第15話 番号札を持つのは、今日の私です
休日の朝、雨宮ネネは目覚まし時計より先に起きた。
仕事の日なら、布団から出るまでに三度は人生を後悔する。それが今日は妙に目が冴えている。楽しみな予定があるからではない。休みを取ってまで出かける先が、よりによって役所なのだ。
鏡の前で私服に着替え、耳の付け根にブラシを通す。制服と違って襟元が柔らかく、尻尾のために仕立て直したスカートは少し丈が短い。鏡の中の女は、耳さえ見なければ近所のパン屋へ行くところに見えた。
その耳を見ないという条件が、たいへん難しい。
「今日は、お客様。今日は、お客様……」
唱えながら鞄を開き、書類を確かめる。転生時の説明記録、身体形質の選定経緯、本人の同意の範囲、処理時刻の基準。それぞれについて知りたいことを箇条書きにした開示請求書は、昨夜だけで三度書き直した。
一番上には、自分の名前がある。
《請求者 雨宮ネネ》
いつもならその下に「対応職員」と書く側だ。たった数文字の違いなのに、ひどく心許なかった。
職員証は勤務先の机の引き出しに置いてきた。今日の鞄にあるのは、身分確認票と申立ての受理通知、それに白紙のメモ帳だけだ。
いつも胸元にあるはずの職員証がないせいで、何度もそこへ手が伸びる。鏡に映った自分に、ネネは言い聞かせた。
「順番が来るまで、待つ。今日はそれだけでいい」
耳の先が、ちっとも納得していなかった。
*
輪廻転生庁の東別棟は、本庁舎と渡り廊下でつながっている。
相談室へ来る転生者たちは、ふつう現地で眠っているあいだだけ意識を接続する。一方、職員としてこの庁舎に暮らすネネは、自分の二本の足で歩いて別棟まで来た。窓を抜ける朝の光も、床の冷たさも、今日はやけに生々しい。
別棟の入口に大きな案内板があった。
《転生記録・指定照会受付》
《お手続きの内容に応じて番号札をお取りください》
《職員へのご質問は、呼出後にお願いいたします》
下に四つのボタンが並んでいる。
《記録の写し》
《登録内容の訂正》
《説明内容の照会》
《その他》
ネネは指を止めた。写しを欲しいが、説明も聞きたい。訂正の申立てはすでに済ませてある。「その他」を押したら、別の窓口へ行けと言われそうだ。
自分の相談室で、客から「どの番号を取ればいいですか」と聞かれるたびに、案内を見ればわかるはずなのに、と思っていた。
「……わからないじゃない」
悩んだ末、《記録の写し》を押した。
機械から薄い紙が出てくる。
《R―048》
《ただいまのご案内 R―019》
二十九人待ち。
ネネは券を見つめた。いつも自分が「少々お待ちください」と言っている、その少々がどれほどの長さなのか、まだ入口を通ったばかりなのに実感が湧いた。
待合室は、相談課よりも静かだった。数十の椅子が並び、壁際には身体の大きな転生者向けの腰掛けと、水中でしか過ごせない者のための浅い槽がある。奥では、透き通った皮膚の客が水槽越しに職員と話していた。廊下の隅には《角のある方は通路幅にご注意ください》と書かれている。
ネネは壁際の椅子に座った。
尻尾を逃がすため、少し身体をひねる。背もたれが尾の付け根を押し、試しに深く腰掛けると妙な声が出た。
「うっ」
隣にいた三つ目の老婦人が、心配そうに顔を向ける。
「お若いの、大丈夫かい」
「はい。椅子がちょっと、合わなくて」
「この椅子はみんなに合わんよ。わたしなんて真ん中の目だけ案内板が見えん」
なるほど、老婦人の額の目の高さには、立派な飾り柱が一本重なっていた。
「席、替わりますか」
「いいよ。あたしゃ両脇の目があるからね。あんたの尻尾は替えがきかんだろ」
老婦人はからから笑った。ネネもつられて笑う。
相談室にいると、椅子の座り心地を尋ねるのは職員の仕事だ。今日は客に気遣われている。ありがたいのに、どう返せばよいのか少し困った。
呼出番号が一つ進んだ。
R―020。
「……あと二十八」
無意識に数えたところで、ネネは鞄からメモ帳を出した。待ち時間に自分の質問を整えておけばいい。仕事ではないのだし、落ち着いていよう。
ところが、その数分後である。
「おい、俺の番号が飛ばされたぞ!」
入口のほうから太い声が響いた。
見れば、背の高い竜人が番号札を振っている。二本の角は立派で、隣の観葉樹が葉をこすられるたび、ばさばさ揺れた。
「百二番だぞ。百二番! さっき百三番を呼んだだろう!」
受付担当の小柄な職員が説明している。
「恐れ入りますが、番号の頭にある記号もご確認ください。お客様は訂正のD、先ほどの方は説明照会のSでございまして……」
「数字の話をしてるんだ!」
ネネの身体が、ほとんど勝手に椅子から浮いた。
数字が同じでも窓口が別なら順番は違う。そんなことは受付機の説明欄に大きく書いておけば――いや、自分の相談室ではどうだろう。番号札の色で分けていても、スライムの陸は最初の日に札を体内へ取り込んでしまった。案内する側の思いどおりにはいかないものだ。
竜人の声がさらに大きくなる。
「だったら最初から百二なんて出すな!」
ネネは鞄に手を入れた。自分の職員証なら、いつも首から提げている場所だ。
何もない。
そうだった。今日は持ってきていない。
職員は「番号札をお見せください」と繰り返している。ネネなら、竜人を受付機まで案内し、種類の違う番号を並べて見せる。簡単なことだ。たぶん三分もかからない。
でも、自分がその場に出ていけば、あの職員の対応に割って入ることになる。相手の話を聞き終える前に、別部署の臨時職員が現れて手際を披露する。そんなことをされて、担当者が助かるとは限らない。
それに、今日は自分の番を待っている。
ネネは椅子へ腰を下ろした。
数秒して、竜人がまた怒鳴った。
「その記号、字が小さすぎるんだよ!」
今度は、彼の言い分にも一理あった。竜人の大きな指がつまんだ券は、角度によって記号が見えなくなるほど薄い文字で印刷されている。
受付の職員がひと呼吸置いた。
「読みにくかったことは、改善の意見としてお預かりします。番号の種類を、こちらに大きく表示してご案内しますね」
机から紙を取り、太いペンでDとSを書き分ける。竜人はそれでも不満そうだったが、やがて「最初からそうしろ」と言って席に戻った。
ネネは胸の前で握っていたメモ帳を、そっと膝に置いた。
出番はなかった。
出番がないまま解決することだって、ちゃんとある。
*
R―048が呼ばれたとき、壁の時計は昼を過ぎていた。
「お待たせしました。ご用件をどうぞ」
五番窓口の担当者は、灰色の羽毛が頬を縁取る若い女性だった。胸元の名札には《記録照会係 榎本》とある。声が少しかすれている。朝から何人にも同じ言葉を繰り返したのだろう。
ネネは請求書を差し出した。
「私の転生時の記録を開示していただきたいんです。身体形質が決まった理由と、当時の説明内容、それから同意の記録を確認したくて」
「身体形質の変更申立てでいらっしゃいますか」
「それはすでに提出しています。今日は、その判断の前提になった記録を見たいんです」
榎本は画面を確かめ、眉をわずかに寄せた。
「申し立ては受理されていますね。現在、確認中です」
ネネの耳がぴんと伸びた。
たった三文字のはずなのに、聞こえた瞬間、身体の奥が冷たくなる。
「……確認中、ですか」
「はい。担当部署で確認しておりまして、回答があり次第、通知いたします」
見覚えのある言葉が、見事に並ぶ。
何を確認しているのか。誰が確認しているのか。いつ回答が来るのか。そのどれもわからないのに、答えを聞いた気にさせられる言い回しだ。
ネネは最初の頃、自分も同じことを言っていた。陸が「最強スライムになれるのか」と叫んだとき、白瀬が録音を取り寄せるまで、何度も「確認します」と繰り返した。確認という言葉の便利さを知っているからこそ、今は逃げ道まで見えてしまう。
「変更申立ての回答を、今日すぐにいただきたいわけではないんです」
榎本が顔を上げた。
「では、どういった……」
「その回答を待つためにも、まず記録が必要なんです。別の手続きとして受け付けていただけますか」
榎本は請求書に視線を戻した。
「説明記録の開示は可能ですが、身体選定の詳細は担当部署への照会になります。個人情報を含むので、閲覧できる範囲も確認が必要です」
「私自身の個人情報でも、ですか」
「同じ選定枠に別の方が含まれる場合がありまして。その方の情報は、そのままお渡しできないんです」
そう説明されれば、筋は通っている。ネネだって他人の記録を勝手に見せろとは言えない。
「それなら、ほかの方の情報を除いた、私に関する部分を請求します」
「はい。ただ、その区分だと……」
榎本の指が画面の上を行ったり来たりする。書類の一部だけを開示するための申請欄が、すぐには見つからないらしい。
ネネは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
そこは左の二番目にありそうですよ。こんなふうに言えば、榎本は助かるかもしれない。毎日似たような端末を使っているので、画面の構造はだいたいわかる。
でも、別部署の記録システムを見たことはない。見当違いの指示を出して、また相手の仕事を増やすだけかもしれない。
代わりに、ネネは尋ねた。
「担当が分かれるなら、請求自体を受理していただいたことは、書面で残せますか」
「……ええ、それはできます」
榎本は少しほっとしたように、受付票を開いた。
「すみません。私も、この区分の請求は久しぶりで」
「いえ、こちらこそ、まとめていろいろお願いしてしまって」
いつもの謝罪が口をついて出た。
ネネは慌てて、言い直した。
「……あの、お願いしている内容は、必要だと思っています。わかりにくい書き方でしたら直しますので、受け付けられる形を教えてください」
榎本は、今度はきちんとうなずいた。
「承知しました」
*
請求内容の確認には、思いのほか時間がかかった。
身体を変更してほしいという申立てと、変更前の説明を見たいという請求は違う。さらに同意書の写しを求めることと、いつ承認されたかを尋ねることも違う。榎本はそれぞれに番号を振り、ネネが持参した一枚の紙を四つの項目に分けた。
ネネは、口を挟みたくなるのを何度もこらえた。こらえた分だけ、耳が動いた。
「耳、お疲れではありませんか」
榎本が真面目な顔で聞いてきた。
「……耳は大丈夫です。ちょっと緊張しているだけで」
「そうですか。さっきから紙の音に合わせて動いていらっしゃるので」
「そういう仕様なんです」
仕様という言葉を使った瞬間、苦笑いが出た。
「いえ。今は、なぜこの仕様なのかを聞きに来たんでした」
榎本もつられて笑った。初めて、窓口を挟んで同じものが可笑しかった。
彼女は本人確認票と請求者の顔を照合し、端末の検索欄へネネの登録番号を入力した。画面をこちらに向ける前に、閲覧範囲を限定するための遮蔽板を立てる。隣の窓口から覗けないようにする、あまり目立たない工夫だった。
「まず、今ここで交付できるのは個人記録の索引です。説明の音声と同意書の写しは、保管部署から取り寄せます。索引には処理の種別と時刻が載っていますが、内容の正しさまで保証するものではありません」
「はい。それでお願いします」
ネネの手のひらに、少しだけ汗がにじんだ。
機械が低く鳴り、細長い紙が出てきた。
《本人記録索引/一次開示》
《照会対象 雨宮ネネ》
《記録時刻の表示基準 庁基準時》
紙の隅には、四角い枠に斜線が二本入った小さな印があった。陸の相談記録にも、自分の申立書にもついていた印だ。その隣に、転生処理に関する出来事が四行、記されている。
《身体形質・候補選定 庁基準 四月十四日 九時十二分》
《身体形質・確定登録 庁基準 四月十五日 十一時四十一分》
《庁内就業希望・申請受付 庁基準 四月十六日 十時〇七分》
《庁内就業希望・審査着手 庁基準 四月十六日 十四時二十分》
ネネは、一番上と三番目の行を何度も見比べた。
身体形質の候補が選ばれたのは、仕事に応募する二日前。
「……あの」
「はい」
「これは、順番どおりに読んでいいんでしょうか」
榎本が索引を覗き込んだ。
「庁基準時としては、その順序で記録されていますね」
「私がこの庁で働きたいと申し込んだのは、十六日です。どうして十四日の段階で、身体の候補が選ばれているんですか」
「選定の時点で、何を基準にしたかまでは……。少々お待ちください」
榎本は画面に表示された摘要欄を確かめた。紙の四行には出ていない部分だった。
「候補の適用分類に《対人応対補助》とあります。ただし、これはあくまで候補の分類名です。どの仕事に就くことを前提としていたかまでは、この索引だけではわかりません」
対人応対補助。
ネネは、自分の長い耳に触れた。周囲の声を拾いやすいのは確かだった。来庁者の小さな声に気づけたこともある。そのせいで、怒鳴り声までよく聞こえるのは、少し困るけれど。
「私が窓口の仕事に向いているから採用されたんだと、そう思っていました。なのに、応募より前から《対人応対補助》の候補があったんですね」
「それは、まだ判断できません。身体候補は就業申請以外の条件で先に作成されることもあります。申請記録と候補選定記録の作成部署が異なる場合もありますし」
「でも、候補を選んだ時刻は先なんですね」
「はい。記録上は」
榎本は、ためらわずに答えた。ただ、続けて言う。
「時刻の登録経路は確認が必要です。世界ごとの時間を庁基準に換算している記録もありますから。表示だけで経緯が確定したとは申し上げられません」
ネネはうなずいた。
ミラが話していたことを思い出す。来庁した時刻と承認された時刻は違う。同じ「承認」でも、何を承認したのかによって意味が変わる。これは「候補選定」であって、本人に説明した時刻でも、本人が同意した時刻でもない。
それでも、知りたかったことの輪郭が、初めて紙の上に現れた。
「候補を選んだ理由がわかる書類と、私への説明記録。それから、この日付がどの記録から作られたのかも、請求に加えたいです」
榎本が端末を見た。
「時刻の換算履歴は別の照会項目になります」
「お願いします」
「回答まで日数がかかるかもしれません」
「それは大丈夫です。いつまでに、何が返ってくるかを教えていただければ」
榎本は椅子の背から身体を起こした。
「一次回答の予定日を記載します。保管部署の照会先も受付票に残します。ただし、審査によって開示できない箇所がある場合は、その理由を通知することになります」
「はい。理由も、書いていただきたいです」
ネネは一度も、職員であることを告げなかった。
聞かれなかったから、というだけではない。ここで自分の肩書を差し出して早くしてもらえば、今日番号札を取った意味がなくなるような気がした。業務の知識は自分の中にある。それを黙っていても、聞くべきことは聞ける。
榎本は必要な項目をすべて入力し、受付控えを二枚印刷した。片方をネネへ差し出し、もう片方には受領の記録をつける。
「一枚はお持ち帰りください。受付番号と回答予定日、照会先が載っています。内容をご確認のうえ、相違があれば今おっしゃってください」
言葉の端まで、きちんとしていた。
ネネは控えを読んだ。
《請求事項一 転生時説明記録および適用説明書の版》
《請求事項二 身体形質の候補選定・確定登録に関する本人記録》
《請求事項三 身体形質についての本人同意記録の写し》
《請求事項四 各処理時刻の基準および換算履歴》
その下に、一次回答の予定日が印刷されている。正式な開示の可否と回答時期の再通知についても記載があった。答えが出たわけではない。それでも少なくとも、いつ誰に何を尋ねたかが、消えない形で残った。
「ありがとうございます」
ネネは頭を下げた。
榎本も頭を下げたあと、そっと尋ねた。
「ひとつだけ、伺ってもいいでしょうか」
「はい」
「お客様は……以前、窓口の仕事をされていましたか。質問の整理の仕方が、とてもお上手で」
ネネは笑いそうになった。
「はい。少し」
「そうでしたか。助かりました」
「いえ、こちらも助かりました。途中、何度か代わりに画面を操作したくなりましたけど」
「それは……困りますね」
「ですよね」
榎本の笑い声は、小さくて、すぐ消えた。隣の窓口ではまた別の客が呼ばれている。ここも一日じゅう仕事が続くのだ。
*
外へ出ると、別棟の廊下には午後の光が差していた。
ネネは窓辺で索引と受付控えを取り出し、もう一度、索引の時刻欄を見た。四月十四日と十六日。たった二日の差なのに、そこには自分が知らない手続きが挟まっている。
何かの間違いかもしれない。
適切な選定手順があって、説明記録がまだ届いていないだけかもしれない。逆に、ちゃんと説明されないまま決まったことなのかもしれない。どちらにしても、憶測だけで判断したくはなかった。
そのとき、後ろから声がした。
「すみません。その番号札、もう使わないなら、僕にいただけませんか」
振り向くと、長い外套を着た青年が、ネネの手元を見ていた。腕には何枚もの券を挟んでいる。
「え?」
「僕の券はDで、いまRを呼んでるんですよね。Rの券なら早く呼ばれそうで」
なるほど。朝の竜人とは逆の発想である。
「番号札は、順番だけでなくお手続きの種類も分けているんです。お渡ししても、ご希望の相談には使えませんよ」
すらすらと答えたところで、ネネは口を押さえた。
青年が首をかしげる。
「……ここの方ですか?」
「いえ、今日は客です」
「そうなんですか。あんまり詳しいから」
「さっき、説明してもらったばかりなので」
青年は「そうか」と納得し、受付機の前へ戻っていった。ネネは自分の言葉を反芻する。さっき説明してもらったばかり。確かに、そのとおりだった。
帰りの渡り廊下で、懐かしい匂いがした。相談室の方から流れてきた、印刷したての紙と安い茶葉の混じった匂いだ。本庁舎へ続く扉の向こうでは、白瀬もミラも今日の相談に追われているだろう。
いつもなら職員用の通路を使う。ネネは少し迷って、一般来庁者用の出口へ向かった。
出口の脇には、番号札の回収箱が置かれている。
《手続きの終了した番号札をお入れください》
ネネはR―048を手に取り、二つ折りにしかけて、やめた。回収箱の下には小さく《受付控えをお持ちの方も、番号札はご返却ください》とある。
言われたとおり箱に入れた。
空いた手には、受付控えが残った。
番号札は順番を待つためのものだ。控えは、ちゃんと順番が来た証拠になる。
鞄にしまおうとしたとき、控えの裏面に印刷された注意書きが目に入った。
《照会先部署から回答が得られない場合は、受付番号を添えて再照会を申し出ることができます》
ネネはそこに、持参したペンで小さく印をつけた。先ほどの榎本が、最後まで説明してくれた内容だ。
今日、知りたかったことの答えは出なかった。それでも、「確認中」とだけ書かれた紙を握りしめて帰るのとは違う。
次に客へ「確認中です」と言うとき、自分はせめて、その先に何があるのかまで伝えよう。
そんなことを考えながら、ネネは外へ出た。
秋めいた風に長い耳が揺れる。道の向こうに小さな焼き菓子屋があり、休日の午後らしく人が並んでいた。窓には《本日のおすすめ・木の実のタルト》と書かれている。
休みの日に、役所へ行った。
そのまま帰ったら、今日という日があまりに可哀想だ。
「……一個くらい、買って帰ろ」
店に近づくと、入口の脇に立てられた小さな札が見えた。
《順番にお並びください》
ネネは笑った。どうやら、休日の残りも順番待ちから逃れられそうにない。
けれど今度は、何を買うかを自分で決められる。
ネネは最後尾についた。耳は自然に、焼き上がりを知らせる鈴の音へ向いていた。




