第5話 無限収納の中身が見つかりません!
「物をなくしました」
翌朝九時。転生相談室のカウンターで、雨宮ネネは久しぶりにまともな日本語を聞いた気がした。
目の前の青年は、昨日の令嬢のように婚約破棄の進行表を持参していないし、昨日の勇者のように抜けたがる剣も背負っていない。地味な茶色い上着に、少しくたびれた革靴。荷物らしい荷物は何も持っていなかった。
「承りました。なくされた物を教えていただけますか」
「家の鍵です」
鍵。なんて素晴らしい響きだろう。ネネは危うく顔をほころばせかけた。もちろん紛失物の相談は本人にとって一大事だが、少なくとも鍵は婚約者を勝手に断罪しないし、食べたものの能力を要求してくることもない。
「いつ、どちらでなくされたかわかりますか」
「それが、場所はわかっているんです。自分でしまいましたから」
「……しまわれた?」
「はい。収納能力の中に」
青年は名札を確かめるように身を乗り出した。
「長谷部透といいます。転生するときに、何でも無限にしまえる能力を希望しました。無限収納です。名前のとおり、どれだけ入れてもいっぱいにはならないんですが、家の鍵だけ取り出せなくなりまして」
ネネの耳がゆっくりと後ろへ倒れた。昨日の帰り際に「普通の相談がいい」と願った自分を、今すぐ呼び戻して注意したかった。
「ちなみに、ほかの物は出せるんですか」
「ええ。欲しい物がどこにあるかわかれば。ただ、入れた物が増えすぎて」
「どのくらい?」
「まだ、ちょっとしか」
透は申し訳なさそうに視線を落とした。
「荷馬車で四十台分ほどです」
隣の席で白瀬律が、書類をめくる手を止めた。
「四十台を『ちょっと』と表現する人は、初めてですね」
「だって容量は無限ですよ。四十台なんて誤差でしょう」
容量が無限でも、探す本人の記憶力まで無限になるわけではない。その当然の事実を、ネネはまだ言わずにおいた。先に事情を聞く。ようやく四年の窓口経験が生かせそうな案件なのだから。
透は異世界で行商人をしているという。転生したときは荷物が邪魔にならない暮らしに感激し、見つけた品を片端からしまい込んだ。旅先で手に入れた食器、折れた傘、安売りの絨毯、いつか修理するつもりの家具。中には本人も由来を思い出せない物があるらしい。
「どうしても捨てられないんです。持っていて困ることがないので」
「今、困っていらっしゃいますね」
「鍵だけなんですよ!」
強い口調で言い切られてしまった。ネネは端末を開き、転生時の登録を確認した。
能力名は《無限収納》。収納容積の上限なし。所有者が記憶し、識別できる収納物を個別に取り出すことが可能。自動分類・内容物の検索機能は付属しない。
「鍵の形や、どこへしまったかは覚えていらっしゃいます?」
「鍵は鉄製で、丸い頭のやつです。家を借りた日に預かりました」
「収納されたときのご様子は」
「……その辺は、あまり」
透は額に手を当てた。
「鍵って念じると、違う鍵が出るんです。物置の鍵とか、古い宝箱の鍵とか。昨日なんて鍵盤まで出てきました」
「鍵盤?」
「壊れた楽器の。鍵って部分だけ伝わったんでしょうね」
白瀬が端末をのぞき込む。
「この能力、取り出す対象を本人が区別できない場合は、候補が混同されるようですね」
「つまり能力自体は壊れていない?」
「今のところ、そう見えます」
透の眉間にしわが寄った。
「じゃあ、どうしたらいいんですか。借りた家には商売道具もあるし、宿代だってもう三日分払ってるんです。扉を壊したら大家さんに叱られる。鍵を返せる能力がないなら、何のための無限収納なんだか」
まったく別の能力を要求されるより、難しい。希望どおりの機能がついているのに、使い方が本人の手に余っている。ネネは受付票の余白へ「紛失ではなく、収納位置の特定」と書いた。
「実物を見ながら思い出せることもあります。まず、どんな物をしまっているか……」
言いかけたところで、透がぱっと顔を明るくした。
「そうか。全部出せばいいんですね!」
「いえ、全部とは――」
「出します!」
青年が両手を広げた。
空中に青白い輪が開いたのは、その直後だった。
最初に落ちてきたのは、木製の椅子である。次に枕が三つ。細い脚の丸机。布を巻いた長い棒。どういう順序でしまったのか、鍋のふたが鈴のような音を立てて転がり、その後ろから巨大な絨毯がずるりと吐き出された。
「長谷部さん! いったん止めてください!」
「まだ入り口近くの物だけです!」
「入口がどこでも止めてください!」
白瀬が非常停止のボタンを押す。相談室の天井に防護の光が走ったが、開いた輪は閉じない。代わりに、落下物から窓口を守る光の仕切りが張られ、絨毯がその上へ器用に乗っかった。
「白瀬さん、止まりません!」
「収納品の搬出は、攻撃能力として登録されていないようです」
「だからって家具の雨を降らせていいわけないでしょう!」
次に現れたのは、牛だった。
ネネが思わず後ずさると、牛は床に落ちてもぴくりと動かなかった。石でできた、ほぼ実物大の置物である。角の片方には値札までぶら下がっていた。
「……何で牛をしまっているんですか」
「安かったので」
「その理由で買う物の大きさじゃありません!」
牛は受付番号の表示板を押し倒し、そこでようやく透が能力を止めた。
室内はひどい有様だった。書類棚の前に樽が並び、来客用の椅子の上には箱詰めの皿が積まれている。白瀬の机は絨毯に半分埋まり、窓口の奥には巨大な牛の尻が鎮座していた。
時計を見ると、まだ九時十二分。十数分前までは、一枚の受付票すらきれいに並んでいたのに。
「……すみません。私の言い方が悪かったです」
ネネが頭を下げると、透も目を丸くした。
「いや、勝手に出したのは僕ですけど」
「そこは、そうです。次からは必ず確認してから動かしてください」
「はい」
その返事だけは素直だった。
白瀬は樽の間を縫って、壁の掲示板を見上げた。
「搬出を止められないのは設備側にも問題がありますね。施設管理へ報告します」
「報告より先に通路を空けたいです」
「では、雨宮さん。指揮をお願いします」
「私がですか?」
「最初に『全部出せば』という話になったので」
「私は言い切ってません!」
白瀬は否定しなかった。否定もしないまま、端末の記録をネネへ引き継いだ。
仕方がない。ネネは袖をまくり、長谷部を呼んだ。
「まずこの品物、すべて元へ戻せますか」
「できます。でも一度に戻すと、どこに何をしまったかわからなくなって……」
「それはもう、なっています」
「……そうでした」
ネネは深呼吸した。怒鳴っても鍵は出てこない。書類の束が積み上がっても順序さえ決めれば何とかなる、と市役所時代の上司は言っていた。実際はそう簡単ではない日もあったが、今日はそれでいくしかない。
「一つずつ確認します。戻す物は種類ごとにまとめて、しまう前に呼び出す名前を決めてください。白瀬さん、受付票の裏を何枚かいただけますか」
「裏紙なら、こちらに」
「品目表にします。家具、衣類、台所用品、その他。壊れやすい物から離して、通路も一本確保しましょう」
透は目を輝かせた。
「なるほど。収納を整理するわけですね!」
「ええ。今ごろですけどね」
まず皿を片づけ、次に鍋と家具をまとめる。透がそれぞれを収納すると、物の山は少しずつ小さくなった。ネネは付箋代わりの紙切れに「木箱・赤い留め金」「茶色の丸机」「左の角が欠けた牛」と書き、それを読み上げて透に覚えてもらう。
「牛は『石の牛』でいいです」
「では『石の牛』で。左の角が欠けていると書くと、ほかの牛と混ざりませんよ」
「ほかにもあるんですか?」
「三頭あります」
ネネは一度、仕事を辞める未来を想像した。
牛を二頭追加で出される前に、話を次へ進める。
「家の鍵を受け取った日を、思い出しましょう。どんな服を着ていました?」
「服?」
「鍵をなくしたときの動作を、順番に追ってみたいんです。大家さんから渡されたあと、すぐ収納へ入れました?」
透はしばらく考えた。
「雨が降っていたんです。だから鍵を上着のポケットに入れました。そのあと市場へ行って、荷物が増えたから、上着ごとしまって……あれ?」
ネネは顔を上げる。
「上着ごと?」
「ええ。鍵だけしまうのを忘れて」
「収納したとき、能力から見た『一つの品物』は何だったんでしょう」
白瀬が端末を確かめた。
「収納した物の内側に入っている品は、別個には索引されない仕様ですね。上着のポケットの鍵は、『鍵』として呼び出せない可能性があります」
透は息をのんだ。
「上着だ! 濃い緑の、雨の日に着るやつ!」
彼が片手をかざすと、空中に開いた小さな輪から、厚手の上着がするりと現れた。さっきのように家具が降ってくることはない。ネネが指さすより早く、透は内ポケットを探った。
じゃらり、と音がした。
取り出した鉄の鍵には、家を借りた町の名前と、雑な字で「二号」と書いた木札が結ばれている。
「あった!」
相談室に声が響いた。透は両手で鍵を持ち上げ、心からほっとした顔で笑う。念のため、いったん鍵だけを「借家二号の鍵」として収納し直してもらうと、今度は同じ名前で問題なく呼び出せた。ネネもつられて息を吐いたが、すぐに石の牛が視界へ入った。
「見つかってよかったです。……ところで、部屋の片づけは続けてくださいね」
「もちろんです!」
透は喜び勇んで上着を収納し、それから残りの品物を手際よく片づけ始めた。すでに識別名をつけた物は迷わず戻せる。さっきまで乱雑な山だった物が、名前のある荷物へ変わっていくのは少し気持ちがよかった。
「無限って、便利なんですけど、全部覚えてなきゃ意味がないんですね」
「そうですね。あとは、いらない物を本当に取っておくかどうか、考えるのも大事かもしれません」
「でも置き場所は要らないからなあ」
「探す時間は要りますよ。現地へ戻ったら、しまった物の一覧を紙に書いておくのもおすすめです」
透は返事の代わりに、目をそらした。
やがて床が見えるようになり、倒れた表示板を白瀬が起こす。透が石の牛を最後に収納しようとしたところで、ネネは手を上げて止めた。
「待ってください。牛が三頭あるんですよね」
「はい」
「最初の一頭と間違えない名前を付けてから、しまいましょう」
透は値札を読み上げた。
「『豊穣を呼ぶ牛・右向き』だそうです」
「じゃあ、これは右向きで登録ですね」
「いや、それが……三頭とも右向きなんです」
ネネは天井を見上げた。豊穣を呼ぶなら、せめて仕事を減らしてほしい。
*
片づけが終わり、ネネはようやく受付票の処理に戻った。
能力登録自体に誤りは見つからない。問題は、無限収納が何でも自動で整理してくれると思い込んでいたことと、取り出し方の説明が不十分だったことだ。収納した物の内側は検索対象にならないという注意書きも、本人へ渡された案内には載っていない。
「今回は『能力の不具合』ではなく『操作案内の不足』として記録します。説明書の見直しを依頼しますね」
「そうしてもらえると助かります。僕以外にも、鍵をなくす人がいると思うので」
「四十台分しまう方がどのくらいいるかは、わかりませんけど」
透は照れ笑いした。ネネはもう一枚、施設管理宛ての報告書を起こす。客が出した収納品が窓口にあふれ、防護設備では止められなかったこと。通路が塞がれたこと。再発防止のために搬出量の制限を確認したいこと。
「こちらは私たちの設備の問題です。今日のことで、ちゃんと報告しておきます」
「……僕、怒られたりしませんか」
「勝手に大量の品物を出したことは、よくありませんでした。ですが、相談を受け付けないという話ではありません」
透は素直に頭を下げた。
「すみませんでした。あの、鍵は見つかったので、そろそろ戻らないと」
「はい。家へ帰ったら、まず鍵の置き場所を決めてくださいね」
「わかりました。今度こそ鍵用の箱を買います」
それも収納しそうだ、とは言わずにおいた。
透の姿が薄くなり始めた。現地の体が目を覚ますのだろう。彼は鍵をもう一度確かめ、嬉しそうに握ってから、消える間際に首をかしげた。
「そういえば、大家さんに返す予備の鍵もあったような……」
「それは、帰ってから調べてください!」
最後の声だけ残して、透は消えた。相談室には本人の持ち込んだ品物の姿はなく、実物の受付票と施設報告書、それから倒れた表示板の傷が残っている。
ネネは肩を回した。午前中に失くした鍵が見つかり、能力の注意書きも改善につながるかもしれない。少しぐらい達成感を味わってもよさそうだった。
「白瀬さん。意外と普通の紛失物相談でしたね」
「牛が降ってきましたけどね」
「そこは忘れましょう」
机へ戻ろうとして、ネネは足を止めた。
椅子がない。
先日ようやく支給された、尻尾を挟まない有尾種用の椅子。机の前にあるはずのそれが、きれいさっぱり消えていた。
「……白瀬さん」
「はい」
「私の椅子は?」
白瀬は相談室を見渡し、透が品物を片づけていた場所へ目を落とした。
「混ざったんでしょうね」
「混ざった、って……何にですか」
「無限収納に」
ネネの耳が、今まででいちばん高く跳ね上がった。
「あの椅子がないと・・」
白瀬は何も言わず、机の端末を開いた。
「長谷部さんの次の相談予約を入れますか」
「入れません! まず本人に連絡です!」
慌てて連絡先を開くネネの横で、白瀬が穏やかに付け加えた。
「ちなみに、備品の再支給は申請が必要です」
「……どのくらいで届きます?」
「確認中です」
ネネの笑顔は崩れなかった。ただ、頭の上の二本の耳だけが、音もなく前へ倒れた。




