EP 7
祭りの後片付けと、星空の乾杯
春の夜風が、祭りの熱気を優しく冷ましていく。
喧騒に包まれていたポポロ村の広場も、夜が更けるにつれて静けさを取り戻し、あちこちに灯されたランタンのオレンジ色の光だけが、祭りの余韻を静かに照らし出していた。
「あーっ! 疲れましたーっ!!」
広場の片隅で、月兎族のキャルルが両手を大きく上に伸ばし、ウサギの耳をだらんと垂らして伸びをした。
「でも、大成功でしたね! 私たちの焼きそば、一つ残らず完売です!」
「ふふふ……これを見てくださいませ、皆様」
臙脂色の芋ジャージ姿のリーザが、布袋をテーブルの上にひっくり返した。
ジャラジャラジャラッ!と、大量の銅貨と銀貨が山のように積み上がる。
「素晴らしいですわ……! 麺とキャベツを炒めただけで、こんなにLove & Moneyが錬成されるなんて! これで私の新しいステージ衣装も、特上の美容液も買い放題ですのーっ!」
リーザが札束(硬貨)の山に頬擦りをして恍惚の表情を浮かべる。
「リーザちゃん、それは自警団の活動資金ですからね? 全部一人で使っちゃダメですよ」
「分かっていますわよ! 経費で落ちる範囲で上手くやりますわ!」
「お二人とも、お金の話よりまずはお片付けですわ。優太様がお待ちですのよ」
純白のドレスの上にエプロンを着けたルナが、ふわりと微笑みながら二人に声をかけた。
屋台の裏側では、中村優太とイグニスが、巨大な鉄板の清掃作業(撤収オペレーション)に取り掛かっていた。
「おい優太、この焦げ付いたソース、なかなか落ちねぇぞ。俺様の炎で焼き切っちまうか?」
「やめろ、鉄板が歪む。……これを吹きかけろ」
優太はタクティカルリュックから、スプレーボトルを取り出してイグニスに渡した。
地球ショッピングで取り寄せた『業務用・超強力アルカリ性油汚れ落とし(厨房用)』である。
「シュッと吹きかけて一分待てば、界面活性剤とアルカリ成分が、頑固な油汚れと炭化したソースを分子レベルで分解する。あとは軽く水で流すだけだ」
「マジかよ、また変な魔法の薬を出しやがって。……おおっ!? 本当だ、軽く擦っただけで焦げがスルスル落ちるぜ!」
イグニスが驚きの声を上げながら、スポンジで鉄板を磨き上げていく。
手際よく機材を片付け、ゴミを分別し、広場を完全に元の衛生状態に戻す。
それが終わる頃には、空には満天の星が瞬いていた。
「よし。撤収作業、完了だ」
優太が手袋を外し、G-SHOCKの盤面で時刻を確認した。
「ふぅーっ! やっと終わりました!」
キャルルたちが、ぱたぱたと優太のもとに集まってくる。
全員、顔には疲労の色が見えるが、その表情はとても晴れやかで、充実感に満ちていた。
「よくやった。……今日の報酬だ」
優太がテーブルの上にドンッと置いたのは、地球のクーラーボックスだった。
蓋を開けると、中には氷水でキンキンに冷やされた、琥珀色の液体の入った瓶と、炭酸飲料の缶が並んでいる。さらに、別の保温ボックスからは、こっそり取っておいた極上の『厚切り牛タンの塩焼き』が姿を現した。
「うおおおおっ!! 優太、お前最高だぜ!!」
イグニスが歓喜の雄叫びを上げ、瓶の栓を牙でカッと開けてイモッカ(芋の蒸留酒)をあおる。
「わぁっ! この黒くてシュワシュワする甘いお水、すっごく美味しいです!」
「牛タン、最高ですわーっ! 噛めば噛むほどお肉の旨味が……!」
ルナとリーザも、地球のジャンクな味覚に完全にノックアウトされている。
優太は静かにベンチに腰を下ろし、自分用に開けたノンアルコールビールを喉に流し込んだ。
冷たい炭酸が、激務で火照った体に染み渡る。
「……なぁ、優太」
ふと、イグニスがジョッキを片手に、ニヤニヤと笑いながら優太の隣に座った。
「なんだ」
「いやぁ、今日の昼間の件だよ。あのクソ貴族を社会的にぶっ潰した時の、お前の顔」
イグニスの言葉に、キャルルたち三人の手もピタリと止まり、全員の視線が優太に集まった。
「……あれは、公衆衛生を脅かす害虫を、極めて論理的に駆除しただけだ」
優太は視線を逸らし、そっけなく返す。
「嘘つけ! お前、完全にブチ切れてたじゃねぇか!」
イグニスが豪快に笑いながら、優太の背中をバンバンと叩いた。
「俺様たちを『野蛮な獣』だの『トカゲ』だのって馬鹿にされた瞬間、お前の目からスッ……って光が消えたんだぜ。あの時のお前から出てた殺気、死蟲将軍の時よりヤバかったぞ!」
「そうです! 私、はっきり聞きました!」
キャルルが、ウサギの耳を赤く染めながら身を乗り出してきた。
「『俺の仲間を愚弄したことだけは、絶対に許さない』って……! あの時の優太さん、すっごく、すっごくカッコよかったです!!」
「私なんて、優太様のあまりの頼もしさに、危うくその場で婚姻届(エルフの契約書)にサインを求めるところでしたわ!」
「私だって、あの瞬間だけはお金の計算を忘れましたのよ!? それくらい、痺れましたわ!」
ルナとリーザまでが、目をキラキラと輝かせて優太に迫ってくる。
三人のヒロインからの、純度100%の好意と称賛の集中砲火。
さらに、相棒からの絶対的な信頼の眼差し。
「……うるさい。お前らは観察が甘い。俺の心拍数はあの時、平常時の80を下回っていた」
優太はたまらずベンチから立ち上がり、ポケットからアメスピを取り出した。
だが、その耳の裏側が、ほんの少しだけ赤く染まっているのを、夜目の利くキャルルは見逃さなかった。
(……ふふっ。優太さん、照れてる)
優太は少しだけ皆から離れた場所へ歩き、軍用マッチでタバコに火をつけた。
シュッ、という小さな音と共に、紫煙が星空へと立ち昇っていく。
「……素直じゃねぇなぁ、相変わらず」
イグニスが苦笑いしながら、酒をあおる。
優太はタバコを咥えながら、星空を見上げた。
思い返すのは、かつて自分がいた地球の、硝煙と血の匂いが立ち込める戦場の光景。
誰も信じられず、ただ生き残るためだけに冷徹なロジックを回し続けていた、孤独な医官としての日々。
それに比べて、今はどうだ。
振り返れば、そこにはランタンの光に照らされた、騒がしくて温かい食卓がある。
酒を飲んで豪快に笑う竜人の悪友。
口の周りにコーラをつけてはしゃぐ、強欲な人魚と純真なエルフ。
そして、自分を真っ直ぐに見つめてくれる、心優しい月兎族の少女。
(……俺の守るべき陣地は、随分とやかましくなったもんだ)
だが、その騒がしさが、今の優太にとっては、どんな強力な鎮痛剤よりも深く、心の傷を癒やしてくれていた。
「おい、優太」
イグニスが、新しいグラスに酒を注いで、優太の方へと掲げた。
それに合わせて、キャルルも、ルナも、リーザも、それぞれの飲み物が入ったコップを手に、優太に向かって満面の笑顔を向けた。
「お前が俺たちを大切に思ってくれてるのと同じくらい、俺たちも、お前のことが大好きだぜ。……ポポロ村最強の医官殿に、乾杯だ!」
「乾杯です、優太さん!!」
「乾杯ですわーっ!!」
星空の下、仲間たちの温かい声が響き渡る。
優太は、咥えていたタバコをゆっくりと携帯灰皿にしまい、首元に下げていたガスマスクをカチャリと外した。
普段は決して人前で見せない、完全に無防備で、少しだけ照れくさそうな素顔。
優太は自分の手元にあったグラスを持ち上げると、小さく、だがはっきりと口角を上げた。
「……乾杯だ。最高の部隊に」
カチンッ、と。
ガラスとガラスが触れ合う、優しく涼やかな音が、春の夜風に乗ってポポロ村の広場に響き渡った。
理不尽な悪意をロジックで粉砕し、自分たちの居場所を守り抜いた自警団。
美味しい料理と、心地よい疲労、そして何よりも代えがたい仲間たちの笑顔。
優太にとって、このポポロ村で過ごす時間は、彼自身が気づかないうちに、かけがえのない『宝物』へと変わっていた。
だが、この温かく穏やかな時間が、最悪の『嵐の前の静けさ』に過ぎないことを、彼らはまだ知らない。
星降る夜の乾杯の裏で、社会的に抹殺された愚劣な領主の最後の『狂気』が、音もなくポポロ村へと忍び寄りつつあった。




