第34話 宝箱の指輪は、誰のものですか?
迷宮管理局の遺失物取扱規程には、普通の役所ではまず見かけない注意書きがある。
《拾得物が生物の体内にある場合は、所有権の確認に先立ち、当該生物の安全を確保すること》
雨宮ネネはその一文を三度読み、最後に小さくうなずいた。
「当たり前のことが書いてあるのに、当たり前に見えないのはどうしてでしょう」
「この仕事に慣れてきた証拠じゃない?」
隣の席で織部シズが言った。
「慣れたくない部分まで慣れてきた気がします」
机の上には、透明な証拠袋が置かれている。中身は銀色の指輪がひとつ。小さな青い石がついていて、それを留める爪の一本が不自然に曲がっていた。
昨日、訓練用ミミックのポコが吐き出したものだ。
赤い停止札を三枚も飲み込む騒動を起こしたポコは、現在、生体管理担当による経過観察を受けている。身体に大きな異常は見つかっていないが、内部に残っている札については、本人の状態を見ながら処置することになった。
問題は指輪だった。
ポコは、これを自分のものだと言っている。
ところが、昨日のうちに届け出を照合したところ、よく似た指輪をなくしたという冒険者が見つかった。
さらに今朝、別の人物からも問い合わせが入った。
「つまり、持ち主候補が三人いるんですね」
「正確には、持ち主だと主張している人が二人と、一匹ね」
「ポコさんも一人でいいと思います」
「そうだった。昨日、あれだけ言ったのにね」
シズは肩をすくめ、受付簿を開いた。
ネネは改めて、三件の申立てに目を通した。
ひとつ目は、指輪の紛失を届け出た女性冒険者。
ふたつ目は、宝箱を開ければ報酬を獲得できるはずだと訴える訓練参加者。
そして三つ目が、ポコ本人の主張。
《ぼくの》
申立て内容は四文字だった。
「……簡潔ですね」
「ポコはそういう子よ」
「でも、どういう意味で『ぼくの』なのか、まだ分かりませんよね」
ネネが言うと、シズは顔を上げた。
「どういう意味?」
「自分で買ったのか、誰かにもらったのか、預かっているのか。全部違いますから」
役所勤めを始めた頃のネネなら、拾得物の記録に名前がない以上、まず持ち主を探すことだけを考えただろう。
けれど最近は、書類に書かれていない部分の方が気になる。
困った癖がついたものだ。
この庁では、その癖のおかげで仕事が増えることが多い。
*
最初に窓口へ現れたのは、訓練用の革鎧を着た青年だった。
「宝箱から出てきた指輪ですよね!」
挨拶より先にそう言われ、ネネは思わず耳を立てた。
「お問い合わせの品については確認しています。まず、受付番号を――」
「昨日、俺もあそこにいたんです!」
青年は勢いよく一枚の紙を差し出した。
《迷宮体験! 宝箱を開けてお宝ゲット!》
色鮮やかな宣伝紙には、金貨の山と宝石が描かれている。その真ん中には、ポコによく似た金色の宝箱があった。
「ここに書いてあるでしょう。宝箱を開けたらお宝がもらえるって!」
「はい。ただ、その指輪が景品として用意されたものかどうかは、まだ確認できていません」
「でも宝箱から出たんですよね?」
「出ました」
「じゃあ、俺にもらう権利があるんじゃないですか?」
青年は得意げに腕を組んだ。
ネネは、相手が言いたいことを一度頭の中で並べ替えた。
「昨日の訓練には参加されましたか?」
「いいえ。入口で待ってたら中止になったんです」
「宝箱を開けたことは?」
「ありません」
「指輪を発見したのは?」
「職員さんですよね」
「はい」
「……あれ?」
青年の眉間にしわが寄った。
ネネは宣伝紙を指さした。
「まず、ここでいう『お宝』が何を指しているか、主催者に確認します。それから、昨日の訓練は中止になっていますので、実際に景品を受け取る条件を満たしたかどうかも別の問題です」
「でも、そうしたら俺、何ももらえないじゃないですか!」
「訓練が受けられなかったことについては、日程変更か料金の払い戻しをご案内できます」
「指輪は?」
「その対象には含められません」
「じゃあ、金貨で」
「そこは交渉制ではないです!」
背後でシズが吹き出した。
青年はしばらく考えていたが、やがて宣伝紙をもう一度見つめた。
「……というか、この絵、豪華すぎません?」
ネネも同じことを思っていた。
実際の訓練でもらえるのは、記念用の模擬金貨一枚と修了証だった。
宣伝紙には本物の宝石が山積みになっている。
確かに誤解を招く。
「その点は、主催者へ確認します。景品の内容を分かりやすく表示するよう、改善を求めますね」
「最初からそう書いてほしかったなあ」
青年は不満そうに言ったあと、日程変更の申込書を受け取って帰っていった。
ネネは受付記録に追記する。
《景品についての誤認。遺失物の所有権に関する申立てとは区別して処理》
「一人減ったわね」とシズ。
「指輪の持ち主候補は、まだ減ってない気がします」
「そうね。あの子は最初から持ち主じゃなかったもの」
ネネはため息をついた。
仕事がひとつ片づいたのに、指輪の問題はまったく進んでいない。
これも役所ではよくあることである。
*
午後、指輪の紛失を届け出た女性冒険者がやって来た。
名前はエルナ。栗色の髪を後ろで束ね、使い込んだ革手袋を腰のベルトに挟んでいる。
「二か月ほど前、訓練棟で指輪をなくしたんです」
エルナは落ち着いた口調で話し始めた。
ネネは証拠袋を机の奥に置き、まず指輪の特徴を尋ねた。
「銀の細い輪で、小さな青い石がついています。石を留める爪が一本、曲がっているはずです」
「なぜ曲がっているんですか?」
「訓練中、木剣の柄にぶつけてしまって。そのとき自分で少し直そうとして、余計に曲げたんです」
ここまでは一致している。
ただし、その特徴だけなら昨日の騒動を見ていた人から聞いた可能性もある。
「ほかに、見分けられる特徴はありますか?」
「輪の内側に、小さな花の模様が彫ってあります。石の反対側です」
エルナは指先で、机の上に花の形を描いた。
ネネは立会人としてシズを呼び、保管記録に従って指輪の内側を確認した。
確かに、細い線で小さな花が彫られている。
「……一致していますね」
「よかった」
エルナがほっと息を吐いた。
「作った人にも確認できます。あれ、私が初めて冒険者の試験に受かったときに買ったものなんです」
その言い方に、ネネは少し違和感を覚えた。
初めて試験に受かったとき。
だとしたら、その指輪をなくした理由は、単なる不注意だったのだろうか。
「エルナさん。指輪をなくしたときの状況を、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」
エルナは一瞬、目を伏せた。
「……訓練用の宝箱に、預けたんです」
「預けた?」
「はい。あの子に」
シズが顔を上げた。
「ポコに?」
エルナはうなずいた。
*
エルナが初めてポコと出会ったのは、冒険者の基礎訓練だった。
当時のポコは、まだ訓練用の魔物として働き始めたばかりだったという。
宝箱に擬態して待っているのが仕事なのに、参加者が近づくと緊張してふたを閉じてしまう。
驚かせる役なのに、自分の方が驚いていたらしい。
「それで、私だけ訓練を最後まで進められなかったんです」
「ポコさんが怖がって?」
「ええ。私の木剣が箱にぶつかったのが怖かったみたいで、ふたを開けてくれなくなって」
エルナは少し笑った。
「でも、あの子が悪いとは思えなかったんです。私も初めての訓練で、すごく緊張していたから」
ほかの参加者たちが帰ったあと、エルナは箱の前に座って話しかけた。
何が怖かったのか。どんなふうに訓練をすればいいのか。自分も怖かったこと。
最初は返事がなかったが、やがてポコが少しだけふたを開けた。
「指輪を見せたら、すごく気に入ったみたいで」
エルナは自分の左手を見た。
「その日は、しばらく預けておくつもりだったんです。『また来るから、持ってて』って」
「それで?」
「次の日から、別の迷宮の護衛に回されてしまって」
予定より仕事が長引き、戻ってきた頃には訓練棟の担当者も変わっていた。
指輪のことを尋ねたが、誰も心当たりがないと言う。
エルナは、ポコが別の施設へ移されたのだと思い、遺失物として届け出たのだった。
「……あの子、まだ持ってたんですね」
ネネは返事を急がなかった。
エルナの説明には、指輪を預けた経緯がある。
だが、預かったポコが今も持っていることには、別の理由があるかもしれない。
「エルナさん。もしポコさんが返したくないと言ったら、どうされますか?」
エルナは困ったように笑った。
「……それを、直接聞いてみたいです」
*
翌日の午後、訓練棟の奥にある生体管理室で、三者の話を聞くことになった。
ポコは低い作業台の上に乗っていた。
昨日より少し元気になったらしく、ネネたちが入ってくると、ふたを小さく動かした。
「こんにちは、ポコさん」
「……きょう、あかいの、ない?」
「今日は停止札を持ってきていません。指輪のお話です」
ネネが言うと、ポコはぴたりと動きを止めた。
部屋の入口には七草伊織が立ち、万が一のために生体管理担当も付き添っている。
指輪はまだ保管袋の中だ。
ポコの同意なしに身体へ触れたり、追加の物を取り出したりしないことも、あらかじめ確認してある。
エルナがゆっくり近づいた。
「ポコ。久しぶり」
箱のふたが、ほんの少し上がる。
「……エルナ?」
「覚えててくれたんだ」
「おぼえてる」
エルナは笑い、それから小さく頭を下げた。
「ずっと来られなくて、ごめんね」
ポコは何も答えなかった。
けれど、ふたの隙間が少し広がった。
「預けた指輪、まだ持っててくれたんだね」
「……ぼくの」
はっきりした声だった。
ネネはエルナに視線を向けた。
彼女は少し驚いていたが、怒った様子はなかった。
「そう思ってたんだね」
「だって、エルナ、くれた」
「うん。そう聞こえたかもしれないね。でも、私は『また来るまで持ってて』って言ったつもりだったんだ」
「……また、こなかった」
その言葉に、部屋が静かになった。
ネネは、ポコが指輪を飲み込んだまま二か月過ごしていたことを思い出した。
誰かに預けられたものを、ずっと大切に持っている。
その人が来なくなったら、預かったものが自分のものに思えてしまうこともあるのかもしれない。
「ポコさん。その指輪が大事なのは、きれいだからですか?」
「……ちがう」
「どうして?」
「エルナ、くれた。エルナ、またくるって」
ネネは静かにうなずいた。
指輪だけが宝物なのではない。
それを渡してくれた人との約束も、ポコにとっては大切だったのだ。
エルナがそっと口を開いた。
「ごめんね。私、本当に戻ってくるつもりだったんだ」
「……ほんと?」
「うん。でも、行けなくなって。それを伝えることもできなかった」
ポコは、ふたを閉じたり開いたりした。
考えているのだろうか。
ネネは二人の会話を遮らずに待った。
やがてエルナが言った。
「指輪は、私にとっても大事なものなんだ。初めて自分のお金で買ったから。でも、ポコが大切にしてくれたことは嬉しいよ」
ポコはしばらく黙っていた。
「……エルナ、また、くる?」
「今度は、来られる日を決めてから伝える。約束できないことは、約束しないよ」
ネネはその言い方に、少しだけ感心した。
簡単に「絶対来る」と言わなかった。
それでもポコは、少しずつふたを開けた。
「……じゃあ、かえす」
エルナの目元が緩んだ。
「ありがとう」
生体管理担当が、ポコの意思を確認し、保管中の指輪を返還手続きに進めることを記録した。
ネネは指輪を取り出す前に、もう一度ポコへ尋ねた。
「ポコさん。本当にいいんですね?」
「うん」
「指輪を返しても、エルナさんと知り合いだったことはなくなりませんよ」
「……なくならない?」
「はい。私たちも、今日のお話を記録しておきます」
ポコは、ふたを一度だけ大きく開けた。
「じゃあ、ぼくの、たからもの、のこる」
エルナは笑った。
ネネもつられて笑いかけたが、すぐに思い直した。
「ただし、ポコさん。今度から人の物を預かったときは、できれば飲み込まずに保管してくださいね」
「……どうして?」
「取り出すのが大変だからです」
「ぼく、はこだよ」
「知っています!」
生体管理担当が吹き出した。
宝箱なのだから、物をしまうのは当然。
確かにそうなのだが、役所としてはもう少し別の収納方法を考えたい。
*
指輪の返還が済んだのは、夕方近くだった。
エルナは本人確認と受領手続きを終え、指輪を手のひらに乗せていた。
曲がった爪は、そのままだ。
「修理に出すんですか?」とネネが尋ねた。
「そうですね。でも、全部きれいに直すかどうかは、まだ決めてません」
エルナは指輪を光にかざした。
「曲がったところも、私が訓練で失敗した証拠ですから」
ネネは、その考え方が少し好きだった。
何でも元どおりにすればいいわけではない。
傷がついたからこそ、大切になるものもある。
もっとも、物をなくした窓口でそれを言いすぎると、今度は管理責任を問われそうなので、黙っておくことにした。
エルナが帰ったあと、凱斗が相談室に顔を出した。
「指輪の件、片づいた?」
「うん。持ち主が確認できて、ポコも返すことに納得してくれた」
「そっか」
凱斗はほっとした様子でうなずいた。
ネネは昨日から気になっていたことを思い出した。
「ねえ、カイト。あの指輪を見たとき、何か言いかけたよね」
「……覚えてたのか」
「覚えてるよ。変な顔してたから」
「変な顔って」
「ちょっと懐かしそうな顔」
凱斗は困ったように笑った。
「昔、一緒に蚤の市へ行っただろ」
ネネは少し考えた。
それから、記憶の中に小さな商店街が浮かんだ。
休日の午後。露店が並び、古い食器や時計、名前のわからない置物が売られていた。
「ああ、あったね」
「ネネ、銀の指輪をずっと見てたじゃん」
「……そうだった?」
「そうだよ。俺が『買えば?』って言ったら、いらないって」
ネネは思わず笑った。
「あれ、値段が高かったんだよ」
「そうなの?」
「そう。あと、私には少し大きかったし」
凱斗は目を丸くした。
「俺、てっきり、そういうのに興味ないのかと思ってた」
「興味はあったよ。ただ、買うかどうかは別でしょ」
「……そうだな」
彼は少し黙った。
「俺、あのときも、勝手に決めてたんだな」
「まあ、ちょっとね」
ネネは苦笑した。
「でも、私もちゃんと説明しなかったから」
あの頃は、そんなやり取りばかりだった気がする。
欲しいものがあっても、言わない。
言われなくても、相手は分かってくれると思っている。
そして、分からないまま話が終わる。
今になって振り返れば、おかしなことだ。
二人とも、相手に気持ちを伝えるより、先に答えを出そうとしていた。
「……ネネ」
「何?」
「今度、休みが合ったらさ」
凱斗がそこで言葉を止めた。
昔の彼なら、そのまま行き先を決めてしまっただろう。
ネネは続きを待った。
「どこか、一緒に行かない?」
少し意外だった。
行き先を決めていない。
時間も決めていない。
ただ、誘っているだけだ。
「……考えとく」
「そっか」
「でも、今日は前みたいに勝手に予約しないんだね」
「したら怒るだろ」
「よく分かってるじゃない」
二人で笑った。
ネネは、胸の奥にあった小さな緊張が、少しだけほどけるのを感じた。
復縁するとか、しないとか。
そんな大きな話は、まだ考えられない。
ただ、死んでもう会えないと思っていた人と、こうしてくだらない話ができる。
それだけでも、不思議なことだった。
*
その日の閉庁間際、ネネの机に新しい相談票が届いた。
差出人は第七迷宮・魔物運用課。
《相談内容:勤務時間に関する異議申立て》
ネネは書類を開いた。
申立人の欄には、こう書かれている。
《ゴブリン代表》
その下には、びっしりと文字が並んでいた。
《我々は一日三回、冒険者に倒される業務を担当しているが、昼休憩中にも討伐対象として出現させられている》
「……昼休みも倒されるんですか?」
ネネが思わず声に出すと、隣のシズがうなずいた。
「最近、観光客が多いからね。昼の時間帯も訓練を増やしてるのよ」
「でも、休憩時間って書いてありますよ」
「書いてあるわね」
「倒されたら、休憩にならないですよね?」
「……確かに」
ネネは書類をもう一度見た。
さらに下には、赤い文字で追記がある。
《なお、労働環境が改善されない場合、全ゴブリンはストライキを実施する》
ネネは深く息を吸った。
「……ストライキ」
「そう。全員で仕事を休むって」
「ゴブリンが?」
「ゴブリンが」
さらにもう一枚、別紙が挟まっていた。
《ストライキ期間中、冒険者への襲撃は一切行いません》
ネネはしばらく、その文章を見つめた。
魔物が襲ってこなくなる。
普通に考えれば、平和である。
けれど、ここはダンジョンだ。
魔物が仕事を休めば、冒険者たちが困る。
冒険者が困れば、運営側が困る。
運営側が困れば、その苦情は当然、窓口へやって来る。
「……シズさん」
「何?」
「ダンジョンって、魔物が平和に暮らし始めたら、経営が成り立たないんですか?」
シズは少し考えてから答えた。
「それは、かなり難しい質問ね」
ネネは机に額をつけた。
生前は市役所の窓口。
転生後は輪廻転生庁の窓口。
そして今は、迷宮管理局の窓口。
どこまで行っても仕事は増えるばかりだ。
彼女は長い耳を伏せ、相談票の最後に書かれた一文を読み上げた。
「……『勇者による無断残業の強要にも抗議する』」
ぴたりと動きが止まった。
ネネはゆっくりと顔を上げた。
「……勇者?」
シズが頷く。
「どうやら、今日も凱斗くんに関係がありそうね」
ネネは天井を仰いだ。
元彼との関係を、もう少しゆっくり考える時間が欲しかった。
どうやら、その希望も、役所の都合には勝てないらしい。
「……明日、本人から事情を聞きます」
ネネは相談票を閉じた。
そして、誰にともなくつぶやいた。
「せめて私の休憩時間だけは、討伐しないでください……」




