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雨宮ネネの苦悩と野望 ~死んでもクレーム対応!勇者も魔王も整理券をお取りください!~  作者: 月森 こはる
第二章・迷宮管理局編

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第37話 工事が終わった廊下に、入れません


 翌朝、雨宮ネネの机には、三枚の地図が並んでいた。


 どれも第七迷宮の西連絡廊下を描いたものなのに、三枚とも線のつながり方が違う。


「昨日、照会したのが最新版じゃなかったんですか?」

「昨日、照会した時点では最新版でした」


 モルンは胸を張って答え、すぐに肩を落とした。


「今朝、前の最新版より古い最新版が見つかりまして」

「それ、古い版ですよね」

「番号は新しいんです。ただ、記録が登録されたのは三日前で、現場へ適用されていません」

「順序を入れ替えて説明された気分です」


 織部シズが二人の間に一枚の連絡票を差し入れた。


《西連絡廊下C四区画 工事完了》

《接続図面 更新済》

《現地通行許可 記録なし》


「昨日、口コミに出てきた廊下よ。モルンが朝いちばんで照合してくれたの」

「工事が終わって、図面も新しくなったのに、通れないんですか」

「それを確かめるのが今日の仕事」


 シズは事務用の付箋を取り出し、三つの欄にそれぞれ貼った。


「工事が終わった。紙の上で道がつながった。人を通していい。この三つ、同じ意味じゃないのよ」

「はい。第七迷宮で嫌というほど覚えました」

「なら話が早い。問題は、ほかの人が覚えていないことね」


 その言葉を待っていたように、受付から呼出音が鳴った。


 窓口に立っていたのは、大きな配達鞄を背負った女性だった。肩紐を外した途端、鞄が床で重そうな音を立てる。


「西連絡廊下って、いつ開くんですか」


 女性は名乗りもせずに尋ねたあと、慌てて帽子を取った。


「すみません。運送組合のハルカです。新しい地図だと、うちの荷物集積所まで近道ができたことになってるんですけど、現地では扉が閉まったままで」

「現在、安全確認が完了していないため通行できません」

「それは現場の人にも聞きました。でも、荷主からは『道ができたなら早く運んで』って言われるんです」


 彼女は配達票を広げた。以前の経路なら集積所を大きく迂回する。地図の赤い線が使えるなら、運搬の手間は半分以下になるらしい。


「通れないのは分かっています。だから、通れるって書いてあるのを何とかしてほしいんです。私たち、毎回説明して回ってるので」


 ネネは顔を上げた。


 通れないことへの苦情だと思っていた。だが、彼女がいちばん困っているのは、通れるという間違った情報を信じた人の期待だった。


「案内図を見せてもらえますか」

「これです。昨日、町の掲示板で配られたもの」


 紙の隅には、版番号と小さな文字があった。


《工事完了に伴い経路を更新しました》


「……通行を許可した、とは書いてないですね」

「でも普通、線がつながっていたら歩いていいと思いません?」

「思います」


 ネネの返事が早すぎたので、シズが横で小さく笑った。


「だからこそ、直さないといけませんね」


 ネネは案内配布先を確認し、町の掲示板と運送組合に暫定の訂正を送ることを約束した。開通日までは言えない。代わりに、確実に使える迂回路と、問い合わせ先を知らせる。


 ハルカは、上着の胸ポケットから折り畳んだ納品票を出した。裏面には荷主の走り書きがあった。


《工事完了のため西廊下経由。遅延は運送側負担》


「この一行がね、朝からずっと引っかかってるんです。荷物が遅れたら、私のせいになる。通れると書いた人は、ここにいないのに」

「荷主さんにも、使えない経路だと分かる案内が必要ですね。私から訂正文を出すだけでなく、現地で確認した情報だと分かるようにします」

「ありがとうございます。今日の荷物は迂回して運びます。余分にかかった時間は、荷主と相談してみます」


 ハルカはようやく鞄を背負い直した。


「日付が決まったら、早めに教えてください。荷馬車の予定を組み直すのも、ただじゃないので」

「はい。『工事完了』だけでお知らせしないよう、こちらでも確認します」

「お願いします。道が増えて、仕事まで増えるとは思わなかった」


 彼女を見送ったネネは、机の上の三枚の地図を眺めた。


 最新版とは、いったい誰のためのものなのだろう。


     *


 西連絡廊下C四区画へは、保安側の固定観測通路から状況を確認できるという。


 七草伊織の同行許可を受け、ネネとモルンは保安班の作業に立ち会った。ただし、閉鎖扉の向こうへは入らない。二人の役目は、現地の表示と帳票が一致しているか確かめることだった。


 扉の手前には、真新しい石畳が続いていた。壁には立派な灯りが並び、頭上には金色の矢印がある。


《西連絡廊下 こちら》


「……本当に、通れそうですね」とネネ。

「見た目はね」と七草。


 七草が保安員に合図すると、扉の脇に設置された計測板が青く光った。奥の床へ、細い測定光が一本伸びる。途中まではまっすぐだった光が、廊下の中央で妙な角度に折れた。


「通路の固定位置がずれています。荷重をかける試験も終わっていない。向こうの可動区画が次に移動したら、この継ぎ目に段差ができる可能性があるわ」


 ネネは新しい石畳を見た。


 何も知らなければ踏み出してしまう。むしろ、古い廊下より歩きやすそうに見える。


「完成した時点では、そこまで検査する手順だったんですか?」

「施工記録によれば、壁と床の取り付けまでが契約範囲。可動区画との接続試験は、保安班の担当よ」

「じゃあ工事完了は間違いじゃないんですね」

「間違いではない。ただし、通行できる証明にはならない」


 モルンが持っていた図面を広げた。風もないのに端がくるりと丸まり、彼の耳を覆った。


「うう、今日はまだ一枚なのに」

「巻かれながら説明しないで」と七草。


 モルンは両手で図面を押さえた。


「この線がつながったのは、施工課から《工事完了》の連絡が入った時刻です。地図の作成装置が、その信号を受け取って自動でつないでしまったんです。でも現地試験の欄は、ここ。ずっと空白です」


 ネネは、表の端に小さく印字された欄を見つけた。


《通行状況:利用可》


「なぜここだけ、利用可に?」

「……それが、分からなくて」


 モルンは指先で紙をめくった。


「地図を出力するとき、空欄だったら前回の状況を引き継ぐ設定なんです。工事前、この区画は《通行準備中》だったはずなのに、以前接続していた固定経路の登録が《利用可》だったらしくて」

「別の道の『利用可』が、残ってしまった?」

「そうです。地図を作る人が変えていなくても」


 七草の目が細くなった。


「原記録を見ないと断定できないわ。施工課と運営計画室へ、更新履歴の保全を求めて。こちらは通行禁止を継続します」


 七草は入口の監視員へ、訂正文が届くまで交差路での案内を続けるよう指示した。町に送った訂正が現地に伝わるまで、古い矢印は人を呼び込み続ける。ネネは保安員から掲示の位置を聞き、運送組合にも補足の連絡を入れた。


 保安員が扉の前へ大きな表示板を設置した。


《工事完了・通行禁止 現地検査未実施》


 ネネは一文字ずつ読んだ。


「分かりやすいです」

「分かりやすくないと困るのよ」


 そのとき、廊下の反対側から大きな声がした。


「ここを通れば、資材が早く届くんですけど!」


 声の主は、作業用の台車を押した男だった。七草が説明を始めるより早く、ネネは扉の外側まで歩み寄った。


「近道をご利用になりたいんですね」

「そりゃそうだ。向こうの詰所に工具を運ぶのに、ぐるっと回らないといけない。地図にはできたってあるのに」

「道はできています。ただ、安全に通れるかの確認がまだです。工具はどこへ届ける予定ですか?」


 男が場所を告げると、保安員が既存の搬送経路を調べてくれた。時間はかかるが、固定区画を通る方法がある。


「じゃあ、その道を使うしかないか」

「お急ぎなのにすみません」

「謝らなくていいよ。通れるようになったら教えてくれれば。こっちだって、荷物ごと落ちたくはない」


 男は台車の向きを変えた。


 ネネは、遠ざかっていく車輪の音を聞いていた。


 立派な石畳を作っただけでは、道は道にならない。それを利用する人が、安心して向こう側に着けて、初めて仕事が終わるのだ。


     *


「で、俺に運べるものは?」


 固定観測通路の入口で、天城凱斗が腕まくりをして待っていた。


 昨日まで口コミの星を気にしていた勇者は、今日は運搬補助の立会人として呼ばれたらしい。


「カイト、今日は別の依頼じゃなかった?」

「保安班から、現場の資材が足りないって連絡をもらった。許可されている場所だけで、だよ」


 凱斗は先回りして言い足した。


 ネネは肩の力を抜いた。


「そこまで言わなくても」

「言わなきゃ怒るだろ」

「勝手に扉を開けたら怒るよ」


 七草が凱斗へ、固定通路の外に積まれた仮設の案内板を指さした。


「閉鎖扉の手前まで運んで。設置は保安員が行う。あとは周囲の通行人を誘導してくれると助かる」

「了解です」


 凱斗は板を二枚抱え、一往復で運んだ。剣を抜くよりよほど役に立った気がして、ネネは少し笑った。


「何?」

「勇者って、力仕事もできるんだなと思って」

「俺の仕事、それだけじゃないんだけど」

「知ってる。でも、今日はいちばん必要な仕事だったよ」


 凱斗は照れくさそうに笑い、空になった両手を見た。


「この廊下、剣なら障害物を壊せそうだけど」


 ネネが耳を立てると、彼はすぐに首を振った。


「壊さないよ。見た目だけで判断しちゃだめだって、最近よく分かったから」

「最近、教育の成果が目に見えて嬉しい」

「子ども扱いするなよ」


 七草は二人のやり取りに構わず、閉鎖表示の固定を確認していた。


「勇者でも、現地試験の代わりはできない。少なくとも、自分が通れたから全員通れるとは言えないの」

「はい。俺が持てる板なら、言ってください」

「その答えは助かるわ」


 七草の表情がほんの少しだけ和らいだ。


     *


 庁舎へ戻ると、シズが運送組合からの返事を渡してくれた。


《迂回路の周知、了解。開通時は現地確認済みの案内を希望》


「これでひとまず、間違った地図を頼りに走る人は減りそうですね」

「町の掲示板も差し替えたわ。配達先の方にも事情を伝えてくれたそうよ」


 ネネは安堵した。通れる日を教えられなくても、通れない理由と、いつ次の知らせが届くのかは伝えられる。


 モルンが持ち帰った台帳を机に置く。


「ほかの廊下も調べました。同じように《工事完了》を受けて、図面上だけ開通している箇所が二つあります」

「二つも?」

「うち一つは、第七迷宮の通常出口へつながる可動区画です」


 ネネは手を止めた。


 十一人を閉じ込めた、あの出口。


「ただし、今回の記録だけで事故の原因だと断定はできません」とモルンは続けた。「出口の位置がずれた事情もありますし。分かるのは、現地の許可を確認する前に、図面が更新されたということです」

「それだけでも、十分に困ります」


 七草が原簿の写しを開いた。


「通行許可の原記録には、どちらも承認印がない。でも、運営側の月次集計には《使用可能経路》として入っている」

「許可を出していないのに、使用可能?」

「そう。しかも、検査費の集計では《検査済み》に数えられているのよ」


 ネネは、ハルカの納品票に書かれていた《工事完了》の文字を思い出した。町に出た案内も、月次集計も、同じ二文字から始まっている。誰も嘘を言っていなくても、次の人が受け取る言葉はすっかり違う意味になっていた。


 シズは机の端で腕を組んだ。


「それが本当なら、地図の間違いだけじゃ済まないわね」


 七草は静かに頷いた。


「明日は現地検査の立会い勤務記録も確認する。作業をした人がいるのか、いたなら何をしたのか。そこからね」


 ネネは新しい付箋に三つの言葉を書いた。


《工事完了》

《検査完了》

《通行許可》


 似ているのに、違う仕事だ。


 庁舎を出る前、彼女は机に残った地図へ目をやった。金色の矢印が、閉じた扉の向こうを指している。


 この役所では、人が通れない道ほど、紙の上で立派に完成しているらしい。


 ネネは矢印の脇に、赤い文字で書き添えた。


《まず、現地に聞いてください》


 生前の窓口では、道を尋ねる人によくそう言われたものだった。


 今は、地図の方に言ってやりたい。


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