第22話 来世の返品期限は、本日まで!?
翌朝、雨宮ネネが出勤すると、相談室の入口に《返品はこちら》と書いた紙が貼られていた。
筆跡に見覚えはない。だが文字の下には矢印があり、まっすぐ彼女の席を指している。
「……誰ですか、こんなものを貼ったの」
「外した方がいいですね」
白瀬律は、矢印の行き先を確かめるようにネネの机を見た。
「誰の席か確認しなくていいです」
「していません。貼った方の意図を確認していました」
「たぶん、その意図ごと外してください」
ネネが踏み台を取りに行こうとしたとき、入口の向こうから、ぬるりと青いものが滑り込んできた。
「雨宮さん! 俺、返品されるんですか!」
桐谷陸だった。以前、最強になれると期待してスライムに転生し、毒キノコで三日寝込んだ青年である。今日は体内に丸めた葉っぱが一枚浮いていた。
「桐谷さん、お久しぶりです。その葉っぱは……」
「ごみじゃないです。食べられる葉っぱだけ集める練習してて。いや、それどころじゃなくて!」
陸は受付台に葉っぱを貼りつけた。文字の書かれた裏面が見える。
《来世条件の異議申立て 本日をもって受付終了》
「森の案内掲示に出てたんです。俺、能力変更の申請、まだ結果待ちですよね。これって今日までに生まれ直さないとダメってことですか?」
ネネは背中が冷たくなった。
転生の苦情窓口が、昨日の閉庁から今日の開庁までのあいだに消滅するはずがない。はずがないのだが、この役所では《確認中》と書かれた紙に三つも部署の印が押される。油断はできない。
「まず、その掲示の全文を確認させてください」
「俺、葉っぱしか持ってきてないです」
「葉っぱに印刷したのは誰ですか」
「掲示の写しをもらったんです。紙だと水に弱いから、葉っぱに転写してくれる店で」
そんな商売が成立していることに感心しかけて、ネネは踏みとどまった。
白瀬が受付端末を開く。
「問い合わせが昨夜から増えています。《来世の返品は今日まで》《異議申立ての受付終了》《転生やり直し窓口閉鎖》……それぞれ別の話として広がっているようですね」
「全部、同じ案内からですか?」
「現時点では断定できません」
「わかりました。まず、桐谷さんの申請を確認します」
陸の能力変更希望は、前回の相談時に提出したまま、審査待ちになっていた。説明不足に関する苦情は別件として記録され、回答済みの項目と、まだ結果が出ていない項目が分かれている。
「桐谷さんの申請が、今朝いきなり取り消された記録はありません。ただし、正式な審査結果が出たというわけでもないです」
「じゃあ、返品しなくていい?」
「そもそも、来世は返品する商品ではありません」
「じゃあ交換?」
「その言い換えもしなくて大丈夫です!」
青い身体がほっと緩んだ。そのまま受付台の隙間に流れ込みかけたので、ネネは慌てて書類の束を持ち上げる。
「今日、なんだか落ち着かなくて」
「気持ちはわかります。でも、受付台には入り込まないでください。あとで清掃係さんに謝ることになるので」
陸は身を縮めた。生前も今も、案内の一文だけでこんなに不安になれるのだとネネは思った。
そして、もっと困ったことに、彼はどうやら一番乗りではなかった。
*
開庁十五分後、待合の椅子は埋まった。
椅子に座れない種族のための台にも客が並び、水槽席では貝殻を持った魚人が《返金希望》と書いた札を掲げている。誰が料金を取ったのかは、あとで聞くしかない。
「雨宮さん、受付機から整理券が出ません!」
同僚の声に駆け寄ると、機械の前に同じ顔の男が三人いた。
望月陽介である。分身能力を使って配達業をしている青年で、以前、七人で七枚の番号札を取ろうとして機械を止めた。
「望月さん。次は一人で来るって……」
「俺は一人です」
「俺もです」
「俺も」
「その話、前にもしましたよね」
三人が一斉に頭を下げる。
「配達先で『今日が最後だ』って聞いて、確認に来たんです。残りの分身は仕事してますから」
「それは改善ですね。いえ、まず分身を増やさないでください」
「今日は代表を決めてます」
一人が自信ありげに手を挙げた。
「俺、代表です」
「じゃあ、後ろのお二人は?」
「代表が待つあいだ、窓口の掲示を読んでおこうかと」
「その掲示は私たちが読みます! 望月さんは、ひとつの番号でお待ちください」
機械は《同一人物の重複接続》と表示していた。ネネが本人に確認し、受付済みの一件へ統合すると、ようやく次の番号札が出てくる。待っていた客たちから拍手が起きた。
拍手をもらって嬉しくない修理が、この世にはある。
「すごいな、あんた。前は七枚だったのに、今は三枚で止められるのか」
後ろに並ぶ竜人が感心している。
「成長の度合いをそこでは測らないでください」
ネネが言い終わる前に、待合の扉が重い音を立てた。
「我が城の転生予定者どもが、また妙な噂に踊らされておる!」
黒い角を二本生やした魔王ゼルヴァン・グローディアが現れた。今回は指先に火を灯していない。整理券を握る手も、心なしか慣れている。
「ゼルヴァンさん、火気をお持ちでないのは助かります」
「来る前に消した。貴様がうるさいからな」
「覚えていてくださって何よりです」
「それより聞け! 我が城の案内係として転生を希望していた者たちが、《今日を過ぎれば一生取り消せぬ》と騒ぎ、面談を欠席し始めたのだ。せっかく城内見学の案内も直したというのに!」
魔王は怒っている。だが、怒りの矛先は待合の職員ではなく、不確かな案内に向いていた。
「今回は城の登録の間違いではないんですね」
「そうだ。しかも今度の見学案内は、角を短く描かせておらぬ」
「よかったですね」
「褒めても何も出ぬぞ」
ネネは笑いそうになり、口元を引き締めた。
「面談を欠席した方については、本人からの連絡内容を担当部署に確認してもらいます。ですが、申請を取り消すかどうかは、候補者ご本人の意思を確かめる必要があります」
「当然だ! 嫌だと言う者を無理に城へ連れてきて、長続きするものか」
その返事は意外だった。もっとも、悪の組織は離職率が高いと白瀬が言っていた。魔王なりに痛い目を見ているのかもしれない。
ゼルヴァンは自分の番号札を確かめ、ひとまず待合の端に腰を下ろした。隣にいた小柄な魔族が、そっと二席ずれた。威圧しないように座るだけでも、魔王にはたいへんな努力が要るらしい。
*
午前十時、ミラが原因らしいものを見つけた。
正式な案内は、庁の転生者向け掲示板に昨夜掲載されていた。
《旧様式電子受付窓口は、本日十七時をもって運用を終了します。》
《以降は現行様式の受付窓口をご利用ください。》
《各種申立ての期限は内容によって異なります。申立権そのものが本日終了するわけではありません。》
「なんだ。最後まで読めば、書いてあるじゃないですか」
ネネは画面を指した。
「最後まで読めれば、ですね」とミラ。
昨夜、別の案内板に広がった写しでは、二行目以降が切り落とされていた。旧様式の見出しだけが拡大され、赤い《本日十七時》の印が重ねられている。さらに上には、昨日見た旧式申請書の《来世条件の異議申立て》という表題が貼り合わせてあった。
見た人が誤解するのも無理はない。もちろん、写しを作った者には確認が必要だが、元の案内も、最も誤解してほしくないことを三行目に書いている。
「昔の書式を廃止するってお知らせが、来世を返品する最後の日に化けたんですね」
「正確には、電子受付の旧様式を終了します。紙の旧様式は以前に廃止済みです」
「そこは今、とても大事な訂正ですか?」
「はい。混同すると別の問い合わせが発生します」
「……今のは大事でした」
ネネは改めて待合を見渡した。みんな同じ噂を聞いて来たのに、不安の理由は違う。陸は能力変更の審査が消えると思い、望月は配達先の客に教える情報を確かめに来た。魔王は採用面談の混乱を何とかしたい。何も決まっていないのに、誰かが決めたことにされる。ネネには、少し覚えがあった。
「入口に貼る説明を作りましょう。ただし、『全員期限なし』とは書かないでください。個別の申立期限がある方もいるかもしれません」
ミラがうなずいた。
「『本日終了するのは旧式電子受付の送信機能です。申立ての可否と期限は相談内容に応じて確認します』でどうでしょう」
「それならいいと思います。もう一つ、情報の出どころと、掲示の訂正を担当する部署の名前も入れたいです」
白瀬が庁内端末で担当課へ連絡する。掲示の訂正権限は案内課にあり、相談室では表示自体を変更できない。だが、待合に掲げる暫定説明なら、誤解を生まない範囲で黒羽室長の承認を受けて出せる。
「室長は、今別件で会議中です」と白瀬。
「承認まで待ちます?」
「文案を確認していただくあいだに、窓口の仕分けを始めましょう」
ネネは受付機の前に立った。
「皆さん。今日こちらに来られた理由を、順番に確認させてください。期限が心配な方は、今の申請内容がわかるものをご用意ください。怪我や生活上の危険がある方は、そのことを先にお知らせください」
すぐに、待合の奥で細い声が上がった。
「……危険、なら。相談していいの?」
*
声の主は、岩肌のような鱗を持つ若い女性だった。椅子の端に浅く腰かけ、膝の上の帽子を両手でねじっている。
「はい。どういったご事情ですか」
「迷宮の採掘場で働いています。転生のとき、採掘の手伝いだとは聞いたんです。でも、今週から下の坑道へ入るように言われて……」
女性は帽子を持ち直した。ひとつひとつの言葉を選ぶように、ゆっくり話す。
「昨日、天井から石が落ちました。けが人は出なかったけど、支柱が曲がってるんです。現地の監督に言ったら、明日の点検まで作業を続けろって。みんな、怖がっています」
ネネの耳が自然に立った。期限の噂を確かめに来たつもりでも、彼女の話には、今日中に現地へ知らせるべきことが含まれている。
「お名前と、勤務先の坑道を教えていただけますか。今、作業中の方はいらっしゃいますか」
「夜番が残っています。私は交代で休憩をもらって、少し眠って接続をして……」
女性はそこで言葉を切った。
「私、苦情の期限が今日までって聞いて。今日、何もしなかったら間に合わないと思ってたんです」
「今のお話については、まず現地の安全担当に伝える必要があります。異議申立ての期限とは別に、危険の連絡を進めましょう。状況が確かめられるまで、私が安全だとお約束することはできません」
ネネは受付台の横にある緊急連絡の仕分け票を取り、本人の説明に沿って必要事項を書き込んだ。本人が同意した範囲で、現地支援担当と安全管理の当番へ至急連絡する。転生の説明内容が違っていたという相談は、別の記録として残す。
「それで、仕事を辞められますか」
女性の問いに、ネネはすぐには答えられなかった。彼女が本当に望んでいるのは、そこだ。けれど、窓口の職員が採掘場の契約を一方的に破棄することはできない。
「今ここで、雇用のことまで決める権限はありません。ただ、危険を訴えたことが記録に残るようにします。ご本人への連絡先と、連絡の見込みも確認します」
白瀬が現地支援への接続を手配した。ミラは問い合わせが同じ坑道から複数届いていないか、個人情報を表示しない集計で確かめる。ネネは女性の説明を遮らず、必要な順番だけを整えた。
「同じ坑道から、昨日から三件の安全相談があります」とミラ。
「三件?」
「はい。ただし、同じ危険についての申出かどうかは、まだわかりません」
女性の顔が強張る。ネネは、それだけを根拠に危険が拡大したと決めつけたくなかった。
「別の方も心配しているかもしれない、ということですね。確認をお願いします」
現地支援の当番につながると、白瀬が受け取った情報を読み上げ、危険の程度について調査と作業停止の判断を依頼した。こちらの窓口でできるのは、それを急がせ、連絡が届いたことを確認し、回答の宛先を残すことまでだ。
「受付ができました」とネネは女性に言った。「相談の控えをお渡しします。危険の連絡と、転生条件についてのご相談は、それぞれ別の番号になっています」
「二つも……すみません」
「謝らないでください。窓口が二つあるのは、あなたのせいじゃありませんから」
そう言ってから、ネネは少しだけ頬が熱くなった。生前の自分なら、同じ話をさせないよう頑張りすぎて、どこかで間違えていただろう。今は、仕事を分けることで守れるものもあると知っている。
女性は控えを受け取り、帽子の折れた縁を指で直した。
「……じゃあ、明日のこと、聞けるんですね」
「聞けるように、連絡先と担当を残しました。回答の約束が取れたわけではないので、連絡が来なければこの番号でお尋ねください」
女性は何度もうなずいた。身体が薄くなり、現地の眠りから覚めるため接続が切れる寸前に、小さく「ありがとう」と言った。
ネネは返事をしたが、届いたかどうかはわからなかった。
*
午後になると、待合の混乱はいくらか収まった。入口の《返品はこちら》は剥がされ、その場所には黒羽室長の承認を受けた説明が掲げられた。旧式電子受付が今日で終了することと、個々の申立ての期限は別であること。問い合わせ先と、正式な訂正掲示が予定されていること。
陸は葉っぱの裏に、朝よりずっと小さな字で内容を書き足していた。
「これ、森のみんなにも見せます。『返品はできない、でも申請の結果は確認できる』って」
「『返品』という言葉を広めるのは、やめておきましょう。もう少し正確にお願いします」
「じゃあ、『今日で全部終わるわけじゃない』」
「それなら、いいですね」
望月は代表一人で受付に来て、説明用紙を一枚受け取った。配達中の分身にも必要な情報を伝えるつもりだと言う。
「今度は紙、七枚もらわなくていいんだな」
「最初から一枚でよかったんです」
「いやあ、俺も成長した」
「成長はしたと思います。けれど、褒めるところはそこじゃありません」
魔王ゼルヴァンは、配下の転生予定者たちへ説明を届けるため、案内課の連絡先を控えた。
「今度は我が城へ来る者にも、条件を最後まで読ませよう」
「読ませる前に、説明もお願いしますね」
「……ふむ。貴様らの職員の口癖は移るな」
珍しく魔王が笑った。地響きのする笑い声だったが、誰も番号札を落とさなかった。
ひと安心しかけたところで、相談室の奥から、木の机を叩く音がした。
「つまり、噂が間違いだったってことか!」
低い声の主は、朝から待っていた大柄な男性だった。片手に紙を握りしめ、もう片方の手で窓口の仕切りを掴んでいる。
「俺は一日仕事を休んで来たんだぞ。誰が責任を取るんだ!」
他の客たちが身を引いた。ネネは席を立ち、相手が手を振り回せば隣の職員に当たりかねない距離を見た。
「まず、仕切りから手を離していただけますか。お話は伺いますが、職員やほかのお客様に危険が及ぶ行為はおやめください」
「責任者を出せ!」
その声に、陸の身体が小さく震えた。魔王でさえ眉をひそめる。
ネネは深く息を吸った。生前の市役所でも、こうして机を叩く人がいた。あの頃は、相手が落ち着くまで全部自分で抱え込もうとした。けれど、ここでそうする理由はない。
「責任のある部署へのご案内はします。その前に、正確に状況を記録させてください。どの案内をご覧になって、お仕事を休まれたのでしょうか」
「まだ聞く気か!」
「はい。原因を確かめずに、私の判断で誰かの責任にすることはできません」
男性の手は、まだ仕切りを掴んだままだった。
白瀬が静かに席を離れ、職員用の連絡口へ向かう。ネネはその動きを横目で確かめた。室長へ支援を求めるのは、逃げることではない。
「では、責任者を呼びます」
言ってみると、不思議なくらい声は震えなかった。
ところがその直後、男性の背後から別の声が上がった。
「私も責任者に話があります! 朝の掲示、こっちでは違うことが書いてあったんです!」
「うちの村の案内板にも!」
「それと、迷宮の安全相談について、誰が返事をするのかも聞きたい!」
待合のあちこちから、手が上がる。誰もが同じ理由で怒っているわけではなかった。ネネは一度だけ目を閉じ、それから用紙を三枚、机の上へ並べた。
間違った案内を正すこと。相談の内容を受け付けること。答える責任者を明らかにすること。
ばらばらに見えるそれらを、一つにしてしまってはいけない。
廊下の向こうで、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「……黒羽室長、お忙しいところすみません」
ネネは立ち上がったまま、入口を振り返った。
今度は、自分だけで何とかしようとはしない。




