第7話 自動翻訳は、プロポーズを保証しません
「あなたの家の火を、一生守らせてください」
そのひと言で、住み込みの仕事が決まったらしい。
「……おめでとうございます、と言っていいのでしょうか」
「よくないです。僕は結婚を申し込んだつもりなんですから!」
雨宮ネネは持ち上げかけたペンを静かに戻した。転生相談室で働き始めてから、客の第一声を聞いて即答しない技術だけは、着実に身についている。先週はスライムに能力の説明を求められ、昨日は魔王の城が観光施設になっていると訴えられた。今日は恋愛相談である。
ただし、恋愛相談を受ける部署ではないはずだった。
「申し遅れました。雨宮ネネです。まず、お名前と転生先を伺ってもよろしいですか」
「篠原悠人です。転生先は第三一四世界の、ルーヴェンって町。あの、話を聞いてもらえるんですよね?」
「転生時に付与された能力のご相談なら、こちらで承れます」
「それです! 自動翻訳のせいで、好きな人に雇われたんです!」
悠人はカウンターに身を乗り出した。二十代半ばほどの顔立ちに、襟の高い旅装。胸元には真新しい革紐が結ばれていて、その先に小さな金属札が揺れている。札には見慣れない文字が刻まれていたが、ネネが目を凝らすより早く、悠人がそれを裏返した。
「これは?」
「従業員証です。昨日もらいました」
「お早いですね」
「告白して五分後ですよ。そんなスピードを求めてないんです」
悠人の声が待合室まで響き、背後の椅子が一斉にきしんだ。
椅子だけでなく、部屋そのものが今日は妙に狭い。一昨日、無限収納に紛れたネネの有尾種用椅子を返すため、施設係が朝から候補の椅子を二十脚も運び込んでいたのだ。白瀬律は部屋の片隅に積み上がった椅子を見て、たいへん申し訳なさそうな顔で「元の持ち主を確認中です」と言った。
自分の椅子を取り戻すために、よその椅子を二十脚も預かることになるとは思わなかった。どの椅子も座り心地がよさそうなのが、余計に腹立たしい。
「雨宮さん、こちらです」
白瀬が書類を差し出した。悠人の能力は《自動翻訳・双方向》。話した言葉を相手の言語に、相手の言葉を自分の言語に、それぞれ置き換えるものらしい。発音や語順の違いを気にせず会話できるが、他人の感情を操作したり、相手の考えを読んだりする機能はない。
「登録上は、正常に付与されていますね」
「そこなんです。会話はできるんですよ。買い物も道案内も問題なし。なのに、肝心なところだけおかしい」
「肝心なところ、というのは」
「恋愛です」
言い切られると、こちらが少し恥ずかしくなる。ネネは手元の用紙に「意思疎通に関する相談」と書きかけ、「意思疎通」の範囲があまりにも広いことに気づいてペンを止めた。
*
悠人が転生したルーヴェンは、冬が長い町だという。街路には石造りの暖炉が並び、パン屋も染物屋も、火を扱う店はそれぞれ専属の火守りを置いている。悠人が好きになったリーネという女性も、町はずれで小さな焼き物の工房を営んでいた。
「最初は道に迷った僕を助けてくれたんです。窯の前で作業していたのに、わざわざ外まで出てきて。で、次の日にお礼を持っていったら、一緒にお茶を飲んでくれて」
「それは、親切な方ですね」
「そうなんです。すごく親切で! 手が荒れてるのに細かい絵付けが上手で、焼き上がった器を見るときだけ子どもみたいな顔になるんですよ」
悠人の話し方が変わった。さっきまで端末の故障を訴えていたときとは違い、言葉を探しながら、うれしそうに話している。ネネはその表情を見て、名前と能力のほかに、相談票へ書くべきことがあるのではないかと思った。
「それで、結婚のお話になったんですか」
「いや、まだそこまでは。三回目に会ったとき、気持ちを伝えようとしたんです」
「三回目ですか」
「早いと思います? でも向こうも、工房の奥まで入れてくれて。『ここで火を絶やさずにいてくれる人が欲しかった』って」
ネネは一瞬、言葉を飲み込んだ。
火を絶やさずにいてくれる人。それは確かに、告白を待っている人の言い方にも聞こえる。もっとも、窯のある工房なら、文字どおり火の番をしてほしかった可能性もある。
「それで『あなたの家の火を、一生守らせてください』と」
「はい。僕なりに、一番真剣な言葉を選びました」
「リーネさんは何と?」
「『そんなふうに言ってくれる人を探していた』って。それで抱き締められました」
「まあ」
「嬉しかったんです。嬉しかったんですけど、すぐ『明日の朝は四時に来て』って」
ネネは書きかけの「意思疎通」の字を見つめた。
「朝四時?」
「僕も最初は、朝日を二人で見ようって意味だと思ったんです。そしたら窯の灰かきを教えられて。次の日は薪割り。工房の裏の小部屋まで貸してもらって、職人さんたちのお弁当を運んでいたら、先輩の火守りから勤務表を渡されました」
「……お仕事ですね」
「お仕事なんですよ!」
悠人は裏返していた札を表に戻した。札には、彼が教わった現地の読み方で《臨時火守り・悠人》と刻まれているらしい。思えば、結婚の約束をした相手から最初にもらったものが従業員証というのは、なかなか切ない。
「無理に働かされているんですか?」
「いえ、嫌だとは言ってないです。手伝うのは楽しいし、工房の人も優しい。ただ、これって告白が伝わってないですよね」
「少なくとも、お話を聞く限りでは……」
「ですよね。翻訳がちゃんとしてれば、こうはならないはずなんです」
悠人はついに、相談票の「ご希望」欄を指でたたいた。
「僕の本当の気持ちが伝わるように、翻訳を直してほしいんです。できれば、今からでもあの言葉を『愛しています』に変えてもらえませんか」
ネネの指先が止まった。過去の発言を役所が勝手に書き換えてよいはずはないし、言い直したところで相手の気持ちまで決まるわけではない。だが、そこで正論を口にしただけでは、悠人がまた「話が通じない」と怒り出すのは目に見えていた。
「まず、その言葉が実際にどう翻訳されたのか調べましょう」
そう答えると、悠人の顔が明るくなった。
「できるんですか!」
「確認できる記録があるか、担当課に尋ねてみます。全部残っているとは限りませんけど」
「お願いします!」
ネネが隣を向くより先に、白瀬は内線を取っていた。
「記憶処理課の応援が今日は来ています。言語補助の処理記録にも詳しいので、呼びましょう」
「記憶処理課?」
「言語を理解するための補助機能は、記憶に関わる仕組みと共通の部分があるそうです」
白瀬の説明を聞いていると、いつもながら部署の分け方がよくわからない。ネネは市役所で、道路に空いた穴の問い合わせが三つの課を回ったことを思い出した。死んでも組織というものは、自分の担当をきれいに切り分けようとするらしい。
*
「はじめまして。記憶処理課のミラです」
現れたのは、銀色がかった髪を肩で切り揃えた小柄な女性だった。胸の名札には《技術職員》とある。背中には薄い光の羽が二枚浮かび、本人が気に留める様子もなく、机に置いた書類の上でふわふわ動いている。
「翻訳事故と伺いましたが、翻訳そのものは正常の可能性が高いです」
「まだ何も見てないですよね?」
ネネが言うと、ミラは真剣な顔でうなずいた。
「ですから、可能性が高い、と言いました」
「言葉の選び方は正確なんですね」
「専門です」
その自信が今いちばん危ない気がする。
ミラは悠人から記録照会への同意を取り、携帯端末へ細い板をつないだ。白瀬が手続きに必要な項目を入力していく。やがて、当日の翻訳処理記録が画面に並んだ。会話のすべてが音声で残るわけではないが、能力が変換した言葉と、その処理が正常だったかは確認できる仕組みだという。
「結果が出ました。変換精度、百パーセントです」
「おかしいでしょう!」
「いいえ。百パーセントなので、おかしくありません」
「結果がおかしいって言ってるんです!」
「結果と処理は別です」
会話が二人の間で跳ね返り始めた。白瀬が「ミラさん」と呼びかけるが、彼女は処理画面に夢中になっている。
「『あなたの家の火を一生守らせてください』は、現地語でも同じ意味になっています。『あなた』『家』『火』『守る』『一生』。省略も欠落もありません」
「じゃあ、どうして雇用契約みたいな話になるんですか」
「その言い回しは、ルーヴェンの火守り募集で使われる定型句だからです」
「……今、なんて?」
悠人が目を見開いた。
「火守りを志願するとき、正式に言う文句です。古い慣習で、炉の火を生涯大切に扱うという誓いを表します。実際には雇用期間を一生に固定する意味ではありません」
「そんなの、聞いてない!」
「聞かれませんでしたので」
ミラは悪気なく答えた。
ネネは思わず机に手を置いた。隣の白瀬は、こういうときほど無表情になる。注意しなければならないのはわかっているのに、どこから話を戻せばよいのかわからない。
「ミラさん。今のは本人が困る前に教えてほしかった情報です」
「でも翻訳自体は正確です」
「それは、もうわかりました」
「百パーセントです」
「数字はもう十分です!」
声が重なった瞬間、待合の呼出ベルが鳴った。廊下では施設係が椅子の台車を押し、二十脚分の背もたれががたがたとぶつかっている。さらに悠人が「どうすればいいんだよ」と訴え、ミラが「改善するなら文化注釈機能を」と説明を続けた。
耳の奥で、それぞれの音が同じ大きさになった。
ネネはうまく聞き取ろうとして身を乗り出した。すると、椅子の端が尻尾に当たる。痛みと騒音が一緒になって、考えがまとまらない。せっかく聞こえる耳があるのに、これでは何も聞き分けられない。
「……白瀬さん。申し訳ないんですが、席を移してもいいですか」
「ええ。奥の相談席を空けます」
「呼出音も少し下げてもらえると助かります」
「施設係に頼みましょう」
我慢しなくてもよかったのだ、とネネは移動するあいだに思った。耳のよさを褒められることはあっても、聞こえすぎて困る話を、これまで職場でほとんどしてこなかった。自分で言えばよかっただけなのかもしれない。
奥の小さな相談席は、書棚が壁代わりになっている。机も低く、目の前の声がきちんと聞こえた。悠人も幾分落ち着いたらしく、胸の札をいじりながら座っている。
「さっきは、大きな声になってすみませんでした」
先に謝ったのは悠人だった。
「いえ、こちらも慌ただしくしてしまいました。少し整理させてください」
ネネは新しい用紙を一枚取り、真ん中へ縦に線を引いた。
「左は、翻訳で何と言ったことになっているか。右は、その言葉が現地でどう受け取られるかです」
「……違うんですか」
「同じ言葉でも、使う場所や慣習によって、受け取られ方が変わることはあります。人間界でも『今度ご飯に行きましょう』が、必ず日時の決まった約束になるわけではないでしょう」
「ありますね。社交辞令ってやつ」
「それに近いと思います。今回は、相手の方が職人さんだったので、仕事の言葉として受け取られた可能性が高いんです」
ミラが横から用紙をのぞいた。
「可能性ではなく、火守り志願の慣用表現として登録されています」
「登録されていることと、リーネさんがどう感じたかは別です」
ネネが言うと、ミラは少し目を瞬かせた。思いがけない指摘だったらしい。
「本人の感情の記録はありませんね」
「そもそも、そんなものを勝手に調べてはいけません」
「……はい。了解しました」
妙に素直な返事だった。技術の話でなければ、彼女は案外話が早いのかもしれない。
「それで、篠原さん。リーネさんには、もう『結婚を申し込んだつもりだった』と話しましたか」
「……いいえ」
「どうしてですか」
「怖くて」
悠人は札を握り直した。
「工房に通うのが楽しかったんです。火守りの仕事も、思ったより嫌じゃなくて。もし僕が勘違いしてたって言ったら、もう来なくていいって言われそうで」
ネネは返事を急がなかった。本人が何に困っているか、やっと少し見えた気がした。自動翻訳を直せば済むと思っていたが、悠人が恐れているのは、言葉の誤解そのものよりも、今ある居場所を失うことなのだ。
「それなら、まず仕事のことをきちんと話しませんか。火守りを続けたいのか、続けるならどういう条件なのか。そこを曖昧にしたままだと、篠原さんもリーネさんも困ります」
「告白の方は……」
「誰かに好きだと伝えるのは、篠原さんの自由です。でも、お返事はリーネさんが決めることですよ」
悠人は肩を落とした。
「わかってます。わかってるけど、うまく言えないから翻訳を頼んだんです」
「言葉を手伝う能力と、気持ちを代わりに引き受ける能力は、違います。……私も、仕事でうまく謝れないとき、便利な言い回しに逃げることがありますけど」
そこで初めて、悠人が少し笑った。
「役所の人でも?」
「役所の人だから、でしょうか。『ご理解ください』って言うと、自分まで何か理解した気になったりするんです」
白瀬が遠くで咳払いをした。ネネは聞こえないふりをして、用紙を悠人の方へ向けた。
「次に話す言葉を考えましょう。家の火でも一生でもなく、あなたが何を伝えたいかを、具体的に」
悠人は少し考えてから、照れくさそうに口を開いた。
「……あなたと話している時間が好きです。仕事の話じゃなくても、また会いたいです」
「それなら、何を伝えたいのかはっきりしていますね」
「でも、それで断られたら?」
「そのときは、残念ですが受け止めるしかありません」
「ですよねえ」
ネネが笑うと、悠人も今度は声を立てて笑った。さっきまでの怒りが全部消えたわけではないだろう。それでも、少なくともこれから何を話すかは本人が決められる。
*
相談の分類は《翻訳能力の不具合》にはならなかった。ミラが変換記録を示してくれた以上、言葉そのものに誤りはなかったからだ。
代わりにネネは、付与時の説明と現地支援に関する照会を起こした。自動翻訳を申し込む人に、文化的な言い回しまで保証されるような説明をしていなかったか。火守りのような職業上の定型句を、能力の案内に例として載せられないか。現地で仕事の条件を確かめる際、どういう支援先が使えるか。
「現地の生活支援担当へ、労働条件を確認する窓口を案内するよう頼みますね。ただし、仕事の解約や変更は実際の約束を確認してからです。ここで勝手に無効にはできません」
「はい。ちゃんと聞いてみます」
「それと、告白の文面も確認しますか」
悠人が目を輝かせた。
「やってもらえるんですか!」
「変な職業の申し込みになっていないか、という範囲なら」
「ぜひ!」
彼はさっき二人で考えた言葉を書いた。
『あなたと話している時間が好きです。仕事の話じゃなくても、また会いたいです。』
ミラは文字列を端末に通したあと、静かにうなずいた。
「問題ありません。現地の婚姻手続きにも雇用募集にも該当しません」
「よかった……」
「ただし、返事をもらえる確率は計算できません」
「それは、もうわかりました!」
悠人の頬が少し赤くなった。現地での睡眠が浅くなってきたのだろう、肩の輪郭が薄く揺れている。
「ありがとうございました。ちゃんと自分で話してみます。それに、火守りを続けたい気持ちも嘘じゃないんです」
「ええ。そこはあなたの希望として、きちんと伝えてください」
「それじゃ、行ってきます」
その言葉を最後に、悠人の姿が消えた。机の上には相談票だけが残った。従業員証は現地の体に付いていた品ではなく接続時に再現されたものらしく、本人と一緒に消えている。
ネネは手元の用紙を見た。今日もまた、窓口で人の人生のごく一部に触れた。前世の職場でもそうだったが、相談を受けたからといって、その後がすべてわかるわけではない。うまくいったら嬉しい。それでも、結果をこちらの手柄にしてはいけないのだと思う。
「雨宮さん」
白瀬が、机の上へ一枚の施設管理票を置いた。
「椅子の確認が終わりました」
「本当ですか!」
「持ち主不明の二十脚を、備品番号で照合しました。十九脚は別の方のものです」
「じゃあ、残りの一脚が私の?」
「そのはずです。こちら」
部屋の片隅に置かれた椅子の中から、白瀬が背もたれの下に穴のある一脚を引いてきた。座面には見覚えのある小さな擦り傷がある。前に書類の箱をぶつけてしまった場所だった。
ネネは慎重に腰を下ろした。尻尾が挟まらない。足もきちんと床につく。たったそれだけで、午前中ずっと縮めていた肩がほどけるようだった。
「……帰ってきた」
「正式な備品番号で確認できました。『座り心地のよい椅子』より確実ですね」
「名前だけじゃ、何の椅子かわからないですもんね」
言ってから、今日の悠人の相談と少し似ていることに気づいた。同じ言葉で呼んでも、使い道も持ち主も違う。何だかうまいことを思いついた気がしたが、口に出すのはやめておいた。こういうとき、仕事の教訓にしてしまうのは簡単すぎる。
ミラが椅子をのぞき込む。
「これはウサギ系有尾種用の設計ですね。尾部の位置に対する開口部の角度も適正です」
「ありがとうございます。ずっと欲しかった椅子なので」
「耳の方はどうですか。聴覚の負荷が高い種族だと思いますが」
ネネは思わず彼女を見た。
「わかるんですか」
「仕様を見れば。静かな席を選んだのは、正しい判断でした」
「……そうですか」
ミラは自分の端末をしまいながら、当たり前のことのように言った。
「耳がよいことと、騒がしい場所で疲れないことは、違いますから」
そのひと言だけ、今日いちばん説明らしい説明だった。ネネは礼を言おうとして口を開き、結局、軽く会釈した。ミラも同じように頭を下げる。彼女の羽がふわりと動き、白瀬の書類を一枚吹き飛ばした。
「あっ」
「すみません。羽は、まだ距離感が難しくて」
「……私もです」
ネネは耳を押さえた。ミラは飛んだ書類を拾いながら、少しだけ笑った。
受付ベルが鳴ったのは、そのときだった。
ようやく戻った椅子に気持ちよく腰かけたネネの前へ、白瀬が次の相談票を置く。
《身体年齢の訂正について》
「次のお客様は、静かな方です」
「それなら、少し落ち着いてお話ができそうですね」
待合の隅で、まだ若い顔立ちの男性がゆっくり立ち上がろうとしていた。ネネはその姿を見て、反射的に番号を確認する。男性は肘掛けを握り直したが、膝に力が入らないらしく、もう一度椅子に沈み込んだ。
なぜ立ち上がれないのだろう。そう思って、ネネは椅子から腰を浮かせた。
「白瀬さん。先に、あちらへ行ってもいいですか」
まだ名前も聞いていない。それでも、困っている人の声が聞こえるまで待つ必要はない気がした。




