第23話 責任者を出せ! では、出します
黒羽宗一は、いつものように書類を小脇に抱えて現れた。
その姿を見て、雨宮ネネは少しほっとした。室長は背が高く、声もよく通るが、見た目だけで相手を威圧するような人ではない。何より、こういう場面で慌てて歩くところを見たことがなかった。
「お待たせしました。相談室長の黒羽です」
木の仕切りを掴んでいた男性が、ようやく手を離した。
「おう。あんたが責任者か」
「この相談室の責任者です。まず、お手を下ろしていただけますか。ほかの方が怖がっています」
「だから、もう離しただろうが」
「ありがとうございます。それでは、お話を伺います」
あっさりとしたやり取りだった。相手を叱りつけるわけでも、機嫌を取るわけでもない。黒羽はネネと男性の間に椅子を引き、通路をふさがない位置に腰を下ろした。万一のときにも、職員が奥へ退けるだけの幅は空いている。
白瀬は連絡口のそばに立ったままだった。必要があれば警備担当を呼べる。相談を続けることと、無防備でいることは違うのだ。
「俺は仕事を休んで来たんだぞ」
「そう伺いました」
「うちの工場は日当制だ。こっちへ接続するために昼間の仕事を休んだ。一日休めば、その分の稼ぎはない。なのに来てみれば、手続きは終わらないだと? じゃあ俺が休んだ意味は何なんだ!」
男性は、握りしめた紙を机に置いた。厚い指の間に、工場でついたらしい黒い粉が残っている。竜人でも魔族でもなく、普通の人間の男性だった。ネネは前世の市役所で見かけた人たちの顔を思い出した。役所に来ることが、その日の生活に響く人もいる。
「お名前を確認してもよろしいですか」と黒羽が尋ねる。
「布施源吾だ。第八十二世界の製粉所で働いてる」
「布施さん。最初に申し上げます。職員を叩いたり、設備を壊そうとしたりすれば、お話を続けることはできません。ただ、仕事を休んで来たことについてのご不満まで、なかったことにはしません」
布施の口元が歪んだ。
「……最初から、そう言えばいいんだ」
ネネは少しだけ悔しくなった。自分も説明をしようとしていたのだが、その前に相手の拳が気になって、言葉が硬くなってしまった。仕方のないことでもある。怖がらせる言動が止む前に、理解を示すため近づく必要はない。
「雨宮さん。今までの受付内容を教えてください」
黒羽に促され、ネネは机に並べた三枚の用紙を渡した。
「旧式電子受付の終了について、布施さんがご覧になった案内の確認。お仕事を休まれたことに関するご相談。それから、ほかの方にも同じ案内が届いているという申出です」
「三件?」と布施が言った。「俺は一つのことで怒ってるんだぞ」
「原因が同じでも、確認する相手が違うんです。窓口で一件にまとめてしまうと、どれかのお返事だけで終わってしまうことがあります」
「面倒くせえ役所だな」
「はい。そこは、あまり否定できません」
隣で白瀬が小さく咳払いをした。笑ったのかもしれない。ネネは聞かなかったことにした。
*
布施が持参した案内は、葉っぱでも口伝えでもなく、一枚の薄い金属板だった。
「工場の出入口に出てた。帰りの時刻を打刻するとき、みんなが見るやつだ」
板の表面には文字が浮かび、上端に輪廻転生庁の紋章と《共通掲示転送済み》の印がある。その下には、赤い字で《来世条件の異議申立て 本日十七時をもって終了》と表示されていた。
ネネは眉を寄せた。今朝確認した庁の原文とは違う。そこには旧式電子受付の運用終了と、新しい窓口への切替えが明記されていたはずだ。
「工場の方が、独自に書き直されたんでしょうか」
「知らねえよ。庁の紋章が付いてるから信じたんだ」
それは無理もない。自分たちだって、役所の印が押された書類なら、まずは役所からの知らせだと思う。
ミラが転送履歴の画面を開いた。
「確認します。布施さん、掲示板の識別番号を教えてください」
「番号? どこだ」
「裏面の下です」
布施が板を裏返すと、幅の狭い文字がぎっしり並んでいた。
「こんなもん、読めるか!」
「……私も、肉眼ではちょっと」とネネ。
「私なら読めます」とミラ。
「自慢している場合じゃないです」
ミラは番号を打ち込み、過去の送信内容を照らし合わせた。板の文字が瞬き、赤い見出しの下へ、ほんの一瞬だけ別の文字が浮かんで消える。
「これ、表示面が狭いんですか?」
「狭くはありません。本文欄が、旧型の転送規格に合わせて一定行数で切られています」
「つまり?」
「掲示先で最後の二行が出ていません」
布施が身を乗り出した。
「じゃあ役所が間違えたんじゃねえか!」
「それはまだ確認中です。原文と異なる見出しが付いた経緯は、別に調べる必要があります」と白瀬が言う。
ミラは転送履歴をもう一段開いた。原文から作られた自動要約には《旧式電子受付・本日終了》とある。しかし布施の板の見出しは、《旧式電子受付》の部分が《来世条件の異議申立て》に置き換えられていた。転送先の掲示板は、利用者の注意を引くため、元の見出しを別に設定できる仕組みらしい。
「元のお知らせも、受け取った板の見出しも、どちらもこの庁の手続きを通っているんですね」とネネ。
「そうです」とミラ。「ただし、見出しを誰が変更したのかは、この板の表示だけではわかりません」
ならば、誰か一人の早とちりだと決めることもできない。原文は三行目まで読めば誤解を解けるのに、転送先ではその三行目が消える。見出しは変更できても、変更した人の名は板に残らない。
黒羽が、手元の用紙に二つの項目を書き込んだ。
《原文の表現および転送仕様の検証》
《転送先の見出し変更履歴の照会》
「ここまでで、少なくとも布施さんが勝手に作り話をして来庁されたわけではないとわかりました」
布施は肩で息をした。怒鳴りたいのか、ほっとしたのか、その両方かもしれない。
「じゃあ、俺の日当は?」
「損失が生じたというお申出として受け付けます。ただ、補償の可否はこの相談室では決められません。案内の発信元と転送先の責任を調べたうえで、担当部署から回答させます」
「結局、すぐにはわからねえんだろ」
「はい。ですから、いつ誰が連絡するかを決めます」
黒羽は声を落とさずに言った。
「今日中に、調査の受付番号と担当部署をお渡しします。最初の状況連絡は二営業日以内です。結論が出ない場合も、その時点で何を調べているかをお知らせするよう依頼します」
「……日当が戻るとは言わねえんだな」
「言えません。できない約束をして、また仕事を休ませるわけにはいきませんから」
布施はしばらく黙っていたが、やがて板を裏返し、受付番号を書くための余白を探し始めた。
「じゃあ、そこへ書け。小さすぎる字はよせよ」
「その点は、ごもっともです」とネネは言った。
*
これで終わる、とネネは思った。
けれど待合から、また別の声が飛んだ。
「こっちの案内板は、その二行どころか一行しか出てないぞ!」
「私のは音声で『本日終了』とだけ読み上げました!」
「それって、うちの村も調べてもらえるの?」
布施が持っていた板に似た転送装置は、世界ごとに形が違うらしい。魔王ゼルヴァンが持ち上げたのは、小さな黒い水晶球だった。表面には《十七時まで》という文字が一つだけ、厳めしく光っている。
「わが城の掲示担当は、この球を見て、内定者を全員呼び戻しかけた」
「魔王城でも同じ形式を使っているんですね」
「費用が安い」
「庶民的ですね……」
「無駄な出費を嫌うのは、統治の基本だ!」
黒羽は、次々に差し出される案内を一か所へ集めさせなかった。内容や転送元が違えば調査も違う。職員が見本を一件ずつ撮影し、申出人には控えを渡して、順番に元の席へ戻ってもらう。
ミラが三種類の端末を並べた。金属板、水晶球、そして魚人の使う防水貝殻。どれも原文の要点を短く伝えるための品だったが、三つ並ぶと、どれが一番大事な言葉を落とすか競っているように見えた。
「言葉の省略率は、貝殻が最高です」とミラ。
「表彰しなくていいです」
「表彰ではなく測定結果です」
「なおさら切ないですね」
そこへ、受付の方から白瀬が戻ってきた。
「相談室長。待合の混乱について、閉庁までの一時案内と、発信元への訂正依頼は済ませています。ただ、正式な訂正は案内課の権限です」
「承知しました。広報への緊急修正依頼を室長名で出しましょう」
「各世界の掲示担当にも、差替えの受領確認が必要です」とネネが言った。「こちらで紙を直しても、布施さんの工場の板がそのままなら、また誰かが休んで来ます」
黒羽が顔を向けた。
「そうだね。では、今届いている転送先について、反映確認までを依頼内容に入れよう。反映されていない場所には、別経路で注意を送る」
そこでゼルヴァンが、のっそりと片手を挙げた。
「我が城には、伝令の大鴉が五羽おる。訂正した文を持たせようか」
「ありがとうございます。でも、文面が確定してからお願いします。訂正前の文章を、さらに五羽で広めないでください」
「……その失敗なら、我が配下もよくやる」
魔王が妙にしみじみと言ったので、ネネは笑いをこらえるのに苦労した。
*
夕方近く、相談室を離れていた白瀬が、今度は急ぎ足で戻ってきた。
「午前中の迷宮の安全相談に、現地から中間連絡が入りました」
ネネは手元の書類から顔を上げた。岩肌のような鱗の女性が、帽子を握りしめていた姿を思い出す。あの人は眠りから覚めて、いまも現地で働いているはずだ。
「どうなりましたか」
「保安当番が現場へ向かい、坑道の入口で待機するよう、現地監督へ一時指示を出したそうです。支柱の検査と、作業を再開するかの判断はこれからです」
無事だった、とまだ言い切れない。それでも、石が落ちる場所へ人を戻さないための判断が一つ下された。
「本人には?」
「同意をいただいた連絡先へ、支援担当から通知する手配になっています。ほかの二件については、同じ危険を指すものか照合中です」
黒羽は報告書を見て言った。
「この案件は、現地の安全担当からの継続連絡を受ける。転生時の説明内容については、別に記録を残す。両方の担当と次の連絡予定を、本人が確認できるようにしよう」
ネネは赤い印を二つ、控えの端へ押した。一つは安全連絡の受領確認。もう一つは、転生条件についての申立てが継続中であることを示す印だった。
生前の自分なら、どちらか一つの大きな印で済ませたくなったかもしれない。紙を減らせば仕事が進んだ気がする。けれど、別の問題が見えなくなるくらいなら、印が増えた方がましだった。
ちょうどそのとき、布施が窓口へ戻ってきた。
「さっきは悪かったな」と言う。
ネネは予想していなかったらしく、持っていた印を落としかけた。
「い、いえ。お手元の番号は控えられましたか」
「おう。ただ、怒鳴ったことは謝る。休んだ分が痛かったのは本当だが、あんたらが今日ここで日当を払えるわけじゃねえもんな」
「それを言っていただけると、助かります」
「また来ることになったら、今度は休みを取らなくて済むようにしてくれよ」
「次の連絡方法は、書面か接続で選んでいただけます。来庁が必要な場合は、理由を先にお知らせするよう依頼しています」
布施は一度うなずいて、帰り際にふと振り向いた。
「責任者ってのは、呼べば出てくるもんなのか?」
「必要なときは、出てきてもらいます」
「じゃあ次は、あんたを指名して来ようかな」
「私の方が先に室長を呼ぶかもしれません」
布施は、ようやく笑った。
*
閉庁が近づくころには、待合に残る客も少なくなっていた。
黒羽は報告書に目を通しながら、白瀬に言った。
「今日の案内の不備は、表示の問題だけで済ませられないね。転送の仕組み、見出しの承認、相談のたらい回し。それぞれ部署が分かれすぎている」
「窓口の職員だけでは、変更できない部分です」
「だから、相談室名ではなく、私の責任で出す」
室長は署名欄に、ゆっくりと名を書いた。
《独立審査部門への正式照会依頼》
その文書には、今回確認された案内の不備と、これまで窓口に寄せられていた説明不足の相談について、個人が特定されない範囲で整理した事実が添えられていた。申出人一人ひとりの希望を勝手に結びつけることも、未確認の疑いを断定することもしていない。
ネネは署名を見守った。
「室長。これで何か、変わりますか」
「変わるようにするための手続きだよ。結論までは約束できないけれど、少なくとも『相談室では判断できません』で終わらせるつもりはない」
「……ありがとうございます」
「それと、君の個人的な申立ては別だ。混ぜてはいけないね」
「はい。自分のことは、自分の番号で聞きます」
黒羽は笑って、机に積み上がった紙の束を指した。
「では、今日はそこまでにしよう。君の分の仕事が、ずいぶん増えたようだから」
「室長の署名一つで、紙が三倍になってますけど」
「責任者はね、判子の押し方にも責任があるんだ」
「押す回数を減らす責任は、ないんですか」
「それは来年度の改善計画に書いておこう」
ネネは抗議しかけたが、もう夕方だった。今日の自分が書ける書類には限りがある。明日に回せるものは、明日でいい。
職員用の私書箱へ立ち寄ると、ネネ宛ての封書が一通届いていた。差出人は《転生記録管理室》。業務調査の回付番号ではなく、彼女個人の申立番号が記されている。
封を切る前に、一度だけ深呼吸した。人に説明を求める仕事には慣れている。自分が説明を受ける立場になると、どうしてこんなに心臓がうるさいのだろう。
《身体形質候補選定に関する説明面談のご案内》
《日時 三日後・午後二時》
《場所 東別棟 第七面談室》
《説明担当 優先配属調整課 鈴原澄子》
《本面談は記録内容の説明を目的とし、申立てに対する審査結果を通知するものではありません》
ネネは最後の一文まで、ゆっくり読んだ。
三日後。
やっと、誰かに直接聞ける。
なぜ、あの身体を選んだのか。どの記録を見たのか。自分の同意は、どこに残っているのか。
そのどれも、まだ答えが出ていない。答えが出ないことと、聞けないことは違う。
封書を鞄にしまい、ネネは廊下へ出た。長い耳が、閉庁を告げる鐘の音を拾う。
「雨宮さん」と白瀬が呼び止めた。「何か、連絡がありましたか」
「はい。三日後に、私の身体について説明してもらえるそうです」
「そうですか」
「予約の取れた窓口って、ちょっと緊張しますね」
「遅刻しないでくださいね」
「それはそうなんですけど、もう少しほかに言うことありません?」
白瀬は少し考えた。
「……番号札は、要らないかもしれません」
「それ、励ましになってます?」
笑いながら階段を下りると、鞄の中で封書がかさりと鳴った。
次に向かう窓口には、今度こそ、自分のために行く。




