盲目の暗闇へ
私は、月明かりが色ガラスを通ってつま先を照らすのを、ただ礼拝堂の椅子に座って漠然と眺めながら今日のことを考えていた。
確かにエリニュスの言うことは尤もだ。今回の事だって、結局なにがあったかは分からないが、一歩違えば私の腕の中でドライは死んでいただろう。
(それに...)
自分の手を見下ろし、握って開くことを数度繰り返す。だが、昼間に気がついた時から状況は変わっていない様だ。試しに椅子の木がザラザラとした座面を撫でてみる。だが、木の感触も、温度も感じられない。目を開けていなければ自分が何かに触れている事さえ忘れそうだ。
(代償に持ってかれたのはコイツか...まあ、両手の感覚が無いだけだ。腕ごと持ってかれなかっただけ感謝しなきゃな)
なんて考えながら、思考と共に気分もさらに沈んでいく。
戦い続ける生き方を選べば、次があったとして、ついに立てなくなるかも知れない。よしんばその次があっても、今度はもっと大きなものを失うかもしれない。
いつか、ただ手を汚し続けて生き続け、そして限界を迎える。そんな生き方が幸せなわけは無い。
(そんな事分かってるっ!)
今の、普通の人間以下しか出ない力では椅子を殴っても大した音もせず、あるはずの痛みも最早感じられない。
だが、何度考えてもエリニュスのしようとしている事が理解出来ない。ただの自殺行為だ。
「あれ?邪魔しちゃった...?」
いつの間に居たのか、フィアが本の山を抱えながらこちらを見ていた。
「...いや、大丈夫だ。なんの荷物だ?」
「これ?あー、私あんまり考えないからさ、もっと物理の勉強した方が上手く跳べるかなって...」
なんで唐突に...と思ったが、明らかだろう。エリニュスについて行こうという意思の表れだ。
「はぁ...ならせめて本の内容を考えろ」
『位相幾何学』、『量子テレポーテーション』、『ワームホール理論』...むしろこんな蔵書がある事に驚きだが、多分字面だけで選んできたんだろう。呆れながら一緒に図書室へ着いて行く。
幾つかマシな本を選び取って、渡して行く。
だが、積み上げていったところでバランスが崩れて上の一冊が滑り落ちる。咄嗟にキャッチしようとしたが、手は触れるもののうまく掴めず、そのまま本は鈍い音を立てて落ちた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ああ。うまく掴めなかっただけだ」
床に落ちたそれを持ち上げて、今度は慎重に積む。
「まあ、こんなところかな。重く無いか?」
「うん。このくらい軽い軽い」
実際、ワルキューレにとっては本の重さ程度問題では無いのだろう。
フィアを見送りながら、私は思い通りにならない自分の手を見下ろし、何度か握ってみるが感覚は戻らない。
「...アイン」
棚の影になる位置へ向けて声を投げかける。
「まあ、気付いてるわよね...」
フィアの様子を見ていて、着いて来たのだろう。彼女もどこか思い詰めた様な顔をしていた。
「ドライとフンフはエリニュスのところへ行ったわ」
「ああ。彼女達ならそうするだろうと思ったよ。だが問題は、エリニュスがどうしたのかだ。言い出した事の内容もおかしいが、急に様子がおかしくなったのはなぜだ?」
「…分からない。分からないから、怖いのよ。あんな人に、みんなの命を預けていいわけがない。なのに、みんなあの提案を聞いてついて行こうとする」
「アイン…」
「ねえイオナ…私は、どこで間違ったの? エリニュスについて行けば、理不尽に殺されることもなく、みんなで幸せになれるって...そう思って悩むあの人の背中を押したの。私が...みんなを...?」
「…だとしてもだ。アイン、分かってるだろ? 私たちは、泥舟だろうとアイツの船に乗るしかないんだ。例えエリニュスが狂人でも、他に選択肢は無い。私たちは...手を汚して得る方法を知ってしまったのだから」
「イオナ…」
「事実はいつも本を越すものだ。完璧な答えなんて、最初から無かったんだよ。……でも、アイン。私は、アイツがただの狂人になったとは、どうしても思えないんだ」
彼女は心から私たちの身を案じていて、ただ見ているものが違うだけなんだろう。そしてきっと今もそれは変わっていないんじゃないかというのは、私の希望論だろうか。
そんな感傷、ただ目の前で静かに泣くアインには何の慰めにもならず。
しかし、そんな静寂を引き裂くには十分な大きさの爆発音が響く。
建物全体が揺れ、私は急いで確かめる為に外に出ることにした。
「アイン、話は後だ。何があったか分からんが、行くぞ!」
そうして建物の外に出て、倒壊した一部と盾を構えるエリニュス、そして正対するように空に浮かぶ一騎のワルキューレを見て何が起きたかを理解した。いや、そのワルキューレはランサーにも勝るほどの存在感で
「ごきげんよう。そしてさようなら」
それは天災と見紛う程の理不尽だった。




