EP 8
月兎の狂乱と雷神の一撃
サァァァ……。
厚い雲が風に流され、ポポロ村の夜空に完全な円を描く『満月』が顔を出した。
銀色の光が戦場に降り注いだ瞬間、空気が一変した。ただでさえ死蟲機の放つ腐臭と鉄の匂いが立ち込めていた空間に、オゾンが焦げるような強烈な静電気の匂いが混ざり始めたのだ。
「優太さん……ケガは、ありませんか?」
背後から響く、ひどく甘ったるい声。
振り返ると、そこには月光を背に受けて立つキャルル・ムーンハートの姿があった。
普段は愛らしく垂れている兎の耳が、今はピンと天を突き刺すように逆立ち、その先端からパチパチと青白い闘気の火花を散らしている。
目は完全にハイライトを失い、深い漆黒の底でヤンデレ特有の濁った愛が渦を巻いていた。満月を浴びた月兎族の上位種――その中でも極めつけのイレギュラーである彼女が、リミッターを完全解除した『満月ハイ(覚醒)状態』に突入したのだ。
「あぁ、俺は無事だ。だが、将軍機はまだ自己修復を――」
俺が最後まで言い終えるより早く。
ドンッ!!
キャルルが立っていた地面が、クレーターのように陥没した。
同時に、強烈な爆発音が遅れて俺の鼓膜を叩く。
彼女の姿は、すでにそこにはなかった。
(……速い。マッハ1(時速約1,200km)を超えている……!)
俺は咄嗟にシステマの呼吸法で体幹を固め、衝撃波の余波に耐えた。周囲の死蟻機たちは、キャルルが「ただ走っただけ」で生じた風圧によって、枯れ葉のように空高く吹き飛ばされていく。
「ふふっ♡ 私の村の畑を荒らす悪い虫さんは……こうですわ!」
戦場のド真ん中、空中に吹き飛んだ死蟲機たちの間に、キャルルの残像が無数に発生した。
彼女の両手に握られたダブルトンファーが、月光を反射して銀色の円軌道を描く。
「【月影流・乱れ鐘打ち】!」
タローマンで購入した『特注の鋼鉄つま先入り安全靴』の圧倒的な質量と、遠心力を極限まで乗せた連続回し蹴り。
ガギィィィンッ! メシャァァァッ!
強固な装甲を持つはずの死蟲機たちが、まるで空き缶のように次々と蹴り潰され、空中で無惨な鉄屑へと変わっていく。
さらに彼女は、周囲の建物の壁や樹木を足場にしてジグザグに跳弾のように跳躍する『乱れ流星脚』へと移行。残された死蜂機の編隊すらも、あっという間に全滅させてしまった。
『ギ、ギギギ……脅威度・極大……殲滅スル!』
残骸から這い出し、なんとか自己修復を進めていた死蟲将軍機が、キャルルを最大の脅威と認識し、巨大な酸の砲弾を乱射した。
「遅いですわ♡」
キャルルは空中で体を捻り、砲弾を紙一重で躱すと、そのまま地上へとふわりと着地した。
「……私の大切な優太さんに、よくもあんな毒を向けましたわね。万が一、優太さんの綺麗な肌に傷がついたらどうするつもりでしたの?」
キャルルはクスリと笑うと、足元の安全靴に仕込まれた『雷竜石』のロックをカチリと外した。
瞬間、彼女の全身を紫電の雷光が包み込んだ。
闘気と雷撃が融合し、彼女の周囲の空間がプラズマ化してバチバチと鳴り響く。
「……消えなさい」
キャルルがクラウチングスタートの姿勢を取る。
次の瞬間、彼女は地上から空に向けて一直線に跳躍した。そのジャンプ力、実に20メートル。
最高到達点で空気を蹴り、空中を前方宙返りして加速のベクトルを完璧に下へと向ける。
マッハ1の超音速の落下の勢いに、1億ボルトの雷光と1,000MJの膨大な闘気を乗せた、完全無欠の必殺技。
「【超電光流星脚(スーパー・ライトニング・メテオ・ストライク)】!!」
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!
キャルルの安全靴が死蟲将軍機の頭頂部に直撃した瞬間、ポポロ村全体が巨大な地震に見舞われたかのように揺れた。
衝撃質量換算、約277トン。
もはやそれは格闘技の次元を超え、戦略兵器の直撃に等しい。
将軍機の黒鉄の装甲はひしゃげる暇すらなくプラズマの超高熱で蒸発し、その下にある内部構造ごと、大地深くへと叩き潰された。クレーターの中心から、紫色の雷がクモの巣のように広がり、周囲の土をガラス化させていく。
冒険者たちから『雷神の月兎』と恐れられる所以が、そこにあった。
「……す、すげぇ……」
後方で解毒ポーションの治療を受け、へたり込んでいたイグニスが、呆然と口を開けていた。
土煙が晴れると、クレーターの中心には、頭部と胴体の大部分を完全に消滅させられ、痙攣するだけの鉄屑と化した死蟲将軍機が転がっていた。
その上に、キャルルがふわりと降り立つ。
ヤンデレモードのままの彼女は、満足げにトンファーをしまった。
「ふふっ……これで、悪い虫さんはお掃除完了ですわね♡」
キャルルが振り返る。
だが、その瞳のハイライトは、まだ戻っていなかった。
むしろ、敵を殲滅したことで、彼女の内に秘められた月兎族特有の『お節介な回復本能』が、最悪の形で暴走を始めようとしていた。
「さて……次は、皆さんの『治療』の時間ですわね♡」
キャルルの首が、ゴキリと不自然な角度で傾いた。
その視線が、まずは負傷して座り込んでいるイグニスを捉える。
「イ、イグニスさん? 毒を食らうなんて、油断しましたわね。そんな緩みきった防御力では、またいつ死ぬかわかりませんわ。……一度、全身の骨を砕いてから『月光薬』で完全回復させて、二度と毒を食らわない強靭な肉体に鍛え直して差し上げますわね♡」
「ひっ!? い、いや、俺様はもう優太さんに治してもらったから! ピンピンしてるッスよ!?」
イグニスが悲鳴を上げて後ずさるが、キャルルはニチャァと笑ってジリジリと距離を詰め始めた。
さらに彼女の視線は、シェルターの入り口から恐る恐る顔を出していたルチアナとカグヤにも向けられた。
「あら? ルチアナ様にカグヤ様……神様なのに奇跡も起こせないなんて、きっと日頃の不摂生で魂が淀んでいるんですわ。私がトンファーで百発ほど殴打して、強制的にデトックス&全回復させて差し上げますわ♡」
「ひいいいぃぃぃっ!?」
「だ、誰かあのウサギ止めてぇぇぇ!」
神々が絶叫し、シェルターの奥へと逃げ惑う。
かつて、三カ国の駐留所にカチコミをかけ、兵士たちをボコボコに殴りながら全回復させたという『天国と地獄のハイブリッド愛の指導』が、今まさに身内に対して始まろうとしていた。
「あぁ……優太さん、優太さんも少し疲れていますわね? 私が、手取り足取り、骨の髄まで癒やして差し上げますわ……♡」
ついには、キャルルの矛先が俺にまで向いてきた。
俺は短くため息をつき、頭を掻いた。
(……やれやれ。マッハ1で動くウサギを、徒手空拳で制圧するのはさすがに無理があるな)
いくら無双薙刀流を極めているとはいえ、物理法則を無視した超音速の突進を捌ききるのは不可能だ。ここは、現代(地球)の『科学の力』に頼るしかない。
俺は左腕のG-SHOCKに視線を落とし、頭の中のインターフェース――ユニークスキル『地球ショッピング』のポイント残高を確認した。
日々の皿洗いや溝掃除のポイントに加え、先程イグニスの命を救い、村の防衛に貢献したことによる『重大な人助け』のボーナスが加算されている。
【現在の善行ポイント:5,120P】
「十分だな」
俺はリュックを下ろし、深く息を吸い込んだ。
打算なく、ただ仲間と村の日常を守るために戦った結果として得た運命力。これが今、俺に『最適解』をもたらすはずだ。
「地球ショッピング……100Pガチャ、10連だ」
俺の目の前の空間が歪み、地球から召喚された『箱』が次々とドロップし始めた。
ヤンデレ化した月兎の狂乱を止めるための、医療的かつ物理的な『処方箋』が、今まさに届こうとしていた。
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