EP 8
逆恨みの復讐と、哀れな流れ星
春の陽光が降り注ぐポポロ村から少し離れた、南の深い森の中。
木漏れ日さえ届かない鬱蒼とした木々の奥で、血走った目をした一人の男が、ギリギリと歯ぎしりを響かせていた。
「許さん……許さんぞ、ポポロ村のゴミ屑ども! そして、あの忌々しい黒服の医官めぇぇぇっ!!」
髪を振り乱し、豪奢だった貴族の服をボロボロに汚しているのは、隣領マッカの元領主・ガリウスである。
数日前の収穫祭で、中村優太の『ルミノール反応』によって違法魔獣実験の証拠を完全に暴かれた彼は、王属騎士団によって身柄を拘束された。
だが、護送中の隙を突き、全財産を注ぎ込んで騎士を一人買収し、なんとか逃亡を果たしたのである。
地位も、領地も、財産も、全てを失った。
彼に残されたのは、優太たちへのドス黒い『逆恨み』だけだった。
「私の輝かしい人生を狂わせた代償、たっぷりと払わせてやる……! 貴様ら下民の村など、この『最高傑作』の猛毒で、草木一本残らぬ死の荒野に変えてくれるわ!」
ガリウスの背後には、彼が逃亡の果てに秘密の実験施設から持ち出した、巨大な鋼鉄の檻が置かれていた。
中には、幾重もの魔法の鎖に繋がれた『異形の怪物』が、低くおぞましい唸り声を上げている。
獅子の巨体に、黒曜石のように硬い竜の鱗。背中にはコウモリのような不気味な翼が生え、尻尾は巨大な毒蛇になっている。
自然界の摂理を完全に無視して合成された禁忌の生体兵器――『猛毒合成獣』である。
その怪物の体表からは、絶え間なく赤紫色の『毒の霧』が噴き出しており、周囲の草木が触れた端からシュウゥゥと音を立てて溶け、枯れ果てていた。
「さぁ、目覚めよ私の可愛いペット! あの生意気な村へ向かえ! 毒を撒き散らし、あの医官の絶望する顔を私に見せてみろ!!」
ガリウスが高らかに笑いながら、檻の封印を解くレバーを引いた。
ガコンッ!という重い音と共に鋼鉄の扉が開き、魔法の鎖が弾け飛ぶ。
『グルルルルルルルルッ……!!』
キメラ・バジリスクが檻から這い出し、その巨大な三つの首を天へ向け、大気を震わせるほどの咆哮を上げた。
「はーっはっはっは! 行け! 行くのだ! まずはあの村を火の海に……」
ガリウスがポポロ村の方角を指差して命令を下した、まさにその瞬間だった。
キメラ・バジリスクの尻尾である巨大な毒蛇が、ギロリと、至近距離でやかましく叫んでいるガリウスを睨みつけた。
知性など微塵もない、ただ破壊と殺戮の本能だけを植え付けられた合成獣にとって、『主人』という概念など存在しない。目の前で騒ぐこの小太りの男は、ただの「目障りな虫」でしかなかった。
「……ん? な、何をこっちを見ている。私はお前の創造主であって……」
『シャァァァァァァァァッ!!!』
毒蛇の尻尾が、バネのように弾けた。
それはまさに、丸太のような太さを持つ巨大な鞭のフルスイング。
ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!
「あべばぁぁぁぁぁぁっ!?」
キメラの強烈な尻尾の薙ぎ払いが、ガリウスのわがままな腹にクリーンヒットした。
凄まじい衝撃波と共に、元領主の体は、まるでプロ野球選手にフルスイングされたボールのように、斜め45度の完璧な放物線を描いて大空へと打ち上げられた。
「こ、こんなはずじゃぁぁぁぁぁぁっ……!!」
断末魔の叫びは、風の音にかき消されていく。
ガリウスの体は、ポポロ村を飛び越え、山を越え、遥か上空の成層圏ギリギリまでカッ飛ばされ――最後は、青空の彼方で「キラーン☆」と、哀れな一筋の流れ星となって消えていった。
ポポロ村を脅かした小悪党は、自分が呼び覚ました暴力によって、極めてあっけなく、そしてコメディタッチに完全退場を果たしたのである。
***
一方、その頃のポポロ村。
「ふふん〜♪ 愛も富も一つの物〜♪(どっちもちょーだい!)」
広場のベンチで、リーザがご機嫌な鼻歌を歌いながら、自警団の活動記録(という名の経費精算書)をつけていた。
その横では、キャルルとルナが、優太から貰った特大ぬいぐるみのお手入れをしている。
「天日干しすると、ニンジンさんがもっとフカフカになりますよ!」
「精霊のぬいぐるみは、月光に当てると輝きが増すんですの」
少し離れた場所では、イグニスが薪割りをし、優太は愛用のワスプ薙刀のメンテナンスをしながら、アメスピの煙を燻らせていた。
祭りの後の、どこまでも平和で穏やかな、いつものポポロ村の午後。
――その静寂を。
地鳴りのような咆哮と、鼻を突く異臭が引き裂いた。
『グォォォォォォォォォォォォンッ!!!!』
「な、なんだ!?」
イグニスが斧を放り出し、南の森の方角を睨みつける。
キャルルたちのウサギの耳やエルフの耳も、一瞬にしてピンと立ち上がり、警戒態勢に入った。
「優太さん! 森の方から、ものすごい魔力の圧が……!」
キャルルが叫ぶのとほぼ同時に、優太の左腕で、G-SHOCKの盤面がけたたましい警告音を鳴らし始めた。
『ピーッ! ピーッ! ピーッ!』
「……!」
優太は咥えていたタバコを即座に携帯灰皿に捨て、盤面のデータ(気圧・大気成分センサー)を確認した。
「……大気中の『神経毒素』および『強酸性ガス』の濃度が、致死量を超えて急上昇している。……来るぞ」
優太が指差した南の森の入り口。
そこから、木々をなぎ倒し、地面を腐食させながら、巨大な異形の怪物が姿を現した。
「ヒィィッ!? な、なんですのあの不気味な魔物は!」
リーザが帳簿を放り出して悲鳴を上げる。
「獅子と、竜と、蛇……!? まさか、あれが……」
ルナが、震える声でその正体を口にした。
「ああ。噂に聞いていた、違法な『魔獣合成実験』の成れの果てだ。……あのバカ貴族が、死なばもろともで解き放ちやがったな」
優太の冷徹な声が響く。
怪物――キメラ・バジリスクの体表からは、赤紫色の濃密な『毒の霧』が絶え間なく噴き出し、村の広場へとジワジワと迫ってきている。
毒霧に触れた広場の芝生は、一瞬にして黒く変色し、ジュゥゥゥと音を立てて溶け落ちていた。
「おいおい、冗談じゃねぇぞ! あの霧、吸い込んだら一発でアウトじゃねぇか!」
イグニスが顔を引き攣らせる。
「その通りだ。呼吸器の粘膜から直接血中に溶け込むタイプの、極めて悪質な化学兵器だ。魔法のバリア程度じゃ、ガスの浸透は防ぎきれない」
村の防衛ラインを、圧倒的な『猛毒』という理不尽が塗り潰そうとしている。
だが、優太の目には、微塵の恐れもパニックもなかった。
(……敵の戦力規模、攻撃手段、すべて想定内(トリアージ完了)だ)
優太は、首元に下げていたタクティカル・ガスマスクを、カチャリと口元に装着した。
フィルター越しに聞こえる、彼自身の静かで冷たい呼吸音。
「慌てるな。パニックは毒より早く部隊を壊滅させる。……どんなに強固な怪物だろうと、生物である以上、必ず解剖学的弱点が存在する」
優太はタクティカルリュックを展開し、その中からある『地球の兵器』を取り出し始めた。
「これより、ポポロ村自警団による『大規模・害獣駆除および化学除染オペレーション』を開始する!」
絶望的な猛毒を撒き散らす、禁忌の合成獣。
しかし、その前に立ちはだかるのは、いかなる理不尽な暴力にも決して屈しない、最強の医官と仲間たちだった。
死の霧を前にして、反撃のロジスティクスが、今まさに展開されようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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