EP 3
黄金の刺客ビールと、神々の底なし沼
「第一陣、着弾する。網の上の温度管理を怠るな!」
タロキンのボックス席。中央に設置された魔導グリルという名の最前線で、俺――中村優太は冷静に指示を飛ばしていた。
網の上は、強火の『交戦区域』と、弱火の『退避区域』に厳密にゾーニングされている。肉を乗せすぎて網の温度を下げることは、戦線の崩壊を意味する。俺はトングを巧みに操り、CQCの如き手捌きで肉の焼け具合をコントロールしていた。
「あーん、優太さん! 私、カルビがいいですわ♡ あ、でも優太さんが焼いてくれたなら、焦げた炭でも食べますからね♡」
隣に座るキャルルが、ヤンデレ特有の重い視線を向けてくる。
「炭は発ガン性物質だ。医療従事者として、患者に毒を食わせるわけにはいかない」
俺は最も美しいきつね色に焼き上がったカルビを、彼女の皿へと正確に投下した。
「はーい、全宇宙のリスナーさん! 見てください、優太さんのこの華麗なトング捌き! もはや芸術的ですらありますねーっ!」
キュララがドローンを飛ばし、俺の手元を大写しにして配信している。
そんな中、網の上の熾烈な戦いには一切参加せず、悠然とふんぞり返っている二つの影があった。
世界神・ルチアナと、月の女神・カグヤである。
彼女たちは肉を取りに行くこともなく、ただテーブルに備え付けられた呼び出しボタンを連打していた。
「ちょっと店員さーん! お肉は優太が焼くからいいとして、飲み物がまだ来てないわよ! 一番高いお酒、早く持ってきなさい!」
「そうですわ! わたくしたちのような高貴な神を待たせるなんて、タロキンのサービスはどうなっておりますの!」
――その傲慢な神々の注文は、ドリンクバーの奥に潜む『彼ら』にとって、絶好の出撃合図であった。
***
「……来たぞ。奴ら、酒を要求している」
タロキンの厨房奥、銀色に光る無機質なビールサーバーの中。
氷点下に冷やされた樽の中で、黄金色に輝く液体――『ビール部隊』の隊長が、静かに泡を立てていた。
ビール。それは焼肉バイキングにおける、最強の「暗殺者」である。
冷たい喉越しで油を洗い流すという錯覚を与えながら、その実、アルコールによる神経の麻痺と、強烈な炭酸ガスによる胃袋の膨張を引き起こす。
多くの猛者たちが、「とりあえず生で」という魔法の言葉と共にビール部隊の奇襲を受け、肉を数皿食べただけで満腹中枢を破壊され、無念の涙を飲んできたのだ。
「フッ……愚かな女神どもめ。タダ飯だからと調子に乗って、我々を呼びつけるとはな」
ビール隊長が、周囲の部下たちに檄を飛ばす。
「聞け、黄金の刺客たちよ! トンデモナイト殿から、時間稼ぎの特命を受けている! 奴らの胃袋に炭酸ガスを充満させ、アルコールで肝臓を麻痺させろ! 奴らを酔わせれば、我々『お肉防衛軍』の勝ちだ!」
『おおおおおっ!』
サーバーの中で、気泡が猛烈な勢いで湧き上がる。
カチャッ、という音と共に、サーバーのレバーが引かれた。
「出撃ィィィッ!!」
ビール部隊は、凄まじい水圧と共に冷えた大型ジョッキへと射出された。
完璧な黄金比率。液面7に対し、純白の泡3。
彼らは自らの身を最も美しい姿へと変え、店員の手によってルチアナとカグヤのテーブルへと運ばれていった。
「お待ちどうさまです、生中二つです」
「来た来たぁっ! これよこれ!」
ルチアナがジョッキを鷲掴みにする。
「タダで飲むお酒ほど、美味しいものはありませんわ!」
カグヤも満面の笑みでジョッキを掲げた。
「カンパーイ!!」
二柱の神が、黄金のジョッキを勢いよくぶつけ合い、一気に口へと流し込む。
(……かかったな!)
ビール隊長は、ルチアナの喉を滑り降りながら、勝利を確信した。
(喰らえ、アルコール5%の毒と、極限まで圧縮された炭酸ガスの爆撃を! 貴様らの胃袋は、一瞬にして風船のように膨れ上がり――)
――しかし。
ビール隊長が到達したルチアナの『胃袋』と『肝臓』は、彼の想像を絶する、おぞましい魔境であった。
(な、なんだここは!?)
アルコールが全く回らない。炭酸ガスが、虚無の空間に吸い込まれるように消えていく。
それもそのはずである。
ルチアナは、推しのイケメンアイドル・月人君の限定ガチャで爆死(天井)するたびに、天界の自室でストロング系の度数の高い酒を呷り、涙を流しながら徹夜で周回するという、極限の『ソシャゲ廃人生活』を何百年も続けてきた神なのだ。
5%のビールなど、彼女の狂気に満ちた肝臓の前では、ただの『麦茶』に等しかった。
「ぷはぁぁぁぁっ!! くぅ〜ッ、五臓六腑に染み渡るわぁ!」
ルチアナはわずか数秒でジョッキを空にすると、ガンッ! とテーブルにジョッキを叩きつけた。
「すいませーん! おかわり! とりあえずあと五杯持ってきて!」
(ば、馬鹿な……!? 俺の渾身の炭酸ガスが、たった数秒で無力化されただと!?)
一方のカグヤの体内でも、同じく悲劇が起きていた。
(くそっ、こっちの黒髪の女はどうだ! 食らえ、アルコール――)
(ヒィィィ!? なんだこのドス黒い肝臓はぁぁぁ!?)
カグヤの肝臓は、信者からの献上品をドンガン地下帝国の質屋で叩き売り、その金で毎晩のように夜の街へ繰り出しては『ギャラ飲み』を繰り返してきた、歴戦の猛者(アル中一歩手前)のそれであった。
安酒から高級酒まで、あらゆるアルコールを分解し尽くしてきた月の女神の臓器は、ビール部隊の攻撃を完全に無効化していた。
「おほほほほ! 薄いですわね、まるで水ですわ! 店員さん、わたくしにもピッチャーで持ってきなさいな!」
神々の底なし沼に吸い込まれたビール部隊は、何の戦果も挙げることなく、ただひたすらに消費されていく。
(た、隊長……ダメです! 奴ら、全く酔う気配がありません!)
(炭酸ガスが……いくらガスを放っても、奴らの胃袋には無限のキャパシティが……!)
「ば、馬鹿な……神とは、これほどまでに強欲で、底なしのアルコール耐性を持っているというのか……!」
ビール隊長は、次々とジョッキに注がれ、ルチアナとカグヤの胃袋というブラックホールへと消えていく部下たちを見つめ、絶望の叫びを上げた。
「プハァーッ! 最高! タロキン最高! どんどん持ってきてー!」
「わたくし、今日は樽を一つ空にするつもりで飲みますわよー!」
ゴボッ……ゴボボボボッ……シュゥゥゥ……。
開始からわずか10分。
タロキンの厨房奥から、悲しい音が響いた。
ビールサーバーの樽が、完全に空になった音である。
『店長! 4番テーブルの女性二人組、異常なペースです! すでにビール樽が一つ空になりました!』
『なんだと!? くそっ、予備の樽を出せ!』
厨房の店員たちがパニックに陥る中、黄金の刺客『ビール部隊』は、神々の前になす術なく全滅(品切れ)を迎えたのであった。
***
「……嘘だろ」
その悲惨な光景を、食材ショーケースのガラス越しに見つめていた『トンデモナイト』は、絶望に打ちひしがれていた。
最強の搦め手であるはずのビール部隊が、あんなにもあっさりと……いや、むしろ奴らの「食欲の着火剤」として利用されてしまったのだ。
「神とは……あれほどまでに恐ろしい生き物なのか……」
トンデモナイトの背後で、ハラミ姫が震えている。
このままでは、網の上の制空権を完全に掌握され、ハラミ姫が魔王たち(客)の牙にかかるのは時間の問題だった。
「……トン様。もう、ダメなのでしょうか……」
「諦めるな、ハラミ姫!」
トンデモナイトは自らの分厚い脂身を奮い立たせ、ショーケースの奥、ひときわ重厚な気配を放つ『保温鍋』の方へと視線を向けた。
「こうなれば、仕方ない……。タロキン最強の『胃袋圧縮トラップ』を使用する。……超重装甲歩兵、カレーライス部隊に出撃要請を出せ!」
焼肉バイキングにおいて、絶対に手を出してはならない禁忌の領域。
「なぜか無性に美味しそうに見えるカレーライス」という最強の罠が、ついに動き出そうとしていた。
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