第11話 聖剣のはずが、包丁でした
「お客様、刃物のお持ち込みはお断りしております」
そう声をかけた直後、雨宮ネネは自分が何を言ったのか、もう一度考え直すことになった。
「持ち込んだんじゃねえ。俺が刃物なんだよ」
相談窓口の前に据えられた銀色の台座から、男の声がした。
台座の上には一本の包丁が載っている。幅のある刃はきれいに磨かれ、柄には金色の蔦模様が彫られていた。料理好きの人間なら欲しがりそうな品だが、見たところ、魔王を倒すための武器には向いていない。何より、刃の根元に小さな玉ねぎの紋章がある。
「ご本人、ですか」
「そうだっつってんだろ。山岸航。生きてたときは人間で、今はこれ。見りゃわかると思うけどな」
「はい。あの、山岸さん。まず安全のために刃先の向きを変えても――」
「いいけど、柄を持てよ。刃は触るな。切れるから」
こんなところだけ妙に親切だった。
ネネは防護手袋をつけた白瀬律が台座を回すのを見守った。銀色の台座は、四足歩行の相談者や小型種族用の机を兼ねた備品だという。今日はその上に包丁が鎮座している。現地で使われている本物の包丁が運ばれてきたわけではなく、眠りに相当する休眠状態のあいだ、意識だけが転生後の姿を取って現れる仕組みだそうだ。
つまり、向こうの世界では今、一本の包丁が休んでいる。
「包丁って、眠るんですね」
「俺がいちばん驚いたわ」
山岸が言うと、柄の飾り石が一度だけ明滅した。どうやら発声に合わせて光るらしい。ネネの耳も同じくらい落ち着きなく動くので、他人のことは言えなかった。
先ほどまで相談室では、岡部圭太の休暇にまつわる報告を整理していた。本人の希望と受入側の都合を混ぜないこと。村が決めることと庁が調べることを分けること。その区別をようやく身につけたと思ったところへ、今度は包丁が苦情を言いに来た。
転生相談室で働き始めてから、ネネの「普通」の基準は日に日に危うくなっている。
「山岸さん。本日はどのようなご相談でいらっしゃいましたか」
「聖剣を希望したんだよ。勇者が持つやつ。なのに何で俺、厨房で玉ねぎ切ってんの?」
刃元の紋章が、ちかりと光った。
「しかも毎朝、大量に」
「……なるほど」
「『なるほど』で済ませるなよ。俺は魔王を倒すつもりだったんだぞ」
「魔王でしたら、先日こちらにいらっしゃいましたが」
「えっ」
「整理券をお取りになって、普通にお帰りになりました」
「魔王って、役所に来るのかよ」
「来ます。だいたい順番をお守りいただくまでが大変です」
山岸はしばらく黙った。魔王を倒す話より、魔王が番号札を持つ光景のほうが想像しづらかったらしい。
*
山岸航の登録を開くと、転生種別の欄には《自律意識型・調理神具》とあった。転生先は第九十四世界。現在の使用者は、街道沿いで小さな食堂を営むラナという女性である。
受付票は現地支援担当を経由して届いており、相談の理由がぎっしり記入されていた。字を書けない山岸に代わって、ラナが書いたものらしい。最後の欄には《本人に読み聞かせて確認済み》と添えてある。
「ラナさんも、こちらへの相談はご存じなんですね」
「知ってるよ。店を閉めたあと、俺が『そろそろ役所に文句言う』って話したら、勝手に書いてくれたんだ」
「勝手に、ですか?」
「『あんたは二年間ずっと同じ文句を言ってる。ちゃんと伝えてこい』って。俺も内容は聞いたし、いいって言ったよ」
そう答える山岸の声は、さっきより少し小さかった。ネネは本人の了承を記録し、相談の途中でラナへ情報を伝える際は改めて同意を取る、と手元の用紙に書き添えた。
「ちなみに、最後の名前はどうやって署名されたんですか」
「刃の先を使って、紙にちょっと傷をつけた」
「……先にその方法を思いつけば、今回も書面で来られたのでは」
「ラナに『店の帳簿まで切るな』って禁止された」
ネネはペンの先を見つめた。自分には手がある。ありがたいことだと思ったのは、これで何度目だろう。
「調理神具、ですね」
「俺が希望したのは聖剣」
「こちらの欄には、当初の希望と現在の登録を別々に表示できるはずです」
ネネが画面を切り替えると、希望欄に《英雄に選ばれる剣。強大な敵を斬る力を持つもの》と書かれていた。たしかに、包丁になりたいという言葉は見当たらない。
「白瀬さん。これは、ずいぶん違いますよね」
「希望と結果の間に、種別の調整が入っていますね。説明の記録を確かめましょう」
「最初っからそう言ってんだよ!」
山岸が興奮して声を張ると、柄の石が点滅を速めた。
ネネは一つ気になって尋ねた。
「ところで、山岸さんはどうして、今まで相談にいらっしゃらなかったんですか」
「来ようとはしたよ。でも包丁の体だろ。寝るって感覚がわかんなかったんだ。店が閉まって、ラナが俺を布で包んでしまうと、ようやく静かになる。そのうち意識が落ちるのがわかって、最近やっと接続できるようになった」
転生先の時間で、すでに二年が過ぎているという。
「二年……」
「最初の半年なんか、包丁に口があるってだけで大騒ぎさ。ラナは慣れたけど、客の前でしゃべるなって言うんだ。『包丁が注文を取る店なんか怖い』って」
「ごもっともなご心配かと」
「俺だって注文まで取りたくねえよ。聖剣だぞ、本来は」
自分を聖剣と呼ぶたび、玉ねぎの紋章が光る。その組み合わせがどうにも可笑しい。しかし彼にとっては、二年間笑い事ではなかったのだ。
「今の暮らしで、いちばん困っていることは何ですか」
「魔王が倒せない」
「日常生活では」
「……ラナが俺を砥ぐとき、毎回話しかけてくる。『痛くない?』って。あれ、返事に困るんだよ。痛くないし」
「それは、優しい方なんですね」
「優しいっていうか、心配性なんだ。俺が欠けたら店が休みになるからな」
山岸はそこで、声を少し落とした。
ネネは聞き逃さなかったが、すぐには追及しない。今の暮らしにも守りたいものがあるらしい。それは転生への苦情とは別の、彼自身の事情だ。
白瀬が説明記録の請求画面を開いたところで、警告音が鳴った。
《刃物類の接触検知》
山岸の台座に置いていた申立書の端が、細い二つの紙片になっていた。白瀬が操作のために台座を少し動かしたとき、紙が刃に触れたらしい。
「切れた?」
「切れました」
「ほらな! これが俺の実力だ。包丁の切れ味だと思うなよ」
「まず、書類を置く場所を変えましょう」
ネネは慌てて用紙を持ち上げたが、山岸が続けた言葉に、手が止まった。
「そうだ。何か切らせてくれよ。ここの連中が俺の切れ味を見りゃ、聖剣だってわかるだろ。机でも壁でもいいぞ」
「いけません」
「でも、これだけ切れるんだぜ?」
「庁舎の修繕費を払っていただくのは、たぶん山岸さんもお嫌でしょう」
「……高いのか」
「私も詳しくは知りませんが、窓の向こうに世界が浮かんでいる建物ですから」
山岸は即座に引き下がった。勇者の夢より損害賠償のほうが、現実味を持ったらしい。
白瀬が端末から目を上げる。
「検証自体は、試験室で手続きをすれば可能です。ただし、ご本人の同意と、指定された素材に限ります」
「じゃあ行こう。俺は斬れるぞ」
「歩いては行けませんので、職員がお運びします」
「……そうだった」
山岸が申し訳なさそうに言うと、ネネはつい笑ってしまった。慌てて口元を引き締めたが、山岸は怒らず、柄の石を一度だけ明滅させた。
「いいよ、笑って。俺だって、この体じゃ格好がつかねえと思ってるから」
*
能力試験室は相談室より天井が高く、壁一面に細い目盛りが刻まれていた。器具を置く床にも耐久加工が施されているらしい。職員に案内されてきた山岸の投影体は、刃を覆う透明な保持具に固定されていた。
「そこまでしなくても、俺は暴れねえって」
「山岸さんが動かなくても、紙は切れましたから」
ネネが答えると、検証担当の職員が平たい台の上へ試験用の素材を並べた。普通の木片、魔物の甲殻を加工した薄板、そして食材として登録された硬い根菜。山岸の能力は、登録上《調理対象への切断補助》とされている。
「何だよ、その地味な名前は」
「名称にご不満があることも、記録しておきます」
「記録するだけ?」
「今は、名称より中身を確かめます」
実演には専用の無人器具を使うことになった。保持具ごと山岸をつかみ、ゆっくり上下させるだけの装置だ。動作は地味だが、誰もけがをせずに済む。
最初の木片は、刃を当てても浅い傷がついただけだった。
「ほら、硬い物は苦手なんですよ」
「まだだって。もっと力入れろよ」
「安全の範囲でお願いします」
次は魔物の甲殻だった。事前に料理用の食材処理として認証された、食用の魔獣から取った殻だという。装置が刃を下ろすと、薄板は音もなく二つに割れた。
ネネは思わず前へ身を乗り出した。
「……今、同じ力でしたよね」
「切断補助が働いたようです」と検証担当者。「調理対象だと判定された素材には、抵抗を弱める術式が加わります」
「ということは、戦場で鎧を着た相手には」
「同じ効果が出るとは限りません。相手を食材として登録することはできませんし、そうした試験は認められません」
山岸は面白くなさそうに黙った。
最後に根菜が置かれる。見た目は石のようにごつごつしていたが、刃が下りると、透き通るほど薄い輪切りがぱらぱらと重なった。切り口は驚くほど滑らかで、試験官さえ記録の手を止めた。
「すごい……」
ネネが漏らすと、山岸は少しだけ得意そうに言った。
「ラナが切ると、もっときれいだぞ」
山岸自身も、その言葉に驚いたらしい。柄の石が一瞬だけ消えた。
「毎朝、これを切ってるんですか」
「冬はね。煮込むと柔らかくなるんだけど、普通の包丁じゃ刃が立たない。俺だと薄く切れるから、火の通りが早いんだと」
「お店のお料理、おいしそうですね」
「……まあな。あいつ、味付けはうまいから」
その言い方は、魔王を斬る話をしていたときより、よほど誇らしげだった。
「ラナさんとは、どんなお店を?」
「最初は屋台だよ。雨が降ると鍋ごと運ばなきゃなんなくて、俺もしょっちゅう落とされかけた。今はちっこい店を借りてる。看板の文字なんか、あいつ自分で描いたんだぜ。読みにくいけど」
「それはぜひ、見てみたいですね」
「……別に、来なくていいよ。席も少ないし」
山岸は照れたように否定してから、言い直した。
「いや、あの、繁盛してほしくないわけじゃないんだ。今は夕方になると客が並ぶんだよ。ラナひとりじゃ回らないくらいでさ。俺がいるから肉を早く仕込めるし、それは、その……悪い気はしねえ」
ネネはうなずいた。山岸は聖剣を希望した。だがこの二年、彼が誰かの役に立ってきたことも、ただの勘違いとして消してよいものではない。
「もし身体を聖剣へ変更できるとしたら、今のお店はどうされますか」
「……そんなの、なってみないとわかんねえよ」
山岸の返事は速かった。考えたくないことほど、人はすぐ答えてしまうのかもしれない。ネネは追いかけず、その質問を《要確認》のままにした。
装置が止まり、検証担当者が保持具の固定を解く。薄く切られた根菜が一枚、台の端から落ちかけた。ネネが受け皿を差し出すと、山岸が妙に慌てた声を上げた。
「おい、それ無駄にすんなよ。煮りゃうまいんだぞ」
「食材も大切なんですね」
「……俺は切っただけだ。もったいないのはラナが嫌がるから」
ネネは受け皿を検証担当者に渡し、規則に従って後片づけを任せた。危ない素材でない限り、試験用の食材も無駄にしない決まりだという。そこだけは、少し立派な役所だった。
試験担当者は測定結果を紙にまとめた。
《調理補助機能は登録どおり作動。戦闘用装備としての性能を保証する結果ではない》
ネネは記録を受け取った。この検証でわかったのは、登録された能力に不具合がないということだけである。本人が聖剣を希望した理由も、包丁に変わった経緯も、まだ何一つ説明できていない。
「山岸さん。この結果だけで『問題なし』にはしません」
「そりゃそうだ。よく切れる包丁だって証明されても、俺が頼んだのは聖剣なんだから」
「はい。そこは別の話です」
ネネは書類の余白へ、検査の目的と確認できなかった点を書き足した。
*
相談室へ戻ったころには、庁の時計は夕方近くになっていた。試験結果を添付すると、転生前の面談記録の一部が閲覧できるようになった。山岸が内容を確認し、再生にも同意する。
受付番号の横には、当時の担当者名が表示されていた。
《転生案内課 応援担当 白瀬律》
ネネは二度見した。
「……白瀬さん?」
「はい」
「こちらの担当者、同姓同名ではないんですか」
「僕です。今の部署に来る前、案内課で応援に入っていた時期があります」
白瀬はいつもどおり落ち着いた声で答えたが、資料の角を揃える指が途中で止まった。山岸もすぐには言葉が出ないようだった。
「えっ、あんたが?」
「……当時の説明記録を、まず確認させてください」
ネネは画面をのぞいた。山岸の希望は聖剣、確定した転生種別は調理神具。途中の変更承認には担当部署の記号が並び、そのうち、本人への説明を行った欄に白瀬の名がある。
「白瀬さん。山岸さんの件、覚えていらっしゃるんですか」
「全部を、はっきりとは。ただ……あの時期は受付が混み合っていました」
覚えているとも、覚えていないとも言わない。
いつもなら白瀬が手際よく準備する録音の再生を、今日はネネが操作した。山岸の声が流れ始める。今より若く、弾んでいた。
『俺、聖剣になりたいんです。強くて、選ばれた勇者が持つやつ』
『刃物の形での転生をご希望ですね』
『そうです。魔王を倒すような、すごいやつ』
『強靭な魔獣の素材にも対応する、特別な刃の候補があります』
『それ、ドラゴンの鎧とかも斬れます?』
『扱う素材と、使い手の技量によりますが……』
ここで白瀬が身を乗り出した。
「雨宮さん、いったん止めてもらえますか」
ネネは再生を止めた。
「何か、記録に問題がありますか」
「……先に、添付されている確定条件も確認したほうがいいと思います」
確定条件は、すでに見ている。調理神具、食材への切断補助、戦闘用性能の保証なし。けれど当時の山岸は、剣を持つ勇者と魔王との戦いを思い描いて質問していた。その問いに答えている声の主は、隣に座る白瀬だ。
「書面だけではわからなかったから、録音を取り寄せたんです」
ネネがそう言うと、白瀬は何も返さなかった。
山岸の柄の石が、弱く光った。
「……今の声、覚えてる。俺が『じゃあ、それでいい』って言った相手だ」
ネネは再生位置を示す細い線を見た。録音はまだ半分以上残っている。
「白瀬さん。ここから先も、一緒に聞きましょう」
「雨宮さん」
「山岸さんが何に同意したのか、確かめるためです。聞かずに済ませたら、また同じことになります」
ついこのあいだ、白瀬は枯れた鉢を見ながら「最初に説明してほしかったですね」と言った。その言葉が、ネネの胸に残っていた。
白瀬はゆっくりと手を引いた。どこか覚悟を決めたようにも、まだためらっているようにも見える。
「……お願いします。続けてください」
ネネが再生に触れると、数年前の白瀬の声が、また静かな相談室に響き始めた。
『ただし、その刃には用途の制限がありまして』
『魔王以外には使えないとか? そういうの、聖剣っぽいですね!』
『いえ、制限というのは――』
背後で呼出ベルが鳴った。遠くから、次の案内を急ぐ職員の声が聞こえる。
『詳しい条件はこちらの書面に記載されています。お読みいただいて、ご納得いただければ、承認の手続きへ進みます』
『わかりました! やっぱり特別な剣なんですね!』
『……では、ご署名をお願いします』
録音はそこで終わった。
確定書類には「調理神具」の四文字がある。だが録音のどこにも、山岸が厨房で使われる刃物に転生するという説明はなかった。逆に、聖剣の話を続けている山岸の声ばかりがはっきり残っている。
「俺、これで聖剣になれると思ったんだよ」
山岸の声は小さかった。ネネには、どう返していいかわからなかった。今の能力に不具合はない。ラナの店で過ごした二年も、山岸にとってただの失敗ではない。それでも、ここで起きたことを「書面には書いてあります」で片づけるのは違う。
白瀬は、録音の終わった画面を見たまま動かなかった。
「白瀬さん。あのとき山岸さんが、聖剣になると思っていることには、気づいていらっしゃいましたか」
ネネが尋ねると、白瀬は長いあいだ黙っていた。
「……はい」
短い返事だった。
「では、なぜ説明しなかったんですか」
白瀬が顔を上げる。いつもなら迷わず手続きを案内する人が、このときばかりは言葉を探していた。
「そのことも含めて、きちんとお話しします」
ネネはうなずいた。続きを急かす代わりに、山岸の同意を確かめてから、正式な説明の場を設定するための用紙を取り出した。
書類の上には、当時の白瀬の署名があった。二年間、厨房で振るわれてきた一本の包丁について、ようやく、その署名をした本人が話す番だった。




