↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨宮ネネの苦悩と野望 ~死んでもクレーム対応!勇者も魔王も整理券をお取りください!~  作者: 月森 こはる
第二章・迷宮管理局編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/45

第35話 ゴブリンにも休憩時間をください!


 翌朝、雨宮ネネが出勤すると、相談室の前に小さな横断幕が掲げられていた。


《昼休みを返せ! 討伐は営業時間内に!》


 布の両端を持っているのは、膝ほどの背丈のゴブリン二人である。片方は妙に姿勢がよく、もう片方は眠たそうな顔をしていた。二人とも革製の胸当てを身につけているが、剣も棍棒も持っていない。


「おはようございます。迷宮管理局の雨宮です」


 ネネが挨拶すると、姿勢のいい方が胸を張った。


「ゴブリン勤務者組合、臨時代表のグリグだ。話し合いに来た」

「横断幕は、どちらで用意されたんですか?」

「自分たちで縫った。『昼休み』の『休』だけ、一度間違えて縫い直した」


 確かに、文字のそこだけ布が二重になっている。


「ずいぶん丁寧ですね」

「仕事では乱暴者を演じているが、手芸は得意だ」


 隣のゴブリンが、ふわあ、と大きくあくびをした。


「こいつはノッコ。昨日、昼飯を三口食べたところで呼び出された」

「四口だ」

「四口だったそうだ」


 ネネは受付を案内し、二人に番号札を渡した。グリグは番号を見て感心したようにうなずく。


「いい制度だな。俺たちの職場にも欲しい」

「番号札ですか?」

「いや、順番を勝手に増やされない制度」


 なかなか切実な話らしい。


     *


 第七迷宮は、出口消失事件から引き続き本体を閉鎖している。先日ミミックのポコが停止札を飲み込んだ訓練棟も、点検が終わるまで休止中だ。


 ただし、管理区域の南側には、独立した一般見学用の屋外実演場がある。出入りの経路が別で、保安確認も済んでいるため、こちらだけは営業を続けていた。


 そこで働くのが、グリグたち契約ゴブリンである。


 仕事は、冒険者見習いを相手にした模擬戦。あらかじめ決められた動きで飛び出し、攻撃を受けたら転がって負けを演じる。武器には防護術がかかっていて、致命傷を負うような仕組みではないが、転倒の衝撃も疲労も本物だ。


「一日に三回。朝二回、午後一回。間に休憩を取る。それが契約だ」


 グリグが勤務表を広げた。字は几帳面で、各回の開始時刻の横に『負傷確認』『水分補給』『装具点検』の欄まである。


「ところが今週から、昼に一回増えた。昨日は二回だ」

「二回も?」

「一回増えたうえに、その追加分の再演だ。昼飯を食べようとしたら、『お客様がもう一度ご覧になりたいそうです』と呼ばれた」


 隣のノッコが小さく手を挙げる。


「おれ、演目の途中で寝そうになった」

「それは危ないですね」

「だろ。倒れる役なのに、本当に倒れたら労災になるんだ」


 シズがグリグから勤務表の写しを受け取った。


「実演場の運営からは、追加の出演を承諾したと聞いていたけど」

「俺たちは聞かれてない。現場の担当者が『勇者様も望んでいる』と言っただけだ」


 ネネは昨日の相談票を思い出した。


《勇者による無断残業の強要にも抗議する》


「勇者というのは、天城凱斗さんですか?」

「そうだ。剣の上手な、あの勇者だ」


 グリグの声が少し険しくなる。


「『もう一回お願いします』と言った。勇者に頼まれたら、俺たちは断れないと思われているんだろうか」

「分かりました。言ったことと、実際に指示した人を確認します。ただ、その前に」


 ネネは二人の目を見た。


「今日の昼の実演は、どうなっていますか?」

「予定表には入っている。俺たちは出演を断ってきた」

「実演場の方へ、欠員が出ることは伝わっていますか?」

「昨夜、書面で出した」


 グリグが取り出した控えには、受領印があった。


 ネネはすぐにシズへ相談し、実演場の運営と保安班に連絡を入れた。舞台へ出る人員がいないなら、その枠を予定どおりに実施できるとは案内できない。別の魔物を急に投入することも、安全確認なしには認められない。


 七草伊織からの返事は短かった。


《本日昼の追加実演は中止。通常枠の実施可否は現地確認後に判断》


「まず、今日の昼休みは守れそうです」


 ネネがそう伝えると、グリグは深く頭を下げた。ノッコは安心したのか、椅子に座ったまま目を閉じた。


「……寝ました?」

「きのうから寝不足なんだ。少しだけ頼む」


 相談室で昼寝をさせる規則は見当たらない。しかし、起こす理由も特になかった。


     *


 天城凱斗が呼び出しに応じて現れたのは、その三十分後だった。


 ネネが事情を説明すると、彼は最初、ぽかんとした顔をした。


「俺が残業を命じた?」

「そう受け取られたみたい。昨日、実演場で『もう一回お願いします』って言った?」

「言った。でも、あれは……」


 凱斗は途中で言葉を切った。ネネは続きを促した。


「見習いの子が、ゴブリンが倒れたあとに追い打ちしそうになったんだ。係員は止めてたけど、客席が騒いで、説明が聞こえなくてさ」

「それで?」

「次の回があるなら、俺が安全な距離から実演を見て、危ない動きをその場で説明できると思った。運営の人に『もう一回お願いします。危ないところを確認したいので』って」


 ネネはメモを取った。


「誰にお願いしたの?」

「受付の責任者。ゴブリンたちには直接言ってない」

「昼休みの時間だと知ってた?」

「……知らなかった」


 凱斗は眉を寄せた。


「でも、俺に勤務を増やす権限なんかないだろ」

「そうだよ。ただ、勇者が頼んだって聞いて、断りにくくなることはあると思う」

「そんなつもりじゃなかったんだけどな」

「うん。だから、誰がどう伝えたのか調べる」


 シズが横から口を挟んだ。


「ちなみに天城さん。昨日の安全上の問題を、正式な報告にはした?」

「いや。運営の人に口で言えば伝わるかと」

「その運営が、何を伝えたか分からなくて困ってるのよ」


 凱斗は返す言葉を失った。


 ネネは思わず昔のことを思い出した。待ち合わせ駅の出口を決めるときも、彼はよかれと思って先に動き、必要な一言を省いていた。だが今回は、昔の彼ならどうだったかを考えても仕方がない。


「カイト。今から安全報告を書いてくれる? 私も現場を見に行くから、見たことだけを教えて」

「わかった。俺も一緒に行っていいか?」

「七草さんが許可した範囲ならね」


 凱斗はうなずいた。


「……前より、ちゃんと聞かないとな」

「まだ報告書、一行も書いてないけど」

「そこは少し褒めてもらっても」

「書き終わったら考える」


     *


 南側実演場の客席には、小さな子ども連れの見学客が数組いた。


 正面の舞台では、木製の砦に黄色い旗が立っている。訓練の筋書きは単純で、砦を守るゴブリンを冒険者役が追い払うというものだ。


 舞台の袖には、回復用の水、予備の胸当て、休憩用の椅子が並んでいた。ただ、壁に貼られた予定表の一部分だけが、白い紙で継ぎ足されている。


《十二時十五分 特別追加公演》

《十二時四十五分 勇者監修・特別再演》


「勇者監修?」


 凱斗が声を裏返した。


「俺、監修なんかしてないぞ!」


 運営責任者のバルデンは、ふくよかな中年の男だった。ネネが追加公演の経緯を尋ねると、彼は営業日誌を抱えて説明を始めた。


「最近は見学のご希望が増えておりまして。勇者様が再演を望まれたので、ぜひ集客につなげようと」

「私は、人員を追加できる契約になっているかを確認したいんです」

「出演料は増やしていますよ」

「それは、出演者に提示しましたか?」

「……班長を通じて、そのつもりで」


 ネネがグリグの署名欄を確認すると、そこは空白だった。隣には運営側の印だけが押されている。


「では、承諾済みとして登録した根拠は何でしょう」

「以前、追加出演に応じてくれたことがあったので……」

「以前は以前です。今回はどうですか?」


 バルデンは黙った。


 シズが予定表をめくると、昼休憩の欄に小さな文字が見つかった。


《混雑時は出演者の判断で短縮可》


「これ、いつから?」

「先週です。休憩を短くしてもらえれば回数を増やせますから」

「『出演者の判断で』とあるのに、判断を聞かずに枠を増やしてますね」


 ネネが指摘すると、バルデンは困ったように眉を下げた。


「でも、休憩が終わったら別の組も出られるんでしょう? 少し早めるだけで」


 そこへ、背後から低い声がした。


「倒れる役は、立ち上がれば終わりじゃない」


 グリグだった。七草の許可を得て、当事者として現場確認に来ていた。


「一回転がったら、装具のひもが緩んでいないか見る。痛いところがないか確かめる。水を飲んで、次に何をするか頭に入れる。休憩は、ただ座っている時間じゃないんだ」


 ノッコも後ろからのぞく。


「あと、飯を食う時間」

「それも大事だ」とグリグ。


 バルデンは二人を見つめた。


「そこまで疲れるものなのか。みんな、いつも勢いよく倒れていたから」

「上手に倒れているんだ」とグリグは答えた。「上手だから疲れないわけじゃない」


 その言葉に、凱斗が小さく息を呑んだ。


 剣を振る側の彼にとって、相手は倒れて終わりの存在だったのかもしれない。けれど、そのあと身体を起こし、また舞台に戻るのは相手自身だ。


     *


 予定の昼公演が始まる少し前、実演場の外から声が上がった。


「勇者監修って書いてあるのに、今日はやらないのか!」

「子どもが楽しみにしてたんです!」


 受付の前に、十人ほどの見学客が集まっていた。


 ネネが事情を説明しようとすると、バルデンが先に頭を下げた。


「申し訳ありません。本日の特別公演は中止いたします。案内の変更が遅れました」

「急に中止って言われても!」


 子どもの父親らしい男性が、声を荒らげる。


 その後ろで、まだ小さな女の子が首をかしげていた。


「ゴブリンさん、病気なの?」


 ネネは膝を折り、女の子と目を合わせた。


「病気ではないですよ。今日はお休みの時間なんです」

「お休み?」

「はい。みんな、働いたあとは休まないといけないから」


 女の子は少し考えてから、父親の袖を引いた。


「じゃあ、ねてるとこ見に行っちゃだめだね」

「……そうだな」


 父親はようやく声を落とした。


 シズがすかさず、通常公演の再予約か料金調整の案内を始めた。特別公演を目当てに来た人には返金の選択肢も用意する。運営が宣伝した内容については、運営が責任を持って説明することになった。


 そのとき、舞台の奥で木の板が倒れる大きな音がした。


 全員が振り返った。


 砦の裏から、訓練用の木槍が転がってきたのだ。続いて、空の胸当てが床へ落ちる。どうやら搬入係が片づけの途中で道具を積みすぎたらしい。


「子どもたちを下がらせて!」


 七草が声を上げ、保安員が客席と舞台の間に入った。凱斗が木槍を拾おうと一歩出たところで、ネネは止めた。


「カイト、待って。七草さんの指示を!」

「……了解」


 凱斗は足を止め、保安員が搬出経路を確保するのを待ってから、許可された道具だけを運んだ。


 作業はすぐに終わった。けが人はいない。


「最近、舞台裏の荷物が増えてるのかしら」とシズ。

「追加公演のために、予備の装具をまとめて出していたんです」とバルデン。


 ネネは現地写真と状況を記録し、七草へ渡した。安全確認が済むまでは、通常枠の再開についても改めて判断が必要になる。


 大きな事故ではなかった。それでも、休憩時間を削って公演を増やすために動かしたものが、こんなところにまで影響している。


 グリグは舞台を見回し、ぽつりと言った。


「俺たちは、仕事をやめたいわけじゃないんだ」


 ネネが振り返る。


「子どもが驚いて笑うのは、嫌いじゃない。ノッコだって、倒れ方を練習してる。ちゃんと働いて、ちゃんと休んで、また舞台に出たいだけだ」


 ノッコがうなずく。


「おれ、今日の昼飯、あったかいうちに食べたい」


 それほど大きな野望だろうか、とネネは思った。


     *


 午後の協議には、運営側、ゴブリン代表、保安班、現地相談係が同席した。


 結論は、意外なほど具体的なものになった。


 実演は当面、契約どおり一日三回。追加公演は自動では組まず、担当するゴブリン本人の同意と、保安班による人員・休養・設備の確認を条件とする。休憩中は呼び出しをかけない。過去の追加出演については、実績と支払いを照合し、未払いがあれば契約担当が精算する。


 昨日の安全上の疑問は、凱斗の報告書として別に受け付けた。追い打ちをしそうになった見習いへの注意は、模擬戦の開始前に行うことになり、勇者を広告に使う場合も本人の確認を必要とする。


「それから、この欄」


 ネネは新しい勤務表の一角を指した。


《休憩時間中の追加出演 不可》


「ここの文字を小さくしないでください」

「……分かりました」とバルデン。

「裏に書き足すのもなしですよ」

「そこまではしませんよ」

「前の勤務表に、小さく書いてありましたので」


 バルデンは返事をしなかった。


 グリグが新しい表に目を通し、ようやく横断幕を畳んだ。


「今回は、いったんストライキを見送る」


 ネネはほっとした。


「ありがとうございます」

「ただし、また昼飯を取り上げられたら、次は横断幕を三枚にする」

「どうして三枚?」と凱斗。

「縫うのが得意だからだ」


 そこは労働争議の強みなのだろうか。


 協議を終えたノッコが、袋から昼食を取り出した。具の多いサンドイッチだった。彼は一口食べて、満足そうに目を細める。


「今日は、五口いけそうだ」

「全部食べていいんですよ」とネネ。


 グリグがうなずいた。


「あと、勇者にも言っておきたい」


 凱斗は背筋を伸ばした。


「俺、悪気はなかった。でも、結果的にみんなの休みを削る話になった。ごめん」

「悪気があったかどうかを、俺たちは責めてない」

「……うん」

「今度、俺たちの実演を見たいなら、まず勤務時間を確認してくれ。それから、何を確かめたいのか、先に教えてほしい」

「そうする」


 グリグは握手の代わりに、小さな拳を差し出した。凱斗が同じように拳を合わせると、ノッコが口いっぱいにパンを詰めたまま言った。


「つぎ、たおすとき、もっと派手にたおれてやる」

「無理しなくていいから」と凱斗。

「そこは、ほめろよ」


 ネネは笑ってしまった。


     *


 閉庁前、凱斗が書類の控えを受け取りに来た。


「今日のこと、ちゃんと聞いてくれてありがとう」

「私は話を整理しただけ。決めたのはみんなだよ」

「でも、俺の言い分だけで片づけられてたら、グリグたちが困ったままだった」


 ネネはペンを置いた。


「カイトって昔から、誰かを助けようとすると先に走るでしょ」

「……自覚はある」

「いいところでもあるよ。でも、助けられる側が何を望んでるか、たまには立ち止まって聞いて」


 凱斗は少し考えてから、素直にうなずいた。


「ネネにも、そうすればよかったな」


 思いがけず昔の話になり、ネネの耳がわずかに揺れた。


「……今は、ゴブリンの話をしてるんだけど」

「ごめん。でも、今聞いとかないと、また勝手に決めそうで」

「聞けば何でも教えるわけじゃないからね」

「うん。答えたくないときは、そう言って」


 その返事は、昔よりずっと扱いやすかった。


 凱斗が帰ったあと、シズが机の隅に一枚の紙を滑らせた。


《第七迷宮・安全に関する投稿の照会》


 差出人は、迷宮案内広報課。


「今日の騒動の口コミかしら?」

「いえ、数日前の投稿みたい」


 ネネは紙を読んだ。


《投稿者:勇者・天城凱斗》

《評価:星ひとつ》

《内容:退避路の案内が危険。実際に戻れなかった。確認されるまで利用を勧めない》


 何度読み返しても、内容はまっとうな安全上の指摘に見えた。


 ただし、広報課からの照会事項が妙だった。


《勇者による低評価投稿が集客に及ぼす影響について、削除の可否を確認したい》


「……削除?」


 シズが肩をすくめる。


「星が少ないのが困るんでしょうね」

「出口が少ない方が困りませんか?」


 ネネは、机の上の相談票を新しい束に重ねた。


 どうやら明日は、星を増やすより先に、道を確かめる仕事になりそうだった。


 彼女は今日の勤務表を閉じ、まず自分の休憩時間が削られていないことを確かめた。


 よし。今のところは、守られている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。