EP 10
ワスプ薙刀と、静かなる決意
夜の村長宅。貸し与えられた自室のランプの灯りの下で、優太はミリタリーリュックから厳重に布で巻かれた細長い包みを取り出した。
布を解くと、鈍い光を放つ漆黒の円筒形の物体が現れる。
ボタンを押すと、カシャッという金属音と共に、内部から三段構造のカーボンファイバー製の柄が伸長した。先端からは、刃渡り三十センチほどの鋭利なチタン合金の刀身が飛び出す。
『折りたたみ式タクティカル薙刀』。
だが、この武器の真の恐ろしさは、切れ味や携帯性にあるのではない。
優太は柄の底部を捻り、リュックから取り出した小さな銀色のボンベ——高圧CO2(炭酸ガス)カートリッジを装填した。
地球のサバイバル界隈に存在する『ワスプ・インジェクター・ナイフ』の理論を、薙刀のリーチに組み込んだ特注の極悪兵器だ。
刃を対象に突き刺した瞬間、柄のスイッチを押し込む。すると、刀身に空いた微細な孔から約八百psi(約五十気圧)という超高圧の冷凍ガスが対象の体内に一瞬で注入される。
ガスは肉の内部で急激に膨張し、内臓や血管を破裂させ、同時に極低温で周囲の組織を凍結・壊死させる。本来は、海中でホホジロザメを撃退したり、山中でヒグマを即死させるための、対大型獣用の『破壊兵器』である。
「…………」
カートリッジの装填確認を終え、安全装置をかけた優太の手に、微かな震えが走った。
人を救うための医療キットではない。
これは、対象の命を確実に、一切の容赦なく『奪う』ためだけに作られた死の道具だ。
『ユウタ……逃げ、ろ……ッ!』
刀身の鋭い反射光を見た瞬間、優太の脳裏に、ハワイの路地裏の光景が鮮明にフラッシュバックした。
弾け飛ぶ血肉。硝煙の匂い。
無力な自分。ただ震えながら、友人の命がこぼれ落ちるのを眺めているしかなかった、あの絶望的な夜。
「くっ……」
優太は目を閉じ、システマの呼吸法で無理やり心拍を抑え込もうとする。
だが、刃物を握る右手の震えはどうしても止まらなかった。殺すための力を持つことは、即ち、殺される恐怖と他者の血を浴びる罪悪感と常に隣り合わせになるということだ。
トントン。
控えめなノックの音と共に、ドアが開いた。
「優太君、起きてる……?」
部屋に入ってきたのは、寝巻き姿のキャルルだった。
彼女は優太の手に握られた禍々しい薙刀と、その手が微かに震えているのを見て、ウサギの耳をピクリと動かした。
「……こんな時間に、どうした」
「その……ちょっと、眠れなくて」
優太は薙刀を机の上に置き、震える右手を左手で強く握りしめた。
だが、キャルルの鋭い観察眼をごまかすことはできなかった。彼女は静かに歩み寄り、優太の隣に腰を下ろす。
「怖い夢でも、見たの?」
「……ただの、昔の記憶だ。大したことじゃない」
「嘘だね。優太君の手、すごく冷たくなってるよ」
キャルルは躊躇うことなく、優太の組まれた両手を自分の両手でそっと包み込んだ。
彼女の手のひらは、昨日までの重傷が嘘のように温かかった。
「……俺は、高校の時、目の前で友達が殺されるのを見てるだけだった」
気づけば、優太はぽつりと零していた。
自分でも驚くほど、自然に。
「何もできなかった。誰も救えなかった。だから……二度とあんな思いをしないように、人を救うための医術と、奪うための力を身につけた」
机の上のワスプ薙刀を見つめる。
「けどな、いざ命を奪うための武器を握ると……あの時の血の匂いが蘇るんだ。俺は、いつかこの手で誰かを殺す恐怖に、押し潰されるんじゃないかって」
弱音だった。
この数日間、村人たちの前で見せてきた『完璧な指揮官』でも『冷徹な医官』でもない、一人の青年としての本音。
それを聞いたキャルルは、何も言わずにしばらく優太の手を握りしめていた。
やがて、彼女は自分のポケットをごそごそと漁り、一枚の布切れを取り出した。
不格好なオレンジ色の刺繍が施された、白いハンカチだった。
「これ……」
「私、お裁縫が好きで。でも、人参の柄しかうまく縫えないんだけど……優太君に、あげる」
キャルルは少し照れくさそうに笑いながら、優太の手にハンカチを押し付けた。
「優太君の手は、私を助けてくれたよ。村のみんなも、優太君の手が救ってくれた。だから……」
キャルルは優太の目を見つめ、ひどく甘く、そして暗い炎を宿した瞳で囁いた。
「優太君が抱える震えも、血の匂いも、恐怖も……全部、私がもらってあげる。優太君は、もう誰も死なせないんでしょ?」
「……キャルル」
「もし優太君がその武器で手を汚すのが辛いなら、私が代わりに全部壊してあげるからね」
それは、優しさというよりは、相手の全てを抱え込もうとする『狂気』に近い感情だったかもしれない。
だが、その不格好な人参のハンカチと、彼女の真っ直ぐな言葉は、今の優太の胸の奥にある冷たい恐怖を、確かに溶かしてくれた。
「……ありがとう。でも、俺の戦いは俺のものだ。俺が、守る」
優太はハンカチをしっかりと握りしめ、キャルルに向けて力強く頷いた。
手の震えは、もう完全に消え去っていた。
「さあ、もう寝ろ。明日はイグニスの訓練の続きがあるからな」
「うん。おやすみなさい、優太君」
キャルルが部屋を出ていくのを見送り、優太は再びワスプ薙刀を手に取った。
もはや迷いはない。
この村の日常と、救い上げた命を、己の持つすべての知識と力で守り抜く。
だが、その決意を試すかのように。
翌朝、ポポロ村の周囲の森は、異様な静寂に包まれていた。
小鳥のさえずりは消え、森の奥から、無数の小さな生き物たちが何かに追われるように、村の防壁に向かって逃げ出してきていた。
巨大な『死』の影が、すぐそこまで迫っていた。
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