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雨宮ネネの苦悩と野望 ~死んでもクレーム対応!勇者も魔王も整理券をお取りください!~  作者: 月森 こはる
第一章・輪廻転生庁編

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第10話 神様に休暇届を出してみた


 「うちの村、収穫する人間が足りないんです」


 午後の相談室に現れた女性は、挨拶を済ませるなり、机の上へ一枚の紙を広げた。


 紙には赤い線で区切られた畑が描かれ、その周囲に数字が書き込まれている。四十八、六十二、百十。収穫できる作物の重さかと思ったが、よく見ると、それぞれの下には小さく「籠」とあった。


「この数字、全部、明日までに運び出す分です」

「……ずいぶんありますね」

「先週までは、この半分もなかったんですよ」


 女は三枝朋子と名乗った。岡部圭太が暮らす第百八十三世界の村で、共同倉庫と収穫物の配分を任されているという。彼女自身も五年前に転生してきた元日本人で、帳簿のつけ方を知っていたばかりに、いつのまにか村の勘定をすべて引き受けることになったらしい。


「困りますよねえ、字が読めて計算ができると」

「その言い方、妙に実感がこもっていますね」


 雨宮ネネは苦笑した。生前の役所でも、表計算ソフトを少し使えるだけで仕事が三つ増えたことがある。転生しても人の頼り方はあまり変わらないらしい。


 朋子は続けた。


「豊穣の力を持った方が来てくれたのは、本当にありがたいんです。去年は麦が不作で、冬を越せない家が出るかもしれなかったから。でも、育つのが早くなれば刈るのも早くしないといけないし、貯蔵庫に入れるには乾燥や選別が必要でしょう。畑だけ元気でも、村は回らないんです」

「なるほど。今日は増員のご相談ですか」

「はい。できれば収穫の手を増やしていただくか、豊穣の力を少し抑えていただくか」


 ネネは端末に指を置いたまま、朋子の顔を見た。


「能力を抑えるのは、どなたの分ですか」

「岡部さんのです。もちろん、本人にも相談しなければと思っていますけど」

「岡部さんが、今どんな暮らしをされているかはご存じですか」

「ええ。朝から晩まで畑へ出ていると聞いています。だから、これ以上働いてくれとは言えません」


 言葉が途切れた。朋子は膝の上で両手を重ね、少し困ったように笑った。


「でも、だからといって作物を腐らせたら、あの人が頑張ってくれた意味もなくなるでしょう」


 ネネは、昨日の岡部の顔を思い出した。麦わら帽子のつばを握りしめて、「畑を見たくない」と言った青年。言葉の奥にあったのは農業への嫌悪ではなく、休む日まで他人の予定で埋められている苦しさだった。


 そして目の前の朋子も、別の場所から同じ畑に追い詰められている。


「少しお時間をください。岡部さんからも昨日、相談を受けているんです」

「……そうでしたか」

「内容を勝手にお伝えすることはできませんが、お二人に共通する問題はありそうです。岡部さんの了解を得られたら、一緒に話していただけませんか」


 朋子は迷わずうなずいた。


「ぜひ。あの人、村に頼まれると全部引き受けてしまうから、何が嫌なのか私たちにはわからなくて」


 ネネの耳が、わずかに動いた。


 断らない人は、断る理由を持っていない人だと思われやすい。自分もそうだった。最初の仕事で「大丈夫です」と答え続けた結果、年度末には三人分の受付簿を抱えることになった。


 しかし、似た経験があるからといって、先回りして答えを決めてはいけない。ネネは朋子の図面をもう一度見た。


「ところで、明日が収穫祭だそうですね」

「そうなんです。飾り付けも料理も、もう準備を始めています」

「……収穫する人が足りないのに?」

「はい?」

「いえ、何でもありません」


 今は、まだ。


     *


 休暇届の宛先は「神様御中」だった。


「これ、誰が作ったんですか」


 ネネが尋ねると、隣にいた白瀬律が、ごく普通の事務連絡をする顔で答えた。


「岡部さんです。昨日の相談後、村の集会所で書いて、現地支援担当を通じて送られたそうです」


 紙の右上には《休暇希望日 一日》、下には《理由 寝たい》とある。書類としてはたいへんわかりやすい。ただし、宛先だけが途方もなく大きい。


「白瀬さん、これを神様に回すんですか」

「管轄外ですね」

「神様の管轄外って、どこまで行ったら管轄内なんですか」

「少なくとも、村の当番表の調整ではありません」


 正しい。腹が立つほど正しい。


 ミラが向かいの机から顔を上げた。昨日、検証用の蔓が呼出表示を覆ったとき、嬉々として成長の記録を取っていた女神である。


「神格を持つ者へ休暇を請願する制度は、少なくとも当庁にはありません」

「ミラさん。今はそこまでの調査をお願いしていません」

「では、この欄を直せばよいのでは。宛先を『村長御中』に」


 ネネは紙を見つめた。


 村長はきっと、岡部に働けと命じた覚えがない。村人たちが自分の畑を頼み、岡部が断りきれず応じているのだとしたら、村長ひとりに休暇届を出しても、翌朝には別の人が玄関を叩くだろう。


「宛先より先に、お願いをする相手が何人いるのか、数えた方がよさそうですね」


 ネネがつぶやくと、ミラは真剣な顔になった。


「昨日時点の作業日程表には、依頼者が二十三人登録されています」

「二十三人……」

「世帯数にすると十七です」

「少し減りましたね。減った気がしませんけど」


 村にある家は三十戸ほど。岡部は村の半分以上から、個別に仕事を頼まれていたことになる。悪意ある雇い主がひとりいるわけでもないからこそ、断る相手が多すぎる。


 ネネは休暇届を裏返し、空いている面に線を引いた。


《本人が決めること》《村で相談すること》《輪廻転生庁が調べること》


「三つに分けましょう。岡部さんが休む日を選ぶのは本人のこと。畑の作業を誰が担当するかは村の皆さんのこと。転生前にどんな条件を説明したかは、うちが確認することです」


 白瀬が図をのぞいた。


「それなら、それぞれの部署と当事者に依頼できますね」

「はい。問題は、明日の収穫祭ですけど」


 朋子が見せた作業表をもう一度開く。収穫予定の畑は八か所。その一方で、祭りの飾り付けに六人、料理の仕込みに五人、広場の設営に四人。全員が収穫作業をできるわけではないにしても、最初から働き手がゼロというわけではなかった。


「収穫を祝うために、収穫する人が足りない……」


 ネネがぽつりと言うと、白瀬が時計を見た。


「何か思いつきました?」

「ええ。ただ、勝手には決められません。まずお二人と、それから村長さんへ提案です」


 ネネは現地支援担当への連絡票を起こし、岡部に次回相談への同意を求める伝言をつけた。


     *


 その日のうちに設けた臨時の相談枠には、岡部と朋子がそろって現れた。現地支援担当に二人がともに眠っている時間を確かめてもらったので、庁の時計では夕方でも、村のほうは祭り前夜の夜更けだという。


「……あ、倉庫の三枝さん」

「圭太さん。ごめんなさい、役所の人に相談するなんて、大げさなことをして」

「俺も来てますから、おあいこです」


 最初のぎこちなさが少しほどけたところで、ネネは二人に飲み物をすすめた。昨日の蔓騒動で検証用の作業台は空けられ、相談室にはようやく通常の机と椅子が戻っている。ネネの有尾種用の椅子も無事だ。


「先に一つだけ確認させてください。ここからお互いのお話を共有することに、よろしいですか」


 二人が了承するのを待って、ネネは昨日の相談内容をそれぞれ簡潔に伝えた。岡部は休みが欲しいこと、朋子は収穫が間に合わないこと。言葉にすると、互いの願いはそれほど離れていない。


「圭太さん、休みたかったんなら言ってくださいよ」

「言ったんですけど、そのたび『じゃあこの畑だけ先に』って……」

「それ、誰に?」

「みんなです」


 朋子は両手で顔を覆った。


「そういう村なんですよね、うち……」


 岡部が帽子のつばをこすりながら、ようやく少し笑った。


 ネネは二人の前に、村の予定表を並べた。収穫の仕事と祭りの準備が、色の違う線で書かれている。


「収穫祭は延期できますか」

「今さらですか?」と朋子。「近くの村からもお客さんが来ることになっているので、難しいと思います」

「じゃあ、祭りの内容を変えることは?」

「内容?」

「いま、村の皆さんは収穫祭に向けて準備していますよね。その方たちが、準備の一部を収穫作業へ回すことはできませんか。収穫することを、お祭りの行事にするんです」


 朋子は目を瞬かせた。岡部は、しばらく考えてから顔を上げる。


「昔、村でもみんなで麦を刈る日があったって聞いたことがあります」

「ありますよ」と朋子が言った。「ただ、最近は豊穣の力で早く育つから、刈り取りの日取りが揃わなくなって。人手がいる日は、圭太さんに頼めばいいと思ってたんです」


 言ってから、彼女は自分の言葉に気づいたようだった。


 ネネは、責める代わりに予定表を指した。


「岡部さんの能力は、作物を育てる力ですよね。刈り取りや運搬までひとりでできるわけではない。でしたら、明日はみんなで刈る。岡部さんは、その作業の順番と、どの畑なら今すぐ収穫すべきかを説明する役に回るのはどうでしょう」

「俺が説明するんですか」

「畑を毎日見ていたのは岡部さんですから。ただし、説明が終わったら帰っていい。作業の責任者まで引き受ける必要はありません」


 岡部は少し考え込んだ。朋子も地図をじっと見ている。


「飾り付けの人が四人回れば、豆畑のほうは何とかなりそうです。料理の仕込みも、全員が昼前から集まる必要はないし……。でも、明日のために今夜から全部変えるとなると、村長が何と言うか」

「そこは村で決めていただくしかありません。ただ、相談の経緯は、現地支援担当から村長さんにもお伝えできます」


 ネネは白瀬から受け取った文書を渡した。


《現地協議のお願い》


 村の労働の割り振りと、岡部本人の希望する休日について、当事者の話し合いを求める。役所が休暇を許可する書類でも、祭りの内容を命じる通達でもない。


「……これ、少し強そうな書類ですね」


 岡部がつぶやく。


「文字だけなら、そう見えるかもしれません。でも実際は、話し合いましょうというお願いです」

「うちの村長、お願いされると断れないんです」と朋子。

「それは……似た方がいらっしゃるんですね」


 岡部が苦笑した。ネネもつられて笑いそうになり、なんとか口元を引き締めた。


「それと、休みの日は曜日を決めて、村の掲示板へ出した方がよさそうです。依頼を個別に受け続けると、岡部さんが何度『今日は休み』と言っても、別の人が来ますから」

「日曜日とかですか」

「村の暦では十日に一度の市があるんです。そこを休みにすると、買い物にも行けますね」と朋子。

「いや、できれば週に一日くらい……」


 岡部の声が小さくなる。朋子は言い直した。


「あ、ごめんなさい。そうですよね。週一日、ちゃんと決めましょう。市の日は別に、お昼くらい抜けてもいいですし」


 ネネは二人のやり取りを聞きながら、そっと息をついた。本人が言ったことを、ほかの誰かが代わりに決めてしまう。その場面をもう一度つくらずに済んだらしい。


「では、まずは村長さんに提案を持ち帰っていただいて。お返事が来たら、次の手続きへ進めましょう」


 白瀬がうなずいた。


「必要なら現地支援担当を通じて、説明記録の照会も並行して行います」

「ありがとうございます」


 岡部は深々と頭を下げた。ネネは慌てて首を振る。


「まだ何も決まっていませんから。結果が出るまでは、安心しすぎないでくださいね」

「そこまで言わなくても……」

「私、自分の申請で『もうすぐ』って言われるのが、いちばん嫌なんです」


 口にした瞬間、しまったと思った。個人的な愚痴を混ぜるつもりはなかったのに、耳が少し下がる。


 白瀬が横から静かに言った。


「それについても、後で照会しましょう」

「……お願いします」


     *


 二日後、村から返事が届いた。


 現地支援担当の報告には、収穫祭が予定どおり行われたこと、飾り付けに使うはずだった人数の半分を刈り取りに回したこと、収穫した作物を運ぶ当番を村で改めて決めたことが記されていた。


 祭りの広場には、色とりどりの旗の代わりに収穫かごが並んだらしい。村長は「昔の祭りに戻っただけじゃ」と笑い、訪れた隣村の人たちまで鎌を持たされたという。最後の点については、参加が任意だったことを朋子が念入りに確認したそうだ。


 そして岡部は、午前中に畑の順番を説明すると、昼前には家へ帰った。


《本人は午後、縁側で茶を飲んでいたとのこと》


 報告の末尾に、朋子の追記がある。


《あんなに嬉しそうに何もしない人、初めて見ました》


 ネネはその一文を、もう一度読み返した。


「よかったですね」とミラが言う。「休息の取得に成功しました」

「成功、ですかね」

「はい。観察記録では、本人は午後三時まで座ったまま動かなかったそうです」

「監視してたんですか?」

「心配した村長さんが、二度ほど様子を見に行ったようで」

「……その二度も、できれば減らしてほしいですね」


 ネネは笑い、報告書を白瀬へ渡した。


 休みは一回取れた。それで済む問題ではない。村が全員で予定を決め直すこと、依頼を岡部ひとりに集中させないこと、豊穣の力を使う日をあらかじめ相談すること。どれも現地側で続けてもらう必要がある。


 受入担当からは、まず四週間を試行期間として、週一日の休みと依頼の窓口一本化を村の集会で決めた、という報告も届いていた。岡部本人も内容を読み、了承している。今後の状況は現地支援担当が確認することになった。


「これで、岡部さんの最初のご希望には近づきましたね」


 白瀬が言う。


「はい。うちが休暇を出したわけじゃないですけど」

「出せませんからね」

「管轄外、ですもんね」


 あの「神様御中」の休暇届は、村の集会で何度も読まれたらしい。理由欄の《寝たい》がとくに受けたそうで、今では村の掲示板に《岡部圭太 休みの日。起こさないこと》という札が下がっている。


「……でも、これだと休みの日まで名前が貼り出されるんですね」

「勤務予定表の一種ですね」と白瀬。

「休日が公示される仕事って、何なんでしょう」


 ネネは首を傾げた。本人が気に入っているなら、まあいいのかもしれない。


     *


 最後に残ったのは、転生前の説明の問題だった。


 岡部が申請したのは、自然の多い土地での自給生活。豊穣の能力そのものは希望に沿っている。村が作業道具や家を用意したことも、それだけなら歓迎の準備といえるだろう。


 しかし、到着三日前に作られた日程表には、すでに一週間分の畑仕事が割り振られていた。ネネが取り寄せた面談の要約には、その作業日程について説明した形跡がない。


「別の書類にあるかもしれませんね」


 白瀬が言う。


「はい。だから、確認したいんです」


 ネネは照会票の理由欄へ、そのまま書き込んだ。


《受入準備と本人の就労同意の区別について、説明記録を照合するため》


 ミラが隣から画面をのぞいた。


「この照会には、受入種別のコードが必要です。ここの欄ですね」


 細かな数字と記号が並ぶ一覧を、彼女は迷いなく開く。そのひとつに、《優先配属》という項目があった。


「これ、何ですか」

「受入先で人手を必要としている場合などに、条件の合う転生者を優先して推薦する仕組みです。存在自体は、特に秘密ではありません」

「推薦……ですよね」

「そうです。推薦を受けるかどうかは、本人が選ぶことになっています」


 ネネは岡部の日程表の作成日を見た。本人が村へ着く前に、すでに毎日の仕事が決まっていた。


「推薦されたことと、働くって決めたことは、別ですよね」

「制度上は、そうです」


 ミラはあっさり答え、受入記録の端に小さく表示されている印を指した。四角の中に、斜めの線が二本。


「この印がついた記録は、優先配属の処理を経ています。照会先も通常とは違いますよ」


 桐谷陸の確認書。自分の転生訂正申立書。そして、岡部の受入日程表。


 形の同じ印は、これで三度目だった。もっとも、同じ手続きが使われていたというだけでは、誰かが不正をした証拠にはならない。ネネはそのことを、佐伯の記録を見た日から自分に言い聞かせてきた。


 それでも、一つ気になることがある。


「白瀬さん。私の申請も、この照会先だったんですよね」

「……ええ」

「私、就職のために何かを推薦してもらうって、頼んだことがあるんでしょうか」


 白瀬はすぐには答えず、端末を開いた。


「申請時の記録を確かめないと、わかりません」


 ネネはいつもの「確認中」が出てくるかと思った。しかし白瀬は、少し考えてから続けた。


「ただ、確認する先が決まったのなら、問い合わせる内容も具体的にできます。こちらで一般的な照会の範囲を確認しておきましょう。ご自身の記録の開示は、本人として手続きする必要がありますが」

「……お願いします」


 ネネはうなずいた。そういう順番でしか進められないことも、今なら少し理解できる。


 そのとき、白瀬が机の下から小さな鉢を取り出した。


「ところで、雨宮さん」

「何でしょう」

「岡部さんの能力で、これも元気になりませんかね」


 鉢には、葉先の茶色くなった観葉植物が一本。土は固く乾き、窓のない相談室で長く置かれていたせいか、茎は頼りなく傾いている。


「白瀬さん。昨日の蔓騒動を、もうお忘れですか」

「同じ種類の植物ではありませんし、少量なら」

「そもそも、能力は岡部さんのものです。お休みができたばかりの方に、職員の鉢まで育てさせないでください」


 ミラが鉢を手に取り、根元を少し確かめた。


「これは、根がほとんど傷んでいますね。豊穣は生育を促しますが、枯れた根を作り直す能力ではありません」

「……だめですか」

「水と光の管理から見直すべきでしょう。ここ、窓もありませんし」


 白瀬は鉢を受け取り、珍しく肩を落とした。


「最初に説明してほしかったですね」


 ネネは思わず顔を上げた。


「白瀬さん。それ、窓口でいちばん聞く言葉です」


 白瀬は口を閉じ、それからほんの少し笑った。ネネも笑いながら、鉢の下へ受け皿を置いた。白瀬は土の表面を指で確かめ、乾ききっていると知って、気まずそうに水差しを取りに立った。その背中を見送っていると、呼出ベルが次の相談を告げた。


 壁の掲示には《職員の負担軽減にご協力ください》とある。


 ネネは自分の耳を一度なでてから、次の番号を呼んだ。


 休みを取れたのは、岡部だけだった。


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