第3話 魅力MAXなのに、彼女ができません
「魅力を最大にして転生したんです。それなのに、女性にまったく相手にされません」
胸に赤い花を挿した勇者は、そう言って深々と頭を下げた。背中には、人の気も知らず勝手に鞘から抜けたがる聖剣がある。以前その剣が相談室を騒がせたため、今日は太い留め具で厳重に固定されていた。
雨宮ネネは新しく届いた有尾種用の椅子に腰かけたまま、青年とその花を交互に見た。尻尾を挟まずに座れる喜びを味わったのは、ついさっきである。これから昼休みまで、少しくらい平穏な時間があっても罰は当たらないはずだった。
「それは……お気の毒ですね」
「そう思いますよね!」
「いえ、あの、お気持ちについては」
「僕は国家を救う勇者ですよ。しかも魅力値は百。上限です。なのに、恋人どころか、一緒に食事してくれる人すらいないんです」
青年は外套の内側から、紙の束を取り出した。白瀬律が差し出した受付票より、よほど立派な紙である。金の縁飾りがつき、上部には流麗な文字で「生涯の伴侶となるあなたへ」と記されていた。
「これは何ですか」
「求婚状です」
「……何通お持ちで?」
「十二通。予備が六通」
ネネの頭上で、ウサギの耳がじわじわと後ろへ倒れた。
「一通も渡せていないんですか」
「いえ、渡しました。十二通」
「では、今お持ちの十二通は」
「返却された分です」
白瀬が横から書類をのぞき込んだ。
「丁寧にお返しいただけたんですね」
「白瀬さん、そこを褒めないでください」
青年は椅子に腰かけると、胸元の花を直した。容姿は端整で、言葉遣いも悪くない。少なくとも、昨日のスライムのように案内カードを食べたり、窓口の仕切りを乗り越えたりはしないだろう。
ただし、相談に来てからまだ一分も経っていないのに、結婚の話が二度出ている。
「まず、お名前と転生先を確認させてください」
「早乙女レオンです。第百八世界の聖剣の勇者に選ばれました。前世では普通の会社員でしたけど、こっちでは人生をやり直そうと思って」
「早乙女レオンさんですね。前回は剣の件でいらっしゃいましたよね」
「はい。あのときはお世話になりました。留め具、ほら、ちゃんと使っています」
背中をひねって見せた拍子に、剣ががちゃんと鳴った。待合にいた客が二人、同時にこちらを見る。
「今日は抜けないでくださいね」
「僕だって抜きたくありませんよ!」
「存じています。剣のほうにお願いしています」
白瀬が端末を開くと、青年の転生記録が表示された。剣術適性、基礎魔法、聖剣との適合率。その下の「対人能力」の欄に、ネネが探していた数字があった。
《魅力値 100/100》
「ほら!」
レオンが身を乗り出す。背中の聖剣まで勢いよく鳴った。
「間違いなく百でしょう?」
「数字はそうですね。でも、これが具体的に何をする能力なのか、確認させてください」
「好かれる能力ですよね」
「まだ決めつけないでください」
説明欄を一段開く。
《対人印象補正:初対面の場で本人の表情・声の調子・所作を親しみやすく補正する。補正値の上限は百。他者の感情、判断および意思決定には干渉しない》
ネネは少し首を傾げた。表に大きく「魅力」と書いておいて、説明はずいぶん慎ましい。
「早乙女さん。これは、初対面で話しかけやすい雰囲気になる能力のようです」
「だから、好かれるんでしょう?」
「最初に話しやすいと思うことと、その後ずっと一緒にいたいと思うことは、別ではありませんか」
「でも百ですよ」
「第一印象を整える効果の上限が、です」
「百点満点なのに?」
「満点を取った試験の科目が、違うんです」
レオンは納得しかねる顔で紙の束を握り直した。ネネはひとまず端末へ相談内容を入力する。「魅力能力の不具合」と書きかけてやめた。前のスライムでも同じことをした。客の期待と能力の働きは、先に分けて考えなければならない。
「ちなみに、皆さんとはどんなふうに知り合ったんですか」
「町の宿屋、冒険者組合、武具店……いろいろです。初めて会ったときは、みんな優しくしてくれるんですよ。笑ってくれるし、話も聞いてくれる。なのに次の日には、僕が近づくと急に忙しくなるんです」
「どんなお話をされたんでしょう」
「その場で将来の計画を説明しました。勇者ですから、先のことはちゃんと考えておかないと」
「将来の計画、ですか」
「結婚式の場所と、子どもの名前です」
ネネは、ゆっくりペンを置いた。
白瀬も、さすがに何も言わなかった。
「初対面で?」
「はい。結婚相手を探しているんですから」
「ご本人たちは、結婚相手を探しているとおっしゃっていましたか」
「いえ。でも、僕のことを褒めてくれたので」
そういうことか。相手はただ、目の前の青年と気持ちよく話していただけなのかもしれない。そこへいきなり子どもの名前を発表されたら、誰だって明日から急に忙しくなる。
「雨宮さんも、さっき僕のことをお気の毒だって言ってくれましたよね」
「申し上げました」
「僕に関心があるってことじゃ」
「ありません。お困りと伺ったので、お気持ちに配慮しました」
「今も笑ってくれていますよね」
「勤務中ですから」
レオンの笑顔が固まった。ネネの耳だけが、申し訳なさそうに伏せる。やはり仕事で身につけた微笑みは、表情が正直な人にも誤解されるらしい。
「……なるほど。役所で笑ってもらっても、脈ありとは限らない」
「原則として、ないと思ってください」
「原則ってことは、例外も」
「探さなくて結構です」
待合の向こうから、かすかな笑い声がした。レオンは耳まで赤くなり、求婚状で顔を隠した。
*
「では実際に、能力が正常に働いているか試してください」
レオンが顔を出したのは、しばらくしてからだった。
「僕の印象が上がるところを見れば、何が違うのかわかるでしょう」
「ここにいる方を、試すためだけに呼ぶことはできませんよ」
「じゃあ、雨宮さんで」
「私たちは、もう初対面ではありません」
「そうか……」
落ち込んだ青年の背中で聖剣が小さく鳴った。花はしおれていないが、本人の勢いはすっかり失われている。
そこへ相談室の扉が開き、警備課の若い女性職員が書類箱を抱えて入ってきた。
「白瀬さん、先ほど頼まれた留め具の検査記録です。こちらでよろしいですか」
「助かります。そこへ置いてください」
レオンがぱっと立ち上がった。女性は青年の姿を見て、一瞬驚いたあと、にこやかに会釈した。
「勇者の方ですか。立派な装備ですね」
「ありがとうございます!」
嫌な予感がする。ネネは急いで口を開いた。
「早乙女さん、それは――」
「実は僕、いま人生の伴侶を探していまして!」
金縁の求婚状が、勢いよく一枚抜き取られる。
女性は書類箱を置く手を止めた。
「……そうなんですか」
「今の会話で何かを感じませんでしたか。こう、運命のような」
「お仕事中なので、あまり」
「結婚式は春がいいと思うんです。そちらは?」
ネネは立ち上がった。新しい椅子が静かに後ろへ滑る。
「早乙女さん。そこまでです」
声は、思ったより低く出た。
「その方は業務でいらしたんです。お相手を探しに来たわけではありません」
「でも、さっき褒めてくれて――」
「装備を、です。今のお話の続きに同意されたわけではありません」
女性職員がほっとした表情になったのを見て、レオンはやっと自分のしていることに気づいたらしい。
「す、すみません。困らせるつもりじゃ……」
「でしたら、ここでおしまいにしましょう」
レオンが求婚状を戻そうとして、外套の紐に引っかけた。金縁の紙が数枚、床へ散らばる。拾おうと前かがみになった拍子に、今度は背中の聖剣が留め具をがちゃがちゃ鳴らした。
警備職員が顔色を変える。
「剣、抜けませんよね?」
「今日は抜けません! たぶん!」
「たぶんでは困ります!」
白瀬が席を立ち、剣の留め具を確かめる。ネネは床に散った求婚状を集めながら、レオンの手元に残った一枚を見た。
宛名は空欄なのに、式場と新居の住所は埋まっている。
「これでは、誰に渡しても同じ内容じゃないですか」
「相手が見つかってから考えると、遅い気がして」
「相手が見つかってから決めることのほうが、多くありません?」
レオンは床にしゃがみ込み、金縁の紙を一枚ずつ揃えた。その顔には、つい先ほどまでの自信がなかった。
「……僕、相手が何を望んでいるか、一度も聞いてなかったんですね」
ようやくそこへたどり着いた。ネネはうなずきながらも、妙な安堵を顔に出さないようにした。相手が気づくまで待つことも、窓口の仕事には必要だ。
「それから、警備課の方。先ほどは申し訳ありませんでした」
レオンが頭を下げると、女性職員は困ったように笑った。
「いいえ。今度は剣の留め具のことだけ、相談してくださいね」
「はい。本当に」
女性は書類箱から検査記録を取り出して白瀬に渡すと、足早に出ていった。レオンはもう追いかけなかった。
その一点については、ネネも評価したい。
*
窓口へ戻ると、レオンは金縁の紙をきれいに揃えて膝の上へ置いた。少し前まで結婚式の話ばかりしていた青年が、今は妙に静かだ。
「僕、嫌な奴でしたか」
「初めて会った方には、ちょっと驚かれたと思います」
「勇者って、何でもできると思ってたんです。剣も使える、魔法も使える、魅力まで最大。前の人生じゃ、誰かに選ばれることなんてなかったから」
レオンは背中の剣を気にして、少し姿勢を直した。
「向こうに来たら、もう一人じゃないと思ったんです。でも仲間の宿に行っても、みんな先に飯を済ませてる。誘っても、用事があるって。僕が悪いなら、直したいんですけど」
自信たっぷりに見えた青年が、急に年相応に見えた。ネネもこの庁で働き始めたばかりだ。頼りになる先輩はいるものの、仕事の終わりに誰かが待っているわけではない。寮に帰れば、尻尾に合う寝間着のことから考えなければならない。
だからといって、寂しさを埋めてくれる相手を役所が支給することはできない。
「早乙女さん。一つ、練習してみませんか」
「練習?」
「初めて会った人と話す練習です。結婚の話は、いったん脇に置いて」
「……はい」
ネネは受付票を伏せ、椅子に座り直した。
「昨日は、どんな一日でしたか」
「昨日? あの、剣が勝手に抜けたせいで、町の人を怖がらせました。それで鍛冶屋に行って、留め具を作ってもらって……」
「その前には?」
「隊商の護衛をしました。森の出口で道に迷った商人がいて、荷物を持って村まで案内して」
「それは、いいことをされたんですね」
「いえ、勇者ですから」
レオンは少し照れくさそうに笑った。結婚式の話をしているときより、ずっと自然な笑い方だった。
「その商人さんとは、また会うんですか」
「ええ。来週、隊商が戻るときに手伝ってくれって」
「それなら、まず一緒に食事でもどうですか。恋人にするためじゃなく、知り合った人として」
「断られたら?」
「そのときは、また別の日に。嫌だと言われたら、それは尊重してください」
「……求婚状はいらない?」
「荷物になります」
白瀬が机の横から静かに言った。
「それから、聖剣の件は装備担当へ引き続き相談しておきましょう。話しかけるたび剣が鳴ると、相手も落ち着きませんから」
「それ、僕もずっと気になっていました」
「なぜ早くおっしゃらなかったんです」
「恋愛のほうが大問題だったので!」
重大さの順番が違う、とネネは思ったが、口に出すのはやめた。人にはそれぞれ切実な問題がある。ただし、会話中に勝手に抜ける剣は、できれば最優先でどうにかしてほしい。
その後、ネネは能力の説明欄をもう一度確認した。「魅力」という表示は大きいのに、実際の効果は初対面での表情や話し方を整える補助にすぎない。このままでは、同じ誤解をする転生者がまた現れるかもしれない。
「白瀬さん。表示名に補足を付けるよう、提案できますか」
「表示名そのものは能力管理課の管轄ですが、説明文の改善要望なら出せます」
「だったら、『相手に好かれる保証はありません』と、目立つところに」
「少し直接的すぎませんか」
「最初から直接的に書いてあれば、求婚状を十八通も用意しなくて済んだと思います」
レオンが小さく手を挙げた。
「予備は、まだ六通あります」
「……今すぐしまってください」
聞き取った事情を仕様と照らしても、故障とは断定できなかった。説明書にも、相手の恋愛感情を変えられるとは書かれていない。ネネはその場で能力を変更できないことを伝え、転生前の案内で誤解を招く説明がなかったかは別途確認すると約束した。できることと、できないことを混ぜない。ようやく、少しずつ身についてきた仕事のやり方だった。
「交際相手のご紹介は、当庁の業務ではありません。現地の冒険者組合で仲間との活動や集まりについて案内を受けられるか、生活支援窓口に確認します。ただし、参加するかどうかは早乙女さんの自由ですし、そこで出会う方の気持ちも、その方のものです」
「わかりました」
レオンは求婚状をしまい、今度こそゆっくり立ち上がった。
「魅力が百でも、相手が百点をくれるわけじゃないんですね」
「それに、相手を点数で決めなくてもいいと思います」
「……難しいな、恋愛って」
「私に聞かれても、専門外です」
ネネがそう答えると、レオンはようやく声を上げて笑った。持ち込んだときと同じ花が、胸元で揺れる。見栄を張るための飾りに見えていた赤い花も、今は不思議と似合っていた。
「ありがとうございました。雨宮さん」
「どういたしまして。剣の留め具も、くれぐれも忘れずに」
「はい。もしうまくいったら報告しに来ます!」
「交際のご報告でしたら、手続きは不要ですよ」
「そういうところが役所っぽいなあ」
レオンは最後まで剣を抜かずに出ていった。廊下へ消える寸前、誰かへ話しかける声が聞こえた。
「すみません、その荷物、重くないですか。よかったら運びましょうか」
相手の返事は聞こえなかった。けれどネネは、先ほどまでの彼ならまず結婚式場を尋ねていたに違いないと思い、少しだけ笑った。
*
「雨宮さん、今日はうまく対応できましたね」
白瀬が受付記録を保存しながら言った。
「そうでしょうか。恋愛相談なんて初めてでしたけど」
「正確には、能力に関する相談ですよ」
「それ、早乙女さんにも言ってあげてください」
ネネは椅子の背に体を預けた。尻尾が痛くないだけで、こんなに幸せな気分になれるとは思わなかった。正規職員になって自分の机を持つという野望に、ようやく一歩近づいた気がする。実際には椅子が一脚届いただけなのだが、人生の改善というものは案外そういうところから始まる。
そこへ白瀬が一枚の書類を持ってきた。
「ちなみに、これも今日の受付です」
「何でしょう」
「婚約破棄の事前相談だそうです」
「……婚約を破棄したい方ですか?」
「正確には、破棄される予定だったのに、誰も破棄してくれないそうです」
ネネは顔を上げた。
白瀬の手元には、金の縁取りのある封筒が載っていた。さっきの求婚状とは違い、封蝋には見事な薔薇の紋章まで押してある。
「何なんですか、今日。縁談の窓口になってません?」
「申請は別々ですから」
「そういう問題じゃないんです!」
ネネの耳が勢いよく跳ねた。白瀬が苦笑して書類を差し出したとき、金縁の封筒の下から薄い封筒が一枚、机へ滑り落ちた。
宛名は、雨宮ネネ。
手に取って裏返すと、差出人欄には《転生記録・指定照会窓口》とだけ印字されていた。担当者名は、やはりない。
「……白瀬さん。これ、私宛てですよね」
「そうですね。本人宛ての通知です」
中に入っていたのは一枚の紙だった。
《担当部署に関する照会を受理しました。回答は当該部署での確認後となります》
その「当該部署」がどこなのか、やはり書かれていない。
ネネはしばらくその文字を眺めたあと、紙を丁寧に折って鞄へしまった。自分の申請の扱いも、少しずつ確かめるしかない。けれど、今日はここで怒りを膨らませても何も進まない。
「……さて。次のお客様ですね」
「休憩は?」
「ありますよね?」
「午後の受付まで、あと七分です」
ネネは机の時計を見た。勇者の相談に夢中になるうち、昼休みはほとんど終わっていたらしい。あと七分で、婚約破棄を待ちわびる令嬢が来る。
死後に初めて手に入れた快適な椅子は、どうやら休むためのものではないらしい。




