EP 9
タバコの煙と、戦士の語らい
「……なんだこれ、煙を吸うのか?」
「そうだ。深く吸い込んで、吐き出せ」
イグニスの太い指が、水色の箱からアメリカンスピリットをつまみ上げる。
優太は軍用マッチを擦り、彼が咥えたタバコの先端に火を近づけた。イグニスは恐る恐る息を吸い込み——次の瞬間、盛大にむせ返った。
「ゲホッ、ゴホッ! なんだこれ、火を食ってるみてえだ!」
「竜人が火にむせてどうする。ゆっくりだ」
優太が笑いながら自分のタバコに火を点け、手本のように紫煙を細く長く吐き出す。
村の広場の隅、二人は地面に腰を下ろしていた。先ほどの立ち回りの熱が引いた後、イグニスも何度か試すうちに、タバコという嗜好品の落ち着く効果に気づいたらしい。
「……悪くねえな。腹の底が、少しだけスッとする」
「特殊部隊の教官に教わったんだ。言葉が通じなくても、タバコを分け合えば不思議と殺し合いにはならないってな」
「……へっ、変な教官だ」
イグニスがウサギのように鼻を鳴らし、少しだけ表情を緩める。
優太はその横顔を見つめながら、切り出した。
「お前の斧の振りは、一撃必殺だ。だが、戦場じゃ『必殺』より『生還』の方が重要になる。俺が教えるのは、生き残って味方を守るための技術だ」
優太は立ち上がり、イグニスに『戦術』の基本を叩き込み始めた。
グリーンベレー式の近接戦闘(CQB)における死角の潰し方、カバーリングの概念、そして地形を利用した戦い方。
大振りになる斧の弱点をカバーするため、相手の踏み込みを誘ってからカウンターで振り下ろす『キルゾーン』への誘導。
イグニスは最初は「まどろっこしい」と文句を言っていたが、実際に木の枝を武器に見立てて優太と模擬戦を繰り返すうち、その実用性に目を見開いていった。
「すげえ……力任せに振るより、ずっと早く、確実に相手を仕留められる……!」
「お前にはそのポテンシャルがある。技術が乗れば、化けるぞ」
一時間の戦術訓練を終え、二人は再び地面に座り込んで水分を補給した。
優太が二本目のタバコを差し出すと、イグニスは今度はスムーズに受け取り、器用に自分の口から小さな火炎を吐いて火を点けた。便利な特技だ。
「……なぁ、優太」
「なんだ」
「俺様、さっき『ルナミス帝国で像が建つくらいの大物』だって言っただろ」
「ああ、聞いてた」
イグニスは気まずそうに視線を泳がせ、紫煙と一緒に溜め息を吐き出した。
「……嘘だよ。冒険者になろうと帝国へ行ったけどよ、登録にはスマホだの銀行口座だのが要るって受付嬢に言われて、登録すらまともにできなくてよ」
「スマホ? 銀行口座?」
ファンタジー世界にあるまじき単語に優太は面食らったが、佐藤太郎という転生者が作った近代国家ならあり得る話だ。
「なんとか登録したものの、力が強すぎて魔獣を素材ごと粉々にしちまって、パーティも即クビさ。公園で鳩に餌やりながら、工事現場の日雇いと炊き出しループしてるところを、この村の自警団に拾われたんだ」
イグニスは自嘲するように笑った。
「だけどよ、実家には『俺様は英雄になった! 純金の像が建つぜ!』って嘘の手紙を送っちまったから……今更、帰れねえんだよ」
「なるほどな。それで、見栄を張ってたってわけか」
「笑うなら笑えよ。田舎者の、惨めな見栄っ張りさ」
竜人の青年が、大きな背中を丸めて下を向く。
だが、優太は笑わなかった。タバコの灰を地面に落とし、静かに言葉を紡ぐ。
「……死んだら、見栄も張れないぞ」
「えっ?」
「守りたい見栄や誇りがあるなら、それに見合うだけの実力を身につければいい。この村の防衛で生き残り、お前が誰かを守り抜いたなら……それは紛れもなく、本物の英雄だ」
「優太……」
イグニスの赤い瞳に、確かな光が宿った。
「……ああ、そうだな。やってやるよ! 俺様がこの村を守って、正真正銘の英雄になってやる!」
彼が立ち上がり、両手斧を力強く天に掲げたその瞬間。
『パラパパパパーン!』
【善行を確認しました】
【対象:戦術的教育による部隊生存率の向上および、精神的ケア】
【地域社会への貢献度:中】
【ポイントを加算します:+500P】
【現在の所持ポイント:6567P】
(……! 『教育』も、これほど高く評価されるのか)
五十、ではない。五百ポイントだ。
直接命を救うだけでなく、誰かが生き残るための『知識』と『技術』を与え、心を支えること。それがシステムにおいてどれほど重要視されているかが明確になった。
優太の唇に、満足げな笑みが浮かぶ。
「頼りにしてるぞ、イグニス」
「おう! 任せとけ!」
強固な戦力を手に入れた。
村人たちの信頼も得て、公衆衛生の基礎も敷いた。
だが、優太の直感が、嵐の前の静けさを告げていた。
もし大きな脅威が迫った時、自分の丸腰の格闘術とナイフだけでは、いずれ限界が来る。
(……そろそろ、こいつの出番か)
自室に戻り、優太はミリタリーリュックの奥底から、厳重に布で包まれた『それ』を取り出した。
現代の殺傷技術の粋を集めた、己の刃の手入れをする時が来た。
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