EP 4
恐怖の「カレーライスの罠」! エルフの胃袋が危ない
「……ビール部隊が全滅しただと?」
冷蔵ショーケースの最上段。その凶報を耳にした『トンデモナイト』の分厚い豚バラ肉が、わななきに震えた。
アルコールの麻痺と炭酸ガスによる胃袋拡張阻止を狙った黄金の刺客たちは、神々の底なしの肝臓という名の理不尽な魔境に飲み込まれ、たったの十分で完全に消滅したという。
「恐るべき連中だ……。だが、諦めるわけにはいかない。ハラミ姫を守るためなら、俺は悪魔にでも魂を売る!」
トンデモナイトは、ショーケースの防弾ガラス(アクリル板)越しに、バイキング会場の一角――ビュッフェコーナーの最深部を睨みつけた。
そこには、ひと際巨大な銀色の保温鍋が鎮座している。
蓋の隙間からは、スパイシーで暴力的なまでの香りが漂い、近づく者の理性を容赦なく削り取る。
焼肉バイキングにおいて、絶対に手を出してはならない禁忌の領域。
それは、焼肉を喰いに来た客の胃袋を強引に奪い取る、店舗側が仕掛けた最凶のトラップである。
「出撃せよ、超重装甲歩兵……『カレーライス部隊』ッ!!」
トンデモナイトの号令が飛ぶ。
その瞬間、保温鍋の蓋が開き、ドロリとした褐色の海が姿を現した。
煮込まれてホロホロになったロックバイソンの端肉、原型を留めないほどに溶け込んだ野菜たち。スパイスの芳醇な香りが、会場の空調に乗って一気に拡散していく。
『フフフ……出番か、トンデモナイトよ』
鍋の中から、重低音の野太い声が響いた。カレーライス部隊の隊長である。
『我らは炭水化物と脂質の結晶。たった一皿で、胃袋のキャパシティの半分を物理的に制圧し、急激な血糖値スパイクを引き起こして満腹中枢を麻痺させる。……焼肉バイキングに来ておきながら、我々の香りに抗えず白米にたっぷりとルーをかけてしまう愚か者どもに、絶望を味合わせてやろう!』
カレーライス。
それは、限られた90分という作戦時間において、最もカロリー対効果が最悪の選択肢。しかし、バイキング特有の「なんでもあるから食べてしまおう」という人間の浅ましい欲望を刺激する、悪魔の兵器。
濃厚なスパイスの香りが、俺たちのボックス席にも漂ってきた。
「……ッ!? この匂いは……!」
魔導グリルで肉の温度管理をしていた俺――中村優太は、瞬時にその『罠』の存在に気がついた。
軍隊生活において、カレーは金曜日の士気向上のための重要アイテムだ。だが、今は違う。ここは『焼肉バイキング』という名の戦場なのだ。
「全員、よく聞け! あそこにあるカレーには絶対に手を出すな!」
俺はトングを構えたまま、CQCで敵の奇襲を受けた時のような緊迫した声で警告を発した。
「えっ? なんでですか、優太さん? すごくいい匂いがしますわよ?」
キャルルが不思議そうに兎の耳を傾ける。
「罠だ! それは敵の仕掛けた『胃袋圧縮トラップ』だ! 白米と大量の脂質、そしてスパイスの刺激は、急激に血糖値を上昇させ、脳に『満腹である』という偽の信号を送る! さらに物理的な体積で胃のキャパシティを奪い、高価な肉を収容するスペースを完全に破壊する戦術だ!」
俺はTCCC(戦術的戦闘犠牲者ケア)の講義のような早口で、その危険性を説いた。
「バイキングに来てカレーを食うのは、弾薬庫の中で手榴弾のピンを抜くのと同じ自爆行為だ! あの匂いに惑わされるな、ひたすらに肉(タンパク質)に集中しろ!」
「なるほど……恐ろしい罠ですわね。優太さんがおっしゃるなら、私は絶対に近づきませんわ♡」
キャルルはコクリと頷き、俺の焼いたカルビを大事そうに口へと運んだ。
「私、パンの耳以外でお腹が膨れるなんて贅沢、許されませんの! お肉! お肉ですわ!」
リーザに至ってはカレーの存在など最初から眼中にない。彼女の視線は、ショーケースの高級肉だけにロックオンされていた。
「よし、これで戦線は維持できる……」
俺が安堵の息を吐きかけた、その時だった。
「まぁ……お肉がゴロゴロ入って、とっても美味しそうですわ〜♡」
――信じられないほど呑気で、ふんわりとした声が、ビュッフェコーナーの方から聞こえてきた。
「……なっ!?」
俺が振り返ると、そこには、ふわふわのお嬢様ドレスを着たエルフの次期女王、ルナ・シンフォニアの姿があった。
彼女の両手には、純白のライスが山のように盛られた巨大な皿。そして、その上には、並々となみなみと注がれた褐色の海――タロキン特製カレーが、決壊寸前のダムのように乗せられていた。
「ル、ルナ!? お前、何やってるんだ!」
俺は思わず叫んだ。
「あ、優太さん! 見てください、こんなに大きなお肉の塊が入っていましたの!」
ルナはニコニコと純真無垢な笑顔を浮かべ、お玉ですくったロックバイソンの端肉を見せつけてくる。
「私、お野菜も好きですけれど、こんなに良い香りのするスープ(※カレーです)を放ってはおけませんわ! 世界樹様も、きっと『残さず食べなさい』っておっしゃるはずですの!」
(バカッ、お前、それだけの量を食ったら、もう肉なんて一枚も入らないぞ……!)
天然エルフの破壊的善意と無警戒さは、ここでも最悪の形で発揮されてしまった。
ルナはホクホク顔で席に戻ると、スプーンを握りしめ、山盛りのカレーライスを大きなお口でパクリと頬張った。
「んん〜っ♡ スパイスが効いていて、とっても美味しいですわ〜! 優太さんも一口いかがですか?」
「い、いらん! ああ……なんてことだ。貴重な胃袋の枠が、カレーで完全に埋められていく……!」
俺の絶望をよそに、ルナは幸せそうな顔でパクパクとカレーを食べ進めている。
その様子を、ショーケースの中から見つめていた『お肉防衛軍』たちは、狂喜乱舞していた。
『見ろ! あのエルフの女が、我らがカレーライス部隊の罠にまんまとハマったぞ!』
『やった! あの大盛りカレーを完食すれば、奴の胃袋は完全に沈黙する!』
タン塩やカルビたちが、歓喜の声を上げる。
トンデモナイトも、分厚い豚バラ肉の胸を撫で下ろした。
「……よくやった、カレーライス部隊。あの金髪のエルフ、戦闘力(食欲)は高そうだったが、見事に無力化してくれた。これで、奴らの戦力は一人削られたも同然……ハラミ姫、ご安心を。この調子で奴らの胃袋を満たしていけば、必ずや90分を耐え抜くことができます!」
「トン様……あなたのおかげですわ……!」
ハラミ姫が、涙ぐみながらトンデモナイトの脂身に寄り添う。
お肉防衛軍の士気は最高潮に達していた。
ビール部隊の犠牲は無駄ではなかった。カレーライス部隊の投入により、敵の戦力を確実に削り取っている。このまま波状攻撃を仕掛ければ、奴らを『満腹』という名の敗北へ追い込める。誰もがそう確信した。
――だが。
この歓喜に沸くお肉防衛軍の中で、ただ一人、保温器の隅のアルミホイルのカップに座り、不敵な笑みを浮かべ続けている『漢』がいた。
「ヘッ……随分と大袈裟に喜んでやがるな」
飲茶である。
「たかがエルフ一人を腹いっぱいにして、勝った気でいるとはお笑い草だぜ」
飲茶は、シュウマイの皮をパキッと鳴らし(※イメージです)、ゆっくりと立ち上がった。
「飲茶! お前、まさか……!」
トンデモナイトが振り返る。
「トンさんよ。アンタの指揮は立派だが、少し慎重すぎるぜ。俺が……俺が単機で突入して、あの芋ジャージの小娘の胃袋を、中から食い破ってやるよ!」
飲茶の顔に、絶対の自信が漲っていた。
「ここらでお遊びは、いい加減にしろって所を見せてやりたいんでね」
「馬鹿野郎、飲茶! やめろ、無茶するな!」
トンデモナイトの制止の絶叫を背に受けながら。
漢・飲茶は、自らショーケースの壁を越え、魔王たちが待ち受ける灼熱の戦場――『網の上』へと、その身を投じたのであった。
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