第14話 追放されない勇者を、追放できません
朝の輪廻転生庁に、勇者が追放届を持ってきた。
正確には追放届ではなく、《勇者一行からの追放通知書》と書かれた手製の紙である。上質な羊皮紙に黒い飾り罫、右下には血のような赤インクで押された紋章まであった。なかなか手が込んでいる。問題は、追放される本人が自分で作り、追放する側の署名欄を空白にしていることだった。
「ここに仲間の名前を書いてもらえば、成立しますか」
窓口へ身を乗り出した青年は、期待に満ちた顔で尋ねた。
雨宮ネネは紙の端をつまんだ。紋章の赤インクが乾いておらず、危うく指につきそうになる。昨日は分身した七人分の言い分を聞いた。今日は一人分で済みそうだと安心した自分を、五分前まで戻って止めたい。
「まず、ご相談の内容を確認させてください。こちらは、どなたが発行された通知書でしょうか」
「俺です」
「追放されるのも?」
「俺です」
「……追放する方は?」
「だから、その人たちが署名してくれなくて困ってるんです!」
ネネの耳が、互いに違う方向へ倒れた。
青年の名は三枝悠斗。第二百十一世界で活動する勇者候補で、三人の仲間と《銀の渡り鳥》という冒険者一行を組んでいる。転生前はごく普通の学生で、剣術の経験もなかった。希望は勇者になって世界を救うこと。転生から八か月が過ぎた現在も、立派な剣と旅のマントを身につけている。
ただ、剣の柄には可愛らしい布製の覆いがかけられ、マントの襟には小さな花の刺繍があった。
「これは?」
「仲間が作ってくれたんです。剣の柄で手を擦りむいたからって」
「お優しい方たちなんですね」
「優しすぎるんですよ!」
三枝は立ち上がり、両手を広げた。
「普通、役立たずの勇者って追放されるじゃないですか。『お前はもう必要ない』って言われて、野宿して、そこで本当の力に目覚めるんです。ところがうちの仲間は、何をやっても追放してくれない。俺が戦闘で足を引っ張ると『怪我しなかったか』、荷物を落とすと『重かっただろう』。昨日なんか、魔物に怯えて声を出したら『知らせてくれて助かった』ですよ。違うだろ! そこで『臆病者は出ていけ』だろ!」
隣で申請書をそろえていた白瀬律が顔を上げた。
「怪我を心配され、荷物を手伝ってもらい、危険を知らせたことを感謝された、と」
「そうです!」
「良好な人間関係に見えますが」
「それが苦情なんです!」
窓口に置かれた鈴が、三枝の勢いで小さく鳴った。
ネネは思わず口元を引き締める。市役所にいたころ、家族全員が仲良くしてくれるせいで独り暮らしを切り出せない、という相談を聞いたことがある。あの人は悩んだ末、自分で話してみますと言って帰った。今回はそこへ「追放されないと覚醒しない」という、別世界の理屈が混ざっているらしい。
「では、今の一行から離れたい、というご希望でしょうか」
「違います。追放されたいんです」
「離れることと、追放されることは違いますか」
「全然違いますよ。自分から辞めたら、ただの退団じゃないですか。追い出されて初めて、逆転の物語が始まるんです」
三枝は大きな鞄から一冊の手帳を出した。表紙には《追放後の人生設計》と書かれている。
一頁目には、《初日・雨の夜に宿を追い出される》。二頁目は《三日目・空腹で倒れる》。五頁目で《隠された能力が覚醒》。最後の頁には《かつての仲間を救い、驚愕させる》と、力強い字で記されていた。
「宿から追い出される必要まであるんですか」
「そこは大事なんです。追放された勇者が、あったかい寝床で目覚めても締まらないでしょう」
「体調を崩す計画は、人生設計に入れないほうがいいと思います」
「でも、この流れで覚醒する話はたくさんあります!」
「そのお話と、三枝さんの能力の条件は同じなんでしょうか」
三枝の手が止まった。
「……え?」
*
本人の同意を得て、転生時の登録情報を確認した。
職業欄には《勇者候補》。適性欄には《段階成長型》。その下に、剣技、戦闘経験、体力の向上に関する細かな注記が並ぶ。ネネには一読しただけで飲み込めない部分もあったが、少なくとも《仲間に追放された場合、能力が覚醒する》という条件は見当たらなかった。
「三枝さん。こちらには、経験と訓練に応じて能力が伸びる、とあります」
「追放されたら経験値が増えるんじゃ?」
「追放という行為と経験の増加は、別の話のようです」
「そんな。じゃあ、空腹で倒れても?」
「倒れたら、まず治療が必要です」
「雨の夜も?」
「風邪をひくかもしれません」
三枝は人生設計の手帳を見つめた。書き込んだ予定の半分ほどが、急に体に悪いだけの計画になった顔だった。
そこへ記録担当のミラが、横からのぞき込んできた。今日は淡い青の事務服を着ている。本人は女神だと名乗るが、ネネにとっては何より端末の扱いが速い同僚だった。
「追放に関する発動条件を調べればいいんですね」
「ええ。でも、検索しても出てこなくて」
「登録項目に存在しません。類似語として、除隊、契約解除、破門、縁切り、勘当、絶交、戦力外通告があります」
「ちょっと待って。絶交でもいいんですか!」と三枝。
「いいとは申し上げていません。検索にかかっただけです」
ミラは真顔で画面を閉じた。
「なお、絶交による能力上昇の実績は、この方の登録情報にはありません」
「何もかも可能性を潰さないでくださいよ!」
「可能性を増やすには、裏づけが必要です」
三枝は肩を落とした。ネネは手帳をそっと返す。
「能力の条件に不明点があるなら、専門の担当へ照会できます。ただ、誰かに三枝さんを追放するよう指示したり、嫌わせたりすることは、こちらではできません」
「じゃあ、嫌われる方法を教えてください」
「それも……」
何とか助言できないかと考え、ネネは危うく口を開きかけた。任された仕事を失敗するとか、わざと荷物を落とすとか。頭をよぎった言葉を、喉の奥へ押し戻す。
魔物のいる世界で、仲間を困らせるために失敗する。そんなことを窓口の職員が勧めたら、取り返しのつかない事故につながりかねない。
「失礼しました。わざと危険を招く方法は、お伝えできません」
「危険じゃなくて、嫌われたいだけなんですけど」
「危険のない失敗と、危険のある失敗を、冒険の最中にいつも選べるとは思えないので」
三枝は返事をしなかった。手帳の頁を指でぱらぱらとめくり、《五日目・覚醒》のところで止めた。
「……じゃあ、俺はいつ強くなれるんだろ」
さっきまでの勢いとは違う、小さな声だった。
*
昼前、相談室に雷鳴が落ちた。
実際に落雷したわけではない。三枝が持ち込んだ《追放演出用の音響石》が、本人の鞄の中で作動したのである。
白瀬が「追放の証明は発行できません」と説明した瞬間、鞄の口から紫色の煙が立ち、窓口の天井でどろどろと太鼓のような音が鳴った。待合でうとうとしていたドワーフが飛び起き、向かいの窓口にいた小妖精の客が紙コップへ飛び込んだ。
「な、何ですか!」
「すみません! 『追放』って言葉に反応するんです!」
「反応する道具を、追放相談に持ってこないでください!」
三枝は慌てて鞄を押さえた。ところが焦ったせいで、さらに大きな声を出す。
「落ち着け! まだ本当に追放されたわけじゃない!」
今度は黒い羽が三枚、煙の中から舞った。
警備担当が駆けつけ、道具の機能を停止する。石は安全確認のため預かりとなった。三枝は何度も頭を下げ、受付の前に散った羽を拾った。
ネネも膝をつき、長椅子の下へ滑り込んだ一枚を取ろうとする。ウサギの尻尾が椅子の脚に当たり、動きを止めた。
「雨宮さん、そこは僕が」と白瀬。
「大丈夫です。あと少しで……あ、届いた」
「制服が汚れますよ」
「もう汚れました」
立ち上がったネネの袖には紫色の粉がついていた。職員用の衣類洗浄申請を一枚追加しなければならない。本人の追放劇は始まっていないのに、窓口だけが後片づけに追われている。
床の羽を拾い終えた三枝が、しょんぼりと言った。
「俺、こういうことばっかりなんです。魔法の道具を触ると余計なことになって、みんなが片づけてくれる」
「今日の片づけは、ご自身もされていますよ」
「そりゃ、俺のせいですから」
「ええ。それがわかっていて手を動かせるなら、そこから次を考えられると思います」
ネネは、袖を払わずに彼の顔を見た。
「もう一度聞いてもいいですか。三枝さんは、本当に仲間に嫌われたいんでしょうか」
三枝は羽を握ったまま黙り込んだ。ようやく口を開いたとき、さっきの威勢のよさはどこにもなかった。
「……違います。強くなりたいんです。でも、あの人たちのそばにいると、俺、いつまでも子どもみたいで」
剣を握るときは手袋を忘れないように。夜番は最初のうちは短くていい。荷物が重かったら言ってね。仲間がかけてくれる言葉はどれも親切だった。三枝には、それが少しずつ苦しくなっていたという。
「前に一度、隊長が魔物にやられそうになったんです。俺、何もできなかった。あの人は俺をかばって傷を負ったのに、戻ってきて最初に言ったのが『無事でよかった』で。怒ってくれたら、少しは楽だったのに」
ネネは反射的に「おつらかったですね」と言いそうになり、口を閉じた。三枝が自分の失敗を軽く見てほしいわけではないのだと、やっとわかった。
「その後、隊長さんとは話したんですか。もっと前に出たいとか、一人で訓練してみたいとか」
「何度も言おうとしました。でも、俺が剣の練習を申し込むと『疲れてるだろうから休んでいい』って。別の仕事を任せてほしいって言ったら『今のままで十分助かってる』って」
「それで、話をやめてしまった」
「……はい。俺がいなくなれば、ようやく自分で何かできると思ったんです。だから、追放されればいいって」
ネネは三枝の手帳を見た。五日目に突然強くなる予定は、何頁も書き込まれていたのに、仲間と話し合う予定は一つもなかった。
「追放されるための台詞なら、いっぱい考えたんですけど」
「ご自身の希望を伝える台詞は?」
「……まだ、ないです」
*
元の世界の仲間を呼び出すことは、窓口の権限ではできない。別の人の気持ちを勝手に調べることも同じだ。
ただ、本人が話し合いを望むなら、現地支援担当を通じて連絡方法を確認することはできる。冒険者同士の所属や役割をめぐる相談を受け持つのは、その世界の冒険者組合だという。ネネは案内先と必要な手続きを調べ、三枝の前へ並べた。
「正式に一行を離れる場合の方法もあります。ですが、それを選ぶかどうかは三枝さんが決めてください。仲間に嫌われる必要はありません」
「嫌われずに離れたら、みんな心配して追いかけてきますよ」
「それも、三枝さんの希望を話す理由になりますね」
三枝は用紙を受け取ったが、まだ難しい顔をしていた。
「でも、何て言えばいいんでしょう。『もっと危険な目に遭わせてくれ』って言ったら、絶対に反対されます」
「それは反対されるかもしれませんね。危険なことをしたいのではなく、任せてほしいことを具体的に伝えるのはどうですか」
「たとえば」
「剣の訓練を自分から申し込んだら、どういう条件で参加できるか。夜番を一人分任せてもらうには、何が必要か。そういうことです」
白瀬が三枝の冒険者登録票を見ながら、ひとつ付け加えた。
「所属して八か月、毎日一緒に旅をしているんですね。三枝さんを何もできないと決めているなら、八か月も一緒にはいないのかもしれません」
「いや、あの人たちは、捨てられた子犬でも最後まで連れていく人たちなんです」
「……なるほど」
白瀬が珍しく言葉を失った。
ミラが端末を操作する。
「三枝さんの現地活動記録には、道に迷ったときの帰路確保、物資の残数確認、夜営地の選定補助が記されています。これらは戦闘以外の貢献として報告されています」
「それ、俺がやったやつ?」
「はい。『勇者候補による補助業務』の欄にあります」
「そんな欄があるの?」
三枝は何度も画面を読み返した。自分では荷物持ちくらいに思っていたことが、ちゃんと記録になっている。ただ、ネネはそれだけで彼の不満が消えるとは思わなかった。役に立っていることと、やりたい仕事を任せてもらえることは別なのだ。
「この記録を仲間の方が書いたのなら、三枝さんのことを見ていないわけではないんですね」
「……でも、これじゃずっと補助役です」
「なら、その先のことを聞いてみましょう」
ネネは白い便箋を差し出した。
「どんな役割を任されたいか、まず三つだけ書いてください。追放してほしい理由ではなく、これからしてみたいことを」
三枝はしばらく考え、鉛筆を握った。最初に《前衛として剣の訓練を受けたい》と書く。次に《危険の少ない任務で、一人分の判断を任せてほしい》。三つ目には少し時間がかかった。
《失敗したとき、子ども扱いせず、どこが悪かったのか言ってほしい》
ネネは最後の一行を読み、うなずいた。
「これなら、少なくとも三枝さんの希望は伝わります」
「こんなので、あの人たちが聞いてくれるかな」
「聞いてくれるかどうかまでは、私にもわかりません。でも、追放されたいとだけ言われたら、仲間の方も理由がわからないと思います」
三枝は手帳の《追放後の人生設計》を閉じた。別の便箋を鞄にしまおうとして、何か思い出したように顔を上げる。
「そうだ。それなら、やっぱり一回、追放してもらうのはどうでしょう」
「……お話、聞いてました?」
「本物じゃなくて、劇です。みんなで追放劇をやって、そのあとちゃんと相談する。俺、台詞なら言える気がするんです」
ネネは考えた。演劇で遊ぶこと自体は、自由だ。ただし本当に契約が切れるような言い方をしても困るし、演技を断る仲間に無理強いするのも違う。
「皆さんが了承するなら、それは三枝さんたちで決められることだと思います。ただし、劇のために本当に宿を追い出されたり、危険な場所で一人になったりしないでくださいね」
「わかりました。野宿の場面は、宿の中でやります」
「それはもう野宿ではありませんが」
「舞台の上なら、雨も紙で作れますよね」
白瀬が記録を閉じた。
「紙の雨でしたら、回収は出演者の皆さんでお願いします」
「……白瀬さんまで後片づけの心配ですか」
「今日、羽を三枚拾いましたから」
三枝は笑い、今度は自分から深く頭を下げた。相談記録には、追放の手配ではなく、役割についての意思確認と現地相談先の案内を記した。能力の発動条件は別途照会に回し、その結果を約束してはいない。
青年が接続を終える直前、ネネはひとつだけ聞いた。
「三枝さん。仲間の方たちに、まず何と伝えるつもりですか」
「……ありがとう、かな。そのあと、ちょっと怒ってくれって」
「順番はそれでいいと思います」
小さく笑った三枝の輪郭が薄くなり、現地での眠りから覚めるのに合わせて姿が消えた。
*
三日後、現地支援担当を経由して、相談の経過が届いた。
《銀の渡り鳥》の隊長は、三枝の希望を聞いて驚いたという。本人がそこまで悩んでいるとは思っていなかった。剣の訓練を断っていたのは、以前の怪我が治りきっていないと勘違いしていたからだった。本人も「もう痛くない」と伝えていなかったらしい。
隊長たちは、まず安全な訓練を増やし、三枝に任せる仕事を少しずつ見直すことで合意した。仲間が求めていることを聞き、今まで頼っていたことも伝え直したと報告にはある。全部が一度にうまくいくとは限らないが、追放の署名欄は空白のままで済んだ。
その代わり、別の問題が起きた。
《追放劇について、全員が参加を希望。現在、隊長が脚本を執筆中》
「よかったですね」とミラが言う。
「まあ、仲直りのきっかけにはなったみたいですね」
「ただし、三枝さんから追加の相談があります」
「追加?」
画面の次の行を見て、ネネは目を細めた。
《隊長の脚本が五十頁になりました。追放される場面は第三幕ですが、いつになったら俺の出番が来るのでしょうか》
添付された配役表には、三枝の役名が《追放される勇者》とある。ところが第一幕は仲間との出会い、第二幕は絆が育まれるまでの回想で、追放の場面は終盤になってようやく登場する。しかも結末は和解して全員で食事をするらしい。
「追放劇なのに、最後は食事会ですね」と白瀬。
「隊長さん、相当あの人のことが好きなんでしょうね」
「次回公演の希望まで書いてあります。題名は《勇者、帰還する》です」とミラ。
「追放してないのに帰還するんですか!」
ネネは笑いをこらえきれず、机に肘をついた。三枝の望んでいた暗い雨の夜は、結局、一行の楽しい催しに変わったらしい。それが彼の思い描いた人生かどうかは、これから本人が確かめていくしかない。
白瀬が翌日の勤務表を机へ置いた。
「雨宮さん。休暇、承認されていますよ」
「……やっとですか」
「申請されたのは、もう少し前でしたね」
「ええ。役所へ行くための休みですから、何だか複雑です」
ネネは鞄の中身を確かめた。転生時の説明記録、同意内容、身体が決まった日時。それぞれについて書き込んだ開示請求書の下書きがある。
自分で窓口へ行って、自分の順番を待つ。たったそれだけのことなのに、長い耳が落ち着かない。職員の制服を着ていなければ、いつもの笑顔で切り抜けることもできないのだろう。
「明日は雨宮さんが、お客様ですね」と白瀬が言った。
「……そうですね」
「番号札は、一枚でお願いします」
「七人に増えたりしません!」
言い返すと、白瀬がほんの少し笑った。
ネネは休暇の承認票を鞄にしまい、帰り支度を始めた。相談者のために用意した便箋は、まだ机の端に何枚か残っている。ネネはそのうちの一枚を手に取り、何も書かずに戻した。明日は用意してきた請求書を、客として差し出さなければならない。




