ラルゴ
俺はこの日初めて知った。この心は知らないほうが良かった。今までは俺に対して向けられていた心。しかし今! 俺は! この男が憎い! 激しい憎しみを感じたのは初めてだった。この男がやったことは、今まで俺がやって来たこと、だが、この男だけは! こいつだけは!
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少し時間が戻る
その日、アルムはいつもの時間に来なかった。俺はアルムの体調が悪化したかと心配し、毒の沼を眺めながら過ごしていた。そして洞窟の入口からゆっくりと誰かが歩いてくる。アルムにしては歩みが遅い。何かが擦れるような音が混じる。かと言って何か荷物を引きずるでもない軽い音。俺はこの音をよく知っていた。瀕死の獲物が逃げる時に出す音。……まさか、そんなまさか。眼の前に現れたのは、俺が想像もしたくなかった光景、血だらけになって必死に何かから逃げているアルムの姿だった。
「ラルゴ様……逃げて……」
俺は倒れるアルムを何とか手で受け止めた。そして薬草の生える中に、できる限りゆっくりと横たわらせた。アルムの表情は苦痛に歪み、口からは血を吐いた跡がある。俺は即座に鱗を噛みちぎり、アルムに血を飲ませようとする。しかし飲まない。飲もうとしないのではなく、飲めないのだ。飲めないほどに弱っている。竜の血など気休めにしかならない事は分かっている。毒の症状と怪我は治す方法が全く違う。飲めたとしても、怪我を癒す力など無いのだ。それでも俺にはこれしか無い。他に方法が無いのだ。誰か、誰でもいい、アルムを助けてくれ。
突然激しい痛みが襲いかかる。振り向くとそこには、一人の冒険者と思われる男が俺に剣を突き立てていた。奇襲攻撃! 討伐か! こんな時に。いやまて、この男なら、人間なら、アルムを救ってくれるかも知れない。いまはこの男と戦っている場合ではない。俺は冒険者と思われる男が、俺の腹から剣を抜いた隙に後退した。男の居る場所にアルムを残して、俺はこの男にかける他無かった。男はアルムを見ると、驚いた顔で口を開いた。
「大した根性だ、まだ意識がある」
俺は即座に男に向かて突進した。この男はアルムに危害を加えた張本人だ。こいつは何だ! 何故アルムを傷つけた! 討伐するなら俺だけにしろ! 男は俺を軽く避けると、素早く剣を突き刺してきた。激痛が走る。この男は今までと違う、戦い慣れしている。しかも竜との戦い方を知っており、巧みに死角へ逃げ込もうとする。だがそっちは毒の沼だ、入れば無事では済まない。男は沼の淵で立ち往生する。勝った! 逃げ場はない。炎を吐いて焼き殺してやる。俺は大きく息を吸い込み、炎袋に火をためた……いや、出来ない、火をためられない。どうなっている?!
「奇襲攻撃で炎袋を封じるのは竜狩りの基本だ、やっぱりその女に鱗を渡したのはお前か、お前が守ってた女に感謝だな」
男は余裕の表情で俺に答えを自慢する。そして挑発するように言い放つ。
「さて、ゆっくり料理してやるよ、あとでその女も頂くとしよう、死ぬまでは楽しめるよな へへっ」
そう言うと、男は舌なめずりをした。
俺は頭に血が登った、冷静さは消え失せた。ただひたすらに獣に成り果て、男に一方的に攻撃され続けた。この男だけは許せない。アルムを侮辱し、命を奪うつもりで傷つけた。今アルムが苦しんでいるのは、すべてこの男が原因。この男はアルムの持っていた鱗に目をつけた。俺を狩るためにアルムを傷つけ、血痕を追跡したのだ。アルムは死を覚悟すると俺に会いに来る、その覚悟を、俺への想いを、この男は利用した。この男さえ居なければ!
この男は俺が人語を解する事を知っている。わざと俺を怒らせてから戦う。戦い慣れた人間のやり方だ、俺はそれを知っている。しかし冷静さを取り戻せない。俺の血が流れるのをせせら笑いながら攻撃してくる。執拗にアルムに近づき、俺の攻撃を鈍らせる。俺の動きは次第に鈍くなり、そして遂に動けなくなってしまった。
「はぁ、はぁ、全くしぶとい竜だ、さてと、鱗を頂くか、これだけ立派なのは貴重品だ。感謝するんだな、俺は優しいんだ、殺さないでやるよ、また鱗が生え揃うまではなっ!」
そう言うと男は俺の鱗を剥ぎだした。ナイフを使って大きな鱗から一枚づつ。剥がされる度に俺は悲鳴を上げ続ける。
「やめて……おねがいします、やめて下さい……ううっ」
アルムは血を吐き、涙を流しながら懇願するも、男は見向きもせずに作業を続ける。
「お前は後だよ、お前みたいな小娘に興味は無いね、後できっちり楽にしてやるよ」
男は袋いっぱいに鱗を詰めると、ナイフを手にアルムに向かって歩き出した。俺の近くには剥ぎ取られた鱗の入った袋が置いている。俺は残った力を振り絞って立ち上がり、鱗の入った袋を咥え男に向けた。そして男が振り向くと同時に袋を毒沼に投げ入れる。
俺は知っている。人間の傲慢を、愚かさを、欲深さを、嫌と言うほど知っている。そして思ったとおり、男は袋に向かってゆく。男の最後は悲惨なものだった。最初は腕、次に足、そして顔、鱗と肉が混じり合い、ゆっくりと時間をかけて消えていった。アルムは俺が死角となり、汚れた魂の最後を見ずに住んだ。
俺は這いずるようにアルムの元へ向かった。そしてたどり着いた時には、アルムは殆ど意識が無くなっていた。手を胸に当て、か細い声で何か呟いている。しかし俺には声が弱く聞こえない。アルム何を言っている、俺には聞こえない。もう一度その声を聞かせてくれ。俺の血を飲んで元気になってくれ。アルムが居なくなってしまったら俺は何を想い生きていくのだ、こんな苦しい想いが永遠に続くのは嫌だ。アルム、目を開けてくれ……。そしてアルムは最後に一言だけ残した
「花よ……咲け」
アルムの胸から花が芽吹き、成長してゆく。そしてその苗は、一輪の白い花を咲かせた。何の花なのかは分からない、しかしそれはアルムの残した想いだった。一緒に話をしたい、同じ竜になりたい、結婚したい。俺は何も叶えてやれなかった。アルムは俺に野菜や果物、色々な食べ物を持ってきてくれた。たくさんの本を、物語を聞かせてくれた。俺のために魔法使いの見習いになってくれた。俺のために、石の鱗を作ってくれた。俺の体を掃除してくれた。きっとたくさんの人にも愛されていたはずだ、俺も同じだ、愛していたのだ。俺さえ居なければアルムは幸せな人生を送れたはずなのに・・・
アルムの魂はまだここに居る。アルムの望みを叶える方法が一つだけある。それにかけよう。想いを伝えるんだ。俺は指につけてくれた石の鱗をアルムの胸に置いた。アルムが身に着けていた鱗に重ねて。そして毒の沼へと進む。俺の命は永遠だ、しかし討伐されれば死ぬ。俺はこの方法以外で死ぬことは出来ない。これが最後の贈り物になることを願う。俺の体か沼に入る。ゆっくりと沈んでゆく、鱗を失った俺の体は沼へと溶けてゆく、俺の血は毒へと混ざり合う。俺が見た最後の光景、それは、天井から漏れる光に照らされ、美しく咲く花を、静かに抱くアルムの姿だった。
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俺の体は消え失せ、魂だけとなってアルムを探す。あの小さな光を目指して。沼からアルムの肉体へ、そして心の残滓へ、そして魂を探す。しかしそこにはアルムは居なかった。アルムは何処に居る? 何処へ行ってしまった? 俺は何処へ行けばいいのだ? アルムが居ないはずはない。俺はここだ、ここに居る。アルム!
……声が聞こえる、聞きたかった声、探し求めていた声、聞こえる、かすかに
「ここに……居るよ わたし…… ここに居るよ」
聞こえるすぐ近くだ、何処から聞こえてくる?
「わたし 生きてるよ ここで 生きてる」
えっ? 生きてる? でも体に魂は居ない
「ここだよ 上を見て」
ああ、そこか、そこに居たのかアルム!
「探したよ、もう旅立ったのかと思ったよ」
「いいえ、私はここでずっと、見守るつもりだったのに」
「でも、まさか、花に生まれ変わっているなんて思わなかったよ」
「ラルゴ様こそ泉になるなんて、流石は竜、あっ、もと竜でしたねっ」
「前から言いたかったんだけど、様で呼ぶのはやめてほしいな」
「はい、分かりました、ラルゴ」
「ありがとうアルム、でも花だと枯れてしまうよ、前はそれで失敗したんだよ」
「でも今はラルゴが居る、沼を泉に変えてくれたでしょ?」
「俺にそんな力はないよ」
「やっぱり知らなかったんだ、竜の血は毒を消すの 酸は竜の肉が中和したのよ」
「中和? やっぱりアルムは凄いな色々知ってる」
「わたし、魔法使いだったものね」
「じゃあ早速、王子様にしてくれる?」
「えっ、もう? 気が早くない?」
「そうだね、おしゃべりがこんなに楽しいなんて、アルムはやっぱり俺の宝物だ」
「ありがとうラルゴ、私の願いを叶えてくれて」
「じゃあ俺の願いも聞いてくれるかな?」
「ええ、何でも言って!」
「俺……いや、もう竜じゃないし、えっと、その、僕と結婚して下さい!」
「ラルゴ……大好き!」
「僕も……大好き!」
「「一緒だ、あはははははっ!」」
ああ……やっと想いを伝えられた……
ここまで読んでくれてありがとうございます。
二人の物語は、次が最後のお話となります。