる責任だと言い切りました。それはこの世界の秩序そのものに対する挑戦でもあるんです。その意味はお解りですか」


「えっと、申し訳ありません。お話が難しくてよく分かりません。もう少し噛み砕いてお話頂けませんか……。申し訳ありませんが、自分は教養もなく、無宗教なもので…………」


 本当に一体さっきからなんの話をしているんだ?


 神の領域? 世界の秩序? 宗教の話? 義人はさらに頭を悩ませる。


「なるほど。そうですか」


 大使は義人に向けていた熱い視線のやり場を失い、ふっと肩の力を抜く。


 この少年には何を言っても無駄だ。


 通訳の女性も一瞬だけ呆然とした後、控えめに口元を抑えて笑いを堪えていた。


「なるほど。あなたは本当にただの少年なんですね。いや、それとも究極の合理主義者というべきか。神だの秩序だのといった概念よりも目の前で困っている人がいればただ助ける。そういうことですか」


 ようやく大使の言っている言葉を理解し、義人は嬉しそうに頷く。


「はい!! そういうことです!! 情けは人の為ならずって言いますし。いいことをすればいいことをしただけ自分に返ってくると両親からは教わりました。まあ、返ってきた試しはないですけど」


 そう言うと、再び大使と通訳が笑う。良かったウケた……。そう義人も喜んだ。


「返ってきた試しはない、ですか。それはきっと、今がまだその時ではないのではありませんか」


 大使は今日一番の肩書きを脱ぎ捨て、1人の老人として言葉を掛ける。この少年をワシントンの論理で染め上げようとした自分が、いかに馬鹿げたことをしていたのか。ようやく理解したのだ。


「まだ、ですか」


「そうです。きっとまだその時ではないのだと私は思います。あるいは、そうですね。今日ここで私が君に最高級の緑茶を振る舞ったことが、そのお返しのほんの一部なのかもしれませんね」


「ああ、なるほど。それはそうかもしれませんね」


 そう言いつつも、だったら可愛い彼女とか大金が転がり込むとかの方がいいなーと思う義人であった。


「それではそろそろお開きと致しましょうか。梅竹さん。藤川さん。今日はお2人と実りある話ができて本当に良かった。次はぜひ、ワシントンで会いましょう」


「ありがとうございます大使。実現する日を楽しみにしております」


「梅竹さんも来て頂けますか」


「はい。もちろんです」


 パスポートも持ってないし、なぜアメリカのどこかも解らない場所へ行かなければならないのかと思いつつも佳歩にならって笑みを浮かべる。


「そう言えば梅竹さん。ヒーローとしてのお名前はなんとおっしゃるんですか」


「ヒーローとしての名前、ですか?」


 そんなものはないはずだと佳歩の方を見るも彼女は軽く首を振った。


「特にこれという名前はありません」


「なるほど。そうですか」


 そこで一度言葉を区切り、大使は改めて考えを述べる。


「では、どうでしょう。私からのクリスマスプレゼントとして良い名前と新しいスーツを送らせてください」


「え、いや。それは……」


 さすがにそれは悪いと義人は遠慮した。


「いえ、送らせてください。急な呼び出しのお詫びでもあります。どうか受け取ってください」


「……それでは、ありがたく頂戴させて頂きます」


 これ以上のやり取りは失礼にあたると判断した佳歩が間に入る。


「ありがとうございます。親愛なる友人に送る大切な名前です。きっと気に入って貰えるようなものを考えますね」


「ありがとうございます」


 義人は頭を下げ、こうしてアメリカ大使との極秘会談は終わりを告げた。2人を見送り、大使はさっそくワシントンにこう報告する。


『梅竹義人は非常に素直で誠実。純朴で平凡な少年であった。彼は我が国のコミックヒーローに強い憧憬しょうけいの念を抱き、自身の能力との類似点を熱弁する様子が見られた。本人の言葉を借りるならば、親愛なる隣人を目指しているとのこと。世界初の超人が彼のような少年であったことは日本のみならず、世界の幸運。奇跡と言えるだろう。だが、アメリカ国内のみならず、世界的な宗教的反発が激化する前に彼を確保し、我々の監視下において神に祝福された超人であるというラベルの貼り直しも考慮すべきとも考えられる。彼を日本に留まらせておけば近隣諸国を刺激するだけでなく、アメリカ国内のキリスト教右派を暴走させる危険性も懸念されるためである。しかし、彼はあくまでも庶民だ。信仰心の欠片も見られない。無宗教とも言っていた。彼は実にシンプルな動機で物事を考え、決断し、動き、自らを厳しく律している。彼をアメリカに招くのはほぼ不可能であるだろう。だが、強硬な手段に出るなど対応さえ間違えなければ必ずや彼はアメリカの心強い味方となるだろう。誠意をもって接すれば彼は良き隣人となると私は確信している』

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