EP 6
ハイブリッド・メディックの真価
「どいてくれ! 頼む、死なせないでくれッ!」
血まみれの男の悲痛な叫び声と共に、戸板に乗せられた青年が村長宅の床に下ろされた。
ランプの灯りに照らされた青年の惨状を見て、周囲の村人たちが息を呑み、何人かは口元を押さえて顔を背けた。
右脇腹からへそ下にかけて、獣の鋭利な爪で深く抉られている。衣服は鮮血でどす黒く染まり、裂けた腹壁から腸管の一部が外に露出しかけていた。
出血量はすでに危険域。青年の顔面は蒼白を通り越して土気色になり、呼吸は浅く、早い。
「森の奥で、はぐれ熊の魔獣にやられた! 神父様は隣町に出払っていて……」
「ダメです……この傷では、ポーションを振りかけても表面が塞がるだけで、中の出血は止まりません!」
騒ぎを聞きつけた村の治療師らしき老婆が、絶望的な声で首を振る。
その時だった。
ベッドに寝かされていたキャルルが、痛む足を引きずりながら無理やり立ち上がった。
「私が……やります」
「村長!? ダメだ、昼間の怪我で限界のはずだ! 満月でもないのに力を使えば、あんたの命が——」
「村の仲間を見捨てるなんて、できませんッ!」
キャルルが青年の傷口に手をかざす。彼女のウサギの耳が力なく垂れ下がり、その口角から一筋の血が流れ落ちた。自分の生命力(体力)を強制的に変換して対象を治癒する、月兎族の自己犠牲の治癒術。
「やめろ。患者を増やすな」
そのキャルルの肩を、優太の太い腕が強引に掴み、後方へ引き剥がした。
「優太、様……?」
「お前は寝てろ。ここからは、俺の専門分野だ」
優太はキャルルをベッドに押し戻すと、青年の横に膝をつき、鋭い視線で傷口をスキャンした。
(腹部裂傷、小腸の一部脱出。だが大動脈の損傷はない。腹腔内出血もまだ許容範囲内……いける!)
優太は周囲を取り囲む村人たちに向かって、鋭く通る声で指示を飛ばした。
「そこのあんたは熱湯を沸かして清潔な布を大量に持ってこい! 残りは外に出ろ、空気が汚れる! 急げ!」
その声には、極限の戦場を潜り抜けてきた部隊指揮官特有の、有無を言わせぬ絶対的な『覇気』があった。
警戒していたはずの獣人の村人たちが、本能的にその声に従い、一斉に動き出す。
場が確保された瞬間、優太はホログラムUIを展開した。
ミリタリーリュックの中身だけでは、野外での開腹手術は心許ない。ポイントを惜しんでいる場合ではなかった。
(局所麻酔薬、滅菌生理食塩水、スカルペル、持針器、吸収性縫合糸、滅菌ドレープ……)
計30Pを消費。
光と共に、現代医療の粋を集めた無菌状態のパッケージが次々と床に現れる。
優太は素早く滅菌グローブを装着し、青年の傷口周辺に局所麻酔を打ち込んだ。
「これから腹を縫う。痛いが、生きるためだ。歯を食いしばれ」
意識が朦朧としている青年に短く告げると、優太の表情から一切の感情が消え失せた。
冷徹な外科医の顔。
露出した腸管に、温めた滅菌生理食塩水を惜しげもなく注ぎ込み、付着した泥や魔獣の体液を徹底的に洗い流す。
「な……なんだ、あの透明な水は……」
「それにあの銀色の道具……呪術か何かか?」
遠巻きに見ている村人たちがざわめくが、優太の耳には入らない。
洗浄を終えた腸管に損傷がないことを指先で確認し、そっと腹腔内へ還納する。
次に出血点の特定だ。ペアン鉗子で素早く血管をクランプし、縫合糸で確実に結紮していく。流れるような、無駄の一切ない完璧な手技。
(——俺はもう、誰も死なせない)
通り魔に腹を刺されて死にゆく己の身体を、自分ではどうすることもできなかった無力感。それが、今の優太の指先に神がかった速度と正確性を与えていた。
腹膜、筋膜、皮下組織、そして皮膚。
層ごとにテンションを調整しながら、的確に縫合していく。
処置開始からわずか二十分。傷口は見事な結び目で塞がれ、滅菌ドレープと圧迫包帯で厳重に保護された。
青年の呼吸は深く安定し、顔色に確かな赤みが戻っていた。バイタルは完全に安定した。
「……終わったぞ。絶対安静だ。感染症を防ぐために、この後薬を飲ませる」
優太が血まみれのグローブを外し、息を吐き出した瞬間だった。
『パラパパッパーン!!!』
脳内に、今までで最も盛大なファンファーレが鳴り響いた。
ホログラムUIが黄金色に輝き、大文字でメッセージが表示される。
【善行を確認しました】
【対象:神聖魔法でも治癒困難な重傷者の救命】
【地域社会への貢献度:特大】
【ポイントを加算します:+5000P】
【現在の所持ポイント:6067P】
(……五千ポイント)
ゴブリンを殺した時の『五十倍』の価値。
この世界において、命を救うという行為がどれほど重く、どれほど高く評価されるのか。優太の倫理観が、再びシステムによって最強の肯定を受けた。
ふと視線を上げると、部屋の中が異様な静寂に包まれていたことに気づく。
運び込んできた村人たちも、老婆も、門番のバウも、全員が信じられないものを見るような目で優太を凝視していた。
「あ、あの……ユウタ、様」
青年の父親らしき男が、震える足で進み出た。
そして、優太の目の前で、ドシャリと床に膝をつき、深く頭を擦り付けた。
「息子を……息子の命を救っていただき、本当に、本当にありがとうございます……ッ! 俺たち、人間のあんたを疑って……なんという罰当たりな……!」
「よせ。頭を上げてくれ」
「いいえ! あんたは……ユウタ先生は、ポポロ村の恩人だ! どうか、これまでの無礼を許してくだせえ!」
父親の土下座を皮切りに、周囲の村人たちも次々と頭を下げ始めた。
よそ者への『警戒』が、圧倒的な有能さと命を救う姿を前に、絶対的な『信頼』と『承認』へと反転した瞬間だった。
「……先生、か。悪くない響きだ」
優太は小さく笑い、疲労で座り込んだ。
ふと視線を感じて振り返ると、ベッドの上のキャルルが、両手を胸の前で組み、熱に浮かされたような、ひどく重く、ねっとりとした瞳で優太を見つめていた。
「(……ああ、優太君。なんて優しくて、強いお方……)」
彼女のウサギの耳が、興奮で小さく震えている。
だが、その熱視線よりも、優太の医官としての目は別の問題を捉えていた。
(……この村、衛生観念が中世レベル以下だな。怪我より先に、感染症で死ぬぞ)
6000ポイントを超えた財産を眺めながら、優太は戦術的公衆衛生の導入を固く決意していた。
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